第七節:無效論の樣相

舊無效論と眞正護憲論の相違

これまでの無效論を「舊無效論」とし、私見の無效論を「眞正護憲論(新無效論)」として區別するのは、兩論の論理構造に相違があるためであるが、兩論に共通するのは、ともに「無效論」である點である。つまり、占領憲法が憲法としては、まがふかたなく無效であるとする點と、無效であるとの判斷が我が國の正氣を回復する道であると認識してゐる點において共通してゐる。それゆゑ、眞正護憲論(新無效論)が舊無效論を批判するのは、純粹に論理上の法律學的理由によるものであつて、志の相違にあるのではない。あくまでも、これは論理構造の相違であり、その相違を説明するについて、眞正護憲論(新無效論)は、舊無效論との比較において次のやうな主たる特徴があることに着目されるべきである。

1 眞正護憲論(新無效論)は、國體論に基づいて主權論を否定し、國内系と國際系との區別を明確にして、規範國體を頂點とする帝國憲法體系の階層的構造を明らかにしたこと。
2 帝國憲法と占領憲法の關係について、舊無效論は、これらが同列の二者擇一關係(一元的關係)であるとするのに對し、眞正護憲論(新無效論)は、これらが上下の包攝關係(二元的關係)であることを明らかにしたこと。
3 ポツダム宣言の受諾と降伏文書の調印によつて獨立を喪失し、桑港條約の締結によつて獨立を回復するまでの非獨立占領統治時代になされた行爲は、いづれも帝國憲法第十三條の講和大權に基づいて締結された一連の講和條約群であることを眞正護憲論(新無效論)が明らかにしたこと。
4 交戰權とは、宣戰大權、講和大權及び統帥大權が統合された權利であり、戰爭状態の終結を約した桑港條約、日華平和條約、日ソ共同宣言、日中共同聲明といふ各講和條約の締結と日華平和條約の破棄は、いづれも帝國憲法第十三條に基づくものであつて、交戰權が認められない占領憲法に基づくものではないこと、そして、これによつて帝國憲法は各講和條約の締結時點においても實效性を有してをり、今もなほ現存してゐる反面、占領憲法には今もなほその實效性がないことを眞正護憲論(新無效論)が明らかにしたこと。
5 占領統治下におけるポツダム緊急敕令及びこれに基づくポツダム命令の法的意義と效力に關して、眞正護憲論(新無效論)のみが最高裁判所の判例と整合性を有する唯一の見解であることを明らかにしたこと。
6 眞正護憲論(新無效論)は、帝國憲法第七十五條を基軸として、占領憲法が憲法として無效であることを理由付け、同時に、明治典範廢止の無效、占領典範の制定の無效を明らかにしたこと。
7 眞正護憲論(新無效論)は、帝國憲法第七十六條第一項は、「無效規範の轉換」の法理を示す評價規範であることを明らかにし、これによつて、占領憲法は帝國憲法第十三條に基づく講和條約(東京條約、占領憲法條約)として評價され、一連の講和條約群の中間に位置するものであるとしたこと。
8 眞正護憲論(新無效論)は、承詔必謹論による無效論批判を回避し、「有效の推定」とか「不遡及無效」などといふ矛盾した論理を用ゐずに、法的安定性を維持できることを明らかにしたこと。

眞正護憲論の特徴その一

まづ、第一の特徴は、「眞正護憲論(新無效論)は、國體論に基づいて主權論を否定し、國内系と國際系との區別を明確にして、規範國體を頂點とする帝國憲法體系の階層的構造を明らかにしたこと。」である。

このうち、最も重要な點は、一切の「主權論」を否定したことである。正確に言へば、帝國憲法制定後において、帝國憲法の構造を主權論を以て解釋しないのが通説であつて、その通説を踏襲したといふことである。主權論を否定するといふことは、國民主權は勿論のこと、その原型となつた天皇主權も當然に否定することにある。舊無效論の中には、天皇主權を肯定するかの誤解を生む見解もあつたが、眞正護憲論(新無效論)はこれとは完全に峻別される。これにより、無效論が國民主權を否定して「天皇主權」を肯定するかの如きは、謂はれなき誤解であることが理解されるはずである。「主權」といふ用語を強いて用ゐるとすれば、國體論とは、「國體」が「主權」であるといふ意味で「國體主權」であると捉へることができる。それゆゑに、これまでの「立憲主義」といふ鵺的な見解以上に、より立憲的な見解であるとする由縁がここにある。

ところで、文化國體、正統憲法、正統典範、規範國體の關係は、本章の冒頭に述べたとほりである。これらは國内系の規範體系の頂點に位置するものであり、その下位に法律、命令などの規範が階層的に存在する。

ただし、この下位の規範の中で、條約は、そもそも國内規範ではなく國際系の規範であるから、國内系との關係について特に考察しなければならないことになる。本來、國内法と國際法とは別の法體系であり、國内法と國際法とを一の同じ法體系として一律に認識する一元論は、餘りにも粗野な見解と云へる。そもそも、二つの法體系に包含關係や一體的關係があるとすれば、その各法體系にそれぞれ對應した二つの權力體系にも構造的な包含關係や一體的關係がなければならないことになる。しかし、國際法において、各國の對外的主權を認めてゐるといふことは、國際法自身が國際法と國内法といふ別個獨立した權力體系の構造と、それぞれに對應した法體系を肯定してゐることに他ならない。それゆゑ、條約が締結されたからと云つても、そのまま當然に國内的效力を持つことはなく(二元論)、條約が國内的效力を認められるためには、原則として、國内法秩序への編入による受容の措置が必要となる。それは、國内法に「變型」する立法手続が必要となるのか(立法方式)、議會その他の國家機關の承認で足りるのか(承認方式)といふことである。特に、これは、締結された條約の内容が國内法の内容と齟齬(相反)する場合に顯著な對立状況を生むことになる。國際法の體系からは、その條約の國内法的效力を認めることを義務付けようとするのに對し、國内法の體系からは、國内法的效力を認めないこと(排除すること)を義務付けるといふ相克を生むことになるのである(義務の相剋)。それゆゑ、國内的には、少なくともその整合性を保たせて調整すべき義務を負擔することになるのである。

