第二節:傳統と革命

動的平衡

國家とは何か。このことは、これからの考察を展開するにおいて基礎的な定義上の理解として確認しておかなければない。

一般に、事物の概念を設定する場合、事物に共通する性質(内包)が定まれば、自づとそれが適用される範圍(外延)が限界付けられることになる。しかし、内包を決定するについても、事物の「本質」を直接的に定義付けることは困難なことが多く、通常は、その「屬性」を列擧して間接的に定義付けることになる。つまり、演繹的方法ではなく、歸納的方法によることになる。演繹的方法では、國家のやうな、實在するものの非視覺的で抽象的であり、しかも、多義的で動的な「生き物」について、その「本質」を直接的に定義することは不可能に近いのである。もし、これを行つても、ことさらに概念の定義が嚴格で限定的であつたり、自己の議論を容易にするための我田引水のやうな恣意的な概念の定義であつたりして、論者によつて多種多樣な定義がなされ、概念の定義そのものが爭點となつて議論が先に進まなくなるからである。このことは、國家の概念だけに限らず、「憲法とは何か」といふやうに、憲法の概念についても同樣のことが云へる。たとへば、憲法を國家の最高規範とした上で、フランス革命の人権宣言第十六條のやうに、「權利の保障が確保されず、權力の分立が規定されないすべての社會は、憲法をもつものでない。」といふやうにイデオロギー的に演繹的方法で限定的に定義すると、國家には、「無憲法國家」と「有憲法國家」があることになつてしまふ。さうすると、無憲法國家には最高規範がないのか、あるいは、無憲法國家の存立基盤となる最高規範は一體何なのか、といふことになる。國家の通有性として、最高規範があることを前提にすると、「無憲法國家は國家ではない」といふ矛盾した結論に至るのである。

さて、話を再び國家について戻すと、國家の實相に關して、國家が生き物であるといふ素朴な認識がある。そして、國家を生き物の典型である人に擬へて、國家を「法人」と捉へるとしても、それを構成する「機關」を靜止的かつ機械的な無機質の部品に喩へるやうな機械的唯物論では、國家の動的かつ有機的な作用、特に、「いのち」とか「たましひ」とか「ひとがら」に相當する「國體」の部分の説明をなしえない。

そこで、まづ、生き物の實相に關して認識を深める必要があるが、このことについて大きな示唆を與へたのは、ルドルフ・シェーンハイマー(Rudolf Schoenheimer)である。彼は、昭和十二年に、生命科學の世界において偉大な功績を殘してゐる。ネズミを使つた實驗によつて、生命の個體を構成する腦その他一切の細胞とそのDNAから、これらをさらに構成する分子に至るまで、全て間斷なく連續して物質代謝がなされてゐることを發見したのである。生命は、「身體構成成分の動的な状態」にあるとし、それでも平衡を保つてゐるとするのである。まさに「動的平衡(dynamic equilibrium)」(文獻329)である。唯物論からすれば、人の身體が短期間のうちに食物攝取と呼吸などにより全身の物質代謝が完了して全身の細胞を構成する分子が全て入れ替はれば、物質的には前の個體とは全く別の個體となり、もはや別人格となるはずである。しかし、それでも「人格の同一性」が保たれてゐる。このことを唯物論では説明不可能である。人體細胞も一年半程度で全て新しい細胞に再生し、しかも、その細胞の成分も新しい成分で構成されるといふことになると、このシェーンハイマーの發見は、唯物論では生命科學を到底解明できないことが決定した瞬間でもあつた。

古に思ひを馳せば、鴨長明は、『方丈記』で、「行く川のながれは絶へずして、しかも元の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。」と達觀したが、これは、河川の悠久さと流れる水を人生に置き換へた我が國に古來からある無常觀、生命觀を示したものである。そして、この生命觀をシェーンハイマーが生命科學の分野で再發見したといふことができるのである。

雛形理論

そして、このことと竝んで重要なことは、この極小事象である生命科學における個體の「いのち」から、極大事象である宇宙構造まで、自然界に存在するあらゆる事象には自己相似關係を持つてゐるとする雛形構造(フラクタル構造理論)の發見である。フラクタルとは、フランスの數學者ブノワ・マンデルブロが導入した幾何學の概念であるが、いまやコンピュータ・グラフィックスの分野で應用されてゐる理論でもある。この雛形理論(フラクタル構造理論)とは、全體の構造がそれと相似した小さな構造の繰り返しでできてゐる自己相似構造であること、たとへば、海岸線や天空の雲、樹木、生體など自然界に存在する一見不規則で複雜な構造は、どんなに微少な部分であつても全體に相似するとするものである。そして、マクロ的な宇宙構造についても、いまや雛形構造(フラクタル構造)であることが觀察されてをり、また、恆星である太陽を中心に地球などの惑星が公轉し、その惑星の周圍を月などの衞星が回轉する構造と、原子核の周圍を電子が回轉するミクロ的な原子構造モデルとは、極大から極小に至る宇宙組成物質全體が自己相似することが解つてゐる。さらには、海岸や雲の微小部分における輪郭線が全體部分の輪郭線に相似し、樹木でも、放射状構造の葉脈や根毛の微小部分が葉、枝振り、根、樹木全體の放射状構造と段階的に相似してゐるし、生物一般についても、個々の細胞とその集合體である細胞組織や臓器とが、さらに、臓器と個體とがそれぞれ相似してゐるといふことである。それは、生體が單細胞動物を原型として、多細胞生物が存在し、體細胞分裂によつて個體の統一性が維持されてゐるといふ雛形構造(フラクタル構造)にあるといふことである。

ヘッケルは、「個體發生は系統發生を繰り返す。」として、生物發生の相似性を提唱し、また、現代科學においても、蜂の巣状の銀河とグレートウォール、温度の上昇と物質の相轉移、波動性と粒子性の共存、遺傳子構造、大腦皮質のニューロン・ネットワーク構造などを踏まへて、宇宙開闢から今日までをインフレーション理論で説明したり、大統一理論を構築しようとする試みなど、マクロからミクロに至る全事象において、連續した自己相似構造を有してゐることが解明されてきた。

このことについては、我が國でも、古來から「雛形」(ひひなから)といふものがあり、形代、入れ子の重箱、盆栽、造園などに人や自然の極小化による相似性のある多重構造、入れ子構造を認識してきたのである。ジェラルド・ワインバーグのいふ、入れ子状の階層構造といふのも同じ意味である。

物事の眞理を説く場合に、比喩を用ゐることがあるのも、この「雛形理論」で説明がつく。つまり、『法華經』(文獻201)の比喩法による經説は、壮大な眞理の構造を説明するについて、そのままでは理解しえないことから、その雛形を示して理解させるためである。

また、『般若心經』(文獻258)の「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」といふのも、物質現象としてのイオン化現象、プラズマ現象、臨界、超臨界、超傳導、ラジカル反應などや、質量保存法則、エネルギー保存法則、熱力學の法則、量子論などの現代科學の理論的先驅ともいふべき唯物論的な廣義の「相轉移」が語られてゐるのである。

このやうな廣義の相轉移については、御靈(みたま)の世界についても同樣である。伊勢の皇太神宮御祭日の參拜の折に「何事のおはしますをば知らねどもかたじけなさの涙こぼるる」と詠んだ西行法師や、尾張一宮の眞清田神社の參拜の折に「一の宮名さへなつかしふたつなくみつなきのりをまもるなるべし」と詠んだ阿佛尼(『十六夜日記』)が抱いたやうに、「かたじけなさ」とか「なつかしさ」といふ人の高尚な情緒の源泉は、平田篤胤の輪廻轉生譚である『勝五郎再生記聞』などにもあるやうに我が國の生死觀における根強い輪廻轉生の信仰風土に求められる。

そして、『古事記』や『日本書紀』には、この唯心と唯物の世界、形而上學と形而下學とを統合した大宇宙の壮大な雛形構造の原型が示されてゐる。つまり、記紀によれば、伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)の二柱の神が天津神の宣らせ給ひた「修理固成」の御神敕を受け、天の浮橋に立つて天の沼矛を指し下ろし、掻き均して引き上げて出來た島が「オノコロシマ」(淤能碁呂島、オノゴロジマ)とされる。そして、この島に天降り、天の御柱と八尋殿を見立てたまひて國産みが始まる。この「オノコロシマ」については、ひとりでに凝つてできた島だとか、あるいは、北畠親房の『神皇正統記』によれば、「おんころころせんだりまとおぎそわか」といふ藥師如來眞言ではないかとの説明まで紹介されてゐるが、しかし、これは紛ふ方なく「地球」のことである。「オノ」といふのは、ひとりでに、自づと、といふ意味の大和言葉であり、「コロ(ゴロ)」といふのは、物が轉がる樣から生まれた擬音語である。そして、「シマ」といふのは、島宇宙、星のことであり、いづれも大和言葉であつて、これをつなげた「オノコロシマ」とは、「自ら回轉してゐる宇宙」、「自轉島」、つまり「地球」なのである。

そして、このオノコロシマから始まるその後の國産みの話は、我が國が世界の雛形であることを意味してゐる。また、地球といふ生命體の創造において、天の御柱を二柱の神が廻る姿は、個體細胞の染色體が二重螺旋構造をしてゐることを暗示し、まさに極大から極小に至るまでの相似形象を示す我が國の傳統である「雛形理論」を示してゐる。洋の東西を問はず、雛形理論は發見され提唱されてきたが、その發見の源流は記紀にあつたのである。記紀には、宇宙創世から地球の誕生、そして、その創世原理としての雛形理論といふ比類なき壮大な宇宙性、世界性、普遍性が示されてゐるとともに、我が國が世界の雛形であるとの特殊性が描かれてゐることになる。つまり、「上つ代の かたちをよく見よ いそのかみ ふることふみは まそみの鏡」と本居宣長も詠んだとほり、古事記(ふることふみ)は、極大から極小までの時空間を貫く全事象を包攝する雛形を寫し出す眞澄の鏡であると認識されてきた。それは、いはゆる「本田靈學」を確立した本田親德(ちかあつ)も、人心は天之御中主神の分靈であるとし、また、本田親德の豫言によつて丹波から出てきた出口王仁三郎も、「人間は宇宙の縮圖であつて天地の移寫である」として萬物に相似性があるとして、靈主體從の雛形理論を肯定してゐるのである。

このやうな相似性に着目すると、圖形や文字などを用ゐて視覺的に極大から極小までの世界觀などを表はした「曼陀羅」の思想も雛形理論に基づくものであり、『大學』でいふ「修身齊家治國平天下」といふのも同じである。これらは、森羅萬象や社會構造の全てについて、この雛形理論で説明できることを示したものであつて、人の個體、家族、社會、國家、世界のそれぞれの人類社會構造の解明についても、この理論が當然に當てはまる。福澤諭吉が「一身獨立して一國獨立す」と云つたのもこの部類である。萬物を掬するが如く慈しんできた多神教(總神教)の精神風土において、萬物に神が宿り、ひと粒ひと粒の米粒の中にも佛が宿るとする教へも、最先端の生命科學の研究により、皮膚、肝臓、胃などの細胞から、樣々な細胞や組織になる可能性がある萬能細胞(人工多能性幹細胞 iPS細胞)ができるとする發見についても、人體とそれを構成する細胞とが雛形構造(フラクタル構造)であることを證明してゐる。また、「一切即一(多即一)」、「一即一切(一即多)」といふ佛教の教への意味するところも、インドのバラモン教のウパニシャッド哲學において宇宙の根本的統一原理であるブラフマン(梵)と人間の本能(本性)であるアートマン(我)とが合一するとの教へ(梵我一如)も、極大事象と極小事象との間に自己相似性があるとする雛形理論(フラクタル理論)ですべて説明ができるのである。

そして、この理論から導かれる結論は、極めて重要なものがある。それは、森羅萬象は雛形構造であり、それが「安定構造」であるといふことである。さらに、ある事象において混亂が生ずるのは、その全體あるいは構成要素が、その事象より上位の事象及び下位の事象との相似性が保たれてゐないためであつて、その事象の混亂を鎭めて安定化させるためには、相似性のある構造に戻ることが必要であるといふことになる。

禮樂の振動的平衡

また、同じく社會科學としてその科學的考察を必要とする法律學、憲法學、國法學、政治學、經濟學などの分野においても、同じく「科學」である限りは、この雛形理論が適用されることになる。つまり、國家と社會、民族、部族、家族、個々の國民とは、同質性が維持される自己相似の關係にあり、個體の細胞や分子が全く入れ替はつても人格が連續する姿は、皇位が歴代繼承され、國民が代々繼襲しても、それでも連綿として皇統と國體は同一性、同質性を保つて存續する國家の姿と相似するのである。「國」は「家」の雛形的相似象であることから「國家」といふのであつて、前に述べた天皇機關説や國家法人説も、人體と國家の相似性に着目した學説であつた。また、占領期の昭和二十一年の詔書にも、「夫レ家ヲ愛スル心ト國ヲ愛スル心トハ我國ニ於テ特ニ熱烈ナルヲ見ル。今ヤ實ニ此ノ心ヲ擴充シ、人類愛ノ完成ニ向ヒ、獻身的努力ヲ效スベキノ秋ナリ。」とあるやうに、家から國家、そして世界の自己相似性が國體の本質であることが確認されてゐる。

そして、「生體」がその構造と代謝の基本單位である「細胞」で成り立つてゐるのと同樣、「國家」もまたその構造と代謝の基本單位である「家族」から成り立つてゐる。家族(細胞)が崩壞して、ばらばらの個人(分子)では國家(生體)は死滅するのであり、「個人主義」から脱却して「家族主義」に回歸しなければ、國家も社會も維持できない。

さらに、雛形であるといふことは、まさに、動的にも靜的にも形がなければ成り立たないといふことである。「形無し」といふ言葉が「價値無し」を意味するとほり、雛形構造が維持されるためには、萬物の事象において「かたち」が必要となる。そのことは、人の生活や社會と國家においても同樣で、人の社會において禮儀作法や規範といふ形が崩壞すれば社會それ自體が崩壞する。形としての人の禮儀作法は、社會規範の原型であり、その御靈(みたま)の依代であり器に他ならない。禮儀作法が廢れれば、國家もまた廢れるのである。

しかし、その形や器は、決して靜的かつ固定的なものではない。形と器の存在態樣についても、やはり「動的平衡」による安定を保つてゐるのである。分子の微少振動、分子回轉、ブラウン運動や「ゆらぎ(fluctuation)」などのやうに、また、獨樂(こま)の回轉軸がゆつくりと方向を變へて回轉する現象や地球の自轉軸が約二万五千八百年の周期で首振り運動をするなどの歳差運動のやうに、事物が安定的に存在しうるのは、「周期的振動」にある。二極が相即不離の關係にあり、華嚴經の説く、相即相入、事事無礙といふのも、振動的平衡による雛形構造を意味するものである。形を收縮させる方向と擴散させる方向、陰と陽、緊縮と緩和、収束と擴散などのやうに、中心軸又は中心點から対照的に存在する兩極への反復振動によつて動的平衡(振動的平衡)が生まれる。回轉したり振動してゐる状態の方が、停止したり静止してゐる状態よりも安定した力と姿が保てるのである。「魂振り」によつて魂の活力の再生があるとするのも同樣の教へである。式年遷宮の傳統も然り。この動的平衡の本質は、産靈(むすひ)であり、伊邪那岐命と伊邪那美命の國生み、天照大御神と速須佐之男命の瑞珠盟約が祖型となつてゐる。また、儒教の根本規範とされた「禮樂」の思想なども、この「振動的平衡」によつて説明できる。禮儀、規範といふ形による行ひの戒め(禮)と和歌(長歌、短歌など)と音樂(歌舞音曲、樂曲歌唱)による心の和らぎ(樂)、つまり、緊張と緩和の節度ある營みによつて「忠恕」(まごころとおもひやり)を得ようとする眞理の智惠なのである。歌會における瀟洒で荘嚴なる韻律を以てなされる和歌の朗詠や神前でなされる祝詞の奏上などは、魂振りの祖型を今に傳へるものである。また、「樂は内を修むる所以なり。禮は外を修むる所以なり。」(禮記)、「仁は樂に近く、義は禮に近し。」(禮記)、「樂は同を統べ、禮は異を辨つ。」(禮記)などは、「禮」と「樂」が對極に位置しながら相互に作用し合ふ關係にあることを説明するものであり、佛教などで經文などを獨自の誦法で諷詠する聲明(しゃうみゃう)することや、曲調をつけて詠ずる讃嘆、和讃、偈、融通念佛、六齋念佛なども、經文などの意味内容(禮)がその曲調などの旋律(樂)とが合體することによつて動的平衡の調和を實現しようとしてきたものと云ふことができる。

つまり、禮と樂は、緊張と緩和、ハレ(晴)とケ(褻)、靜と動、陰と陽、月と日、外と内、義と仁、異と同、統と辨、理(思想)と情(情感、情念、心情)といふ對極關係にあり、しかも、それは靜止状態で對してゐるのではなく、あたかも時計の振り子の如く中心から左右に振幅し続ける動的平衡によつて調和するのである。これらは、魂振(たまふり)による振動的平衡の雛形となつてゐる。あたかも天照大神の「御統の珠」(みすまるのたま)の如く、對極にある二つの分節が、それぞれ獨自に存在しつつも、その二つが繋つて一つとなり、互ひ雙方向に影響し合ふ關係である。決して、分離獨立した上下の關係でも一方が他方を包含する關係でもなく、また、一方のみが他方に對して一方向的に影響を與へる關係でもない。

従つて、これは、支那の宋儒の説(朱子學)のやうな靜止的で固定的な二分説である理氣説(理氣二元説)や、その原型として影響を與へた佛教の「理事論」の考へ方とは明らかに異なるものである。「理事論」では、森羅萬象を「理」と「事」とに二分し、「理」とは因縁を超越した真理であるのに對し、「事」とは因縁による現象として不可逆的に二分したのと同樣に、理氣説では、森羅萬象を「理」と「氣」に二つに分離して認識し、「理」とは、形而上學的意味における宇宙萬物生成の原理であり、「氣」とは、形而下學的意味における萬物生動の原質(陰陽、五行による現象を含む)であるとした。そして、朱子學は、「性即理」とするのに対し、朱子學が斯文(儒學)の亂賊と批判した陽明學は、「心即理」、「知行合一」、「致良知」とした。心を性と情とに峻別した朱子學の硬直化した認識とは異なり、心の動的平衡の調和を認識しようと試みたのが陽明學であつたと云へる。

ところで、和歌の朗詠や音樂(歌舞音曲、樂曲歌唱)について云へば、歌詞と旋律(メロディー)が一體的に調和した關係となれば、人の心を搖さぶる動的平衡を生む。言靈(ことたま)とは、言葉(ことのは)の意味(禮)と旋律(樂)とが一體調和して生まれる産靈(むすひ)である。歌詞と旋律との關係は、禮と樂の關係、そして、理性と感性(本能)の關係に相似してゐる。

餘談であるが、「むすんでひらいて」の歌の旋律は、ルソーの作曲である。後に述べるとほり、ルソーの歪んだ理性によつて構築された理論(社會契約説、主權論)は破綻したものとなつたが、ルソーにも人竝みの感性があつたといふ證でもある。この旋律は、後に贊美歌のメロディーとなり、これが我が國に浸透したのは、キリスト教の宣教活動の一環でもあつた。しかし、この旋律は、どのやうな意圖や目的で誕生したとしても、それは、その意圖や目的を超えたものになる。それは、意圖や目的は理性の産物であり、本能(感性)から生まれる旋律とは別物だからである。ルソーの思想(靜)は破綻してゐても、ルソーの情感(動)はその旋律によつて維持されてゐた。それ故に、詞(理)は受け入れられなくても曲(情)は受け繼がれたといふことである。家庭に惠まれなかつたルソーは屈折した思想に到達したが、それであればこそ本能的で切實な情感を抱いてゐたのであらう。ルソーの悲劇は、理性と本能の不調和にあつたといふことである。

「音樂」を「音學」としないのも、神道には雅樂があるのも、この禮と樂の統合が祭(まつり)であり、それが政(まつりごと)の理念となるからである。この祭政一如の源流は、古事記にある御神敕の祭政一致、聖俗の辨へ、王覇の辨へに求めることができる。

このやうにして、世界は、禮樂の振動的平衡によつて「修身齊家治國平天下」といふ連續した階層的な雛形構造が亂れなければ安定するのである。しかし、この「修身齊家治國平天下」のうち、「家」と「國」との間には、階層的には相當の距離がある。そのことから、その中間に、家の血縁と地縁による農村的共同體の社會があることを認識した上で、その社會が雛形理論によつて安定することが國家に安定をもたらすものとして、この社會の階層構造の有樣を考察することによつて、その上位にある國家の構造を見定めようとする試みが生まれることも當然のことであつた。

たとへば、農村の村落共同體を「社稷」と定義し、その社稷の防衞のための「農本主義」を通じて「國家」の改造を目指した權藤成卿の思想もまた、この雛形構造理論で説明しうる。「社稷」の「社」とは土地の神、「稷」とは五穀の神を意味するので、農事と祭事とは一體と認識することになり、これを構成要素とする國家もまたその相似形との認識に基づくからである。この點は、無政府主義(アナキズム)と根本的に異なる。似て非なるものである。つまり、無政府主義は、權力分散型の社會を目指し、單位社會である協同組織體のみを肯定して、これらと相似した統合體である國家の成立を認めない。いはば、萬物がそれぞれ一個一個の原子の状態で安定し、核分裂が起こることはなく、しかも、各原子間では相互の關連も持たず、決して原子同士が結合して分子となつたり、クラスター状態にはならないといふ非科學的所見がこの無政府主義の思想に他ならないからである。もし、無政府状態下において國家を形成しようとする動きがあれば、これを阻止しうる權力を認めなければ實效性がない。しかし、その權力の源泉はやはり國家といふことになつて矛盾を來すことになる。これも輕薄な合理主義の所産であつた。

