占領典範固有の無效理由の概要
國體と典憲との關係を眺めると、これらが不可分一體的に結合してゐることが瞭然となる。これら全體として廣義の意味での規範國體と捉へることもできるのである。そして、この觀點からすれば、明治典範が、占領憲法の制定を契機として、同じくGHQの軍事占領下にあつた非獨立時代の昭和二十二年五月一日に『皇室典範及皇室典範增補廢止ノ件』(資料十一)が公布され、「明治二十二年裁定ノ皇室典範竝ニ明治四十年及大正七年裁定ノ皇室典範增補ハ昭和二十二年五月二日限リ之ヲ廢止ス」となり、これと差し替へるものとして、占領典範が同年一月十六日に「公布」されたといふ現象をどのやうに捉へることができるのであらうか。
それは、圖解的に言へば、正統典範圓に收まつてゐた明治典範を三圓の枠外に抛擲しようとした試みであつて、結論的には、明治典範の廢止も占領典範の制定も共に無效といふことになり、正統典範はいまもなほ現存してゐることになる。
從つて、明治典範を廢して占領典範を制定したといふ一連の行爲は、まさに規範國體違反といふことであり、これが占領典範の無效理由のうち最大のものである。ただし、占領典範の無效性といふのは、正確には、「明治典範廢止の無效性」と「占領典範制定の無效性」といふ兩面がある。「廢止」とは、「改正」の究極的形態であると認識できるので、典憲改正の無效性は共通した點が多く、以下においては、明治典範の廢止と占領典範の制定に關して、その固有の無效理由だけを示すこととし、占領典憲の無效性として共通する無效理由と、占領憲法の無效性に關する固有の無效理由については、第五節の「占領憲法の無效性」で述べることとする。
無效理由その一 皇室の自治と自律の干犯
占領典範は、皇室の自治權、自律權を侵害して全面的に否定するものであつて、規範國體に牴觸するものであるから無效である。
祖先から代々に亘つて家の名跡を承繼することは、古來からの國體規範である。「名跡」のうち、「名」とは、家名、家業、家産などの物質的なものであり、「跡」とは、家訓、家法、家學、家風などの文化的、精神的なものである。「國」は「家」のフラクタル相似象であることから「國家」といふのであつて、家の制度は、國家の基軸である。また、私家(臣と民の家)は皇家(皇室)の相似象であるから、皇家の家法は、國家の眞柱である。
その眞柱の皇家に自治と自律がないことは、國家に自治と自律がないこと、すなはち獨立を失ふことの相似象である。中心の空洞化は、全體の虚無性をもたらすのである。
明治以降に成文法整備がなされた際、古代ローマ法などの制度を借用受繼した系譜においても、「法は家庭に入らず」といふ法諺(法律格言)で顯された法理があり、これは我が國の規範國體と一致するために受け入れられた。これは、家族内のことは、國法と矛盾しない限度において自治と自律を認め、法が立ち入らないとする法理であり、公法である『刑法』においても、親族間の犯罪では刑の免除を行ふなどの親族相盜例(第二百四十四條など)が規定されてゐるのである。
このやうに、家(家庭、家族)が國家との關係で自治と自律が認められるのは、國家が國際社會(組織)において獨立を認められることと相似するからである。
占領典範は、歴史的に考察すれば、前に指摘したとほり、德川幕府による皇室不敬の元凶である『禁中竝公家諸法度』と同じ性質のものである。つまり、占領典範とは、現代版の『禁中竝公家諸法度』ないしは『禁裏御所御定八箇條』とも云ふべき皇室彈壓法である。
明治典範では、諮詢機關として「皇族會議」があり、「成年以上ノ皇族男子ヲ以テ組織」されてゐるが(第五十五條)、占領典範では、皇族會議を廢止して皇家の自治と自律を奪つた上、決議機關として「皇室會議」を設置し、その議員は、「議員は、皇族二人、衆議院及び參議院の議長及び副議長、内閣總理大臣、宮内廳の長竝びに最高裁判所の長たる裁判官及びその他の裁判官一人」の十人(第二十八條)とし、皇族議員は十人中二人に過ぎない。これによつて皇室から自治と自律を奪ふ内容となつてゐるのである。これは「皇室會議」ではなく、「皇室統制會議」なのである。
從つて、このやうな規範國體に含まれる皇家の自治と自律を否定した占領典範は無效なのである。
無效理由その二 法形式の相違