ともあれ、一元論のみならず、特に、國内法と國際法とが齟齬(相反)する状況にあつては、國内法と國際法とのいづれが優位となるのかといふ議論がなされる。そして、その議論の中で、まづ、國内法のうちの最高規範である憲法とその條約とのいづれが優位であるかといふ問題が提起される。憲法を優位とする「憲法優位説」と、條約を優位とする「條約優位説」とがあるが、帝國憲法においては、憲法優位説が定説であり疑問の餘地はなかつた。帝國憲法下では、法律は帝國議會の協贊を必要とするのに對し(第三十七條)、條約はその必要がなかつたことからして、立憲主義的に成立手續が愼重かつ嚴格に規定されてゐる法律の方が條約に優位すると解される餘地もあり、また、その法律の制定と條約の締結を根據付ける帝國憲法が條約に優位することは當然のこととされた。

しかし、條約には、講和條約と一般條約とがあり、その性質を異にする。一般條約は、「獨立時の平和状態」に締結されるので、それが帝國憲法の下位にあることは當然であるとしても、このことは講和條約についても全く同じであらうか。特に、敗戰によつて敵國の軍事占領下に置かれ國家の自由意思が制限された「非獨時の戰爭状態」で締結される「講和條約」についての議論である。ところが、このことについて、戰前も戰後も全く論じられたことはなかつた。

帝國憲法第十三條は、「廣義の外交大權」を包括して規定したものであり、それには宣戰大權、講和大權及び一般條約大權が含まれるが、それぞれの性質は異なつてゐる。宣戰大權は、外交の究極的形態として、他國(敵國)に對して戰爭の開始を決定し、それを告知する權限であり、それによつて戰爭状態といふ國際法上の法律状態が形成されて戰闘が開始され、その軍事行動のすべては帝國憲法第十一條の統帥大權によつて規律される。そして、その戰爭状態の終結に向けて行使される一切の外交大權が講和大權である。それゆゑ、宣戰大權が行使された後は、軍事的には統帥大權が、國際政治的には講和大權が機能することになる。つまり、講和大權とは、戰爭中における戰爭當事國及びその關係國に對する外交大權であり、平和時又は獨立時の外交大權である一般條約大權とは峻別される。講和大權は、宣戰後になされる一切の外交交渉、その準備行爲、締結準備、講和條約の締結又はその拒絶、講和條約に基づく履行その他の一切の「講和行爲」を包括したもので、最終講和によつて戰爭状態が終了し、その講和條約の履行が完了するまでをその守備範圍とする。つまり、講和條約を締結するまでが講和大權の行使態樣ではなく、その後において、講和條約によつて課せられた義務の履行として、國内系の法令の制定、改廢その他一切の處分なども講和大權に基づく「講和行爲」として、講和大權の行使態樣に含まれる。このことは、一般條約大權の場合も同じであつて、一般條約を締結する權限だけが一般條約大權の發動ではなく、それに至る一切の外交交渉、準備行爲などもその發動によるものである。

ところで、戰爭は、勝利の結果が約束されてゐるものではない。外交に失敗があると同樣に、戰爭には敗戰といふ結果もある。ましてや、その敗戰が他國による征服、國家の滅亡などの致命的な事態も起こりうる。大東亞戰爭は、世界史上最大の思想戰爭であつたことから、停戰後のGHQによる報復は猖獗を極めた。帝國憲法は、安政五年(1858+660)に米、蘭、露、英、佛の五か國と順次締結した不平等條約である安政の假條約を改正して對等の關係を構築することを目指して、弱肉強食の國際社會に歩み出すために國内法體系の頂點の一つとして整へられたものであり、戰爭が外交の究極の形態であることを認識してゐた。それゆゑ、戰爭によつて國家を危殆に瀕する事態を想定し、この講和大權を規定したのであるから、規範國體を破壞せずに國家の同一性を喪失しない限度において、つまり、國體護持のために、規範國體に含まれない帝國憲法の通常の憲法規定を改廢できる權限を講和大權に授權したと解することができる。また、講和條約の内容に規範國體に牴觸する事項が含まれてをり、それを承諾する以外に國家存續のための選擇の餘地がないなどの極限状況である場合には、緊急避難的に一應これを締結した上で、事後において規範國體に牴觸する部分を廢止(排除)させる復元措置を採るべき憲法上の義務を課したものと理解できるのである。

また、條約は、講和條約であると一般條約であるとを問はず、外國との「契約」であるから、その效力は、國際系のみにとどまらず、國内系にも跨つた存在であることを豫定してゐる。この點が、國内だけの「單獨行爲」としてなされる國内系の憲法、法律などの規範と根本的に異なる。さらに、條約は、前述したとほり、原則として國内法秩序への編入措置が必要であるが、例外的に、その内容と性質によつては、そのまま國内系において直接に效力を及ぼす場合もありうる。

さらに、前述のとほり、憲法と條約はいづれが優位かとの議論があるのと同樣に、條約と法律はいづれが優位かといふ條約優位説と法律優位説との議論もある。帝國憲法では、帝國議會の協贊を必要とする法律の方が、それを必要としない條約よりも規範定立手續が嚴格であることからして、法律が優位とする見解もあつたが、天皇大權の序列から考察すると、むしろ、條約優位説が正しいと思はれる。すなはち、廣義の條約大權(講和大權、一般條約大權)は、帝國議會に協贊の權限によつて制約された法律大權とは異なり、帝國議會の協贊といふ制約がない大權であるから、廣義の條約大権の方が法律大權よりも優位であると解されるためである。

