政治参加という落し穴
とても基本的な事だが、多くの人が見落している事実がある。
社会問題や政治に関心を持った時、多くの人がまづ政治家や有識者といわれる人達の話を聴いてしまう。
この時点で、これは大問題だと気付くべきだが、だからこそ落し穴として危険なのだ。
これを例えば、自分が何らかの高額商品を買う事に置き換えて想像してみて欲しい。例えば高価な家電製品を買いたいと思った時、数ある選択肢の中からどの機種を選ぶのか。基礎的な知識もない状態で、判断に迷う時、下記のうち誰の話を参考にするべきだろうか?
1・ある製品を製造販売している人
2・1のライバル企業やアンチの人
3・公平な消費者団体や口コミ
製造販売している人は確かにその製品について詳しいはずだし、様々な利点を教えてくれるだろう。しかし、自分に不都合な事実は話さない可能性がある。不都合な情報の中でも軽微なもの、黙っておくと後々問題となる事については敢えて教える事で却って信頼される場合もある。
ライバルやアンチならその製品のデメリットや弱点についてある事ない事、熱心に教えてくれるだらう。
私個人としてはそれぞれの話を聴いて、更に客観的な立場にある消費者団体や口コミなどから故障など不具合がどの程度なのか、価格に見合う性能や耐久性なのかを確認し、競合製品の中から選びたい。
理想をいえば設計開発した人以上に深い理解があれば、この部品はコストダウンのために妥協しているとか、手間を掛けてまで加工した事で性能が向上しているという判断が出来るし、自分で改良や開発をしても良い。
いや、そもそも本当に必要なのか?これまではそんな高価な家電製品を使う必要もなく生活をしていたのに、なぜ今、それに関心を持ち、購入を検討しているのか?
きっかけはドアを叩いた一人のセールスマン、あるいはネットの記事や動画、あるいはジャパネットた◯た や夢グ◯ープの放送かも知れない。
彼らは言葉巧みに「今のままではいけない!この製品に関心を持ちなさい!これがあればこんなに良くなる!月々この金額で手に入れる事ができる!」と訴えてくる。確かにそうかも知れない。氷に閉ざされた地域に住むエスキモー(イヌイット)に冷蔵庫を売るセールスマンの話もある。事実、イヌイットに冷蔵庫は売れた。無論、食品を冷やすためではなく、食品を凍らせない温蔵庫としてだが、それは確かにイヌイットの生活を良くした事だろう。
しかし、本質的に不要なものを必要だと刷り込んで売るのがセールスだともいえる。我が国では「商売は三方良し」の文化だが、近年ではどうであるのか。
さて、前置きが長くなったが、社会問題や政治に関心を持ち、政治参加を考えているあなた。既に政治運動をしているあなた。
あなたがそれに関心を持つきっかけは何であったのか?政治家や有識者といわれる人達が問題提起している記事や動画を見たのではないか?
そうであるなら、その人は上に挙げた1〜3のうち、どの立場にある人なのか?
政治家や有識者といわれる人達は、問題提起(動機付け)から支持や投票(契約や決済)という一連の製品の購入を呼び掛ける訪問販売のセールスマンでしかない。
そのほとんどが自分を支持する人達の利益誘導のために問題を提起し、自分達が損害を被らないように立ち回る。問題解決に取組み、そのためには命も懸けるという者もいるが、誰しも生きるというのは命懸けであり、それに利権が絡むなら命懸けで当然なのだ。その覚悟があるなら、言葉ではなく行動で示すべきである。
支持を伸ばせそうな問題を取り上げ「命懸けます!」だと?ならばせめて具体策を示せ!実現のためのロードマップを出せ!それができないなら、それが意図した事でなくとも詐欺師と何が違うのか。
それを指摘できない民度で民主制を採るというのが、既に衆愚政治に陥っているのだが、、、一応ここでは民主制を前提としよう。
真に政治参加を望むなら、政治家や有識者から学ぶという時点でズレている。
政治参加とは政治家や有識者の政策や主張が正しいかをあなた自身が判断しなければならない。何かしら関心を持つ政治課題があるなら、政治家以上に深く理解した上で、彼等の政策が実現可能な具体的なものであるか判断し、その上で支持や投票に繋げる。更にどこまでロードマップを進めたか確認も必要だ。
自分自身の高価な買い物について考えたなら、100万円の壺を売りに突然現れたセールスマンに対し「壺を買うだけでそんなに幸せになれるなんて素晴しい!契約書にハンコ押します!え?即金なら壺所有者だけの仲良しクラブで壺の代理店の権利が無料!?今タンスから現金持ってきます!」という反応に疑問を持つはずだ。
本来そうあるべきなのに、こと政治参加となると「この先生を応援すればこの問題が解決するはず!素晴しい!意識の高い仲間もできた!寄付します!グッズ買います!投票します!」という反応になっても疑問を持たない。そのうち、その政治家がダメだとなっても、また別の政治家に同じ手口で騙される。そのうちに政治に関心を失う。それを戦後体制の間ずっと続けている。これが戦後教育と呼ばれるものの本質である。
また政治参加や投票をただ無闇に呼びかけるというのは、民主制の構造的欠陥を助長する危険しかない。これはもはや国家や社会を破壊するテロ行為である。
事実、郵政が国営である事に困っていた普通の日本人が何%いたか?思想信条として民営化が正義というのはもはや宗教であるし、単に政敵の支持団体を攻撃したともいえるし、その場合に最終的な漁夫の利を得たのは誰であったか。
敵対的な相手がいて、自分がいて、相手の脅威を除くためにロシアンルーレットをするアホはいない。6発込められる拳銃なら相手に銃口が向いた状態で6回自分が引き金を引く。そうであるべきなのに、銃口がどちらを向いているかも分からぬまま引き金を引くのはただのアホか狂人だ。
一票を投じる事を「無料だ」と考えてはならない。貨幣に換算したらいくらになるのか?物価が変わり年収が変わり税制も変わるなら、人生が変わる。人生が変わるなら社会が変わる。
民主制下での投票は重い。神代の祖先から連なる自分達と、それを受け継ぐ子供達の未来を左右するのだ。
日本の参政権は、少なくとも日本の国柄を重視し、我が身を捨ててもこれを継承する意思を持つ者に限定すべきだろう。



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