次に、占領典範が無效であることの理由としては、前に述べたとほり、明治典範を含む實質的な典範(正統典範)は、帝國憲法と同等同位の規範であるので、下位の法律として制定することができないとの點である。
明治典範は、敕令によつて定められ、そして、形式的には、昭和二十二年五月一日の『皇室典範及皇室典範增補廢止ノ件』といふ敕令によつて廢止され、新たに法律として占領典範が制定されたことになつてゐるので、明治典範と占領典範とは、法規の存在根據(法形式)を異にしてゐる。そのことは、明治典範が皇室家法であるために公布されなかつたのに對し、占領典範はそれを否定したものとして公布されたといふことからも解るのである。
しかし、占領典範制定の目的は、明治典範に代はる規範として制定することにあつた。そのために、「皇室典範」といふ同じ法規名稱を用ゐてをり、しかも、その條文構成も明治典範との類似性が見られ、現在の一般的な認識においても、明治典範を「舊典範」、占領典範を「新典範」としてゐることからしても明らかである。つまり、實質的には、帝國憲法を占領憲法によつて全面改正したとされるのと同樣に、明治典範を占領典範によつて全面改正したといふことなのである。ところが、前述したとほり、帝國憲法と明治典範とは、同等同位の規範であり、憲法と同位の規範事項をそれよりも下位の法形式で制定し、法の守備範圍を逸脱することはできない。典範事項を法形式を異にする法律事項として制定することは、法體系からして不可能であつて、占領典範は無效である。
無效理由その三 規範廢止の無效性
明治典範は、規範國體といふ不文法のうち、皇統に關する技術的、手續的な事項などについて定められたものであり、できる限り正確に「書寫」して完成されたものである。それゆゑに、これを再び不文法に戻して、正統典範の法文化を廢止することが假に出來るとしても、さらに進んで、正統典範の實質的な規範そのものを廢止(無規範化)することは、無效であるといふ前に、そもそも不可能なことである。
帝國憲法第四條には、「天皇ハ國ノ元首ニシテ統治權ヲ總攬シ此ノ憲法ノ條規ニ依リ之ヲ行フ」とあり、これは、天皇と雖も國體の下にあるとの「國體の支配」の原則を表明したものであつて、典憲に共通した原則である。それゆゑ、典範といふ皇室の家法についても、明治天皇が「遺訓ヲ明徴ニシ皇家ノ成典ヲ制立シ以テ丕基ヲ永遠ニ鞏固ニスヘシ」として正統典範の事項の一部を成文法化されたものである。法治主義もまた規範國體に含まれる事項であるから、その規範自體を廢止(無規範化)して法治主義そのものを放棄し、正統典範といふ規範國體自體を否定してしまふことは、そもそも不可能なことである。國體の支配(法の支配)とは、天皇と雖も國體の下にあるといふことであり、規範國體の内容となる法治主義を否定するのみならず、規範國體自體を否定して無規範化することは許されない。敕令によると雖も、昭和二十二年五月一日の『皇室典範及皇室典範增補廢止ノ件』によつて明治典範の規範自體を廢止したといふのであれば、それは、その規範部分に該當する規範國體を否定(無規範化)することを意味することになり、およそ不可能なことであつて當然に無效である。
帝國憲法第七十六條第一項によれば、「法律規則命令又ハ何等ノ名稱ヲ用ヰタルニ拘ラス此ノ憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令ハ總テ遵由ノ效力ヲ有ス」とあり、敕令もまたこの適用を受ける。これがまさに「國體の支配」の明文上の根據であり、この廢止の敕令は規範國體に違反するので無效なのである。後に述べる占領憲法の場合と同樣に、承詔必謹(法治主義)は、國體の支配までも否定することはできないのである。
ちなみに、この「承詔必謹」とは、推古天皇十二年夏四月、皇太子聖德太子が作り賜ふた憲法十七條の「三に曰く、詔を承りては必ず謹め。君をば天とす。臣をば地とす。・・・・・」とあることを意味し、我が國における法治主義の原點のことであるが、これについては改めて述べることとする。
無效理由その四 成文廢止の無效性
では、次に、規範國體それ自體を廢止することはできないとしても、成文法制度を廢止して再び不文法制度へ移行するために、成文の廢止をすることが許されるのではないかといふ疑問についても答へる必要がある。つまり、『皇室典範及皇室典範增補廢止ノ件』は、「明治二十二年裁定ノ皇室典範竝ニ明治四十年及大正七年裁定ノ皇室典範增補ハ昭和二十二年五月二日限リ之ヲ廢止ス」とするだけで、これは規範の廢止(無規範化)ではなく、成文の廢止(不文法化)として理解し得る餘地があるからである。