以上のことから、これらの關係について、國内系規範の段階的な階層構造を不等式で表示すれば、

規範國體(明治典範を含む正統典範と帝國憲法を含む正統憲法の根本規範部分) > 講和大權 ≧ 講和條約群(ポツダム宣言、降伏文書、占領憲法、桑港條約) ≧ 憲法改正權 ≧ 憲法的慣習法 ≧ 通常の憲法規定部分 > 條約大權 ≧ 一般條約 = 條約慣習法 > 法律 ≧ 緊急敕令 > 政令その他の法令

といふ法體系の圖式となる(=は同等同列の意味である。この圖式中、憲法的慣習法、條約慣習法については、次章で解説する。)

眞正護憲論の特徴その二

第二の特徴は、「帝國憲法と占領憲法の關係について、舊無效論は、これらが同列の二者擇一關係(一元的關係)であるとするのに對し、眞正護憲論(新無效論)は、これらが上下の包攝關係(二元的關係)であることを明らかにしたこと。」といふ點である。

これは、理論的には第一の特徴に含まれてゐるものであるが、新舊の無效論の相違をより鮮明に理解してもらふために注意的にこの點も特徴として指摘したものである。これは、法律的な觀點といふよりも、いささか情緒的で印象的な特徴である。

つまり、舊無效論においては、帝國憲法をとるか、占領憲法をとるか、いづれかの二者擇一の一元的處理で結論を出して一切の決着をつけたいといふ心情が強い。占領憲法を不倶戴天の敵とするのである。

これに對し、眞正護憲論(新無效論)は、憲法として認めるか否かについては同じ心情に立ち、二者擇一で決着を付けることには人後に落ちないが、憲法としては無效である占領憲法を別の地位と待遇で正式に受け入れてやらうといふことである。これは、決して、同情でも節度のない寛容でもない。大げさに言ふつもりはないが、これは然諾を重んずといふ武士道の發露に似た心情である。

確かに、後述するとほり、舊無效論でも、「占領憲法は占領管理法に過ぎない」といふ「法律説」見解もあるが、それは、どちらかと云へば、正式な法律としての地位ではなく、「法律もどき」と揶揄して引かれ者のやうな待遇をして扱つてゐる。會社の場合を例にとれば、舊無效論は、「占領憲法」といふ名の人物を「代表取締役」の地位として迎へることはできないし、單なる「平取締役」としても、さらには正式の「社員」(從業員)としても認められないとする。少し寛容な考へになつたとしても、役員待遇といふか、準役員と云ふやうな顧問かオブザーバーのやうな程度なら暫定的に認めてやろうといふところである。そして、その暫定的な地位については、會社の創立記念日には失效したり、出て行けとか、辭めろと言ひ渡されたら出て行かねばならない。しかし、これには、他の役員や社員などは黙つてはゐない。占領憲法といふ名の人物がこれまでやつてきた仕事や社員の採用などはどうなるのか、といふ批判である。これが後で詳しく述べることになる法的安定性についての疑問と不安である。

しかし、それに對し、眞正護憲論(新無效論)は、代表取締役として認めないのは當然としても、正式に「平取締役」として認めようといふのである。しかし、外國人の取締役であることから、在留資格の關係や、何らかの理由で國外追放になる場合はその地位を失ふが、取締役はあくまでも取締役であり、會社の決まり事には必ず從つてもらふ。明確にその地位を認める代はりに、その地位と序列を認識してもらふことである。

眞正護憲論(新無效論)とは、占領憲法が講和條約に轉換して成立はしたが、有效要件である時際法的處理がなされてゐないので、未だ發效してゐない状態にはあるが、それは單なる無效ではなく、有效化の可能性があるといふ意味で、有效論と無效論の「中間形態」に位置づけられ、あるいは「廣義の有效論」に分類されうるのであり、無效論と有效論といふ素朴で單純な分類では區分しにくい見解であるといふ「特徴」があるといふことになる。

眞正護憲論の特徴その三

第三の特徴は、「ポツダム宣言の受諾と降伏文書の調印によつて獨立を喪失し、桑港條約の締結によつて獨立を回復するまでの非獨立占領統治時代になされた行爲は、いづれも帝國憲法第十三條の講和大權に基づいて締結された一連の講和條約群であることを眞正護憲論(新無效論)が明らかにしたこと。」である。

これは、ポツダム宣言の受諾と降伏文書の調印といふ「獨立喪失條約」によつて獨立を喪失し、桑港條約といふ「獨立回復條約」によつて獨立を回復するまでの一連のものを「講和條約群」と捉へ、その中間に位置するものとして、占領憲法といふ中間の講和條約が締結されたものと認識することである。

これを視覺的に説明すれば、非獨立占領統治の暗黑時代をトンネルに見立て、この「非獨立トンネル」の入口に獨立喪失條約といふ「入口條約」があり、出口に獨立回復條約といふ「出口條約」があるといふことであり、このことが後に述べる理由によつて、その中間に占領憲法といふ「中間條約」(東京條約、占領憲法條約)を位置づけることができることになつた。そして、このトンネル内の期間になされた一切の行爲は、占領憲法を含め、すべてが一連の講和條約群(講和條約及び講和行爲の總體)であると認識できることとなつたのである。

眞正護憲論の特徴その四

次に、第四の特徴は、「交戰權とは、宣戰大權、講和大權及び統帥大權が統合された權利であり、戰爭状態の終結を約した桑港條約、日華平和條約、日ソ共同宣言、日中共同聲明といふ各講和條約の締結と日華平和條約の破棄は、いづれも帝國憲法第十三條に基づくものであつて、交戰權が認められない占領憲法に基づくものではないこと、そして、これによつて帝國憲法は各講和條約の締結時點においても實效性を有してをり、今もなほ現存してゐる反面、占領憲法には今もなほその實效性がないことを眞正護憲論(新無效論)が明らかにしたこと。」である。