宗教團體と宗教法人

ところで、一般にこれまでは「國家」の實相といふものを「統治」の面だけで捉へられてきたが、實は「統治」以外に、それ以上に別の重要な側面があることがあまり認識されてゐない。それは「祭祀」の側面である。つまり、國家には「祭祀」と「統治」といふ二つの側面がある。ここでは、この區別とその説明をすることを本題とするが、その前に、迂遠ではあるが、これと雛形構造的な關係にある「宗教團體」と「宗教法人」との區別、さらに、これと「營利法人」との比較についての説明から始めることとする。この「補助線」を引いて説明することが、本題の理解に資するからである。

「宗教團體」の設立は自由である。教義と組織の内容やその手續などを國に制約されることはない。それは、信教の自由(帝國憲法第二十八條、占領憲法第二十條第一項)が保障されてゐるからである。しかし、「宗教法人」を設立するには、『宗教法人法』(昭和二十六年法律第百二十六號)に定める設立手續を經て所轄廳の認證を受けなければならない(第十二條)。そして、同法第一條には、「この法律は、宗教団体が、礼拝の施設その他の財産を所有し、これを維持運用し、その他の目的達成のための業務及び事業を運営することに資するため、宗教団体に法律上の能力を与えることを目的とする。」として、宗教團體に法人格を與へる目的を規定し、「宗教團體」と「宗教法人」との關係を示してゐる。つまり、宗教團體が宗教法人となつたとしても、宗教團體自體が消滅するのではなく、その宗教法人とは不可分な存在として併存する。

宗教團體は、その本質的な祭祀(教義、儀式、行事など)とそれを支へる財務(財産の取得、處分、管理など)の各部門が一體となつて存在するものであり、宗教法人は、このうち、財務部門を擔ふものであるから、宗教團體が宗教法人格を取得したとしても、宗教法人の名義で不動産を取得できるなどの地位を得るだけであつて、宗教團體の本質に何らの變化も生じない。

宗教團體は、宮司、住職、教主、法主など、その呼稱はまちまちではあるが「祭祀主宰者」が存在し、その組織的性質は、專制君主制に類似した形態が多い。そして、その財務部門の關係を中心として設立された宗教法人には、その「財務主宰者」である「代表役員」といふ代表機關やその他の機關が設置され、宗教法人の組織や運營については、所轄廳の認證を受けた「規則」に基づくことなる。この「規則」は、宗教團體の祭祀部門について規定するものではなく、あくまでも財務部門の運營に關するものに限られ、「聖俗分離の原則」が貫かれてゐる。そして、同法では、「憲法で保障された信教の自由は、すべての国政において尊重されなければならない。従って、この法律のいかなる規定も、個人、集団又は団体が、その保障された自由に基いて、教義をひろめ、儀式行事を行い、その他宗教上の行為を行うことを制限するものと解釈してはならない。」(第一條第二項)とし、さらに、「この法律のいかなる規定も、文部科学大臣、都道府県知事及び裁判所に対し、宗教団体における信仰、規律、慣習等宗教上の事項についていかなる形においても調停し、若しくは干渉する権限を与え、又は宗教上の役職員の任免その他の進退を勧告し、誘導し、若しくはこれに干渉する権限を与えるものと解釈してはならない。」(第八十五條)とされてゐることからしても、「規則」のうちで認證される部分には、これらの事項を含まないのである。

ここにおいて、宗教法人化した宗教團體には、宗教團體の祭祀主宰者と宗教法人の財務主宰者といふ二つの地位が生まれる。兩者が兼務されることが多いが、さうでないこともある。しかし、その場合でも、祭祀を主とし、財務を從とする關係から、二つの地位の序列は明らかである。

このやうな宗教法人の性質は、株式會社などの營利法人の場合と決定的に異なる。たとへば、個人事業の全部が「法人成り」して株式會社が設立される場合、個人事業のすべてが法人事業へと移行するので、個人事業は消滅して、それがそのまま株式會社の法人事業へと移行する。いはば個人事業が法人事業として生まれ變はる。個人事業では明確でなかつた事業經營と組織運營における規範が、「定款」といふ明文化された規範として認識されるのである。これは、營利事業には、當然のことながら祭祀部門がなく、專ら財務部門で構成されてゐるためである。家族ぐるみや一族総掛かりの同族事業の場合、創業の精神とか、家訓なるものが法人化後も事實上影響することはあるが、それは法的には會社の定款の埒外に置かれ、その法人事業における規範とはなりえない。この點が宗教法人の場合と決定的に異なるのである。

國家における祭祀と統治

このやうな宗教團體と宗教法人、さらに營利法人の性質を踏まへて、國家の性質を考察すると、そこには相似性があることが解る。國家の成り立ちについては、氏族、部族が集合して自然に形成され國體の繼續を肯定する國家(傳統國家又は自然國家)と、これらを否定して建設された國家(革命國家)とに分類しうるが、ともに國家であることからすれば、國民や領土などの國家の唯物的な「屬性」、すなはち、財務的要素がある點において共通するものの、傳統國家(自然國家)には、神話や民族信仰などによる祭祀的要素が存在するのに對し、革命國家には、このやうな祭祀的要素がない。革命國家は、後述する社會契約説や革命理論などの理性論(合理主義)で組み立てられた理念的要素に建國の存在意義を見出し、これまでの國家に存在してゐた祭祀的要素を捨て去るのである。そして、その理念的要素は、國家統治の制度的な規範に置き換へられ、究極的には財務的要素に收斂されていく。そのことからして、傳統國家は宗教團體に、革命國家は營利法人に、それぞれ相似するといふことができる。

そして、傳統國家にも、神話の時代から現代に至るまで歴史的に斷絶のない「眞正傳統國家」と、神話の時代から現代に至までの間に歴史的な斷絶がある「不眞正傳統國家」との區分があるが、眞正傳統國家の典型例である我が國においては、神話の煙る傳統と文化が織りなした文化國體や、その中から抽出された規範的要素としての規範國體に含まれるものの中で、憲法典その他の成文規範では表現されてゐない主要な部分に、この祭祀的要素があり、成文規範で表現できる部分は、財務的要素を含む統治部門となる。つまり、成文化しえない祭祀部門と成文化しうる統治部門とが存在し、この祭祀と統治の區分は、寶鏡奉齋の御神敕(資料二2)における「齋」と「政」の辨へ(齋政の辨へ)に由來する。そして、これは、「聖」と「俗」の區分、「祭」と「政」の區分、そして「王」と「覇」の區分(王覇の辨へ)の原型として、これらとは相似的な雛形構造となつてゐる。

「齋之爲言齊也(齋の言爲る齊なり)」(禮記)といふ言葉がある。これは、「修身齊家治國平天下」の「齊」(ととのふ)の文字は、祭祀を意味する「齋」(いつき)が語源であることを説いてゐる。「齋」に「示」の文字があるが、これは、祭壇の象形であり、そこに神の心が示されるからであつて、「齊家」のためには、祭祀(齋)が不可缺であるといふことである。そして、それは、「修身」においても、「治國」においても、「平天下」においても祭祀(齋)が同様に不可缺である。つまり、「修身齊家治國平天下」のいづれの事象においても祭祀が不可缺であり、入れ子構造(雛形構造)になつてゐることを意味してゐる。平田篤胤も、「玉たすき 掛けて祈らな 世々の祖(おや) おやのみおやの 神のちはひを」とか、「いさこども さかしら止めて 現人(あらひと)の 神にならひて 親をいつかな」として、祭祀が雛形構造であることを説いてゐるのである。

このやうに、祭祀は、民俗祭祀から天皇祭祀に至るまで、國家と社會全域を遍く包み込む。そして、祭祀の雛形構造からしても、「平天下」、つまり世界全體も同樣に祭祀に包み込まれてゐるのであつて、「すめらみこと」とは、世界の祭祀主宰者なのである。

ともあれ、この祭祀の重要性を認識したとき、どのやうにこれを制度化する必要があるであらうか。これについて、忠實無二の者と評された井上毅は、このやうな祭祀の重要性を自覺するがゆゑに、帝國憲法(資料十二)、明治典範(資料十一)、『教育ニ關スル敕語(教育敕語)』(資料十三)、軍人敕諭(資料十)などの成文規範の中に、祭祀部門に屬する記述を極力避けた。成文化されたものは、統治の運用の中で必ず俗化し、その神聖さを損なふと畏れたからである。聖なるものは不文の姿であり、その影繪を描寫して成文化することは、その稚拙な表現の細部に亘つて解釋論爭が生じて必然的に俗化する。それゆゑ、あへて聖なるものを成文化する場合には、必要最小限度に留め、極力その概要のみを示す抽象用語を使用することによつて論爭的俗化を防がうとする智惠を持つてゐたのである。それゆゑ、帝國憲法などの聖なる箇所には、「皇祖皇宗」、「萬世一系」、「神聖」など、その影繪の輪郭を一義的に確定し得ない抽象的表現が用ゐられた。天皇祭祀など眞に聖なるものは決して成文化されない。正統典範もまた、成文化することによる俗化の畏れがあつたが、立憲國家の皇統護持のために、必要最小限度において明治典範などが制定されたものの、天皇祭祀などの聖なるものは決して成文化されなかつたのである。

この「聖俗の辨へ」は、王覇の辨へと相似する原理であり、『古事記』や『日本書紀』にある寶鏡奉齋の御神敕がその原型である。聖俗の辨へは相對的なものであり、自己の兩親から祖先へと遡り、皇祖皇宗、八百萬の神々に至るまでの方向が聖なる方向であり、祖先崇拜の彼方に神佛崇拜を投影することが、信仰の雛形構造である。八百萬の神々とか、悉有佛性といふのは、自己の個體の生命が兩親から、そして祖先から受け繼がれた生命と家産の世襲が連綿と續く雛形構造を示す言葉である。

「遺體」といふ言葉がある。これは、本來は「死體」(なきがら)を意味するのではなく、祖先から連綿として受け繼いだ自己の「身體」(わがみ)のことである。人は、祖先からの命の受け皿である「遺體」と、家族の生活基盤として維持されてきた家産(身代)を受け繼ぐ。この家産を「遺産」といふ。つまり、人は、「遺體」と「遺産」を祖先から受け繼ぎ、そしてそれを子孫に受け繼がせて行く。これが國家の祖型としての「家族」のあり方なのである。人には、それぞれ兩親があり、その兩親にもそれぞれに両親(祖父母)があり、その祖父母にもそれぞれ兩親(曾祖父母)があつて、それを連綿と二十六代まで遡つただけでも、祖先の總數は一億三千四百二十一萬七千七百二十六柱となり、我が國の現總人口(平成二十一年三月三十一日現在、一億二千七百七万六千百八十三人)を超える。これほどまで多くの命を受け繼いで今がある。そして、そのいづれかの祖先に、世界の祭祀主宰者であるスメラミコトの御宗家(皇祖皇宗)とのご縁を戴いてゐるの確信のもとに、君臣の辨へを自覺する。

ちちははと とほつおやから すめみおや やほよろづへの くにからのみち

この尊さを理解せず、祖先崇拜を否定したり疎かにする宗教は、雛形構造を破壞するために自壞する運命にあるといへる。

これまで、國家の分類として、君主制と共和制、君主制にも世襲君主と新興君主に區分するなどの分類があつたが、これらは、いづれも祭祀の有無に着目したものではない。君主國家と雖も祭祀部門がない國家は、傳統國家ではない。祭祀主宰者でない者が權力を以て統治主宰者となつた國家といふのは、革命國家に分類されるのである。

このやうな分類によると、我が國のやうな真正傳統國家には、「祭祀」と「統治」の二つの部門があり、これらが一體となつて國家が成り立つてゐることになる。「國」の字義は、四角い圍ひの區域にある人と領土といふ統治的意味であり、「家」の字義は、祖先から子孫へと引き繼がれて行く家族の生活の場を示す祭祀的意味が含まれてゐることからしても、祭祀と統治とで「國家」なのである。そして、國家においては、祭祀權能は國家の「正統性」を根據付け、統治權能は國家の「合法性」を根據付けるといふ、まさに車の兩輪となる。このことも宗教團體と宗教法人との關係の場合と同樣である。この統治部門とは、祭祀部門以外の全ての事項であり、財政、税務などの財務事項のみならず、統治機構事項や國民の權利義務事項など、統治と國民との關はりに關する廣義の意味で統治部門である。そして、祭祀部門とは、雛形構造となつてゐる國民の各々の家族、氏族、部族、團體などの「部分社會」がなす祭祀(民俗祭祀)とその國民の宗家がなす祭祀(宗家祭祀。我が國においては天皇祭祀)を中心とする文化國體に關はる領域を指す。

擬似祭祀と國教

では、他方、革命國家についてはどうか。その典型例であるアメリカ合衆國(以下「アメリカ」又は「米國」といふ。)の場合は、先住のインディアンの祭祀的要素を受け繼いで建國されたのではない。むしろ、それを否定して破壞することが建國の精神であつたため、祭祀的要素は皆無である。つまり、イギリスからの獨立戰爭といふ建國の原點は、「領土擴大主義」に由來するもので、それを「西部開拓」といふ理念なき征服欲、支配欲、所有欲を正當化した「西進主義」に脱皮させ、それをキリスト教に基づく「神から授けられた明白な使命」(マニフェスト・デスティニィ、Manifest Destiny)であるとした。

この血塗られた使命なるものを口實として財務的要素のみで建國を果たしたことから、米國は、獨立戰爭とその後の國家經綸に必要な國家財政を民間の金融機關に依存して通貨發行管理權を與へた。それが「民間の所有する中央銀行」(文獻197)である連邦準備制度理事會(FRB)である。FRBは、米國の通貨發行管理權を取得して米國に資金貸付をし、米國の「國債」を取得して、その見返りに發行した「ドル通貨」を米國から市場に流通させる。米國は、建國當初から國立銀行としての中央銀行を持たず、自國の通貨發行管理權を民間の私企業に擔保提供して融資を受け、經濟主權を制約されながら運營されてゐる財務國家である。從つて、米國は、當初から財務目的で設立されたものであるため、宗教團體のやうな祭祀部門を當初から當然のことながら有せず、しかも、自己資金がないために民間銀行からの全額融資で設立された株式會社と同樣の性質を有する實驗國家なのである。

ところで、歴史的に見れば、革命國家や不眞正傳統國家においては、國教(國家宗教)を定めたことがあつたが、この現象はどのやうに説明しうるのであらうか。思ふに、國教を設けようとする動機の源泉は、國教といふ「擬似祭祀」を設けることによつて、本來の國家である傳統國家(自然國家)に近づかうとする革命國家の自己保存本能と云へる。近づくことができなければ、革命國家は、雛形理論から外れた存在として、早晩崩壞する運命にある。革命國家といふのは、傳統國家(自然國家)に擬似した人工國家であるから、國民の宗家としての祭祀主宰者が不在である。そこで、何らかの方法により統治主宰者を祭祀主宰者に擬制することによつて、國家の正統性を得ようとするのである。それゆゑに、國教とは「擬似祭祀」と云へる。たとへば、その國教が、民俗祭祀(祖先祭祀)を肯定しつつ、その上位の神の存在を説くものである場合は、比較的に擬似祭祀化が容易となる。それは、國民は、その祖先祭祀の延長線上に宗教上の神に信仰歸依するといふ雛形構造を以て国家祭祀に代用させる。統治主宰者は、国家祭祀の祭祀主宰者に擬制されて、全體としての擬似祭祀の相似的構造となる。

これに對し、祖先祭祀を排除し、あるいはこれと隔絶した絶對神(唯一神)の存在を説く宗教が國教である場合には、祭祀の相似性が崩壞する。國民が、家族を飛び越えて個々人が直接に絶對神に信仰歸依する關係を構築することは、民俗祭祀を否定することになつて軋轢が大きくなる。その上、統治主宰者は、國民と絶對神との直接的な關係から疎外されて蚊帳の外に置かれ、統治主宰者の地位及び統治自體の合法性はあるとしても、統治の正統性を導き出すことができなくなる。そこで、その宗教主宰者である教皇などから統治の正統性を附與してもらふことになつた。

しかし、教會との對立やその權威の失墜などによつて國家の正統性が搖らいでくると、今度は、抽象的にその絶對神から直接に統治權(世襲王權)を授與されたとする思想(王權神授説)が登場する。ところが、この王權神授説によつて擬似祭祀を補強するためには、どうしても王權の正統性の根據となる絶對神を信仰歸依する宗教を國教とする制度を維持しなければならなかつた。しかし、宗教論爭や信仰の自由を求める主張、さらに宗教戰爭などによつて國教制度が維持できなくなつた段階において、今度は、國教制度に依らずともその絶對神に代はる正統性の根據を模索することになる。それが「主權論」である。絶對神に勝るとも劣らない「主權」といふ、實質的には新たな絶對神を觀念の産物として生み出した。これまで「主」と崇めた宗教上の絶對神に賴らずとも、「主權」といふ新たな政治上の絶對神を發明したのである。これもまた、一神教信仰の土壤から生まれたものであり、「主權論」とは「新興宗教」に他ならない。「主(God)」から奪ひ取つた「權利」、それが「主權」である。そして、その主權の歸屬が國王(君主)にあるとする「君主主權論」が生まれ、さらに、その後、國王から主權の歸屬が國民(人民)に委讓され、あるいは國王から國民(人民)が主權を奪取して「國民主權論(人民主權論)」へと移行するのである。これは、人間を越え人智の及ばない存在としてのこれまでの神ではなく、人間自らか神となつた瞬間であつた。

それは、罪刑法定主義を唱へたフォイエルバッハの子、ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハが、マルクス、エンゲルス、シュトラウス、 ニーチェなどに後世多大な影響を與へた『キリスト教の本質』(1841+660)を著し、その中で、「人間の唯一の神とは、いまや人間それ自身である。」、「人間が神をつくった。」と述べてゐることからも明らかである(船山信一譯、岩波文庫、昭和四十年)。

また、この思想的源流は、革命國家アメリカの獨立宣言がなされた同じ年(1776+660)にまで遡る。この年の五月一日、南ドイツ・バヴァリア(現在のバイエルン)のインゴルシュタット大學の法學部教授であつたアダム・ヴァイスハウプトが秘密結社イルミナティを創設したのである。當時のバヴァリアはイエズス會の支配下にあり、ヴァイスハウプトもイエズス會員の家に生まれ育つた。しかし、神の僕となる信仰に抵抗し、理性禮贊、合理主義、啓蒙主義哲學、世界主義(コスモポリタニズム)、キリスト教的信仰の否定、唯物論、自由平等思想、革命思想を唱へ、その實現の手段としてイルミナティを創設した。しかし、バヴァリア政府はイルミナティを数回に亘つて彈壓し、遂にヴァイスハウプトは國を追はれ、以後は地下活動を開始することになる。イルミナティ会員には、理神論者、無神論者も居たが、理性禮贊において共通し、自分たちこそこの世界を支配する神あり、神さへ自分たちの前に從ふべきものであると信じたのである。それをフォイエルバッハ、ルソー、マルクス、ニーチェなどが受け繼いだ。そのことは、昭和十三年(1938+660)のトロツキスト裁判で、クジミンの尋問を受けたラコフスキー(ウクライナ人民委員會議長、元駐佛ソ連大使、革命家)の語つた証言に示されてゐる。「君は、歴史的には語られていないが、われわれだけに判っていること、つまり最初の共産インターナショナルの創立者がアダム・ヴァイスハウプトであったことを知っているかね。彼は革命家で、フランス革命を豫見し、事前にその勝利を保証したユダヤ人で、元イエズス会士であった。彼は自分で、或いは誰かの命令によって、秘密結社をつくったのだ。」といふラコフスキーの証言は、革命國家が「主(ヤハウェ、エハボ)の權利」を合理主義(理性論)によつて奪取してきたことの思想的系譜を端的に示してゐるのである(ゲーリー・アレン著、高橋良典譯『ロックフェラー帝國の陰謀―見えざる世界政府 (Part 1)』昭和五十九年、自由國民社)。

かくして、革命國家では「主權論」が、傳統國家では「國體論」が、それぞれ支配することになる。つまり、祭祀を重視すれば國體論となり、これを無視すれば主權論となるのは必然である。特に、主權論に支配された革命國家では、絶對神崇拜に代はりうる主權論による擬似祭祀だけでは國民國家の統一性が強固とならないことから、國旗、國歌による國家への忠誠を義務付け、さらに、國民皆兵制(徴兵制)による國民の統一性を強化する。徴兵制には、その軍事的意義のみならず、このやうな擬似祭祀の補強としての教育的意義も有してゐるのである。そして、このやうな革命國家に對抗する傳統國家もまた、國民國家の統一性の強化のために國旗、國歌、徴兵といふもので補強する同じ方向を歩むのである。

ともあれ、我が國は、典型的な傳統國家として、祭祀部門における祭祀主宰者たる「すめらみこと」と、統治部門における統治主宰者たる「天皇」といふ國家機關を有してをり、「すめらみこと」が常に「天皇」を兼務されてをられる。敷衍すれば、「天皇陛下萬歳」とは天皇統治の御代を稱へるものであり、「すめらみこといやさか」とは天皇祭祀の御代を稱へるものといふこともできる。