そもそも、成文法化した條規と不文法の趣旨とに齟齬があれば、成文法規の條規を改正して不文法の趣旨に近づけるといふ方法の他に、形式的には改正せずに解釋變更して不文法の趣旨に近づけるといふ方法もありうる。
しかし、第一章で述べたとほり、不文法制は、規範の適用と運用に柔軟性があるものの、その柔軟性の高さが規範の適用と運用における豫測性の低さと表裏の關係にあることから、その豫測性を高めるために徐々に成文法制化されてきた。そして、成文化が進んでその豫測性が高まれば高まるほど逆に柔軟性が低くなり、形式的な硬直した規範の適用と運用といふ弊害を生じる。ところが、人々の一般的な規範意識は、法の豫測性を基軸として維持されるものであることからすると、成文法制化は必然的な趨勢となつてゐる。このことからして、我が國も成文法制化に踏み切つたのであつて、これを完全否定することは成文法制化の意義を損なふことになり、却つて恣意的解釋や運用がなされ、法治主義を蔑ろにする危險があるので、できる限り避けるべきである。
正統典範の一部を一旦成文法化したのは、皇位繼承の順位などに關する爭ひや混亂を回避して豫測性を高めるためであつて、それこそが法治主義の趣旨に基づくものなのである。それが明治天皇の御叡慮でもあり、これに從ふことこそが承詔必謹であり法治主義なのである。從つて、明治典範を廢止して、それ以前の不文法(自然法)に復歸することについては、明治天皇の御叡意を蔑ろにするに等しく、しかも、それが占領下の非獨立時代における強制下のものであつたことからして、やはりこれを有效であるとすることはできない。成文を廢止して無規範化することは規範國體に含まれる法治主義に違反するために無效であることは前述のとほりであるが、たとへ規範國體の規範性を否定しなくとも、それ以前に、成文を廢止して不文法制度に戻ること自體が規範國體に含まれる法治主義に反して無效といふことである。蓋し、「國體の支配」の原則によつて、天皇と雖も國體の下にあり、國體と典憲の趣旨に反する成文の廢止は、たとへ詔敕の名において爲されたものであるとしても、やはり無效であると言はざるを得ないのである。
無效理由その五 廢止禁止規定違反
このやうにして明治典範は廢止されたとするのであるが、これまでの法論理的な無效理由に加へて、明治典範の廢止は、明治典範の條規に違反するが故に無效であるとする點がさらに重要である。
すなはち、明治典範第六十二條は、「改正」と「增補」のみを許諾する規定であり、全面的な「廢止」をすることは許されないと解されるからである。つまり、明治典範第六十二條には、「將來此ノ典範ノ條項ヲ改正シ又ハ增補スヘキノ必要アルニ當テハ皇族會議及樞密顧問ニ諮詢シテ之ヲ敕定スヘシ」とあり、さらに、帝國憲法第七十四條には、「皇室典範ノ改正ハ帝國議會ノ議ヲ經ルヲ要セス 皇室典範ヲ以テ此ノ憲法ノ條規ヲ變更スルコトヲ得ス」と定められてゐたのであつて、同じ法源として改正、變更することは認められてゐるが、これらの全部を廢止することは禁止されてゐた。にもかかはらず、明治典範を全面的に廢止したことは、これらの規定に明らかに違反してゐることになる。
「皇室典範ハ單純ナル皇室内部ノ家法ニ非ス」とする前述の清水博士の見解のとほり、確かに正統典範には、帝國憲法と渾一融和すべき國家的な性格があるため、帝國憲法にも正統典範に關する規定が存在してゐる。しかし、だからと言つて、皇室の自律權などを全面的に否定する「廢止」は、皇室の家法(皇室の自治)の完全否定であり、規範國體の破壞行爲であることは明白である。
無效理由その六 占領典範自體の無效性
占領典範は、占領憲法が制定された昭和二十一年十一月三日の約二か月後の翌二十二年一月十六日に制定され、占領憲法が施行された昭和二十二年五月三日と同日に施行された。そして、明治典範は、昭和二十二年五月一日の『皇室典範及皇室典範增補廢止ノ件』により翌日(五月二日)限り廢止され、また、帝國憲法は、さらにその翌日である同年五月三日に施行された占領憲法によつて改正されたものとされてゐる。