これは、帝國憲法の現存證明を果たしたといふ重要な意義を持つものである。これまで、占領憲法が無效であるか否かの議論に集中したものの、では、はたして帝國憲法は現存してゐると云へるのか、實效性を喪失してゐるのではないか、そして、占領憲法には實效性が備はつてゐるのではないか、との疑問に對し、舊無效論は全く答へてこなかつたが、眞正護憲論(新無效論)は、これらに正面から答へたことになる。

有效論によると、桑港條約の締結は、帝國憲法から主權の委讓を受け、あるいは、その他の何らかの根據により成立した占領憲法下の政府によつてなされたのであるから、内閣の條約締結權を定めた占領憲法第七十三條第三號に基づくものであるとする。それゆゑ、帝國憲法第十三條の講和大權に基づくものであるとする眞正護憲論(新無效論)の主張とは前提を異にするもので相容れないのではないかとの疑問が生ずるのも無理からぬところである。

しかし、内閣の權限は、國家の有する權限の範圍内のものであつて、占領憲法の豫定する國家の權限には、講和條約の締結權限はない。有效論が根據とする内閣の條約締結權とは、平時における一般の條約に關するものを意味するのであつて、講和條約の締結權を意味しないのである。

なぜならば、占領憲法第九條第一項で戰爭放棄を規定し、同條第二項後段には、「國の交戰權は、これを認めない。」とあるため、交戰權を有しない國家には、交戰(宣戰から講和まで)に關する一切の權限がないからである。

桑港條約第一條には、「日本國と各連合國との間の戰爭状態は、第二十三條の定めるところによりこの條約が日本國と當該連合國との間に效力を生ずる日に終了する。連合國は、日本國及びその領水に對する日本國民の完全な主權を承認する。」として、同條約の效力發生日(昭和二十七年四月二十八日)までは、我が國には「完全な主權」がなく、隷屬状態(subject to)であり、未だ「戰爭状態」にあつたのである。

「戰爭状態」であるといふことは、戰爭は終結してゐないといふことであつて、交戰權のない國家がその終結のための戰爭講和をする權限もまた「交戰權」に含まれるのであるから、占領憲法を前提とすること自體に決定的な矛盾がある。また、戰爭を放棄した國家が、桑港條約によつて戰爭状態を肯定したことも大いなる矛盾である。

ところで、この「交戰權」の概念について、現在の議論では、廣義と狹義の區別があるとされる。廣義では、文字通り、「國家が戰爭を行へる權利」であり、帝國憲法第十三條の宣戰大權から講和大權に至るまでの一體的な權利であつて、いはば、戰爭の初めから終はりまで(宣戰から講和まで)を支配するものである。また、狹義では、「戰時において交戰當事國に與へられる國際法上の諸權利(船舶の臨檢・拿捕、貨物の没收など)」であり、この區別は古典期(皇紀二十三世紀、二十四世紀。西紀十七、十八世紀)の近代國際法以來の區別であつて、現在の國際法の用例では、交戰權(rights of belligerency)を狹義の意味として用ゐてゐるとの見解がある。

そして、政府のこれまでの見解は、占領憲法第九條第二項後段の「交戰權」は狹義の意味であるとする見解(狹義説)に立つてゐる。たとへば、昭和五十五年五月十五日の稻葉誠一衆議院議員の質問趣意書に對する答辯書における政府見解は、第九條第二項の交戰權とは、「戰いを交える權利という意味ではなく、交戰國が國際法上有する種々の權利の總稱」を言ふとされ、相手國領土の占領及び占領行政などを例示したのである。しかし、同條第一項の「戰爭放棄」は戰爭の事實及び權利の放棄(事實上の禁止と法律上の禁止)であつて、廣義の交戰權を放棄してゐると解釋されてきた。つまり、占領憲法第九條第二項の「交戰權」を廣義に解釋する見解(廣義説)はもちろんのこと、これを狹義に解釋する見解(狹義説)であつても同條第一項により廣義の交戰權も放棄したとされるのであるから、いづれの見解によつても、占領憲法は、廣義の交戰權を放棄してゐることには變はりはないのである。

ところで、これらの解釋論爭に關する本質的な問題を檢討するとすれば、この「交戰權」といふ用語は、後述するとほり、本來は政治用語であつて法律用語ではないことに留意せねばならないのである。廣義説とか狹義説といふ區分も、占領憲法の制定後に、憲法業者らが後付けで解釋論を展開した屁理屈である。といふのも、これまでの戰時國際法において、「交戰權」なる法律用語は存在してゐない。『戰爭抛棄ニ關スル條約』(不戰條約)にも、『陸戰ノ法規慣例ニ關スル條約』(ヘーグ條約)とその條約附屬書にも、「交戰權」(rights of belligerency)の用語はなく、ここにあるのは、「交戰者」、「交戰當事者」、「交戰國」、「交戰軍」の用語例だけである。「交戰權」の用語は一切なかつたのである。嚴密に言へば、「交戰權」(rights of belligerency)と「交戰國の權利」(belligerent rights)とは異なる。後者は、まさに「交戰國が國際法上有する種々の權利の總稱」(前掲政府答辯)であるが、これを前者の交戰權と同じであるとすることはできない。交戰權とは、「交戰國」となりうる權利(能力)であつて、その交戰權があることを前提として交戰國の權利が認められるといふ關係にある。つまり、交戰權がないといふことは、國際法上、戰爭行爲の主體としての國家としては認められないことを意味する。事實上の戰闘行爲がなされたとしても、それは國家の戰爭行爲(交戰)としては國際法上認められず、私人または私團體の「私戰」とみなされるといふことである。これに對して、交戰權があるが交戰國の權利がないといふことは、その戰爭は「私戰」ではなく「交戰」と認められるが、國際法上において、交戰國としての個々の權利行使として否定されることがあるといふことである。この相違は、いはゆる集團的自衞權で議論されてゐるやうに、自衞權としての權利があるか否かといふことと、自衞權としての權利はあるがその行使を認められるか否かといふ議論の立て方と同じことである。