「すめらみこと」(總命)が「しろしめす、しらす」(知ろし召す、知らす)といふのは、祭祀と統治との統合を意味する。祭祀と統治とが統合されたものが國體(くにから)なのである。この項でいふ「統治」は「狹義の統治」のことであり、祭祀と狹義の統治とを統合したものを「廣義の統治」といふことがある。帝國憲法第一條の「統治」は、まさにこの廣義の統治を意味し、祭祀を含んだ概念として用ゐられてゐる。また、狹義の統治のことを「うしはく」(領く、主帶)といふことがある。これは權力的概念であり、國體的概念の「しろしめす」とは異なるものである。

そして、この統治部門における國家の側面は、さながら宗教團體が法人化した場合における宗教法人の機能と同種のもので、對外的な意味での「國家法人」と云へる。そして、祭祀主宰者の有する權能である「祭祀大權」は、帝國憲法の憲法發布敕語にある「祖宗ニ承クルノ大権」として國家の正統性を根據付けるものであり、これこそが、國家の合法性の所在となる統治主宰者の權能である「統治大權」の源泉となるのである。

ところが、これまでの憲法學や國法學は、顰みに倣ふが如き歐米の學問の猿眞似しかできないことから、この不文の祭祀大權を全く理解できない。つまり、これまでは、國家の統治部門のみを守備範圍とする學問が憲法學、國法學であつたからであり、祭祀部門をも守備範圍とする國體學が芽生えてこなかつたからである。

かくして、歴史傳統によつて自然發生的に形成された傳統國家には、祭祀部門と統治部門といふ二面性があり、その主宰機能として祭祀大權と統治大權とが存在し、祭祀大權者(王者)が統治大權者(覇者)を任命するといふ「王覇の辨へ」の基礎となつてゐる。しかし、その傳統國家が崩壞し、あるいは變質して形成された革命國家には、祭祀部門が缺落することになる。ところが、革命國家は本來の國家の姿からその機能が缺損してゐる人工的な不完全國家であることから、何らかの方法でその機能を補充させようとする。それは、①祭祀自體を復元させるか、あるいは、②祭祀に代用しうるもの(擬似祭祀)を創造するかである。それが國家の自己保存本能であつて、人體においても機能缺損があれば、その復元力と擬似機能が働くのと同じである。

祭祀と宗教

古代エジプト文明に見られるやうに、ある祭祀主宰者の血統が率ゐる王朝が別の血統の王朝と交代しても、交代後の新王朝の新たな祭祀主宰者が舊王朝の祭祀を承繼したものと擬制する場合がある。しかし、この場合、新王朝は、舊王朝の祭祀と統治を全否定するのではなく、その基本的な構造を維持しつつ、その統治の源泉である祭祀は、舊王朝とは實質的には別の祭祀ではあつても、形式的にはこれを發展的に承繼したものすることによつて、新王朝の正統性を舊王朝の祭祀に求めることが多い。このやうな事例は、オルメカ、テオティワカン、マヤ、トルテカ、サポテカ、ミシュテカ、タラスカ、アステカなどの文明王國が勃興して王朝の交代を繰り返した「メソアメリカ文明」の各王朝や、スペインの侵略によつて滅亡するまでのインカ帝國の征服擴大の歴史において、それまでに滅亡した少數部族國家とインカ帝國との關係についても同樣である。

ところが、支那で生まれた「易姓革命」の概念は、「天命」が改(革)まつて天子の姓が變(易)はることであるから、新王朝の統治と祭祀は、實質的にも形式的にも舊王朝とは隔絶し、エジプトなどの前例の場合とは異なるものであるが、この場合でも、「天命」を新たに受けること(天命の承繼)といふ點に統治の正統性を見出すことになる。

このやうに、統治の正統性は、國家の成立と存續にとつて必要不可缺なものである。しかし、それを天命に求め(易姓革命論)、あるいは神に求める(王權神授説)などの理屈は、人の頭で考へ出した觀念にすぎず、新國家が誕生した黎明期の熱い時期には通用しえても、國家がその後に安定期に入り永年存續するためには、このやうな觀念の産物だけでは到底維持しえない。國家は、家族、氏族、部族、民族と重畳した雛形構造であることから、國家の本質と正統性は、まさに祭祀に求められることはこれまで述べてきたとほりであるから、革命國家が存續し續けるためには、どうしても國家祭祀と民俗祭祀の復興をなすか、あるいは、民俗祭祀が存在する社會にあつて國家祭祀を復興しえないときには、この國家祭祀に擬へた代用物が必要となる。それが、前にも述べた擬似祭祀としての國家宗教(國教)の創設である。

祭祀は、祖先から連綿と命を受け繼ぎ、家族を守り維持するといふ始源的な本能に由來するもので、家族愛による祖先への崇拜と感謝、子孫への慈しみとは不可分なものであり、死によつて「から」(體、幹、柄、殻)を失つた祖先の「たま」(靈、魂)は、常に家族の「から」と「たま」と一體となつて共存してゐるとの確信こそが祭祀の原型なのである。「祭如在。祭神如在神。(祭ること在すが如くす。神を祭ること神在すが如くす。)」(論語)といふ言葉があるが、これは、「神人共在」である。また、たとへば、新年において、上下兩方が使へる白木の祝箸を使ふのは、人が使ふ箸の上端部分で祖靈神が召し上がるためである。これは「神人共食」であり、大嘗祭での神事の雛形である。このやうに、家族は祖靈神と共に生きるのである。

そもそも、祖先祭祀の根源とは何か。それは、親が子を慈しみ、子が親を慕ふ心にある。我々の素朴で根源的な心には、たとへ死んで「から」を失つても、その「たま」は生前と同樣に子孫を慈しんで守り續けたいとするものである。たとへ自分自身が地獄に落ちようとも、あるいは自分自身が地獄に落ちることによつて身代はりになれるのであれば、それと引き替へてでも、家族が全ふな生活をすることを見守り子孫の健やかなることを願ふ。そして、子孫もこのやうな祖先(おや)の獻身的で見返りを望まない心を慕ふのである。死んでも家族と共にある。それが揺るぎない祭祀の原點である。子孫が憂き目に逢ふのも顧みずに、家族や子孫とは隔絶して、自分だけが天國に召され、極樂・淨土で暮らすことを願ふのは「自利」である。「おや」は、自分さへ救はれればよいとする自利を願はない。これは「七生報國」の雛形である。一神教的宗教の説く救濟思想への違和感はまさにここにある。「利他」の「他」は、まづは家族である。あへて家族から離れさせその絆を希薄にさせる「汎愛」では雛形構造が崩壞する。家族主義といふ「利他」を全ての人がそれぞれの立場で實現すれば、世界に平和が訪れることになるのである。

「親を親しむが故に祖を尊ぶ(親親故尊祖)」(禮記)や「親を思はざれば、祖は歸せざるなり(不思親、祖不歸也)」(左傳)、さらに「大義、親を滅す(大義滅親)」(左傳)などは、家(親)から宗族(祖先)へ、そして宗家(すめらみこと)へと連なる階層的な入れ子構造(雛形構造)を示すものであると同時に、自己保存、家族保存、種族保存、国家保存の各保存本能の階層構造において、最も優先する本能が國家保存本能であることを意味してゐる。

そして、家族の生活が維持されるためには自然の惠みが必要不可缺であることから、自然物(山岳、海洋、河川、湖沼、平地、樹木、巖など)や自然現象(雷、風、竜卷、雪、雨、地震など)その他森羅萬象の神祕さに對する感謝と畏敬、そして畏怖の念が生まれ、それが祖先と共に信仰對象となつて祭祀の要素として取り組まれたのである。これは、佛教の説く「山川草木悉有佛性」といふやうな觀念論に留まるものではなく、日本書紀卷第二神代下第九段一書第六に、「及至奉降皇孫火瓊瓊杵尊、於葦原中國也、高皇産靈尊、敕八十諸神曰、葦原中國者、磐根木株草葉、猶能言語。夜者若熛火而喧響之、晝者如五月蠅而沸騰之、云云。」(すめみまほのににぎのみことを、あしはらのなかつくににあまくだしたてまつるにいたるにおよびて、たかみむすひのみこと、やそかみたちにみことのりしてのたまはく、「あしはらのなかつくには、いはね、このもと、くさのかきはも、なほよくものいふ。よるはほほのもころにおとなひ、ひるはさばへなすわきあがる」と、しかしかいふ。)とあるやうに、神が生み成された磐根や木株も草葉も、人と同じく、もの言ふ神の雛形であり、擬人化ならぬ「擬神化」されたものとして受け止められてゐたのである。

この點について、宗教學者らは、祖先祭祀と自然崇拜とによつて織りなされた「祭祀」の信仰をアニミズムと稱してゐる。このアニミズム(animism)の語源は、ラテン語の「anima」(靈魂、生命)であり、萬物に靈魂が宿るとする有靈觀、萬物有魂論を指す用語であるが、これを否定する一神教文明では猥雜な言葉として受け止め、これらを未開低俗であるかの如く「原始宗教」とし、この祖先祭祀と自然信仰の融合した「祭祀」を否定した「世界宗教」とを比較し、後者は前者が進化したものであるとする。たとへば、ヤスパース(Karl Theodor Jaspers)は、「文明」と呼びうるのは、超越的秩序としての巨大宗教と哲學をもつた「樞軸文明」だけであるとした(『歴史の起源と目標』)。これは、開發によつて森と水を失ふに至る人間中心主義の麥作を主とした畑作牧畜文明の擴大こそが文明の本質とする單純な進歩史觀に基づく。これが現代の都市文明の源流であり、その擴大は、森と水に育まれた人の生態的環境を破壊して無機質に砂漠化することである。このやうなものが文明であれば、それは「野蠻」そのものである(西郷南洲遺訓、文獻77)。しかし、宗教學者はもとより、祖先祭祀と自然信仰を否定するのが世界宗教であると自負する宗教人たちは、この宗教進化論を唱へ、その世界宗教なるものが、人類にとつて本能的に最も重要で始源的な祭祀から逸脱して「退化」し「劣化」した「人工的粗惡物」であるとの自覺ができないのである。

祭祀と宗教の社會的機能について云へば、祖先祭祀や自然崇拜は、宗教とは異なり、決して誰も傷付けない。對立する家族や氏族、部族、民族、人種であつても、祖先を遡れば、やがて根源に收斂されて統一融合するものであり、悉く對立を解消させる機能が祭祀にはある。人は、遺傳によつて親子の顏や姿などの形質が近似することによつても親子の絆を強くして、家族が連綿と世襲する。この世に生を享けたことの感謝にも順序がある。まづは兩親、しかして、祖先、家族、氏族、同族、部族、宗家、國家、地球、宇宙といふ相似性の順序を辿つて「かみ」に至る雛形の祭祀がある。このことは、自然崇拜についても同樣である。

つまり、祭祀の機能は「人類の融和」である。これに對し、世界宗教といふのは、特定の宗教勢力が「絶對神」を定め、それを「唯一神」とすることによつて、これと異なる「唯一神」を主張する宗教勢力とは、不倶戴天の敵となる。つまり、このやうな宗教の機能は「人類の對立」である。現に、これまで「祭祀戰爭」は一度もなく「宗教戰爭」は數限りなく存在したことは嚴肅な歴史的事實である。人々の救濟のためにあるとする宗教が、まつろはぬ人々を脅し傷付け殺戮する。それゆゑ、世界平和を眞に實現するためには、人類は宗教進化論の誤謬に一刻も早く気づいた上で、祭祀から退化・劣化した「宗教」を捨てて始源的で清明なる「祭祀」に回歸するしかない。それによつて、闘爭的で過度な教義の宗教も、選民思想や國粹主義にうなされた過度な民族主義も、その弊害は次第に除去されて行く。

ところが、祭祀と宗教とは全く異質のものであることが理解しえず、國家祭祀とその擬似祭祀である國家宗教(國教)とを混同すると、我が國が戦前に推進した「國家神道」といふ過ちを犯すことになる。神道には宗教的側面も存在するが、その本質は祭祀である。ところが、國家神道政策によつて「神道の宗教化」が一層促進されてしまつた。國家神道政策による最大の被害者は神社神道であつたことを忘れてはならない。いまこそ、我々は、一人一人が宗教の呪縛から解き放たれ、祭祀への回歸が必要なときである。

雛形と偶像崇拜

我が國においては、祖先崇拜、祖先祭祀、自然崇拜、自然祭祀による家族祭祀が擴大して氏神、産土神、鎭守神の崇拜と信仰、民俗祭祀となり、それがさらに擴大して國家祭祀(天皇祭祀)となつてゐるのであつて、典型的な雛形構造を有してゐることになる。これが、日本書紀卷第九の神功皇后攝政前紀仲哀天皇九年十月の條に初めて言葉として登場する「神國」の本義であり、「大日本(おほやまと)は神國なり。」の書き出しで始まる『神皇正統記』(北畠親房)の矜恃である。

しかし、諸外國においては、必ずしも祭祀の雛形構造が維持されてゐない。祖先祭祀を否定したり疎かにしたりして、輪廻轉生を否定する社會となれば、それは「神國」から益々遠退いて、祭祀の雛形構造に歪みが生まれたり崩壞することとなつて、必然的に紛爭が絶えないことになる。

ハイデッガーは、古代ギリシャの哲學者であるヘラクレイトスが用ゐた「エートス(親しくあるもの)・アントロポイ(人間)・ダイモーン(ギリシャの神々)」、つまり、「人間にとつて親しくある場所は神の近くにゐることである」といふ觀念を説いたとされるが(文獻287、288)、これは、祖先崇拜を否定して雛形構造を無視した隔絶的な絶對神を認めない立場であつて、まさに齋(いつき)の理念の古神道である。雛形構造からくる古神道による自然崇拜は、偶像崇拜へと發展する。修理固成の御神敕は、人工物もまた自然物であることを示すもので、自然崇拜の雛形が偶像崇拜であり、これらは一體のものである。そして、その偶像が美しいものであればあるほど限りなく自然崇拜と一體化する。人が「美しい」と感じるのは、それが自然の雛形であるからである。古來より黄金比(黄金分割)が人にとつて最も美しく安定してゐるとされるのは、それが無限大へ、あるいは無限小へと連續的にその比率を保つてゐる雛形の比率であるからである。つまり、美しいのは、雛形の調和が保たれてゐる場合であり、それが崩れれば醜くなる。美醜の區別とは雛形調和の有無による。それゆゑ、美しい偶像は、眞理の雛形なのである。

ところが、世界宗教とされるキリスト教やイスラム教などは偶像崇拜を否定する。偶像崇拜否定の根據のひとつとされるのが「バベルの塔」の物語である。人類統合の象徴としてのバベルの塔が天に達する巨大さであつたことから、その僭越がヤハウェー(主)の怒りを買つて、それまで一つであつた人の言葉が混亂して互ひに通じなくなり、工事は中止され人々は各地に散つたとする物語であるが、これが人類と傲慢を戒め、言語に多樣性があることの説明として理解されるのであればまだしも、もし、人類の統合を阻み、分裂と對立を神が望んだとすれば、その神は滅びの神である。雛形構造(フラクタル構造)を破壞すれば人類は滅亡することしかない。祖先祭祀、祖先崇拝、自然崇拜、偶像崇拜といふ一連の雛形構造を否定することは、人類の統合を弱めて分裂と對立への道を歩むことになる。

しかし、偶像崇拜を否定したところで、やはり、十字架などの圖形崇拜、聖書、コーランなどの教典崇拜、特定地や特定物への巡禮などの聖地崇拜、文字繪の常用など、これらは結局のところ偶像崇拜の變形にすぎず、これらに依存して、雛形構造をなんとか維持しようとするのである。ただし、特に、教典崇拜の場合は、その崇拜對象の教典などの内容が精緻かつ膨大な量となればなるほど俗化の促進は否めない。つまり、文字で書かれたものは、その内容の解釋が施されることによつて俗化する。本質的なもの、聖なるものは文字で表現してはならない。表現したときから俗化が始まるからである。これは、先に述べた井上毅の洞察のとほりである。これは、偶像の形質から受ける「感性」と教典の文字から導かれる「知性」との相違である。雛形構造とは形質構造であり、聖なるものは、その形質から受ける感性に宿るのであつて、文字による知性は俗なるものである。

この聖と俗の區別は、貴と賤(卑)の區別、富と貧の區別、美と醜の區別と同樣であつて、すべて雛形調和の有無によるものである。大和言葉では、「はれ(晴れ)」と「け(褻、穢)」の區別であり、この聖俗の區別は、王覇の辨へに通ずる國家の大本である。

アインシュタインは、晩年に知人の哲學者に對する手紙で、「宗教は子供じみた迷信」であると宗教に否定的な考へを示してゐたことが明らかになつたが、他方で、神の造形し單純簡素で美的なものであるとの信念で自己の相對性理論といふ假説を主張し、さらに、「神はサイコロ遊びをしない」として量子力學の確率的解釋を否定してゐた。アインシュタインのこれらの言動を統一的に解釋すれば、神を肯定しつつ宗教を否定したといふことになる。これは、神の活動が天地創造の場面に限定され、創造後の世界は、神の定めた自然法則に從ふだけで、世界の自己展開に神は干渉しないといふ啓蒙時代の宗教思想である「理神論」(合理主義的・自然主義的有神論)に依據した見解に近いのかも知れないが、少なくとも、信仰は聖なるもの、宗教は俗なるもの、といふ感覺を代辯してゐると思はれる。

祖先と宗教

「宗教を持たない者は居るが、祖先を持たない者は居ない」。これは普遍の眞理である。人々には、必ず生を享けた親が居る。その親にもまた親が居る。それが果てしなく連續し、皇祖皇宗、八百萬の神々に至る。これには一切例外はない。そして、そのことから、祖先崇拜と祖先祭祀が生まれ、その彼方に神佛を想起する。それが「信仰」の雛形構造である。ところが、この信仰を基礎として、樣々な「宗教」が生まれるが、その教義などが一樣でないことから、分裂し對立し、宗教戰爭に發展する。しかし、祖先崇拜から始まる信仰であれば、相手の祖先との共通性を見出して、いつかは統合融和する。

「宗教生活」と「祭祀生活」とは異なる。宗教生活は觀念中心の生活であるが、祭祀生活は實踐中心の生活である。宗教と他の宗教とは對立するが、祭祀と他の祭祀とは對立しえない。むしろ、人心を融合させるのである。祭祀生活を守り續ける者は、たとへ他宗の葬祭であつても參列して祭祀的な禮拜をすることができるが、宗教生活を守り續ける者にはそれができない。「宗教的節操」なるものは紛爭の種であり、社會の害惡である。我が國の傳統的民俗である「祭祀的寛容」こそが世界平和を実現するのである。子孫が祖先とは異なる宗教を信じると、宗教的見地からは祖先と子孫とは斷絶し敵對する。しかし、祭祀的見地からは斷絶したり敵對することはありえない。祭祀は宗教を越えるものである。祭祀の實踐における基本德目の源泉は、上代から今日まで一貫して「清明心(きよきあかきこころ)」であり、その呼稱は「正直(せいちょく)」、「誠(まこと)」、「誠實(せいじつ)」と變遷があるとしても、祭祀の執行における純粹無私無欲の心情から出發してゐる(相良亨)。

ところで、推古天皇十二年四月(皇紀一千二百六十四年)の憲法十七條(資料四)に、「二に曰はく、篤く三寶を敬へ。三寶とは佛・法・僧なり。則ち四生の終歸、萬の國の極宗なり。何の世、何の人か、是の法を貴びずあらむ。人、尤惡しきもの鮮し。能く教ふるをもて從ふ。其れ三寶に歸りまつらずは、何を以てか枉れるを直さむ。」とあることから、佛教を受容して國體の變更があつたとする見解もあるが、これは明らかな謬説である。なぜなら、その三年後の推古天皇十五年二月(皇紀一千二百六十七年)には、推古天皇の御詔敕(資料五)があり、「戊子、詔曰、朕聞之、曩者我皇祖天皇等宰世也、跼天蹐地、敦禮神祇。周祠山川、幽通乾坤。是以、陰陽開和、造化共調。今當朕世、祭祀神祇、豈有怠乎。故群臣共爲竭心、宜拜神祇。甲午、皇太子及大臣、率百寮以祭拜神祇。(つちのえねのひ(九日)に、みことのりしてのたまはく、「われきく、むかし、わがみおやのすめらみことたち、よををさめたまふこと、あめにせかがまりつちにぬきあしにふみて、あつくあまつかみくにつかみをゐやびたまふ。あまねくやまかはをまつり、はるかにあめつちにかよはす。ここをもちて、ふゆなつひらけあまなひて、なしいづることともにととのほる。いまわがよにあたりて、あまつかみくにつかみをいはひまつること、あにおこたることあらむや。かれ、まへつきみたち、ともにためにこころをつくして、あまつかみくにつかみをゐやびまつるべし」とのたまふ。きのえうまのひ(十五日)に、ひつぎのみことおほおみと、つかさつかさをゐて、あまつかみくにつかみをいはひゐやぶ。)」として、憲法十七條を作り賜ふた皇太子(聖德太子)にも「祭祀神祇、豈有怠乎」とされたのである。このことからすれば、祭祀は連綿として實踐され、決して國體の變更などはあり得なかつたのである。

なほ、「神道」の初見は『日本書紀』の「用明天皇即位前紀」にあり、聖德太子の父帝である用明天皇は、「佛法を信じ、神道を尊ぶ」とされたが、「孝徳天皇即位前紀」には「佛法を尊んで、神道を軽んじた」とある。しかし、これは佛教受容による一時的な混亂に過ぎず、祭祀は皇統とともに今日まで連綿と繼續してきたのであるから國體の變更などはありえないのである。