しかし、假に、さうであるとしても、占領典範と占領憲法とは、施行時の昭和二十二年五月三日までは施行前の状態であつて、法規としては發效してゐないことになる。より詳細に云へば、占領憲法が制定された昭和二十一年十一月三日の時點において、現に效力を有してゐる國務(政務)に關する最高法規(根本規範)は帝國憲法であるから、この帝國憲法に牴觸する占領憲法は制定時の時點において既に無效であると判斷されるのと同樣に、占領典範が制定された昭和二十二年一月十六日の時點において、現に效力を有してゐる宮務に關する最高法規(根本規範)は明治典範であるから、この明治典範に牴觸する占領典範は制定時の時點において既に無效であるといふことになるのである。
そして、制定時に既に無效であつた法規が、その法規が形式的に豫定してゐた施行時になると、突然に有效となるといふやうな奇妙な法理は存在し得ないのであるから、占領憲法が無效であるのと同樣に占領典範もまた無效である。ましてや、占領典範は、施行前の占領憲法の授權を受けた法律として制定されたものであることからすると、親龜が轉けたら子龜も轉けるといふ意味で、無效の占領憲法の授權による占領典範の制定行爲もまた當然に無效であることになる。
このやうに、制定行爲自體がその當時も效力を有してゐる明治典範に牴觸して無效であつた占領典範は、公布とその後の施行といふ形式的措置を經由したとしても、そのことによつて實質的な意味で占領典範が有效となるとするだけの根據と理由が全く見出しえない。また、このやうな場合、法形式においても、少なくとも新たに追認的な立法措置がなされなければならないが、これまでそのやうな立法的措置も存在しないので、占領典範が有效となるはずもない。尤も、占領典範は追認をなしえない絶對無效の立法行爲であるから、假に追認しても無效なものは無效であることは前述したとほりである。
無效理由その七 占領典範自體の矛盾
占領典範は、新たに國民主權主義に基づいて、「初めて」制定されたものとされる。法規名稱は明治典範と同一の「皇室典範」であつても、これとの連續性を認めたものではない。むしろ、明治典範と「斷絶」したものとして制定されたものである。さうであれば、國民主權における「初代天皇」が誰であるのかといふ特定がなされるべきであるが、それがなされてゐない。先帝陛下(昭和天皇)を暗黙の了解として「初代天皇」として運用したことになるのであらうが、そのことについて占領典範には全く規定がない。
明治典範では天皇の退位はできないのであるが(第十條)、それでも昭和天皇の退位論が叫ばれた状況下で占領典範が立法化されたのであれば、この初代天皇を占領憲法第一條に「この地位は、主權の存する日本國民の總意に基く。」とあるとほり、國民投票によつて承認するか否かが問はれなければならなかつた。つまり、明治典範が廢止されたなら、實證法學の立場であれば、その廢止によつて昭和天皇が退位(廢位)されたことになるので、昭和天皇が改めて國民主權下の初代天皇となるためには、占領典範にその規定がなければならない。ところが、占領典範にはその規定がないために、初代天皇は不在のままとなるはずである。それでも、昭和天皇が國民の總意(國民投票)に基づかずに初代天皇に就任することは、國民主權主義に反する運用がなされたことになつてしまふ。つまり、昭和天皇は、占領憲法第一條に違反した地位であつたといふことになる。
また、國民投票によつても昭和天皇が初代天皇として承認されない場合を想定して、初代天皇のみならず、その後繼天皇の選定に關する規定が占領典範に存在しなければならないが、その規定もない。つまり、占領憲法第二條には「皇位は、世襲のものであつて」との制約しかないのであるから、皇族の中から、天皇の立候補者や推薦候補者を立てて、國民投票(選擧)で選任しなければならないはずであるが、その「天皇選擧制度」に關する規定も占領典範は設けてゐないのである。さらに、國民主權下の占領典範が男系男子の皇統を定めてゐる點は、占領憲法第十四條に違反して性別による差別を認めることになる。
このやうに、占領典範は、占領憲法が有效であるとの前提に立てば、占領憲法の平等規定に違反し、さらに、治癒することが不可能な制度の不備と内容の致命的な矛盾を抱へてゐることを理由として無效であるとされるべきものであつた。