それゆゑ、「交戰權」(rights of belligerency)の解釋をするについては、「交戰國の權利」に關する廣義説と狹義説の區分を用ゐることはできず、また、そのいづれかに限定されることもないのである。そもそも「交戰權」の概念は、その定義も内容も不明確なものであり、國際法上の概念としても確定してゐない。これを國際法上において、廣義説と狹義説とがあり、そのいづれかに限定されるといふのは、法匪の唱へる真赤なウソの主張である。「交戰權」といふのは、占領憲法に於いて初めて登場した「用語」であり、これについては素直な國語的解釋をすればよい。まさに「宣戰を告知して交戰を開始し、個々の戰闘を繼續または停止して交戰を終結させ、講和の締結に至るまでの一連の國家的行爲(戰爭を用ゐた廣義の外交行為)をなしうる一切の權利」のことであると率直に理解すればよいのである。そもそも、憲法の用語解釋は、憲法学者(憲法解釋業者)に獨占された專權事項ではない。憲法の權威者であると自惚れてゐる者たちのみで構成された「閉鎖社會」にだけ憲法解釋の特權が與へられ、その特殊で難解な用語解釋に一般の人々がすべて拘束され、國家の意志もこれに從はなければならないとすれば、そのやうなこと自體が「憲法違反」の解釋に他ならないことは多言を要しない。

次に、放棄したとする「國權の發動たる戰爭」といふのは、當然に「自衞戰爭」を含むものである。自衞とは、國權の發動の最たるものであつて、假に、第九條第一項でこれが放棄されてゐないとする牽強附會の見解に立つたとしても、占領憲法は、連合國に對する詫び證文(反省文)であり、その前文で大東亞戰爭が「侵略戰爭」であつたとして指彈するのであるから、侵略戰爭であるとされる大東亞戰爭の最終段階における交戰權の行使である講和ができるはずもない。「平和を愛する諸國民の公正と信義に信賴して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」(前文)のであるから、交戰権も自衞權も放棄したことになる。占領憲法が憲法として有效であるとの立場であれば、永久に講和はできず、そして獨立はできないことになるはずである。

このやうに、交戰權の意味について、政府や學者など多くの講釋師が登場してまことしやかな説明が試みられてゐるが、この用語は、昭和二十一年二月三日にマッカーサーがGHQ民政局(GS)へ『日本國憲法草案』(GHQ草案)の作成を指示した際に、その内容の骨子として示した『マッカーサー三原則(マッカーサー・ノート)』に初めて登場した「政治用語」であり、これまでの法律用語としては通用してゐなかつたことをひた隱しにしてゐる。

その部分に該當するマッカーサー・ノートの内容は、第二章で示したとほり、「War as a sovereign right of the nation is abolished.」(國家の主權的權利としての戰爭を放棄する。)、「Japan renounces it as an instrumentality for settling its disputes and even for preserving its own security.」(日本は、紛爭解決の手段としての戰爭、および自國の安全を保持するための手段としての戰爭をも放棄する。)、「It relies upon the higher ideals which are now stirring the world for its defense and its protection.」(日本は、その防衞と保護を、今や世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。)、「No Japanese army, navy, or air force will ever be authorized and no rights of belligerency will ever be conferred upon any Japanese force.」(いかなる日本陸海空軍も決して保有することは、將來ともに許可されることがなく、日本軍には、いかなる交戰者の權利(交戰權)も決して與へられない。)といふものであり、ここに明確に「rights of belligerency(交戰權)」といふ用語が登場したのである。それが占領憲法の英語公文の表現(英文官報の表現)では、「The right of belligerency」となつたが、全く同じ意味である。これは、自衞戰爭も一切認めないといふ徹底したもので、狹義説とか廣義説といふやうな生やさしいものではない。「no rights」(いかなる交戰の諸權利も一切認めない)といふのであるから、そもそも戰へないし(宣戰權不保持)、これに違反して不法に戰つた國家に講和條約を締結できる權利が與へられるはずもないこと(講和權不保持)は當然のことなのである。

つまり、占領憲法は、これを受けて、戰爭を始め(宣戰權)、戰闘を遂行又は停止し(統帥權)、戰爭を終結して講和を締結すること(講和權)に至るまでの一連の行爲を「交戰權」と規定したことに他ならないのである。

そして、占領憲法では、戰爭を放棄し、この交戰權が認められてゐないにもかかはらず、その施行時には未だに「戰爭状態」が終はつてゐなかつたことになるので、これは占領憲法の致命的な矛盾であり、その施行當初から憲法としての實效性がなかつたことになる。つまり、大東亞戰爭を宣戰して戰闘を遂行し、ポツダム宣言を受諾し降伏文書に調印して停戰し、その結果獨立が奪はれて軍事占領に置かれ、その後に講和條約を締結して戰爭状態を消滅させ獨立を回復するまでの一連の行爲は、帝國憲法の宣戰大權(第十三條)、統帥大權(第十一條)、講和大權(第十三條)を根據とするものであつて、講和條約締結時においても、帝國憲法には憲法としての實效性があつたことになる。

ところで、國際法上、軍事占領下の非獨立國であつても例外的に獨立を回復するための講和條約を締結できるが、一般の條約は締結できない。もし、講和條約の締結についてのみ唯一この例外を認めないと、非獨立國は永久に獨立することができなくなる。非獨立國が締結する講和條約は常に無效(又は不成立)となり、桑港條約も無效となつて我が國は未だに獨立してゐないことになる。一般には、非獨立國は國家とは言へず、講和條約以外の一般條約を締結できる當事國能力がなく、條約を締結しうる主體とはなりえないからである。從つて、桑港條約の締結權を、獨立國であることを前提とするはずの占領憲法第七十三條第三號に求めることはできない。