このやうに捉へてくると、聖なるものの正體は、動的平衡を保ち續ける普遍不易なものであることが解る。そして、俗なるものは、それ以外のものである。この辨へこそが聖俗の辨へである。人の體(物質)は常に變動するが、それでも人格(靈)は同一性を保つ。それが動的平衡であるから、「靈主體從」といふことは當然のことなのである。

さうであれば、生を享けた祖先の存在といふ嚴肅な事實を受け入れ、祖先への感謝の發現である祖先崇拜(祖靈崇拜)と祖先祭祀、その延長にある民俗祭祀と自然信仰は、まさに動的平衡を保ち續ける普遍不易のものとしての「聖なるもの」であり、これに對し、これを排斥し、あるいはこれと融合しえない樣々な宗教は、「俗なるもの」といふことになる。

ルター、カルヴァンなどによる宗教改革とは、聖俗の辨へにおいて、教會の俗化を指摘したものである。これは、教會が、それまで王權神授説によつて神と國王との間の導管的機能を果たし、國家の正統性を付與してきた宗教的權威を失ふに至る運動であつた。これによつて、教會(宗教)による國家の支配から、逆に、國家による宗教の支配、つまり、國家が特定の宗教を選擇して國教とするに至つた。それが宗教國家間の戰爭(宗教戰爭)を生み、ウェストファリア條約(Westphalia Treaty 1648+660)によつて、國家は對外的主權を聖なるものに賴ることなく獲得するに至つたのである。

聖なるものと俗なるものとの區別は、あたかも「孝行」と「福祉」の關係に似てゐる。國家の祖型は家族であり、親に孝養を盡くすことが家族の維持に不可缺な本能の姿であつて、それが家族に相似して生まれた國家における基本道德の一つとなつた。ところが、この國家の樣相が時代を經て變化してきた。それは、家族、部族、民族、人種を分斷し、神と個々人との直接の關係を強調し、個々人が救濟されるか滅びるかは神によつて豫め決定してをり、人の意志や能力、そして信仰的努力によつてもその決定(豫定)は變更されないとする「豫定説」が浸透してくると、人は神による救濟(他力救濟)を斷念し、自力による救濟思想が芽生えてくるのは必然であつた。それが啓蒙思想や合理主義であり、そして理神論(合理主義的・自然主義的有神論)や個人主義である。そして、これらを推し進めることにより、人が故郷を喪失し、傳統が否定され、均一化する大衆社會を出現させた。すると、個人個人はバラバラの存在となり、家族もまた、大家族から核家族へ、そして、家族自體の消滅の危機に立たされてゐる。このやうな傾向の中で、國家が家族との雛形構造を維持するためには、擬似家族制度が必要となる。それが、後にも述べるとほり、「福祉」であり、「老人介護制度」である。家族の中で營まれる本能による親子間の孝行を輕視あるいは否定して、施設の中で營まれる理性による他人間の福祉こそが正しいとの幻想である。孝行を基軸としない福祉は、經濟的利害打算によつて雛形構造から逸脱するもので早晩崩壞する。まさに、祭祀と宗教との關係は、この孝行と福祉の關係と相似してゐるといふことである。

そもそも、孝行とは、祖先祭祀の入口に位置するものである。孝行が理解できれば祖先祭祀が理解できる。祖先祭祀が理解できれば、孝行がその入口に位置することが自然と見えてくる。宗教には孝行を説くものはあるが、さらに踏み込んで祖先祭祀を説くものは少なく、祖先祭祀やその變形である祖先供養などは儒教や佛教のごく一部の宗派や教派が行つてきたにすぎない。それゆゑ、眞の惟神の道とは、祖先祭祀を基軸とするものであつて、祭神や本尊のみを崇拜崇敬するだけの單なる宗教とは異なるのである。

國家の概念

以上のことを踏まへれば、國家の本質部分は「國體」といふ生命維持の本能であるので、法律學的な見地だけでは、國家の概念を定義することはできないことになる。ましてや、國體、祭祀、統治といふそれぞれの側面を總合的に考察することも甚だ困難である。そこで、やはりひとまづは、統治の側面に限定して、國家の唯物的な「屬性」についての定義を試みることとする。つまり、これまで、國家の概念については、樣々な定義がなされてをり、政治的なもの、文化的なもの、法律的なもの、といふやうに視點の相違によつても異なるために、ここでは勿論法律的なものに限定して進める。しかし、その觀點から考察するとしても、世界には國家と呼ばれるものやそれに準ずるものが數多くあるので、これらに共通した屬性を要件として歸納的に定義する方法が一般に用ゐられてゐるのでそれに從ふことにする。それは、國家の要素(特性)として、①恆久的住民、②支配領域、③統治權力(政府)、④對外的獨立の四點を滿たすものを國家の實質的要件であると定義するのである。

①の恆久的住民といふのは、生活態樣において定住といふことに限定はされないが、ある程度の移動範圍はあつても、②の支配領域内に生活をする住民が存在することである。  次に、②の支配領域といふのは、領土、領海、領空が存在することである。これは、次の③の統治權力(政府)が、支配する領域が存在することである。領土については説明の必要がないが、領海と領空については若干説明を要する。

現在、わが國では、十二海里を原則として、津輕海峡と大隅海峡については、從來通りの領海の範圍である三海里としてゐる。この三海里といふは、當時において艦砲射撃で砲彈が領土に着彈できる距離であつた。ミサイルの時代の現代においても、艦砲射撃の着彈距離を基準とするのは餘りにも古色蒼然としてゐるが、このことから解るやうに、領海とは、あくまでも主として領土防衞のための海洋領域であつた。領海はその沿岸國の主權の領域であつて、他國は原則として領海内を航行することができないが、例外として、他國の船舶が海上交通の便宜として、自國の國旗を掲げて迅速かつ繼續的に航行するなど、沿岸國の平和、秩序、安全を害さない限度と態樣においてのみ通航することを沿岸國は受容しなければならない。これを無害通航權といふ。

また、領海より先には、これに加へて、「接續水域」といふものがある。これは、領海の外側のさらに十二海里(通常は沿岸から二十四海里)以内に定めることができる海域のことであり、通關、財政、出入國管理、犯罪檢擧、衞生、防疫、海洋汚染防止など目的から設定されたものである。これらは、『領海及び接続水域に関する条約』(昭和四十三年條約第十一號)及び『領海及び接続水域に関する法律』(昭和五十二年法律第三十號)に基づいて定められた。そして、さらに支配海域が擴張されて、『漁業水域に関する暫定措置法』(昭和五十二年法律第三十一號)などにより「二百海里漁業專管水域」を設定し、さらに、『海洋法に関する国際連合条約』(平成八年條約第六號)及び『排他的経済水域及び大陸棚に関する法律』(平成八年法律第七四號)に基づき、漁業以外の海中及び海底資源に對する管轄權を追加して、沿岸から二百海里の經濟的な主權の及ぶ水域としての排他的經濟水域(Exclusive Economic Zone, EEZ)」が設定され、その先が公海となる。

次に、領空とは、領土及び領海の上空であり、その上限は明確には定まつてゐないが、いはゆる宇宙空間には領空權は及ばない。この區域(空域)は、領海とは異なり、完全に排他的な對外主權がある。領空に侵入してきた未確認航空機は、警告の後に撃墜することができる。それゆゑ、領海の同じやうな無害航行權なるものは一切認められない。その不都合さを緩和するために、『國際民間航空條約』(その前身が『パリ國際航空條約』)が締結され、締約國の國籍がある民間航空機は、領域國の着陸要求に從ふ事を條件として、事前許可なく航行し着陸する事ができるやうになつた。

ところで、③の統治權力(政府)と④の對外的獨立とは、内において住民を統治し、外において對外主權(獨立状態)と外交能力があることを意味する。ここでいふ「主權」とは、對外的な意味での「獨立」を意味し、「國家主權」とか「對外主權」と呼ばれるものであつて、これまで述べてきた國民主權や天皇主權などの主權論における「主權」(對内主權)の概念とは全く別の意味であるから嚴格に區別する必要がある(主權概念の二義性)。

さて、この「對外主權(國家主權)」があるといふことは、他國から自國の國内問題を干渉されないといふこと(國内問題不干渉の原則)が貫かれ、それが外交能力の有無を決定づけるのである。もちろん、外交能力の背景には、自衞權とそれを支へる軍事力が存在することである。

ただし、現在の國際連合(以下「國連」といふ。)において、『國際連合憲章』(資料二十二)第二十五條(決定の拘束力)には、「國連加盟國は、安全保障理事會の決定をこの憲章に從つて受諾し且つ履行することに同意する。」とあり、その限度で對外主權が制約されてゐることになる。これは、國連加入條約による對外主權の制約であるが、『外交關係に關するウィーン條約』(昭和三十九年條約第十四號)及び『領事關係に關するウィーン條約』(昭和五十八年條約第十四號)によつて、追認的に締結されてきたもので、これまでの國際的な外交慣例として認められてきた治外法權、外交特權などの特權と義務の免除もこれに含まれる。そして、これと同樣に、國家間の爭ひにおいて、ある國の裁判所において他の國家が被告となつた場合に、國際法上の主權平等の原則から、その國の裁判權から當該他の國家は免除されるといふ「主權免除(裁判權免除)」もまた、對外主權の制約と云へる。これについては、その免除される法律事象の範圍と效力に關して、絶對免除主義(他の國家が被告となる場合には必ず主權免除を認める見解)とさうでない見解(相對免除主義)があるが、いづれにせよ國際慣習法として確立してゐる。

國家の連結

このやうに、國家は、多かれ少なかれ國際關係の影響を受ける。それゆゑ、理念的に認識しうる獨立した單一國家が原型ではあつても、世界に存在する國家は、概ね複數の國家と何らかの關係を持ち、その國家に何らかの影響を受け、そしてその國家に影響を與へることになる。

しかし、それでも、單一國家として他國との外交關係において自覺的に一定の制約を課し、關係性を希薄にする國家がある。それが「永世中立國」である。それは、軍事的に中立であり、いかなる國に對しても自衞戰爭以外の戰爭をなさず、他の國家間の戰爭に對しても中立を保持する義務があることを宣言し、そのことを世界の國々が承認することによつて永世中立國は成立する。

スイスがこの例であるが、スイスの場合は、承認國である英佛露などの七か國が承認すると同時にスイス領域の保全と不可侵を保障したため、スイスが侵略された場合には七か國はスイスを防衞する義務がある。また、永世中立國では、自國に他國の軍が駐留することも行軍目的で侵入することも許されず、これに對しては、軍事的に排除する義務があるので、中立とは、法的にも實際的にも完全重武裝中立でしかあり得ないことになる。

ところで、このやうな中立は、地政學的にも不可能な場合が殆どで、世界の國々は、やはり共存のための何らかの關係を持つことが國防に資することから、軍事的な關係だけではなく、多種多樣な關係を他國との間で持つことになる。その關係は、條約によるものが多く、その態樣についても、緩やかな關係から密接不可分な關係まで樣々である。

まづ、最も緩やかな關係としては、「單純條約關係」である。これには非軍事的な條約關係から、さらにもう一歩進めば、軍事的な條約關係となる。これらは永久不變なものではなく、國際情勢の變化によつて常に變化する。

そして、さらに、より強固な關係としては、「同君連合關係」がある。これは、複數の國家が同一の君主の下に統治されてゐ複數の國家連合のことである。複數の君主國家が連合するときは、それぞれの國家の「王」の上に、これらを統合する「皇帝」が君臨する場合であり、複數の共和制國家が連合するときは、それぞれの國家の元首の上に、立憲君主的國家連合の「皇帝」が存在し、その皇帝が連合國全體の外交權を有してゐるといふ國家關係のことである。これには、同君連合の各構成國が獨立した國家主權を持つ「人的同君連合」(身上連合 personal union)と、中央政府が各構成國を支配する物的同君連合(物上連合 real union)との區別がある。

さらに、これよりも國家關係が密接である關係としては、「國家連合關係」がある。これは、共通の目的を達成するために複數の國家が參加した條約等で創設した連合政權に一定の權限を移讓した體制のことである。參加國は、移讓した權限を除いて外交能力を持つが、これは、次に述べる「連邦國家關係」になる前段階であり、EUの構想は、國家連合から連邦國家へと段階的に移行するための試みである。

そして、その最終目的とする「連邦國家關係」といふのは、國家連合が憲法や憲法的條約などで完全に結合し、これまで各國に留保されてゐた外交權の全てを連邦政府に移讓した體制のことである。外交權を移讓した各國は、國際法上の國家としての適格を失ふことになる。その典型例としては、米國があり、平成三年十二月に崩壞したソビエト社會主義共和國連邦(以下「ソ連」又は「舊ソ連」といふ。)やその後に成立した獨立國家共同體(Commonwealth of Independent States CIS)も同じである。

次に、さらにより密接な國家間關係としては、「保護關係」がある。これは、條約によつて、一方の國(被保護國)が、他方の國(保護國)に對し、自國の外交能力に基づく一切の權限を委ねる關係である。随從する關係となるが、被保護國は保護國の一部になる譯ではない。保護國が他國と宣戰して交戰國となつたとしても、それだけで被保護國が自動的に交戰國になることはないのである。

そして、その随從の程度がさらに進んだ形態が「從屬(附庸)關係」である。保護關係の場合、被保護國は國家として獨立はしてゐるが、從屬關係の場合はさうでなく、本國である宗主國は勿論獨立國であるが、從屬國(附庸國)は國際法上獨立國としては認められてゐない。例としては、支那と李氏朝鮮との關係、連合國とわが國との關係(占領時代)、中華人民共和國(以下「中共」といふ。)とチベットとの關係などであり、いづれも軍事力による侵略の結果である。

この場合、宗主國が他國と宣戰して交戰國となつた場合、從屬國(附庸國)もその一部と評價されて交戰國(交戰團體)となる。それゆゑ、後に述べるとほり、朝鮮戰爭(韓國動亂)において、わが國は宗主國のアメリカの參戰と同時に、占領憲法下で交戰國(交戰團體)となつたのである。

國家の誕生

ところで、國家の要素となる領土の取得としては、いくつかの原因(權原)による。まづ、「征服」がある。これは暴力的に他國ないしはこれに準ずる地域を支配することであるが、勿論、現在の國際法では許されない。次に、「先占」がある。これは、無主の土地を領有することによつて領土として獲得できるとする法理である。しかし、「先占」より先行する「發見」といふものは、それ自體に獨立した取得權原が認められるものではない。コロンブスの「新大陸の發見」といふのは、そもそも歐米の西進主義の産物であり、現住民からすれば、海を渡つてきた歐米人が後發的に「發見した」だけであり、それがその後の掠奪の契機となつた意味においては、「發見されてしまつた」にすぎないし、しかも、現住民からすれば、決して「新大陸」ではない。このやうに、「發見」だけでは、領有の權原としては極めて薄弱である。

次に、領有の權原としては、「時效」がある。これは、誰に歸屬するか不明であつても、その支配に對して抵抗がなく異議が述べられない状態が相當長期間繼續する場合であり、假に、その取得に至つた事實がどのやうなものであつたか歴史的に確定できない場合においても、その立證責任を免除される效果があるものである。これを援用するのは、前に觸れた「傳統國家」の場合が多い。

次に、「割讓」による領土の取得がある。これは、條約や賣買等の合意により取得することであり、わが國が千島全島、南樺太、臺灣を一般條約及び講和條約によつて取得したことや、アメリカが帝政ロシアから賣買によつてアラスカを七百二十萬ドルで取得した例がある。この売買代金が極めて廉價であつたのは、この時點では地下資源が發見されてゐないためであつた。

さらに、「添附」がある。これは、地殻變動や火山活動などによる自然的なものや、埋め立てのやうに人工的なもとであるとを問はず、領土が擴大した部分についてである。自然的なものは、領土内、領海内のものであれば、當然にその國に歸屬する。ただし、その逆で、地盤沈下による水没などのやうに「滅失」の場合もある。

このやうな原因により領土の得喪が生ずるが、國家自體には、政治的な要因による誕生と消滅がある。それを列擧すると、「國家併合」、「分斷國家統一」、「國家分裂」、「獨立」、「革命」であり、以下にその概要を説明する。

まづ、「國家併合」であるが、幾つかの國家を併合して、一つの國家とすることである。ドイツ帝國(1871+660~1918+660)は、ホーエンツォレルン朝の立憲君主國であり、現在の統一ドイツの領有地以外に、フランスやポーランドの一部なとを領有して國家を併合した。日韓併合(明治四十三年)についても同樣である。いづれも併合を動機付ける根底には民族同祖論があつた。

「分斷國家統一」といふのは、同一民族の統一國家が分斷した後に再び統一する場合であり、統一ベトナム(昭和五十一年)や統一ドイツ(平成二年)などである。

これらに對し、分割方向のものとして、「國家分裂」がある。これは、ハプスブルク家のオーストリア皇帝がハンガリー國王を兼ねる同君連合國家であつたオーストリア=ハンガリー帝國が多くの獨立國に分裂して解體した例がある(1918+660)。それ以外にも、韓半島における分斷國家の成立(昭和二十三年)、東西ドイツの分斷國家の成立(昭和二十四年)、そして、昭和二十七年に、沖繩縣や小笠原諸島などが本土と切り離され、本土だけでわが國が獨立したのは分斷國家の成立として擧げられる。また、米國の建國(1776+660)のやうに、本國(イギリス)の領土の一部が本國からの分離して獨立する場合などもある。それゆゑ、「獨立」とは、國家分裂の一つであるが、それだけではなく、國家として成立してゐない非獨立領域が新たに國家となるといふ場合もある。

そして、最後に、「革命」といふ現象がある。これについては前に詳しく觸れたが、その例としては、國王を排除して共和制國家を樹立したフランス革命(1789+660)、ロシア革命(1917+660)、オーストリア革命(1918+660)、ドイツ十一月革命(1918+660)などである。また、君主制國家のイギリスから、その領土の一部を分離獨立させて共和制國家を樹立した米國の獨立戰爭(1776+660)についても「革命」の範疇に入れることができる。

國家の承認

いづれにせよ、國家の要件を滿たせば、國家もまた「法人」となるが、「法人」は非視覺的な存在であることから、對内的にも對外的にもそれを何らかの方法で認知させる必要がある。國内は勿論、國際社會においても、その設立手續や承認手續をなす機關もない。それゆゑ、對外的には、すべて國際慣習法に委ねられることになり、他國の承認によつて國家として承認されることになる。

しかし、他國が承認すると云つても、それは利害關係のある政治的な行爲であり、必ずしも承認が得られるとも限らない。そこで、新國家が誕生しても他國の承認がない限り國家としては認めないとして、他國の承認に創設的な效力があるとする見解(創設的效果説)と、國家としてその要件を滿たせば他國の承認なくして成立するとし、事後の承認は確認的意義しかないとする見解(確認的效果説)とが對立する。

わが國では、創設的效果説が多數説であるが、これによると、既存の國家が新國家の生殺與奪の權限を持つといふ不都合がある。創設的效果説は、國内で勝手に誰かが獨立宣言をすれば國家が成立してしまふことを理由に確認的效果説を批判するが、そのやうな形式的な獨立宣言をしたからと云つて、國家成立の實質的要件を滿たさない限り國家としては認められないのであつて、そのやうな批判は當たらない。

いづれにせよ、國家成立の實質的要件を滿たさないのに、それを國家として承認したとしても、それは「尚早の承認」として無效であるとされる。その例として、わが國が滿洲國を承認したことがこれに當たるとする見解がこれまで存在したが、リットン調査團報告書の全文を解讀した最近の研究によつて、滿洲事變はわが國の侵略行爲ではなく、滿洲國は國家として承認されるべきものであつたことが明らかとなつてゐる(文獻317)。

なほ、この國家の承認と關連するのが、分離獨立運動における「交戰團體」の承認の問題である。現在では、大東亞戰爭を契機として國際慣習法により民族自決權が認められて、非獨立領域(從屬領域)の住民がその意志によつて獨立する權利が認められてゐる。しかし、他方、當初から多民族國家として建國された場合に、民族自決權を認めることは、民族間での「合邦の合意」(條約)を随時任意に解除する權利を認めることとなり、國家の分裂と崩壞を受忍しなければならなくなる。このやうな動きに對し、國家がこれまでの合邦の合意に基づいて國家防衞の權利としてその動き抑壓することも認められることになる。しかし、その衝突態樣が過激かつ廣範になれば内亂が内戰となり、結果において雙方の利益が共倒れ的に失はれる可能性があるが、それでも獨立に向けて結成した政治團體(民族解放團體)としては、その獨立運動を警察や軍隊が彈壓し始めたとき、これに對して應戰することになる。そして、その衝突の規模と範圍、それに武器使用の態樣と戰況の優劣の推移により、内亂が内戰化すると、この民族解放團體は、國際法上の國家や政府に準ずる「交戰團體」として承認される可能性が出てくる。

そして、この交戰團體として承認される要件についても、國家としての要件に準じたものが當然に要求される。

それは、まづ、①交戰團體が一定の領域を占領し事實上の政府を樹立してゐること、②交戰團體が戰爭法規を遵守する意志と能力を持つてゐること、の二つが最低限度の要件とされる。特に、②を要件とするのは、既存の國家としては交戰團體を反亂軍として國内法で處斷すればよく、捕虜として扱ふ必要はないので、その處斷が殘虐化する危險が大きい。それがさらに内亂を激化させる要因ともなるので、國際社會としては、雙方に戰時國際法を適用して、内亂を内戰(國際法上の戰爭)として認定して殘虐化に齒止めをかけるために、交戰團體として承認する必要があるからである。

現在の國際社會をみると、交戰團體となりうる内亂の現象は多く發生してをり、それは、民族自決權だけを契機とするのではなく、宗教や宗派を共通する者の共同社會國家建設といふ、いはば「宗教自決權」による交戰團體化の傾向もあるので、それをも認めざるを得なくなつてゐる。東西冷戰構造の時代であれば、それぞれの陣營内における民族問題や宗教問題などは、各陣營内の結束を亂すことになるので、國家はそれを抑壓し、あるいは、陣營の最終勝利のために各民族と各宗教宗派が相互に自重してきたことがあつたが、冷戰構造が崩壞した現在では、それに齒止めがかからず、それが現在における多くの國際紛爭の底流にある。

このやうに、多民族・多宗教國家内における同一民族・同一宗教の者が獨立を指向する場合と同樣に、これまで同一民族、同一宗教として統一されてゐた國家が、敗戰や内亂などを原因として分斷國家となつた場合に、その統一合邦をめざす方向も、民族自決、宗教自決として認められることになる。

國家の承繼

そして、このやうにして、國家(政府)が分離または合邦などによつて新たに誕生した場合、次に直面する問題は、これまでの國家が締結してゐた條約などが新國家(政府)に承繼されるのか、といふ點である。

しかし、新國家と云つても、舊國家との比較において、國家の要件である①恆久的住民、②支配領域、③統治權力(政府)、④對外的獨立の四點のうち、④は共通するとして、①と②が劇的に變化せず、③だけが變化する場合は、新舊國家間に國家としての同一性があると判斷しうる場合がある。これは、「國家」の變更ではなく「政府」の變更といふことになる。

そこで、ここでは、これらのことについて檢討する。

國家は、併合、統一、分裂、獨立、革命などで一定領域の統治に變更を生じて成立するが、それ以前にその領域を統治してゐた國家の對外的な條約關係その他の權利義務は、新たに成立した國家に承繼されるのであらうか。また、當然にそれが承繼されることがあるのか、あるいは、どういふ場合には承繼されないのか、といふことが國家承繼ないしは政府承繼といふ問題である。

これについては、これまで熟した國際慣例はなく、現在『条約に関する国家継承条約』(昭和五十三年成立、平成八年發效)と『国家財産、公文書及び債務に関する国家継承条約』(平成十一年成立、未發效)などがあるが、我が國はこれに未加入である。

ともあれ、被保護國や從屬國の獨立や革命による新國家の成立など、舊國家のしがらみを斷つて獨立したやうな場合、舊國家の地位をそのまま承繼することはできないことである。それゆゑ、舊國家の地位を承繼するか否かは新國家の自由な判斷に委ねられるのが原則であつて、これを「白紙の原則」(clean-slate rule)と呼んでゐる。しかし、自由な判斷によると云つても、新國家の領域内にあつた舊國家政府の財産(債務を含む)は、新國家に歸屬するのは當然である。

ところが、舊保護國及び舊宗主國以外の他國の立場からすれば、從來の國家關係が自ら關與しない事由などで不測の變更を餘儀なくされるといふのは容認できるものではない。特に、統治權力に變更があつたとしても、前に述べたとほり、それが、國家の變更なのか、それとも政府の變更にすぎないのかといふことが不明の場合がある。政府の變更にすぎない場合は、國家自體に變更はないのであるから、國家の同一性があり、當然に舊政府との關係は新政府に承繼されなければならない。つまり、新政府の成立は、國内問題であつて、國家は、他國の國内問題(内政)に干渉してはならないといふ「國内問題(内政)不干渉の原則」があると同時に、その反面として、自國の國内問題(政變)を理由として他國との對外的關係に變更を求めることは許されないのである。それゆゑ、白紙の原則が適用されるのは、從屬國が獨立した場合や革命の場合など、對外的にも、新舊國家の敵對的斷絶が認められるやうな「事情變更」がある場合に限られるのであり、それ以外の場合は、舊國家(舊政府)の地位が承繼されることになる。これを「繼續性の原則」と云ひ、舊國家の締結した條約などの他國との關係は承繼されるのである。

その意味からすると、我が國の場合、徳川幕府において締結されたすべての條約を承繼し、また、大東亞戰爭後においてもすべての條約を承繼したことから、連綿とした國家の同一性と國體の繼続性が認められてゐることになる。

しかし、從屬國が獨立した場合や革命の場合などのやうに、對外的にも、新舊國家の敵對的斷絶が認められる場合を含め、どのやうな國家や政府の變更の場合であつても、領域に關する條約(國境問題など)や確立された國際慣習については、必ず新國家(新政府)が承繼すべき義務があるとされてゐる。このことが、第三章で述べる領土問題などを考へるについての前提となることに留意されたい。

國體の固有性

ところで、以上のやうな國家に關する基礎的な檢討は、後に觸れるとほり、GHQ占領期から獨立に至るまでの我が國の基本問題を考察するについて必要なものであるが、これは、あくまでも國家に共通した屬性を踏まへての唯物論的なものであつて、決して國家の本質論ではない。國家には、それぞれ建國の精神があり、その國民の民度から生まれた國家の體質がある。それが「國體」(くにから、國柄、國幹)である。我が國だけに國體があるのではなく、すべての國家には、それぞれ特徴のある固有の國體がある。各國の國體の内容は一律ではなく、その國家の成り立ちと性質、さらに民度によつてそれぞれ異なるものであつて、君主制國家のみに國體があるのではなく、共和制國家にもその成り立ちと性質と傳統に根ざした國體が存在するのである。

この國體の「固有性」について、その昔、長州藩の明倫館學頭の山縣太華と吉田松陰との往復書簡による論爭があつた(文獻9)。吉田松陰は、我が國の國體の固有性を説き、「道は天下公共の道にしていはゆる同なり。國體は一國の體にしていはゆる獨なり。君臣父子夫婦長幼朋友、五者天下の同なり。皇朝君臣の義、萬國に卓越する如きは一國の獨なり。」としたのに對し、山縣太華は、「道は天地の間、一理にして、その大原は天より出づ。我れと人との差なく、我が國と他の國の區別なし。」とし「世界萬國皆同じきなり。」などとしたのである。この論爭を「特殊主義」と「普遍主義」の對立であるとし、これが帝國憲法の起草において、伊藤博文(普遍主義)と金子堅太郎(特殊主義)の論爭につらなつたとする見解(橋川文三、鶴見俊輔など)があるが、この指摘は正鵠を得てゐない。吉田松陰は、「同」(普遍性)といふ基底理念の土臺の上に「獨」(固有性)の上層理念があるとする重層構造を説いたのであつて、朱子學から一歩も出られない山縣太華のやうに、全ての國家が均一で單純平坦な理念構造であるとはしてゐないのである。その意味からすれば、吉田松陰の弟子であつた伊藤博文においても、決して「世界萬國皆同じきなり」といふ山縣太華の見識ではなく、「萬世一系」(第一條)といふ表現の中に、その國體の固有的核心を見出してゐたのであつて、金子堅太郎との論爭は、帝國憲法の中に、その國體の固有的内容をどの程度取り入れて表記するかといふ表現方法に關する技術論爭の域を出ないのである。

このやうな檢討を踏まへれば、一般には、國家の種類と性質を分類するについて、君主制、貴族制、共和制などに分類する方法があるが、これは、主に統治態樣による分類であつて、このやうな分類だけでは、さほど有用なものとは思はれない。それよりも、國體の具體的な内容の視點から、古來からの國體の繼續及び存在を肯定する國家(傳統國家)とこれらを否定して建設された國家(革命國家)とに分類することの方が、國家の連續性の有無を判斷するについて有用である。そして、その基軸となるものが、前に述べた「祭祀」と後に述べる「世襲」であることはいふまでもない。

ところで、一般的に「革命」といふ言葉は、憲法次元において主權論による定義を用ゐるとすれば、憲法制定權力(制憲權、主權)の歸屬主體が變更された結果として憲法が變更される現象を意味するとされる。しかし、後述するとほり、この憲法制定權力(制憲權、主權)の概念自體に致命的な矛盾があるので、「革命」の概念としては、やはり、國體の全部又は一部を非合法的な暴力を以て解體する政治變革と定義することになる。

では、まづ、傳統國家といふのは、一般的にどんな特徴があるのか。それは、「世襲」である。世襲といふのは、「祭祀」の承繼のみならず、地位、財産、職業などの「分限」を嫡系傍系の後裔が代々受け繼ぐことであり、包括的に世襲されるので、先代の有した權利のみならず義務もまた引き繼がれるものである。嚴密に言へば、國家の基本的な制度構造である祭祀制度、家族制度、財産制度、産業制度、相續制度などの「制度」の包括的な世襲と、その制度に基づく個々の人民の祭祀、分限及び財産などの個別的な世襲といふ兩面がある。ただし、これらがどのやうな態樣においてなされるのかについては、それぞれの傳統國家によつて差異がある。

まづ、君主制國家や貴族制國家の場合は、統治權の主體としての君主の祭祀と分限の地位や貴族の祭祀と分限の地位が世襲される。君主制の場合の君主は、元首であると同時に祭祀主宰者かつ統治主宰者であり、その世襲は君主の家系に限られる。他方、貴族制の場合の貴族は、形式上元首を戴くことはあつても、統治權は少數の貴族集團が掌握する。そして、その少數の貴族の地位がそれぞれ世襲されるのである。つまり、元首としての地位や統治者(集團)としての地位と、その祭祀と分限とが一體となつた一種の財産(家産)として認識され、それが世襲されるといふことである。それ以外の被治者である人民が統治機關の地位(たとへば官吏としての地位)を得て、その地位が世襲される場合であれば、それも貴族ないしは貴族に準ずる地位を得ることになるが、通常は一代限りでその地位は世襲されない。しかし、人民の祭祀と分限は個別かつ固有に世襲される。このやうに、君主制と貴族制は、元首や統治者の地位と祭祀及び分限が世襲されるといふ國家であるといふことができる。

しかし、財産(家産)については、君主、貴族、人民のいづれであつても例外なく世襲が認められるのが傳統國家の特徴である。職業についても、それが財産の一種であることから、一子相傳のやうな世襲がなされる。

ところが、これ以外にも、世界的に見て、傳統國家においては、例外なく世襲されるものがある。それは、本能から導かれる父母に對する孝養、子孫の養育と教育、子孫への文化傳承の核となる「家族制度」である。

理性論による歸結

ところが、後に述べるとほり、社會を構成するこの「家族制度」を否定し、それを積極的に解體して、ばらばらの「個人」に分解したもので社會が構成されるとするのがルソーの思想であり、それを敷衍した社會契約説と理性論(合理主義)、そして、共産主義が依據する唯物論と現代人權論の立場がある。しかし、これらは、非科學的な「設計主義」であり、亂暴で危險な人體實驗に等しい「社會實驗」を試みたものであつて、これらを突き詰めると、次のやうな結論に至つてしまふのである。

つまり、理性論と社會契約説、そしてこれから派生する現代人權論からすれば、自分の子供を他人の子供とを區別して、自分の子供だけを監護養育したり、一夫一婦制とこれから派生する様々な事項を守らなければならない義務や、親を扶養したりする義務を肯定的に導くことは到底できない。婚姻や血縁の有無は、社會契約の存否やその内容に何ら影響を及ぼすものではないはずである。婚姻や血縁は社會契約とは全く無關係な事項であつて、既婚者であるか未婚者であるか、血縁者であるか非血縁者であるかによつて、社會契約の内容に等差があるはずはない。社會契約説に基づき、「個人として尊重される」とする占領憲法第十三條をそのまゝ解釋すれば、國家との社會契約事項でないものについて強制されることはなく、個人として最大の尊重がされるのであるから、夫婦の貞操義務や家族の同居義務などはない。しかも、これらの義務の有無やその態樣についても國家から一律に法律を以て干渉され強制されるのは「人權侵害」であり、それぞれの夫婦や家族の自由かつ任意の自己決定に委ねられるべきである。人は、國家との關係において、社會契約的には、自己が生んだ子供を將來において監護養育することを豫め合意してゐないので、それを國家が法律を以て監護養育を強制することは、個人の尊嚴を侵害することになる。子供を分娩した女(母)が育兒するのは、決して國家との約束によるものではないし、それを強制されるものでもない。ましてや、男は、分娩してゐないのであるから、その父親であつたとしても、そのことだけでその子を監護養育する義務をその子と國家に對して負ふといふことも不合理である。そのやうな契約を國家と交はしたこともない。しかも、その子供が婚内子であるか婚外子であるによつてその義務の態様が異なることも合理性がない。むしろ、その子供が大きくなつて働くやうになれば、國家が税金を徴收することができるのであるから、受益者負擔の原則からして、國家がその子供を監護養育しなければならないのである。將來の納税者である子供を徴税者である國家が監護養育せずに、たまたま分娩し、あるいは受精させただけの現在の納税者らがその子を監護養育するといふのも不合理である。もし、將來の納税者である子供を社會全體として監護養育することも租税の一種として認めるとしても、それなら「監護養育税」といふ目的税にして一律に課税するだけでよく、自分の生んだ子だけに特定して、その子をだけを監護養育するといふ勞務を強制した作爲義務までも法的に課すことはやはり不合理である。ましてや、子供の居る者も居ない者も平等公平に負擔するといふならばまだしも、子供の居る者だけにそれを負擔させるといふ實子限定のマン・ツー・マン的な監護養育の作爲義務を課することには全く合理性がない。子育ては大嫌ひだから、金を拂ふので國家が自分の子供を引き取つて監護養育することを求める權利が當然に認められるべきである。現に、このやうなことを身を以て實踐したのがルソーであり、自分の子供を自ら監護養育せず全員を孤兒院に遺棄したルソーの考へは絶對に正しいはずである。ルソーは、それを實踐した先覺者として評價されるはずである。子供の監護養育や親の扶養を義務付ける家族制度は、個人主義を侵害し、個人の尊嚴を損なふので、速やかに解體しなければならない。子供を作る權利はあるが、子供を養育する義務はない。それが個人の尊嚴といふものだ。夫婦や親子は、他人と比較しても、人としては全く平等であるから、これらを區別して法的處遇に差異を設けることは不合理な差別である。それゆゑ、婚姻制度自體を維持し、夫婦關係と血縁關係といふ非合理的な客観的事實だけを根據として、その家族や一定の血縁關係に含まれる者だけに限定して養育扶養などの義務を定めた法律の規定には、何ら合理的なものではない。

どうであらうか。これこそが合理主義(理性論)の到達しうる必然的な論旨と結論である。これによつて合理主義や現代人權論がいかに不條理で人でなしの考へであるかが理解されたものと思ふ。現時點では、未だにここまでの論旨と結論を展開して公表する者は居ないとしても、現代人權論の究極の目的はまさにここにあり、現在はその本性を隱してゐるだけである。

理性論に支配された占領憲法において、「子供」のことが出てくるのは、第二十六条第二項前段の「すべて國民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。」の部分と、さらに、強いていふならば、第九十七條の「この憲法が日本國民に保障する基本的人權は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの權利は、過去幾多の試練に堪へ、現在及び將來の國民に對し、侵すことのできない永久の權利として信託されたものである。」における「現在及び將來の國民」の部分である。それゆゑ、子供に對する扶養義務は法律(民法)上の義務ではあつても占領憲法上では親の義務とはされてゐない。親は扶養義務の一部とされる「普通教育を受けさせる義務」のみを負擔するだけであり、その餘の扶養義務は憲法上の義務ではない。占領憲法では、扶養義務が規定されてゐないのに、その一部を構成する普通教育を受けさせる義務だけがあるといふ極めて歪なものである。また、第二十六条第二項後段には、「義務教育は、これを無償とする。」とあるので、親としては子供が自發的に普通教育を受ける機會と環境を與へて、それを妨害してはならないといふ消極的義務が課せられてゐるだけで、自ら積極的に監護教育する義務はないはずである。「親はなくても子は育つ」ので、ルソーのやうに、自分の子供を監護教育したくない自由を認めて孤兒院に遺棄することも親の權利として認めなければならない。自ら積極的に監護教育する義務を親に課すのは、「親の人權」を侵害することになるといふことになる。

現代人權論を突き詰めて行けば、このやうな結論に至るのは必然である。これは理性論に毒されてゐる結果である。占領憲法は、まさに理性論で支配されてをり、文化とか傳統といふやうな歴史性が全くない。第二十五條第一項には、「すべて國民は、健康で文化的な最低限度の生活を營む權利を有する。」とあり、ここにだけ「文化的」といふ用語が登場するが、この「文化」なるものは、歴史性の軸足を置いた文化概念ではなく、欲望を満たすための「物質文化」のことであつて、占領憲法では、我が國の歴史性は完全に否定してゐる。占領憲法制定時の最大の課題は、敗戰によつて荒廢した祖國の復興であるにもかかはらず、この「祖國復興」の言葉は、前文のみならず本文にも一度も出てこない。また、占領憲法では、犯罪容疑者に對しては占領憲法上の厚い保護が與へられるが(第三十二條ないし第四十條)、犯罪被害者は占領憲法では保護されない。このやうな冷徹さ、冷血さこそが理性論の心髄なのである。

本能論と理性論

有機的で總合的な人の精神活動を理性のみを重視して、分析的に解明しようとする試みは、朱子學もさうであつたやうに、非科學的であり必ず破綻せざるを得なくなる運命にある。これと同樣に、自己が編み出した觀念論とは全く隔絶して欲望の赴くままに生きたルソーの思想や、「個人の尊嚴」を振りかざす現代人權論が根ざしてゐる合理主義(理性論、理性主義 rationalism)は、理性を善とし本能を惡とする單純な二元論であることから、その非科學性によつて破綻するのは當然の歸結である。

まづ、前に述べたとほり、この合理主義を貫くと、身分關係を契機とした相續などの世襲制度や扶養などの家族制度は、理性的に獲得したものではない「婚姻關係」や「血縁關係」に基づくものであるから、完全に否定されなければならなくなる。

しかし、現代人權論を唱へる學者や政治家、それに社會活動家は、誰一人として前述したルソー流の透徹した合理主義による主張をしない。それは、己を欺き人を欺くルソーの人格と同じ人格を持ち合はせてゐるためである。

そもそもこの合理主義といふ考へ方自體が根本的に誤りであり、長い間人類を不幸に陷れた元凶であることは後に詳述するが、合理主義に毒されると、理性による結論に對して感覺的に違和感を覺え、これが誤つてゐると感じても、合理主義に根ざす限り、それを論破することはできなくなる。

そもそも、この合理主義は、科學的な手法を用ゐて誕生したものではない。合理主義は、科學(自然科學、社會科學)ではなく、非科學的な「宗教」である。つまりら、科學とは、おおむね二元論と要素還元論による分析的思考といふ手法の枠組みを利用して發展したものであるが、合理主義はさうではない。つまり、物事の本質を全體的、總合的に捉へることが不可能な場合、全體としての物事を構成するいくつかの具體的な細部(ディテール)に分類し、さらにその各部分がそれぞれ成立しうるためのいくつかの要素に分解し、その分解された要素に該當するか否かの二元的思考を經て、全體としての本質に迫らうとする手法である。その前提として、多くの實驗事實(情報)を收集、整理、分析して體系化を試み、それによつて立てられた假説にこれまでの實驗事實を當てはめて矛盾がないかを判定し、もし、矛盾が生じれば、また新たな假説を構築して檢證し續けていくといふ試行錯誤によつて、その假説が普遍性を持つと確信するまで探求する手法が科學的手法なのである。

しかし、プラトン哲學からの歴史を刻んできたこの合理主義といふ假説は、そもそも實驗事實そのものが存在せず、しかも、この假説に矛盾を含むか否かの檢證が一度もなされたことがないものであつて、現代の動物行動學(エソロジー、ethology)、心理學、腦科學などからすると、合理主義の假説が破綻してゐることは以下の理由からして明らかである。

まづ、合理主義の第一の誤謬は、本能(感覺、情動、感性)と理性とを峻別し、あるいは理性から悟性を抽出して區別するなどして、本能と理性とを對立相克した關係と捉へた點である。現代における腦の科學的研究からすれば、活動と靜止、興奮と抑制、擴散と収束、溶解と凝縮、緩和と緊張などを有機的に統括するのが腦であつて、その機能の態樣である本能行動と理性とは、それぞれが「孤立系」の存在ではなく、一體としての「開放系」であることになる。

ここで、孤立系とは、物理學の概念であるが、ある部分に物質(粒子)もエネルギーも外界と交換しない物質系のことであり、開放系とは、これらのいづれも相互に交換される物質系を云ふ。そして、この兩者の中間の形態には、「閉鎖系」といふものがあり、これは物質は交換しないがエネルギーの交換がなされる物質系である。この分類によると、生體は、開放系ではあるが、安定した定常状態、つまり、動的平衡を保つ獨立した物理系であるから、より閉鎖的な體系といへる。そして、腦は、その一部であるから、生體内においても、腦全體として、生體と相似した閉鎖的體系である。つまり、腦の組織構造から判斷しても、理性と本能の線引きを機械的に行ふことは不可能である。むしろ、理性は本能の一機能と捉へられるべきで、理性の獨自性を認めることの根據に乏しいのである。