ましてや、交戰權が否認された占領憲法では、獨立後と雖も交戰權行使の歸趨にかかる講和條約は締結できないのであるから、獨立前においては尚更のことである。占領憲法によつて内閣に附與された條約締結權は、國家がなしうる權限を越えて存在しえない。それゆゑ、交戰權の歸趨にかかる講和條約の締結を有效になしうるのは、帝國憲法第十三條以外にありえないのである。よつて、次章で述べるとほり、我が國は、帝國憲法下で獨立し、帝國憲法が最高規範たる憲法として今もなほ現存し、その下位法令として占領憲法といふ講和條約の性質を持つ國際系の法令に轉換し、さらにその國内系秩序への編入について時際法的處理がなされてゐないために、憲法的慣習法として存在しうるに過ぎないことが國法學的に證明されてゐることになる。

さらに、その他の戰爭當事國であつた中華民國とソ連についても考察すると、まづ、我が國は、中華民國政府(臺灣)との間で、昭和二十七年四月二十八日、我が國が桑港條約の發效により「戰爭状態」を終了させ獨立を回復させた七時間三十分前に、『日華平和條約』(資料三十八)を調印してゐる。これも、嚴密には獨立回復前になされた講和條約である。そして、この日華平和條約の第一條にも「日本國と中華民國との間の戰爭状態は、この條約が效力を生ずる日に終了する。」とあり、同年八月五日に發效して中華民國との戰爭状態は終了した。

また、最後の戰爭當事國であつたソ連との間でも、昭和三十一年十月十九日に『日ソ共同宣言(日本國とソヴィエト社會主義共和國連邦との共同宣言)』(資料三十九)を調印し、その第一條にも「日本國とソヴィエト社會主義共和國連邦との間の戰爭状態は、この宣言が效力を生ずる日に終了し、兩國の間に平和及び友好善隣關係が回復される。」とあり、同年十二月十二日の發效によりソ連との戰爭状態は終了した。

ところがである。日華平和條約は、昭和四十七年九月二十九日、田中角榮内閣による中共(中華人民共和國)との「日中復交」によつて破棄された。その破棄のための交渉や破棄の手續は一切なく、大平正芳外相の「日華平和條約はもはや存在しません」と言明だけで破棄したのである。日華間の「戰爭状態」を終了させた第一條のみを除外して破棄することなく、これを含めて全面的に破棄したのであるから、日華間の「戰爭状態」は復活することになる。戰爭状態の復活は、新たな宣戰通告であるから宣戰大權の行使によらなければならず、これは帝國憲法では可能であるが、占領憲法では到底不可能である。それどころか戰爭状態の復活は、交戰權の行使であるから、占領憲法が憲法であれば、その第九條に違反することになる。

なほ、日華平和條約の破棄の前提となつた同日の『日本國政府と中華人民共和國政府の共同聲明』(日中共同聲明)においても、その前文で「戰爭状態の終結」を謳ひ、第一條で「日本國と中華人民共和國との間のこれまでの不正常な状態は、この共同聲明が發出される日に終了する。」とした。中共は、ポツダム宣言受諾後である昭和二十四年の建國であるから、大東亞戰爭の戰爭當事國ではないとしても、支那事變で戰闘状態となつてゐた八路軍(中國共産黨軍)が建國中樞となつた國家であるから、それとの戰爭状態(戰闘状態)の終結も必要であつた。そして、この戰闘状態(不正常な状態)の終結を爲すことも、講和大權の發動であるから、交戰權のない占領憲法では不可能であり、これも帝國憲法に基づくことになる。

つまり、戰爭状態を終了させる講和條約を締結する行爲とその講和條約を破棄して戰爭状態を復活させる行爲は、いづれも帝國憲法の講和大權に基づくものであるから、帝國憲法の實效性は、日華平和條約の破棄と日中共同聲明がなされた昭和四十七年九月二十九日の時點でもその存在が客觀的に證明されてゐる。そして、その反射的效果として、その時點でも占領憲法には實效性がなかつたことが證明されてゐるのである。

さらに、最高裁判所は、一般論としても、戰前の領土割讓や併合に因つて日本國籍を取得した者は桑港條約發效によつて日本國籍を喪失する(昭和四十年六月四日判決)と判斷し、臺灣についても、大法廷判決(昭和三十七年十二月五日)は、日華平和條約第二條により日本が臺灣に對する權利を放棄したことにより、臺灣人は本條約の發效日に日本國籍を喪失したと判斷したが、この破棄によつてどうなるのかも未だ判斷が示されてゐない。少なくとも「臺灣關係法」を制定して、これらの諸問題を解決する義務が我が國にあるのに、その違法な不作爲状態がいまもなほ續いてゐるのである。

第二章で述べたとほり、占領憲法は施行當初から「戰爭状態」のまま成立し、しかも、昭和二十五年七月八日に、警察豫備隊七萬五千人の創設と海上保安員八千人增員を命じたマッカーサー指令に始まつて、同年十月十七日には朝鮮戰爭の戰闘地域に特別掃海隊を極秘のうちに派遣して日米共同軍事作戰に參加して參戰し、戰死者一名も出した上、警察豫備隊から保安隊、そして自衞隊へと改組された軍隊が存在する。なほ、占領憲法が憲法として有效ならば、自衞隊は違憲であるが、眞正護憲論(新無效論)では、帝國憲法に照らして合憲の存在である。

さらに、日ソ共同宣言が發效した昭和三十一年十二月十二日から、日華平和條約が破棄される昭和四十七年九月二十九日までの十六年餘の期間は、「大東亞戰爭」の戰爭状態は終了してゐたが、その後は中華民國(臺灣)との間では戰爭状態が復活するといふ事實關係からして、占領憲法には、當初から現在まで全くその實效性はなかつた。なほ、昭和四十七年九月二十九日の日中共同聲明により大東亞戰爭に含まれる支那事變の戰闘状態が終了して、完全に大東亞戰爭の全ての戰爭状態が終了したとする見解に立つとすれば、この直後である同日に日華平和條約が破棄されて、中華民國との間では戰爭状態が復活したことになつたので、大東亞戰爭の戰爭状態は、ほぼ間斷なく未だに終結してゐないことになる。つまり、いづれの見解に立つたとしても、現在でも戰爭状態は繼續してゐるのである。