また、第二の誤謬として、本能を惡、理性を善とした點にある。人以外の動物にはなく、人のみに備はつた觀念的思考である「理性」を絶對視して、これに「適合」することが眞理であり、「本能」とか「傳統」といふものを猜疑的に捉へて、これらには價値を見出さない考へである。「本能」を惡とし、それを抑制して人を善導するのが「理性」であるとするのが「性惡説」である。尤も、荀子の「性惡説」は、本能(性)の本質を惡としたのではなく、人は環境や欲望によつて惡に走りやすい傾向があり、それを禮(規範)と教育によつて善に矯正できるとするものであるから、本能を惡とし、理性を善とする單純な考へではないが、歐米の合理主義(理性論)は、單純な意味での「性惡説」である。

しかし、「本能」が惡であり、それが生存にとつて妨げとなる缺陷機能であれば、人類のみならず生物の全ては、早々と自滅するか、自然淘汰されて滅亡してゐたはずである。本能は、生命維持の體系である。理性によつて生命が維持されてゐるのではない。我々は、理性を失つた者も生き続けてゐる事實を知つてゐる。また、理性的に人格を完成させた聖人であつても、本能機能を失へば身罷ることも知つてゐる。それゆゑ、當然に「性善説」が正しい。といふよりも、「性善説」は、單なる假説ではなく眞理そのものである。「性善説」を否定することは本能を否定することであり、自己の生存を否定することと同じである。本能が存在することによつて命が保てるのであるから、本來、本能は善惡といふ價値判斷以前の「存在」(Sein)である。本能自體の善惡を論じても意味はない。これは、地球の存在について善惡を論ずることの愚かさに等しい。我々の存在を根據付ける前提となる「本能」とか「地球」、そして本能から紡ぎ出される「規範國體」などは、「かくある」といふ存在(Sein)であつて、「かくあるべし」といふ當爲(Sollen)ではない。それゆゑ、善惡の判斷は、これらの存在を全うならしめることを善とし、さうでないものを惡といふのであつて、理性論によつて觀念的に作り出した道德などを基準として善惡を判斷してはならない。つまり、本能適合性のある行動が「善」であり、本能適合性のない行動が「惡」であるとする單純明快な基準である。道德その他の規範の個々の内容も、この本能適合性の有無によつて善惡・正邪が判定されるもので、本能適合性のない規範は、いかに理性的には肯定できても、それは誤りであるといふことになる。これは動物行動學による科學的な結論である。それ以外の別の價値基準で善惡・正邪を決定することは宗教や哲學であつて、そのやうな價値觀を導入して善惡を判斷することには全く科學性がないのである。

なほ、フロイトのやうに、人の精神構造を性本能(イド、リビドー)、自我(エゴ)、超自我(スーパーエゴ)に三分し、性本能(性衝動)のみを本能とし、快樂を求め不快を避けることだけを本能行動とし、本能とは剥き出しの「欲望」であるとしたが、その根底には、「本能は惡」であるとする禁忌の思想がある。ユングは、リビドーを生命エネルギーに置き換へたが、やはり本能を矮小化して、その解明にはほど遠いものがある。これらも假説の域を出ないものであつた。

この「本能」に關連して、「刷り込み」といふ言葉がある。これは、生まれて間もない時期に、接觸したり目の前に動くものを親として覺え込んで追從する現象のことである。たとへば、極端な例として、狼に育てられた人間の子供が、狼を親と認識し、その行動樣式も狼をまねて同じになるといふやうに、授乳期に自己に乳を與へる授乳者を親と認識してしまふといふやうな學習の一形態である。このやうな本能と學習の研究は動物行動學(エソロジー、ethology)と云ひ、ノーベル賞受賞學者のコンラート・ローレンツが比較行動學の立場から、それを科學的理論として確立させた。つまり、「種の内部のものどうしの攻撃」は、理性論からすれば絶對的「惡」であるが、比較行動學からすると「種内攻撃は惡ではなく善である。」ことを科學的に證明した。つまり、「種の内部のものどうしの攻撃は、・・・明らかに、あらゆる生物の体系と生命を保つ営みの一部」(文獻104)であり、「本能は善」であつて、これを惡とする理性論は誤りであることを科學的に證明したのである。

「天の命ずるをこれ性と謂ふ。性に率ふをこれ道と謂ふ。道を修むるをこれ教へと謂ふ。」(中庸)。これも本能は善であり、惡は理性の中にあることを説く。性善説とはこのことである。それゆゑ、前にも述べたが、善惡の區別と定義は、本能に適合するものを善、適合しないものを惡とすることになる。これによつて、合理主義(理性論、理性絶對主義)は完全に破綻したのである。

また、理性論の崩壊は、クルト・ゲーデルの「不完全性定理」からも證明された(文獻250、327、328)。「自然數論を含む歸納的に記述できる公理系が、無矛盾であれば、自身の無矛盾性を證明できない。」ことを數學基礎論から證明したものであるが、形式論理學でいふ排中律(Aか非Aかのいづれかである。)及び矛盾律(Aは非Aでない。Aであり非Aであることはない。)などが適用される無矛盾の領域は、全事象を網羅することにおいて完全ではない(不完全である)ことを證明したことになる。このことによつて、彼が晩年になつて、不完全な論理學や數學から哲學の世界に完全性を求めて傾倒し、精神を病んで死に至つたのは、理性論の破綻を寓意したものかも知れない。

ともあれ、このコンラート・ローレンツの理論を我が國では、戸塚ヨットスクールの校長である戸塚宏が取り入れ、「腦幹論」としてさらに發展させて實踐し、これまで數へ切れないほどの多數の情緒障害兒などを教育的に矯正改善し、プラグマティズム的にその實踐理論の正しさを歸納法的に證明して見せた。理性論によるカウンセリングなどでは改善不可能な事例についても、戸塚はその實踐教育によつて治癒してきた。あたかも、理性論的處置に見放された者の驅込み寺の樣相を呈したのである。これは、これまでの合理主義的な教育理論を根底から覆すものであつた。

この「腦幹論」とは、腦幹が下意識、邊縁系が本能、新皮質が理性をそれぞれ司るとし、これらは重畳的かつ連續的な關係にあり、腦幹の歪みは本能、そして理性を狂はせるとする「科學的假説」であつて、合理主義的信仰とは無縁のものである。そして、この假説を證明するために、登校拒否や非行、無氣力などの「情緒障害兒」を教育的に矯正するには、理性論に基づいて論理で説得しても不可能であり、腦幹の矯正、本能の強化を目的とした訓練によつてのみ實現できるとして、その實踐を試みた(文獻116、285、330)。

これまでのやうな理性論では、學級崩壞などの教育現場の混亂を全く解決することができなかつたことを踏まへれば、理性論には少なくとも限界と矛盾があるとの科學的謙虚さが必要である。腦の科學的解明とは無縁のものとして、觀念だけで構築された理性論は、少なくとも科學的知見ではないことだけは確かである。科學的知見や根據に依據しないものは、假説といふよりは信仰である。理性論と腦幹論のいづれが正しいのかについては、これからもさらに探求する必要があるが、何よりも教育の實踐理論として必要なものは、具體的な教育現場において、そのいづれの方が、より良い效果、より多くの成果を上げるかといふ實績で判定せざるをえないし、また、それで充分である。

この問題は、原因不明の場合の對處法における演繹法と歸納法の違ひでもあり、それは脚氣の原因が不明であつた時代での陸海軍の對處の相違と同じ構造を持つてゐる。日清戰爭においては、帝國陸軍では白米食とし、副食代を現金で支給したために、將兵の殆どは、支給された現金を困窮する家族への仕送りに廻して副食を攝取しなかつたことから、四千人の脚氣による死亡者が出たが、海軍では玄麥食としてゐたことから脚氣による死亡者が皆無に近かつた。さらに、日露戰爭でも陸軍の脚氣による死亡者が急增したことから、醫學會を含めた大論爭となつた。海軍軍醫總監であり、東京慈惠會醫科大學創立者であつた高木兼寛は、歸納法的視點から脚氣の原因が白米食であると主張したのに對し、陸軍軍醫總監であつた森林太郎(森歐外)は、演繹法的視點から脚氣細菌説を頑強に主張し續けた。脚氣の原因は、玄米の糠層と胚芽に多く含まれてゐるビタミンB1の不足が原因であり、それが判明したことにより脚氣論爭はやうやく決着したものの、日露戰爭の將兵のうち約二萬七千八百人もの脚氣による病死者(脚氣患者二十五萬人。戰死者約四萬七千人の中にも多數の脚氣患者が含まれる。)を出した最大の原因は、森鴎外の頑迷なる細菌説といふ演繹論的教條主義にあつたのである。そして、この演繹論的教條主義は、まさに現在の教育論を支配してゐる合理主義と同樣であり、際限なく合理主義教育や平和教育で毒されて本能を退化させた兒童生徒の患者を增大させてゐる姿と相似してゐる。

このことからしても、演繹的教育論(合理主義教育論)は、歸納的教育論(本能強化教育論)が正しいことになり、この合理主義教育に異を唱へた戸塚は、その科學的手法に基づき、あまりにも多くの良い成果と實績を上げすぎた。「俺なら少年犯罪者を矯正して見せる。」との戸塚の自信とその表明には、それなりの充分な根據があつた。しかし、既存の教育關係者ではそんな自信は無く、しかも、自信がないことを告白することは自己の權威を失墜させ自己否定することになるので口が裂けても言へない。そのことが彼らの嫉妬と怨嗟と危機感を煽り、戸塚の理論とその實踐成果を葬り去ることが企圖された。それが、戸塚らの逮捕に始まる、いはゆる「戸塚ヨットスクール事件」といふ「國策捜査」の發端であつた。この事件は、理性論が本能論を彈壓するために仕組んだ戰後初めての事件と評價される。

學校や兒童相談所はもとより、教育學者やカウンセラー、心理學者などの評論家では、あゝでもない、かうでもないと能書きを垂れ、「小田原評定」を繰り返すだけで、誰も少年犯罪者の病氣を直せない。少年の凶惡事件が起こるたびに評論家などがメディアに露出して解説と論評をするだけで、誰もその事件の再發を防止できない。却つて、そのアナウンス效果によつて、後續事件が發生するだけである。この負のスパイラルを阻止できるのは、合理主義を根底から否定して腦幹論を掲げる戸塚理論だけだつた。腦幹を鍛へ本能を強化すれば教育效果は高まり、しかも、犯罪性向は改善される。そのことは今も變はらない。否、むしろ、戸塚理論を教育と行刑に導入することは喫緊の要事なのである。

フランケンシュタインの理想的人間

明治の流行歌である「デカンショ節」の語源になつたとされる、デカルト、カント、ショーペンハウアーに始まる歐米の合理主義(理性論)による啓蒙思想は、今日、あらゆる分野において矛盾を生み出してゐる。

そもそも、人の營みにおいて理性と本能とをデジタル的に峻別することに根本的な矛盾がある。デカルトは、「一切を疑ふべし(De omnibus dubitandum)」といふ方法的懷疑により、懷疑といふ意識作用の主體である「我」の存在は疑ひ得ないと結論づけた。それが「我思ふ。ゆゑに我あり。」といふレゾン・デートル(存在證明)であるとした。しかし、懷疑の意識主體の「我」といふのは、佛教で言ふところの諸法無我の「小我」であつて「大我」ではない。懷疑の主體である「小我」に對する懷疑を放棄することは方法的懷疑の破綻であり矛盾である。また、「我あり」とする「小我」の意識作用は、人に先天的に備はつた「本能」の營みであることを見落してゐる。マーシャル・マクルーハンが好きな言葉に、「誰が水を發見したのかは分からないが、それは魚ではないだらう。」といふのがあるが、人の本能や理性の實相(水)は、その水が出來てから生まれた合理主義(魚)では解明しえないことの喩へである。

合理主義による啓蒙思想とは、理性と感性による思考(悟性)を絶對視し、科學的認識の對象とはならない「不可知世界」をそのまま「認識不能」とせず、「不存在」として排斥した。「知るを知ると爲し、知らざるを知らずと爲す、これ知るなり」(論語)といふ「無知の知」が科學であるが、測定と認識の「不能」を「不存在」とするところに非科學性がある。

そして、合理主義は、理性を善とし、本能を惡とする二分法に立ち、本能を抑制するものとして道德などの社會規範を位置付ける。しかし、本能が惡であつたり、理性によつて抑制しなければならないものであつたとすれば、前に述べたとほり、人類を含む生物は、もつと早くその本能と理性といふ二律背反の構造的缺陷により自壞して滅亡したはずである。本能を惡として否定することは、自己否定に他ならない。理性とはあくまでも本能作用の一種であり、本能とその一部である理性とはアナログ的に一體のものである。

ところが、このやうに本能を肯定するやうなことを云ふと、まるで理性論の中で議論されて生まれてきた本能主義や快樂主義(享樂主義)など、欲望を滿たすことが正しいといふ考へではないかと不安を抱かれるが、そんなことは全くの誤解である。そもそも、エピクロスの快樂主義とは、精神的快樂(魂の安靜、アタラクシア)を求めるものであり、肉體的快樂や苦痛を超えるものであつた。むしろ、産業革命からアメリカの獨立、そしてフランス革命へ導いた合理主義こそが欲望主義であり、その象徴がシェリー作の「フランケンシュタイン」の物語なのである。

この物語はかうである。スイスの科學者であるフランケンシュタインは、ドイツにて自らが作り上げた「理想の人間」(理性的人間)の設計圖に基づいて、それが神に背く行爲であることを自覺しながら、自らが「創造主」となつて人の死體を利用して「人造人間」を完成させた。この人造人間は體力や知性などにおいて完璧であつたが、その容貌は極めて醜く異形であつた。フランケンシュタインは、これに絶望し、人造人間を殘して故郷のスイスに逃亡する。しかし、人造人間は容貌の醜さを惱みつつ、「創造主」であるフランケンシュタインの元に辿り着き、伴侶となる異性の人造人間を造るやうに要求するが、フランケンシュタインはこれを拒否する。人造人間はこれに絶望し、それを復讐に轉嫁してフランケンシュタインの弟や妻、友人などを次々に殺害した。フランケンシュタインは、これに憎惡を抱いて人造人間を追跡するが、最後は二人とも怒りと嘆きを抱いて橫死するといふ物語である。

これは、理想かつ完璧な觀念であると信じられた合理主義(理性論)は、醜さといふ最大の缺陷があり、爭ひを繰り返して人類を幸福にせず、その究極には破綻と滅亡が待つてゐることを寓意するものである。

人間以外の動物は、自己保存、自己防衞、種族保存、種族防衞などの本能による忠實な生活をするために、無益な殺生や姦淫、盜みなどをしないが、人間だけは時にはそれを犯す。それこそが「人間らしさ」と云へばそのとほりなのに、そのやうなことをすると、外道、畜生、ケダモノなどと最大級のスラングで罵られる。そして、忠實に本能に從ひ品行方正な生活を營む動物たちに謂はれなき中傷を浴びせ濡れ衣を着せるのは、靈長類だと自惚れる人間の滑稽さである。これも合理主義の誤りの一つなのである。

家族主義と個人主義

本能を司る中樞は、腦幹と脊髄、小腦などの部分である。本能の基礎となる自律神經は生來的に備はつてゐるが、五感の作用に基づいてなされる行動の樣式と能力である本能は、成長に伴ひ、學習と經驗を積み重ねることによつて強化される。「修理固成」に至るのである。群れをなし社會を形成して生きる人類には、自己保存本能、種族保存本能、集團秩序維持本能などがあり、それは、個體と種族集團を守るためのプログラムとして組み込まれてゐる。たとへば、身の危險を避けようとするのは自己保存本能であり、子孫を殘し、身を捨てでも家族や社會、國家を守らうとするのは種族保存本能によるものである。

草食動物の親子が肉食猛獣に襲はれたとき、親が子を守らうとして、自らが猛獣の囮となる行動は、理性論では到底説明がつかない。人の親子についても、同じやうな危機的状況に置かれた場合、これと同樣の行動をとる。このことは、理性論から生まれる個人主義と人權論からすると、「命の大切さ」を教へ、自己の命は何にも代へ難いから、親が子のために自己の生命と身體を犧牲することなどはあり得ないことになる。しかし、この行動は、種族保存本能に根ざしたものであり、理性によるものではない。これは、種族保存本能(種族防衞本能)が自己保存本能(自己防衞本能)を凌駕する指令體系であることを意味する。

自己の利益を追求する活動よりも、世のため人のために見返りを求めずに奉仕する活動をするときに、人は精神の高揚を感じる。自利よりも利他に快感を得ることは理性では説明が着かない。これも本能のなせる業である。

以上によれば、本能の序列(本能體系)は、

自己保存(維持)本能 < 家族保存(維持)及び秩序維持本能 < 種族保存(維持)及び秩序維持本能 < 社會秩序維持本能 < 國家防衞本能

といふことになる。

また、自己保存本能についても、これが單に危險を回避することだけの行動性向であると理解することはできない。なぜならば、子供には、親が制止しても、木を登り巖を這ひ上がり、海や川に飛び込むなどして、その達成感を味はふといふ冒險心や好奇心を備へてゐるからである。もし、自己保存本能が單純な危險回避性向であるとすれば、この子供の行動は自己保存本能と矛盾することになる。しかし、これが矛盾するのであれば、このやうな矛盾を抱へた缺陷プログラムの人類は、既に生存の適性を缺いて絶滅してゐたはずである。それゆゑ、この子供の冒險心と好奇心こそが本能の表徴であると氣づく。これは、他の動物の子供も同じことである。つまり、これは、人の本能として組み込まれた自己學習による「本能強化プログラム」なのである。子供は、この好奇心と冒險心によつて、本能を強化する學習を經て勇氣を養ふ。これが種族保存本能へと昇華する契機となるのである。それゆゑ、さほど危險ではない水邊にも轉落防止の安全柵を取り付け、構造上の缺陷がないのに公園の兒童用遊具ですら使用を禁止するなど、子供が事故死する危險を防ぐために安全性の配慮をすることは必要であつても、それが過度になりすぎると、逆に、子供が危險に立ち向かふトレーニングの機會を奪ふこととなり、その結果、本能が強化されず、却つて事故死を增發させるといふ惡循環を生む。そして、このことは本能の「劣化」を招き、本能が劣化した子供が增加して、他の動物ではあり得ないやうな非行や異常行動、犯罪性向を示すに至る。さらに、本能の劣化した子供がそのまま大人となり、さらに犯罪性の高い社會へと轉落する。現代社會の矛盾の根源はここにある。「獅子の子落とし」とか「可愛い子には旅をさせよ」との諺は、本能を強化するための本能の原則に他ならないのである。

このやうに考察してくると、本能とは快樂を求めて不快を避けるといつたやうな單純な「欲望」ではなく、むしろそれを押し殺してまで種族と集團を守らうとするもので、「志士仁人、無求生以害仁、有殺身以成仁(志士仁人は、生を求めて以て害することなく、身を殺して仁を成すことあり)」(論語)に連なる高い德性の源泉となる本能の指令であることが解る。すめらみことは、世界のすめらみことであるが故に、歐米から抑壓されてきた人類全體の解放のため、「身を殺して仁を成す」を大東亞戰爭で實行したことも人類の本能の發現であつて、それゆゑに「聖戰」なのである。

もとより、群れを爲して家族を形成し共同生活によつて生存しうる人類は、個人だけでは生存できない。それゆゑ、個人の意義と價値を重視してその權利と自由に至上價値を見いだす個人主義は、理性論の産物である。

個體(人體)と家族、部族、種族、民族、國家へと段階的に連なる雛形構造が動的平衡を保つために「本能」といふ指令が存在するのであるから、その指令に適合する方向こそが、あたかも胎兒が母の胎盤の中の羊水に浮かぶが如く、安全、安定、安心を與へる。それゆゑ、秩序を維持し、集團を防衞するなどの、前に圖示した「本能體系」に適合すること、つまり「本能體系適合性」(本能適合性)を滿たさなければ、國家、社會、家族など全ての領域において規範とはなりえないのである。從つて、個人主義は、個人を優先させ集團を劣後させる點において、この「本能適合性」を缺く。人は個人として自立しうる時期は極めて短い。幼いときは家族に養育され、老いても家族に扶養される。成人に達しても、疾病と障害があれば、やはり家族の保護と介護を受ける。これほどまでに個人の自立可能な時期が短いのに、この短期の状態を永遠であるかの如く普遍化して個人主義を打ち立てることに本質的な無理がある。本能適合性があるのは、刹那的な個人を重視した「個人主義」ではなく、連綿と繼続する家族を重視した「家族主義」であり、ここに普遍性が見いだされる。

近親相姦と近親婚の禁忌

およそ、動物の本能は、それぞれの個體と種族を維持し續けるための「指令」であり、それに過誤がなかつたので生きながらえてきたのである。本能に設計ミスや施工ミスがあれば、その個體は早世し種族は早晩絶滅する。人においては、身を捨てて子を守り、傳承され續けてきた智惠と財産の「家産(身代)」の擔ひ手として尊崇される親を守り、その親子を育む家族を守り、その相似的に擴大した部族、種族、そして祖國を守ることは、まさに本能なのである。家族愛、郷土愛、祖國愛(愛國心)などは本能の發露であり、これが弱いのは、本能が劣化し又は退化してゐるからである。

我が國では、多くの人々が、歴史や傳統を重んじる行事を守り續けることや地域に傳はる祭りなどの行事を守り續けるのに、これらの祭りなどの行事を支へてきた歴史や傳統の源泉である「國體」といふことになると何故か偏見と抵抗がある人が居る。このやうな現象は、他の傳統國家ではあり得ないことである。國體が「本」でこれらの行事が「末」であるのに、「末」のみを重んじ「本」を蔑ろにすることは本末轉倒となつてゐる。これは占領政策とそれを承繼した戰後教育の影響によるものである。

 前にも述べたが、孟子の「性善説」と荀子の「性惡説」との對立は、一般には人の「本性」が先天的に善か惡かといふものであると捉へられてゐるが、ここでいふ「本性」を「本能」と理解すれば、孟子の性善説が本能適合性を滿たすことは當然である。家族主義、秩序主義の孔孟思想が今もなほ存續し續けるのは、それが本能適合性を備へた教へであつたことによるものである。これに對し、徹底して己の欲望を滿たすことに人生の價値があると説いた楊朱(楊子)の個人主義(爲我説)と欲望主義が人々に評價されないのは、それには本能適合性がないからである。善惡とは、本能適合性の有無によつて區別され、本能と理性とは不可分一體の關係にあるから、本能が善で理性が惡であるといふことにはならない。本能といふハード・ウェアの上に理性といふソフト・ウェアが組み込まれるのであるから、ハードが幼兒期に強化されず、不完全なままの状態であつたり、また、成人に達してもハードに缺陷を生ずると、その上に構築される理性といふソフトにも不具合が生じたり、エラーや誤作動を生ずることがある。本能に組み込まれた強化プログラムに基づいて自らの本能を強化し完成させないと、理性も歪むことになるといふことである。

ところが、荀子は、本能を惡とし、あるいは本能の「部品」の一つである「欲望」のみを惡とする。そして、楊朱(楊子)は、その本能の「部品」の一つである「欲望」のみを善とする。このやうな見解は、本能と理性とが有機的に連動して一體不可分な關係にあることを否定し、その一部のみを善として、その他を惡とする杜撰な便宜主義思想であつた。しかし、これでは合理主義の誤謬を指摘しすることは到底できず、楊朱(楊子)の場合は、理性を惡とし、個人主義、快樂主義に陷つてしまつたのである。

ところで、本能と理性との相關關係において、この本能の部品の一つである「欲望」の中の「性欲」の本質に關連して試金石として擧げられるものは、人間社會において、近親相姦や近親婚を禁忌してきたのは何故なのかといふことがある。剥き出しの「性欲」が「本能」そのものであるといふのであれば、最も身近に居る親子と兄弟姉妹に向けて「性欲」を追求することが自然なはずであるが、現實はさうでない。そのことについて、これまで樣々な理由と根據が考へられてきた。

古代エジプトでは、王家や上流階級では近親婚が一般であつたとされるが、これは特權維持のため他家の干渉を防ぐ自衞手段としてのものであり、一般化されたものではなく、現在では、これを認めてゐる民族は極めて少ない。尤も、「近親」の範圍が「リニージ」や「氏族」にまで及ぼすものもあるが、すべてに共通するのは、「親族相姦」と「親族間の婚姻」を禁止する點である。

初期においては、近親婚では劣惡な遺傳子が結びつゐた個體が出てくることを經驗的に知つたことから禁止されたとする生物學的見解があつた。しかし、劣惡な遺傳子とは、必ずしも遺傳學的にいふ劣性遺傳子、すなはち、遺傳子が二個結合しなければ出現しない性質のものではない。むしろ、能力的又は形質的に優れた遺傳子が、劣性遺傳子であることが多いことが知られるやうななつたことから、この見解は科學的に否定された。

次に登場したのが、人類學に構造主義を取り入れたフランスの人類學者C・レヴィ・ストロースの見解である。人間の心や行動は、意識だけでは捉へきれない社會構造があるとし、近親相姦や近親婚の禁忌(インセストタブー)は、家族の中の女性を家族内だけで獨占すればその家族が他の家族との關係で孤立し、社會のつながりを形成できなくなるので、「女性の交換」をする社會規範を作つたといふのである。しかし、規範は、本能に基づいて、その規範内容を周知させることに實效性の基礎を置くものであるから、本能とは無縁に、人間の意識外で形成される規範といふものはあり得ない。社會契約説の陷つた矛盾のやうに、「女性の交換」規則を誰も意識せずに全員がそのことを相互に合意してきたといふのであらうか。

さうなると、やはり、ここは本能の出番である。

人間は社會的動物と云はれる。どうして社會的動物であるのかと云へば、人間には對人關係に強く反應する本能があることに由來してゐる。とりわけ、對人關係を築く出發點は、人との出會ひである。そのときにはお互ひに顏を見る。そして、お互ひに顏を認識してその表情を讀み取り、その表情から好意と敵意などを識別するのである。つまり、人間の腦は「顏」の形に強く反應する本能を備へてゐるのである。それがシミュラクラ(simulacra)現象(類像現象)である。目と鼻と口などの人の顏の部分と全體の特徴と表情が詳細に識別できる極度の敏感さがあるために、人の顏に類似したあらゆる形像に對しても、それを人の顏であると錯覺する。壁の染みや岩肌などの自然物の造形が目鼻のある人の顏の形に見えてきたり、人面魚とか人面犬などと騒ぎ出したりする、あの現象のことである。これは幻影の一種であるが、このやうなものまで人の顏と錯覺しうるほど人の顏に對しては敏感なのである。人には、他人の顏の特徴と微妙な顏の表情を讀み取つて對人關係を構築して行く能力が備はつてゐることの證でもある。

この本能によつて、家族と他人とを識別して精緻な人間關係を築いてゐるのであつて、ひとたび家族として識別したときは、さらに次の段階の本能として、家族であることの認識に基づき、他人に對するものとは異なつた行動が規律されて行くことになる。

つまり、このことからして、家族内の女性に對する性的衝動を抑制し近親相姦と近親結婚を避けるのは、自己の家族集團以外の他の家族集團との紐帶を築いて、さらに大きな種族の群れを形成し、それによつて種族全體の維持を實現しようとする種族維持本能によることになる。そのためには、家族内の秩序を維持してストロースの云ふ「女性の交換」が行へるやうにしなければならないので、家族内の女性に對する性的衝動を抑制する秩序維持本能が働く。本能中樞神經として意志とは無關係に機能する自律神經にも、交感神經系と副交感神經系があつて、相互が拮抗的に作用するのと同樣に、この場合には、集團秩序維持本能が性的衝動を司る種族保存本能を抑制する。欲望があるのは、自己と種族を保存するために必要な本能であるが、その逆に、その欲望を秩序維持のために鎭めるのも、やはり本能の働きである。このやうなことは誰に教はることなく、理性的に學習することもなく、そもそも種族内の秩序を維持し發展させるために人類全般に備はつた本能なのである。

この禁忌(タブー)を犯すのは、その者の本能が未完成であるか劣化してゐるためであり、その結果、理性に缺陷を生じたためである。

つまり、禁忌(タブー)とは、人類の本能に組み込まれた生物學上の基本的な道德規範であつて、これは、個體と集團を守るために組み込まれた本能に由來する。これは、本能に基づいて個體内部に形成された自律規範である。これが「禮」の根源である。そして、これが累積されて個體の外部(社會)に他律規範も生まれる。それがさらに民族的特性も加味されて、道德などの、より高度で複雜な社會規範へと形成發展してきた。それゆゑ、個體から家族や社會へ、そして國家といふ集團を防衞するための規範が生まれ、これに違反した者に對して應報的處罰を課すことを當然と認識し、それを實行するのも、階層構造の社會秩序を維持するための本能から由來するのである。國家の形成も、この集團の確定のために必要な本能の發現である。

本能強化教育

そして、人類全體に共通する一般の本能もあるが、それに付加して各民族ごとに特別の本能がある。おそらくそれは、使用言語の性質によつて人の思考や行動が規律されるとする言語相對説(サピア・ウォーフの假説)も認めてゐるとほり、わが民族においては、「やまとことのは」の持つ言靈による特殊な本能が備はつてゐるはずである。

いづれにしても、秩序維持のための規範の源泉は、秩序維持本能にあるのであつて、理性にあるのではない。自己保存本能を抑制するために理性による思考の産物として規範が生まれたものでもない。たとへば、種族保存のために異性に對する情欲や物欲をかき立てるのも本能なら、それを秩序維持のために抑制するのも本能である。理性からすれば、家族の者と他人とは區別せずに平等かつ公平に保護しなければならないが(汎愛)、それでも嚴然と區別して家族の者の保護を他人よりも最優先することになるのは本能によるものである。家族愛なるものは理性論からは導けないものであり、家族愛を否定することになる理性を抑へて家族を優先的に保護するが本能であつて、これに基づいて家族と社會の規範が成立してゐる。家族を守ることが規範となり、家族を保護せず遺棄することを法律で禁止するのである。このやうに、本能が理性を抑へて規範が形成されてゐるのである。決して、理性によつて本能が抑へられて規範が形成されたものではないのである。假に、家族と他人、男と女を一切區別することなく平等に取り扱ふことを命ずる極端な平等主義による法律が制定されたとすると、それは理性論によつて生まれた法律であつて本能に反する。この法律は本能に適合しない「惡法」であるから、そのやうな社會は不幸であり、この社會は早晩崩壞する運命にある。

それゆゑ、この本能の總體が規範を生み出す源泉となり、さらに、理性により複雜に細部に亘つて構成されて現代の規範となつたのである。本能と理性とは決して對立するものではなく、前述したとほり、コンピュータのハードとソフトの關係か、あるいは、基本ソフトと應用ソフトの關係に準へることもできる。また、自動車に喩へれば、本能といふのはアクセルで、理性がブレーキといふのではなく、アクセルもブレーキもハンドルもいづれも本能なのである。理性は、その運轉技術である。アクセルとブレーキ、それにハンドルの操作を本能によつて無意識に調整し、その行動を理性の働きで認識して行動するのである。

そして、民族國家の形成は、集團を形成し維持發展させる本能の發現であつて、民族必須の根本規範である國體(規範國體)は、やはり、禁忌、道德などの延長線上にあるものとして、やはり本能に由來することになる。

このやうな本能は、過去においては正常に機能し、家族や社會での躾けや教育などを通じて強化されてきたが、核家族化と極度の分業體制、相互不干渉と過干渉といふ極度の分化現象、そして、食の亂れと歪みなどによつて、現代社會においては、本能の機能低下、人類の退化、民族の劣化が進行してゐる。「男は男らしく、女は女らしく。」といふ「本能教育」を否定する思想は、人類が退化、劣化して行く徴表である。男は強くなれば優しくなれる。女は優しくなれば美しくなれる。そしてこれによつて男女共に凛々しくなる。これは本能の指標である。これを否定して男女が中性化すると、人類の退化、老化、劣化、そして滅亡への傾向を促進させることになるのである。

昨今の「少子化」といふのは、その前提に「劣子化」、すなはち、本來的に子孫に備はるべき民族の生命力が劣化してゐるのではないか。教養や德性は云ふに及ばず、戰前までの日本人の民度の高さと凛々しさを比較すると、現代日本人は、奢侈と拜金と快樂に溺れて教養と德性を低下させ、その民度が著しく低くなり、自堕落になつてきてゐることは明らかであり、民族自體が劣化してゐることこそが問題なのである。

その結果、親殺し、子殺し、凶惡犯罪、ニート、無氣力、出産意欲や育兒意欲の低下、政治家や公務員や會社經營者などの倫理感と規範意識の喪失、拜金主義の蔓延などといふ現代社會の病的現象が起こり續ける。

これを根本的に改善治癒させるためには、合理主義による「理性偏重教育」から脱却し、初等教育での「本能強化教育」による國體の基礎教育によつて民族の蘇生が行はなければならないのである。「命の大切さ」を教へるといふやうな理性教育は必要ではない。これは最も根源的な自己保存本能であつて、本能を強化すれば足り、わざわざ教へる必要はない。むしろ、それよりも高度な「命を捨てて家族、社會を守る」といふ種族保存本能などを覺醒させる必要がある。畏敬の念や惻隱の情などは、本能を強化すれば自然と生まれてくる。それが本能の神祕さでもある。社會集團の中で生きることの修養がなければ情操は育たない。この修養には、災害その他有事の際にも對應できる「教練」を取り入れることが必要である。そして、この修養と一體となつた情操教育といふ土臺をしつかりしなければ、その上に築く理性教育は壞れやすい。これは殆どが小學生までで決まる。この本能強化教育を實現できるのが戸塚宏の教育理論であり、その教育改革は、實踐に裏打ちされた重みがある。

教育において、知育は必要であるが、大正期から始まつた知識教養の偏重による「教養主義」は排除されなければならない。教養主義は、知識教養の增大を人格の「進歩」と錯覺する合理主義に他ならないからである。偏差値教育による偏差値秀才では智惠と德性を備へることができない。「知識」は理性であり、「智惠」は本能である。知識だけでは生活はできない。智惠がなければ德性が磨かれない。知識と智惠とは方向性が異なる。たとへば、「猿も木から落ちる」といふことを知識として教へれば、それは「萬有引力の法則」といふ物理學の理解に留まる。しかし、これを智惠として教へると、慢心を戒める生活の教訓となるといふことである。吉田松陰は、「空理を玩び實事を忽(ゆるがせ)にするは學者の通病(つうへい)なり」(講孟餘話)とし、「井を掘るは水を得るが爲なり。學を講ずるは道を得るが爲なり。水を得ざれば、掘ること深しと云ども、井とするに足らず。道を得ざれば、講ずること勤むと云ども、學とするに足らず。因て知る、井は水の多少に在て、掘るの淺深に在らず。學は道の得否に在て、勤むるの厚薄に在らざることを。」(講孟餘話、安政三年五月の第二十九章 文獻7)とする。『論語』には、孔子(夫子)の高弟である曾子が「夫子之道、忠恕而已矣」(夫子の道は忠恕のみ)とある。この「忠恕」とは、「忠」が「まごころ」、「恕」が「おもひやり」を意味し、その「道」とは、つまるところ自己愛、家族愛、郷土愛、そして祖國愛の實踐である。それゆゑ、教育ないしは教學の目的は、井戸の深さ(知識教養の深さ)を求めることにあるのではなく、これを手段として、すべてを包み込む忠恕の水の多さ(祖國愛の深さ)を得る求道にある。

しかし、この理論を現在の教育界で採用すれば、これまでの戰後教育(占領教育)體制は崩壞し、それに巣くふ占領教育學界の利權は吹き飛んでしまふ。それゆゑ、どうしても組織維持と保身のために、今もなほ國賊どもは、口先だけの「教育改革」を喧しく唱へて衆目をそらし、戸塚理論の封印を畫策してゐるのである。本質論に迫らない小手先だけの「教育改革」を唱へ、選擧で衆愚な支持を得て當選したからと云つて、それが眞理であるはずもない。眞理は多數決で決まるものではないのである。

このやうに、本能といふものは、生命の根源であつて、本能を「惡」とすることは本末轉倒であり自己否定であることが理解できる。「善」とは、自己保存と種族保存を實現し秩序の維持が實現できる方向であり、「惡」とは、自己保存と種族保存を否定し秩序を破壞する方向のことである。すべての道德や規範は、この方向性で決定付けられる。繰り返し述べるが、善惡の區別と定義は、「本能適合性」で決まるのであつて、それ以外の區別と定義は悉く恣意的なもので誤りである。

そもそも、人の行動は、本能に制御されてゐるが、決して短絡的な欲望に基づき、それが快樂を感じるか苦痛(不快)の念を抱くかといふ「快不快」の基準で決定するのではない。快と不快との兩立、苦痛を伴ふ快感、快感を得るめに苦痛に堪へるといふ複雜系の判斷と行動も本能に組み込まれてゐる。我が身を捨てて我が子を守るといふやうに、自己保存本能と種族保存本能(滅私奉公)とが相反する局面において後者を優先させることも本能なのである。

このやうに、本能もまた動的平衡を備へてゐることは當然のこととして理解される。疾病に對する免疫力と復元力によつて個體の保存を圖ることはもちろん、環境の變化に順應して個體と子孫(種族)の生存を維持するために機能や形質を改善しうる能力をも備へてをり、これらの變化の豫測もまた本能のプログラムに組み込まれてゐる。そのやうな種族のもつ本能の限界點を超えた環境等の變化が起こつたとき、その種族の絶滅に至るのである。種族の絶滅とは、このやうな自然淘汰と適者生存の結果である。人類の本能は、これまでの地球環境を含めたあらゆる環境變化に對應できる複雜系の本能體系を備へてゐたといふことである。

このやうに本能體系を理解すれば、これと對立してきたと思はれた理性の位置づけが自づと明確になる。本能と理性とは、これまで述べてきたとほり、この兩者が共振によつて魂振(たまふり)の動的平衡を保つた關係であると認識できる。これは、天照大神の「御統の珠」(みすまるのたま)に相似した雛形構造となつてをり、對極にある本能と理性といふ二つの分節が、それぞれ獨自に存在しつつも、決して兩者が對立相反することなく、また、兩者が溶融して靜的に一體となつてしまふこともなく、その二つが繋つて一つとなり、互ひ雙方向に影響し合ふ關係である。そして、この「本」能(狹義の本能)と理「性」の兩者によつて動的平衡が保たれる全体の生命現象である廣義の本能を性善説のいふところの「本性」と名付けるとすれば、この上位概念である本性は、まさに人の精神活動を總合した「こころ」そのものといふことになる。

本能と規範

これまで一般に、多くの人々が、本能とか、本能的といふ言葉に對して、極めて不道德で非倫理的で惡德な響きを感じてゐたのは、合理主義(理性論)に毒されてゐたためである。何が善で何が惡かの判斷は、極めて規範的なものであり、その判斷基準は世界の各地において樣々な樣相と態樣を呈してゐるが、その原型は、人類の本能に由來するものである。繰り返し述べるが、本能に忠實な方向が「善」であり、これに背く方向が「惡」といふことである。「忠」とは、本來の意味はその字義からして「まごころ」を意味し、本能に適合する状態を指す。自己保存か種族保存かの二者擇一に迫られたとき、ためらひつつも後者を選ぶことを云ふ。また、「孝」とは、その解字からして、老人を背負つた子の姿であり、親に対する「忠」の意味である。それゆゑに忠孝一如であり、水戸學では、誠を盡せば「忠孝一本」になると強調した。

明治天皇の侍講であり、教育敕語の草案を起草したとされる元田永孚(ながざね)は、明治十二年(1879+660)に道德教育の基本方針書として『教學大旨』を、また、明治十五年には、具體的な修身教科書として『幼學綱要』を著した。この『幼學綱要』は、明治天皇が全國の學校に下賜され、明治二十三年の教育敕語の基底となつたものであるが、德目の記載順が、第一に「孝」、第二に「忠」となつてゐた。それが教育敕語においては、「克ク忠ニ克ク孝ニ」として、第一に「忠」、第二に「孝」となつてゐることから、両者の德目の優先順位が議論されることがあるが、このやうなことは餘りにも見當違ひな議論である。「千里之行始於足下(千里の行も足下より始まる)」(老子)とあるやうに、千里の行程(忠)は、第一歩(孝)を踏み出す實踐から始まる。第一歩なくして第二歩はなく、千里は踏破できない。孝の理解と實踐ができない者は、忠の理解も實踐もできないといふことである。

我が國の陽明學派の祖として近江聖人と稱される中江藤樹は、これを實踐した人である。藤樹は、祖父に代はつて伊豫大洲藩加藤家に仕へたが、近江に殘した老母の孝養のため幾度も禮節を盡くして致仕を願ひ出たが許されず、遂に脱藩し、死を覺悟して追手を俟つた。しかし、思ひがけずも追つ手は現れず、近江に歸つて母に孝養を盡くした。脱藩は孝の端緒であり、追つ手を迎へて死を覺悟するのは忠の堅持である。孝なくして忠なし。藤樹は、忠孝一如、忠孝一本の實踐として脱藩による死を覺悟した人である。求道や名望のために妻子を捨て父母を捨て、それなりの成果や功績を得た者が餘りにも多い中で、藤樹の實踐は無類の光芒を放つてゐるのである。

山鹿素行は、「已むことを得ざる、これを誠と謂ふ。」、「道や德や仁義や禮樂や、人々已むことを得ざるの誠なり。」、「真實無妄、これを誠と謂ふ。」などと説いたが(聖教要録)、まさに「至誠通天(至誠天に通ず)」(孟子)であり、この「誠」こそが「本能」なのである。かくして、忠孝のみならず、本能に適合するやうに、人の行動を奬励し、あるいは禁止・命令する多くの德目その他の規範が形成される。それゆゑ、多くの世界の先人によつて説かれた數々の德目その他の規範として現在も實效性を有してゐるものは、すべてこの原理によるものである。確かに、各地の自然環境や生活樣式などによつて多樣化してをり、決して世界共通の一律なものはないが、これら共通した根本的な部分は、やはり人類固有の本能に由來するものであつて、この本能適合性の有無によつて、善惡が決定してゐるのである。

前に述べたとほり、個體の本能には、自己保存本能、自己防衞本能、種族保存本能、種族防衞本能などがあり、それが種族集團共通のものであることから、種族集團の本能となつてゐる。そして、集團における規範が集團の維持と防衞のためのものであることからして、規範は、種族集團の秩序維持のために生まれた本能の態樣なのである。たとへば、「利他」を「利己(自利)」に優先させるといふ德目などの規範は、本能の機能的序列において、種族保存本能が自己保存本能を凌駕するやうに決定付けられてゐる結果によるものである。

國家といふ明確な集團が生成されない時代においては、その種族集團は家族を單位として、家族の連合體である部族、そして種族として形成され、家族においては家法、部族においては部族の法、種族においては種族の法が形成される。しかし、規範の内容を傳達するについて言語表現を用ゐてなされる限り、同じ意味内容でも表現が異なる場合もあることから、全體の秩序を維持するためには、それを共通にする作業も必要となつてくる。