そして、このことは、逆に、帝國憲法に實效性が現在も存續してゐることの證明がなされたことでもある。

さらに附言するに、桑港條約の締結について、一部講和か全面講和かが爭はれ、一部講和といふ選擇がなされた點は政治的には正しかつた。しかし、これを憲法學的にみれば、占領憲法が憲法として有效である立場からすると、桑港條約は一部講和であるので、桑港條約は明らかに違憲となる。なぜならば、一部の戰爭當事國と講和するといふことは、殘りの戰爭當事國とは講和しないといふ國家行爲であつて、その限度で戰爭状態を繼續するといふ不作爲の國家行爲(戰爭繼續行爲)がなされることであるから、「交戰權の行使」に該當し違憲となるからである。戰爭を終結させることは、その外交交渉も含めて交戰權の行使である。戰爭を終結するのはあくまでも結果論であつて、その外交交渉の過程は戰爭状態の繼續である。外交交渉が決裂すれば、戰爭状態が繼續したままである。それゆゑ、桑港條約によつて一部講和が實現したといふ結果論を以て、桑港條約の締結は「交戰權の行使」に該當しないといふのは詭辯以外の何ものでもない。假に、このやうな詭辯的見解に立つたとしても、一部講和の桑港條約を締結することは、これによつて講和しない交戰國(たとへばソ連など)と戰爭状態を繼續させる行爲となつて明らかに違憲であり、我が國は、「憲法に違反して獨立した」といふ忌まはしい國辱の歴史を刻んだといふことになつてしまふ。有效論者はそこまで言ひ切る覺悟があるのか。

また、これ以外にも、帝國憲法が現存してゐることの状況證據がある。それは、紀元節が復活したこと、退位がなく皇統が繼續したこと、元號(昭和)の變更がなかつたこと、それ以後も元號制度が繼續してゐることなど、國體の存續を示す事實が存在してゐることである。後述する革命有效説や正當性説などの有效説であれば、これらの事實は到底容認できないはずである。

もし、占領憲法が憲法として有效であれば、交戰權が否定されてゐることから、論理的には桑港條約が無效であり、今もなほ我が國は獨立してをらず、非獨立状態(占領状態)が存續してゐることになる。交戰權の否定こそが占領憲法の要諦であり、これが維持されなければ「護憲」の本願が達成できないとする原理主義的な占領憲法擁護論であれば、桑港條約の無效を主張をしなければ論理一貫性がなくなる。もし、桑港條約を認めれば、交戰權を肯定することになり、憲法破壞となるからである。桑港條約を認めるのであれば、滿洲事變において、昭和六年九月二十一日、宣戰大權(帝國憲法第十三條)を簒奪してその大命(宣戰の詔敕)を待たずに朝鮮駐屯軍を獨斷で越境させて滿洲に侵攻させた林銑十郎中將の軍事行動と、これを同日の内閣の閣議で「事變とみなす」として事後承認(追認)決議した行爲とを非難する資格は全くなくなる。つまり、占領憲法有效論であれば、「獨斷越境司令官」と揶揄された林銑十郎中將の軍事行動を事後承認した内閣の行爲は、交戰權のない占領憲法下の内閣が桑港條約を締結した占領憲法違反行爲と比肩されるべき行爲に他ならないからである。これは、將來においても、交戰權がないのに自衞隊が勝手に對外的に軍事行動を起こし、その有利な戰果を上げたことを踏まへて、その獨斷專行を追認するといふ御都合主義的な手法を將來において認める餘地を孕んでゐる。これでは、自衞隊が超法規的行動として行ふ軍事的暴走を阻止できない。むしろ、この見解は、その暴走を容認する論理となつてしまふのである。

このやうに、交戰權が否定されてゐる占領憲法によつては桑港條約の有效性、獨立の根據を肯定できないことが濳在意識として埋め込まれてゐるために、占領憲法を擁護するハーメルンの笛吹き男たちの多くは、強烈な對米從屬などの心理的かつ情緒的傾向が顯著であり、現象的には我が國が未だに獨立してゐない植民地ないしは屬國であることを暗黙の前提とした樣々な言説を撒き散らしてゐるのである。いづれにせよ、このやうな現象は、韓半島の宿痾と同樣の「屬國のノスタルジア」(屬國病)の情緒と感情であり論理の所産ではない。

法律學や政治學は、「論理」を基軸に構築されるものであつて、これを無視して「情緒」だけで左右されてはならない。このことは、占領憲法の有效論と無效論との論爭、舊無效論と眞正護憲論(新無效論)との論爭においても同樣である。つまり、占領憲法の根幹ともいふべき「交戰權」に關しても、桑港條約の締結權限が占領憲法に存在するのか否かといふ觀點が有效論や舊無效論にはなく、眞正護憲論(新無效論)が初めて明らかにしたのである。そのことを踏まへて考察すれば、やはり占領憲法には憲法としての實效性がなく、帝國憲法に實效性がいまもなほ存續してゐることが明らかになつてくるのである。

眞正護憲論の特徴その五

第五の特徴は、「占領統治下におけるポツダム緊急敕令及びこれに基づくポツダム命令の法的意義と效力に關して、眞正護憲論(新無效論)のみが最高裁判所の判例と整合性を有する唯一の見解であることを明らかにしたこと。」である。