また、特定の部族・種族に限らず、部族・種族を超えた集團として、宗教がその機能を果たすことがある。しかし、宗教規範(教團規範)には、集團内部の秩序維持以上に、他宗教の集團に對する防衞と、教團に所屬する構成員の改宗を阻止して教團勢力を維持するため、教團の戒律が強化される現象もある。これは、人が集團生活をするといふ社會性に根ざした「權勢本能」と「從屬本能」による秩序維持の本能によるものである。これは、種族や教團などの集團の中で、知・情・意を高めて權力と威勢を保持する強者が、弱者である他者を支配してこれを保護し、弱者である他者は、その強者の力を信じてこれに從屬して保護を求めるといふ棲み分け分擔をし、支配の序列を形成して秩序を維持するのである。この二つの本能が一組の對として存在し、個體の役割分擔によつていづれか一方に行動する性質のものであつて、これは、集團生活を行ふ動物に備つた本能的知惠である。この支配と服從の關係が秩序を維持し、それが規範となる。

ユダヤ教の十戒、キリスト教の山上の垂訓、イスラム教の律法、佛教の十戒、儒教の三綱五常、五德などは、自然環境や生活樣式の相違や地域的特殊性などから複雜多樣化したものの、本を辿れば、集團防衞本能に、この權勢本能と從屬本能などが合はさつて形成された規範である。

特に、孔子の説いた六藝(禮、樂、射、書、數、御)の教へや、孝と敬老と仁が連續し、我が子への慈しみは他人の子への博愛へと發展し、我が子や親を守る氣持ちが憐憫の情、惻隱の情となり、生かされてゐることを忝なやと感じる喜びと感謝、つつしみ、うやまひ、おもひやりといふ忠恕と至誠となつて廣がつてゆくことなどは、すべて本能の命ずるものであつて特別のものではない。忠恕と至誠を支へる情緒がなければ、不公正、不條理への怒りとこれを撤廢する強い動機は生まれない。

このことは、孔子の修養集團だけにとどまらず、部族國家、種族國家、民族國家、國民國家として形成された集團についても同樣で、治者と被治者の分離と統治規範の形成などは秩序維持本能から生まれた不可避的な現象である。ここで重要な點は、權勢本能によつて治者となる者(強者)に必要なものは、被治者である弱者の「保護」であり、それがあることによつて弱者の從屬本能を滿たすといふ點である。『貞觀政要』などで説かれるやうに、惻隱の情とか、治者に高い德性を求めるのは、弱者が從屬するために強者の保護をなすことが必須となるからである。權勢本能においては支配と保護、從屬本能においては從屬と被保護がそれぞれ對向するもので、強者が弱者を支配するだけで保護せず、あるいは衰弱や死亡などによりそれを實現する力を失ひ、弱者が從屬するだけで保護を受けないとなると、弱者に濳在する權勢本能が發現し、「強者の變更」が生ずる。これも本能の營みであると理解できるのである。

そして、この強者の變更は、國家においては政變や革命などであり、教團においては宗教改革や教主の交代などとして現れることになる。

世襲

このやうに、人に備はつた本能は、個體と集團(社會、國家)の生命を維持するために組み込まれたもので、これから逸脱することは個體と集團の死に至る。本能を蔑むことは、自虐と自滅に他ならない。本能を信じ、本能に從ひ、本能を鍛へて理性を高め、個體と集團を維持しなければならない。理性を高めようとするのも本能の作用である。そして、個體には、自己保存本能を凌駕する種族集團の保存本能があることからして、個體の集團にも自己保存本能があることは、雛形構造理論からも肯定できる。本能に忠實であることが個體と種族集團を維持することであり、そこに規範性の根源がある。つまり、規範國體とは、國家の持つ本能の高次體系であり、これを離れては維持しえない閉鎖的體系としての規範體系であるといふことができる。個體の生命を維持する自己保存本能も、生活の最小單位である家族の存續のために子孫をつくり保護する種族保存本能と種族保護本能、家族の秩序崩壞を防ぐための家族維持本能、そしてさらに、他の家族間との連結と連帶によつて共同社會の擴大と維持をはかり、ひいては國家の維持へと連なる雛形構造が國體の規範性を示唆してゐる。

そして、この國體の規範性の中心に「世襲」がある。つまり、世襲とは、個體、家族、種族集團、國家の「保存」と「維持」の直接的な表現形態に他ならないからである。そして、その「保存」と「維持」は、歴史と文化の傳統の「世襲」、すなはち「傳統國家」の特性でもある。

この傳統國家の特性である「世襲」については、傳統國家の種類によつて相違はあるとしても、少なくともこれらに共通するものは、前に述べたとほり、祭祀制度、家族制度、財産制度、産業制度、相續制度などの「制度」の世襲と、その制度に基づく個々の人々の「祭祀」と「分限」と「財産」を世襲することを意味する。そして、さらに、傳統國家の種類としては、君主制國家と共和制國家があり、その中間形態として貴族制國家があるが、その主な相違點は、「元首の世襲」の有無と態樣にある。

元首の世襲は、歴史的に見れば、部族國家に由來する傳統國家の文化構造の總體である國體の頂點に位置するもので、家族と國家とが相似性を有してゐることから、家族における家長の地位と國家における元首の地位とは相似的關係にある。家族では、戸主權(家長權)が一定の法則(長子相續、末子相續など)により嫡系が定まつて繼承されるのと同樣に、國家においても、その元首の地位は、一定の法則(男系男子など)によつて繼承されるのである。

これに對し、共和制國家にあつては、元首の地位が世襲以外の方法である選擧などで定まることになる。共和制國家の成り立ちは、何らかの理由により君主制國家が君主を失つた場合や初めから君主が存在しない社會が新たに國家を建設する場合などである。元首を定めるのは、對外的な國家代表と國内的な統治者が必要不可缺なためであり、君主制國家のやうに、「世襲」といふ傳統の重みによる信賴の擔保もない。どこの馬の骨か解らない者を選擧によつて元首に指名し、彼に政治を信託することは、嫉妬と不信があるために一定の制約がなされる。それが「任期」と「解任」の制度である。選擧で選ばれる者も、それを選ぶ者も同じ人民同士であるといふ支配者と被支配者の同質性と自同性こそが相互不信の連鎖を生む基盤となる。そして、この嫉妬と不信の感情は「倒錯」が起こりやすい。嫉妬と不信に苛まれる状態を一擧に解消するために、英雄の出現を渇望するのも大衆の常である。それが獨裁を生む濳在要因なのである。

もし、選擧による信託制度(民主制)が最善のものであれば、國家と相似性のある家族においても世襲による家父長(戸主)を廢して、新たに選擧による家父長(戸主)を選定すればよい。息子が家族全員から選擧で選ばれて家父長になり、親や兄弟に對して生活指導することができるのが民主制である。しかし、現實には絶對にさうならないのは、人は、民主制の欺瞞と缺點を本能的に見拔いてゐるからに他ならない。

いづれにせよ、傳統國家は、その種類の如何を問はず、「世襲」制度を基本的な國家の制度的構造の基軸(國體)としてしてゐることだけは確かである。そして、この世襲の中核は、祭祀の承繼であり、それが國體論の基礎となつてゐるのである。

革命國家

この傳統國家と對極にある革命國家とは、傳統國家の文化、傳統、制度的な基本構造などの國體の一部又は全部を傳統國家に屬する人民が非合法的な暴力を以て否定した新たな國家を意味する。そして、その國家の性質は、暴力的に政治變革を成立させる契機となつた「革命」の性質を檢討することによつて明らかとなるはずである。

ロベスピエールが言ふやうに、「新しい人間からなる、新しい國」として、それまでの國家との連續性を斷つことであり、非合法の暴力を以て國家權力を奪取することが革命の本質的部分である。そして、革命は、この權力奪取といふ要素に加へて、これまでの國家に存在した國體を否定する要素があることも否めない。それゆゑ、全く新たに成立した國家を「革命國家」と定義したとしても、その「革命」の在り方によつてその革命國家の性質は一律ではなくなる。つまり、革命國家と言つても、その革命前と革命後の比較において、それまでの國體との斷絶が完全なもの(眞正革命國家)と、それまでの國體の一部については承繼され殘部については斷絶するか、あるいは、それに變更を加へるに留まるもの(不眞正革命國家)とに分けられるが、さらに、この不眞正革命國家の態樣は千差萬別のものがあることになる。

アメリカ革命(獨立)とフランス革命とを比較しても、祭祀の承繼を否定した點において、新たに誕生した國家がいづれも革命國家であることは共通するが、兩者にはさまざまな違ひがあり、特に「統治」の見方に顯著な相違があつた。

アメリカ革命は、英國からの獨立、つまり、英國の有してゐた「統治」の正統性を認めた上で、それから「分讓」を受けたといふことにある。統治權力に對する基本的な「信賴」があり、民主主義とは權力參加の手段であると肯定的に捉へ、權力の擔ひ手となる富裕者による政治によつて統治する。しかし、先住民、貧困者、奴隷は權力の擔ひ手からは排除された。

これに對し、フランス革命は、ルイ王朝の統治の正統性を否定し、これを「破壞」することに正當性を見出したのである。統治權力に對する拭ひきれない「憎惡(ルサンチマン)」が出發點にある。それゆゑ、民主主義は、權力破壞の手段として肯定され、これまで統治の擔ひ手であつた王侯、貴族、聖職者は、排除と破壞の對象であり、その破壞の擔ひ手は、シェイエスが第三身分とした、僧侶と貴族以外の富裕な一般平民層であるが、ここからも下層民や農民は排除された。そして、破壞と殘忍の限りを盡くし、ルイ十六世の王政を打倒したフランス革命による共和制は、後にナポレオンの帝政、そしてナポレオン失脚後の王政復古によるルイ十八世(處刑されたルイ十六世の弟)の王政となり、それも早晩崩壞することになるが、「權力は何も生み出さない」といふ權力に對する極度の「憎惡」と、「權力がなければ統治することができない」といふ權力に對する「信賴」との間を振幅した不安定な歴史であつたことを物語つてゐる。

このやうに、アメリカ革命もフランス革命も、ともに既得權益の世襲を全否定しなかつた點において、これによつて樹立した國家が不眞正革命國家であると云へるが、それでは、世襲の全否定を建國の基本とし、君主を否定して一切の相續を否定し家族を完全解體する眞正革命國家といふのは、はたしてこれまで存在したのであらうか。

ロシア革命(大正六年 1917+660)は、確かにそれを目指した革命であつた。レーニンは、ロマノフ王朝を打倒した後、マルクス・エンゲルスの『共産黨宣言』(文獻24)の諸方策を實施した。「①土地所有を收奪し、地代を國家支出に振り向ける。②強度の累進税。③相續權の廢止。・・・」として、私有財産制と相續制度を廢止した。そして、さらに、法律により家族制度を廢止し、家族制度存續の一翼を擔ふ養子制度をも廢止したのである。それは、エンゲルスの『家族・私有財産および國家の起源』に基づき、廢絶すべき私有財産制度が家族制度によつても支へられてゐる構造であるとされたからである。この考へは、ルソーからフーリエに引き繼がれた家族制度解體論に由來するものであるが、特に、レーニンを支へたアレクサンドラ・ミハイロヴナ・コロンタイといふ女性革命家の貢獻が大きい。家族制度は、封建時代の産物であり、かつ、資本主義の温床であるとした上で、資本主義社會における女性勞働者の增加により家族の解體が進み、共産主義社會では、さらにそれが促進される。家事と育兒の社會化によつて女性は解放されて家族は消滅するとする女性解放論を唱へて事實婚を奬勵した。

しかし、その結果、家族の解體に伴ふ性風俗の紊亂、そして、少年の性犯罪や竊盜事犯の增加をもたらし、堕胎と離婚が增加して出生率の低下を招いた。また、その原因の背景には、第一次世界大戰やロシア革命によつて大量に生じた孤兒の存在もあつた。そのため、スターリンは、昭和元年(1926+660)に孤兒の救濟を目的とした養子制度を復活させ、さらに、昭和十九年(1944+660)には、ついに家族制度を廢止した法律を廢止して、逆に家族制度の強化する方針に轉換した。

家族制度は、國家制度との相似性があることから、家族の解體は傳統國家の解體を決定づける。しかし、それを斷念したときから、革命は挫折したことになる。

否、それ以前に革命は挫折してゐた。それは、レーニンが、大正七年(1918+660)のロシア共産黨(ボリシェヴィキ)第二綱領で定めた貨幣制度廢止の戰略目標を翌年(1919+660)に放棄した時であつた。貨幣制度は、資本主義の要諦であり、これによつて私有財産制による富の蓄積を生み、富の遍在と生産財の獨占、階級形成の原因であるとするのがマルクス・レーニン主義の根幹理論であつたからであり、これを放棄することは革命を放棄することと同じであつた。

もつとも、革命理論の基礎となつた唯物論が理論的に崩壞したのは、昭和十年のシェーンハイマーの理論と昭和十三年の原子核分裂の發見である。シェーンハイマーの理論は前に觸れたとほり、人間は唯物論で捉へることができない對象であることの發見であり、原子核分裂は、原子を「物」の最小單位として捉へてきたことの崩壞を意味し、唯物論や労働價値説の前提を覆したのであつた。

いづれにせよ、ロシア革命は、眞正革命を目指したものの、貨幣制度を革命から二年後に復活させて、革命理念の根幹を放棄し、その後のソ連といふ革命失敗後の殘骸國家は、當初の革命を著しく變質させながら、不眞正革命國家となり、平成三年(1991+660)十二月に崩壞することになる。革命を放棄して變質した後の殘骸國家ソ連の實態は、建前上は私有財産制を否定しただけの官僚統制國家であつて、元首と統治者を抽出する基盤は、共産黨指導部に屬する特權階級(ノメンクラトゥーラ)であつた。つまり、革命放棄後のソ連の政治形態は、「貴族制」に屬するものと云へる。

このやうに、歴史的な文化傳統を完全否定する眞正革命國家といふのは、合理主義による「實驗國家」であつて、この崩壞は、共産主義の敗北といふ現象面だけではなく、本質的には、合理主義(理性論)の敗北であつた。

また、支那における共産革命について云へば、これはロシア革命と比較すると、極めて不完全なものであつた。といふよりも、これは共産革命といふよりも、共産主義を信奉すると自稱する者らによつてなされた中共(中華人民共和國)といふ名の新國家建設に過ぎない。つまり、共産革命が目指すべき祭祀制度、私有財産制度、貨幣制度、相續制度、家族制度などの徹底解體を實施する政策がこれまで一度も一貫して繼續實行されたことがないからである。ただし、政治的謀略により昭和四十一年から始まつた文化大革命では、毛澤東がその失政を隱蔽するために紅衞兵を動員して、「造反有理」を掲げて子が親を告發糾彈することを奬勵した。これは、造反有理を掲げて歴史、文化、家族などを破壞した點において、眞正革命國家への道を進み出した現象であるとも云へるが、それも十二年後の昭和五十二年に崩壞した。その後の中共は、改革開放を掲げて、祭祀制度、私有財産制度、貨幣制度、相續制度、家族制度などを復元修復させた不眞正革命國家なのである。つまり、建國前と建國後の現在とを比較すれば、祭祀制度、私有財産制度、貨幣制度、相續制度、家族制度などの主要部分において本質的變更はなく、今後さらにその回歸傾向が加速することが豫測されることからすれば、結果において支那の國體は復活してゐることになる。

そして、中共の現在の統治態樣について云へば、中共では共産黨幹部による寡頭政治が行はれてをり、その地位は實質的に「世襲」または「禪讓」され、元首や統治者を人民が選擧で選出することががない點において共和制ではなく、舊ソ連と同樣に「貴族制」の不眞正革命國家であり、これまでの易性革命の域を出ないものである。

このやうにして、不眞正革命國家の中には、清教徒革命、フランス革命、アメリカの獨立、支那の易性革命などのやうに、君主制國家の革命において、その國體のうち、元首の世襲を否定する以外は、祭祀制度、私有財産制度、貨幣制度、相續制度、家族制度などの「制度世襲」とその「祭祀世襲」及び「分限世襲」を全て認めた例がある。支那の共産革命も結果的にはこれに屬することになる。

また、我が國における、大化の改新(645+660)に始まる公地公民制の律令國家體制への變革は、祭祀と元首の世襲を大前提としながらも、大寶元年(701+660)の大寶律令田令に規定された班田収受法といふ私有財産制度に關する「制度世襲」と「分限世襲」を原則的に否定した點において、「不眞正革命」に準じた變革であつたと云へるが、三世一身法(723+660)、墾田永年私財法(743+660)を契機に荘園が発達し、遂に班田収受法の廢止(902+660)に至つて世襲が完全に復活した。

革命と占領統治

ところで、當然のことではあるが、「革命」とは、國家の對外的獨立(國家主權)を維持してゐる状態が繼續してゐることを前提要件としてをり、あくまでも、國家内の「自律的變革」を意味する。從つて、外部的權力によつて征服されてゐる状態における「他律的變革」を意味しない。それは、憲法制定權力(制憲權、主權)を以て革命を説明する立場においても、革命とは、打倒される舊國家の構成員(人民)による自律的變革を意味するからである。確かに、自律的變革の「革命」の場合と他律的變革がなされる「占領統治」とは、國體の破壞ないしは變更の有無及びその態樣と程度を問題とする限り、その政治變革の現象面は類似してゐる。しかし、「革命」と國體變更を伴ふ「占領統治」とは、あくまでも峻別されなければならない。また、國體の破壞ないしは變更を伴はず、むしろ、國體護持のための政治刷新がなされる「維新(非革命)」の場合、たとへそれが暴力を伴ふものであつても、自律的變革である限り、革命とは區分しなければならない。

この基準によれば、我が國の明治維新や英國の名譽革命は、原則として國體の承繼が維持された點において、「革命」とは對極にある「維新(非革命)」であつて、特に、明治維新においては、それを推進した武士階級が自らその既得權を放棄ないしは剥奪したといふ希有な改革であつたことが浮き彫りになつてくる。四民平等や萬機公論の制度は、むしろ國體回歸に他ならない。

また、大東亞戰爭敗戰後のGHQによる完全直接軍事占領下の改革は、我が國の國體を破壞することを目的とする「占領統治」であつて、皇位の世襲は辛らうじて維持されたものの、明治典範の廢止、宮家の解體、占領典範の強制などの著しい變更と制限が加へられ、さらには、占領憲法が強制されるなど、祭祀制度、相續制度、家族制度、統治制度などの制度世襲と臣民の分限世襲などに著しい變更を加へて國體が破壞されようとした。

つまり、家督制度と戸主制度の廢止、農地改革による土地の没收、財閥解體による財産の没收、極度の累進課税による高額相續の實質的否定などによる著しい制限が加へられたことから、これらの制度世襲と分限世襲などが否定されたも同然であつた。

そもそも、農地改革及び財閥解體は、急進的な共産主義政策の斷行であり、また、過度の累進課税による高額相續の實質的否定についても、前述のとほり、マルクス・エンゲルスの『共産黨宣言』を忠實に實施したことに他ならない。

そして、GHQの占領下において朝鮮戰爭が勃發し、いはゆる東西冷戰構造が極東においても決定的となり、サンフランシスコ(桑港)で調印された『日本國との平和條約』(資料三十六。以下「桑港條約」といふ。)と『日本國とアメリカ合衆國との間の安全保障條約』(資料三十七。以下「舊安保條約」といふ。)によつてわが國は資本主義の西側陣營に組み込まれた。それは、我が國の赤化を防止し、共産主義勢力の伸張を阻止しようとすることがアメリカなどの西側陣營の國益に合致することから、その強い要請を受けて、「修正資本主義」による立法と政策が實施され、共産黨宣言の方策を先取りして採用することになつた。つまり、資本主義から生ずる矛盾を緩和し、富の偏在からくる國民の不滿を共産主義勢力擴大の口實とさせないために、そして、西側陣營の經濟的な要である我が國に共産革命やこれに準ずる暴動、政治的不安定による經濟的混亂を起させないために、富の平準化を短絡的に實現しうる樣々な施策として、資産家を生け贄としてその高額相續を實質的に否定する強度の累進税制度といふ社會主義的施策を推進してきたのである。その税制における施策の中心が、相續税における「強度の累進税」の採用であつた。我が國は、共産主義の施策を採用した西側陣營の堡塁に仕立て上げられた。そして、その堡塁が強固であつたことと、國際經濟の強力な牽引力を持ち續けたことが、冷戰構造の崩壞へと導いた。このことは、ソ連のゴルバチョフ大統領が訪日の際、共産主義が世界で唯一成功した國が我が國であると褒め稱へたことからも、東側から見た國際政治分析として正鵠を得てゐたものである。ところが、冷戰構造の崩壞によつて共産革命の危惧がなくなつたにもかかはらず、我が國は未だに七十パーセントといふ相續税の最高税率の引き下げがなされないまま今日に至つてゐる。これは、高額相續を惡とし、最終的には相續自體を否定する共産主義思想が政策として依然存續してゐることを意味するのである。これに加へて、人が遺言によつて最後に果たしうる自由意志による財産處分を制約し、実質的に私有財産制度と財産處分の自由を制限する「遺留分制度」と、家産維持などの貢献度を全く無視した單純な「均分相續制度」を採用したことによつて、資本の蓄積と家産の形成を阻止し、永代の事業繼続を阻み続けてゐるのである。

すなはち、我が國は、獨立はしたものの、征服期間中に國體破壞のために制定された制度を今もなほ踏襲した「準占領統治」状態にあると云へる。

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