前述のとほり、ポツダム緊急敕令及びこれに基づくポツダム命令(以下これを前例のとほり「緊急敕令等」といふ。)について、最高裁判所は、占領下の昭和二十三年六月二十三日の前掲大法廷判決において、新舊いづれの憲法においても有效であると判示した。さらに、獨立回復後の昭和二十八年四月八日大法廷判決において「日本國憲法にかかわりなく憲法外において法的效力を有するものと認めなければならない。」とし、さらに、「連合國最高司令官の意思表示が要求であるか又は單なる勸告又は示唆に止まるものであるかは、その意思表示が文書を以てなされたか口頭によつてなされたか、或は指令、覺書、書簡等如何なる名義を以てなされたかというような形式によつて判定さるべきではなく、意思表示の全體の趣旨を解釋して實質的に判斷されなければならない。」と判示した。また、占領憲法の無效確認を求めた訴訟について、最高裁判所昭和五十五年五月六日第三小法廷判決は、「裁判所の有する司法權は、憲法七十六條の規定によるものであるから、裁判所は、右規定を含む憲法全體の效力について裁判する權限を有しない。」と説示した。

結論を先述すれば、占領憲法によつて設置された機關である最高裁判所のこれらの判斷は、有效論や舊無效論の見解と整合性を有しないことになる。

緊急敕令等が「新舊いづれの憲法においても有效」であり、「日本國憲法にかかわりなく憲法外において法的效力を有する」といふことは、少なくとも帝國憲法は、占領憲法施行後も併存して法的效力があり、しかも、それは「(占領)憲法外(である帝國憲法)において法的效力を有する」ことになる。「新舊いづれの憲法においても有效」といふことは、帝國憲法と占領憲法との「同時存在」を肯定したことであり、かつ、緊急敕令等は、舊憲法第八條所定の要件を逸脱せず「まことに已むことを得ないところ」であつて、「連合國最高司令官の・・・意思表示の全體の趣旨を解釋して實質的に判斷」して有效であるとしたのであるから、緊急敕令等は帝國憲法のみがその存在根據を與へ、しかも占領憲法と併存するとしたことを意味する。

さうであれば、帝國憲法と占領憲法とが不倶戴天の二者擇一の關係にあり、占領憲法のみが最高規範としての憲法の效力を有するとする「有效論」も、これらの判例との整合性を缺くことになる。また、同樣に、最高裁判所が占領憲法の效力を認めてゐる限度においては、舊無效論とも整合性はない。それゆゑ、論理必然的に、「新舊いづれの憲法においても有效」として帝國憲法と占領憲法との「同時存在」を肯定する最高裁判所の確定判例と整合性を有する唯一の見解は眞正護憲論(新無效論)以外はありえないといふことに歸結するのである。

そもそも、占領下でなされたGHQの直接的な指令や緊急敕令等による間接的な指令によつてなされた一切の占領統治政策は、悉く占領憲法の規定からしても容認できないものばかりである。檢閲、公職追放、政治的意思形成の制限、言論統制、勞働運動の制約など枚擧に暇がない。中でも、農地改革や財閥解體などは、明らかに共産化政策による弱體化政策であることは多言を要しない。これらは、帝國憲法においては、講和の條件を履行し、早期に獨立回復を實現するためにやむを得ない措置として容認できても、占領憲法では、決してこれらは容認できず、過去に遡つて原状回復措置がなされるべきといふ結論に至るはずである。占領憲法の有效論者が誰一人として、農地改革や財閥解體などが占領憲法に違反することを主張して、その原状回復を求めないのは、明らかな矛盾である。占領憲法に違反する状態が放置されてゐること自體が、そもそも占領憲法には實效性がないことを自認したことの證明に他ならない。

すなはち、帝國憲法と占領憲法とは、私有財産制の制度保障を規定する點において共通するものの、その趣旨と規定内容を異にしてゐるからである。帝國憲法第二十七條第一項では「日本臣民ハ其ノ所有權ヲ侵サルヽコトナシ」とし、占領憲法第二十九條第一項では「財産權は、これを侵してはならない。」として、いづれも制度的保障を謳ふ點においては共通してゐる。しかし、帝國憲法では、第二十七條第二項で、「公益ノ爲必要ナル處分ハ法律ノ定ムル所ニ依ル」とするのに對し、占領憲法では、第二十九條第二項で「財産權の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。」とし、同第三項で「私有財産は、正當な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」と定めてゐる點に重大な差異が生じてゐる。つまり、帝國憲法では有償か無償かを問はず「公益目的處分」が可能であり、その處分によつて取得された財産の利用と處分については制限がないのに對し、占領憲法では、法律によつても公益目的處分をすることができず、かつ、「有償」で收用することが義務付けられ、しかも、その利用と處分については、第八十九條と相俟つて「公共性」といふ制約があるからである。

これを踏まへて、農地解放と財閥解體を檢討すると、これらはいづれも帝國憲法においては、講和獨立の早期締結のために、過渡的な講和條件を履行するためのものとして有效であると解釋しえても、占領憲法では、農地解放も財閥解體も到底容認しえないものである。地主から農地を收奪して小作農に讓渡し、あるいは財閥を解體してその支配財産を没收し他に分與するなどは、政策上の「公益性」があるとしても、「公共性」は全くない。「公共利用」といふ制約からすれば、その收奪された財産權は國か自治體に歸屬させて國營、公營で運用されなければ占領憲法に明らかに違反することになる。それゆゑ、占領憲法が最高規範としての憲法として有效であるとする「有效論」では、この明白な違憲状態を直ちに原状回復させなければ、占領憲法の實效性がないことを認めることになるのである。

また、これと同樣に、第五章で述べるとほり、漁業權の設定は、占領憲法第二十九條第三項による「補償條項」により、將來において軍港を再設置することを困難ならしめ再軍備を阻止させる目的でなされたGHQ政策によるものであり、公の財産に漁業權を實質的に無償で設定して讓渡することは、公の財産の處分と利用を制限した占領憲法第八十九條に違反することになる。

つまり、「有效論」では、現在の農業と漁業の根幹的な法律状態を否定して原状回復を求めなければならないことになる。さうでなければ、最高規範としての實效性も整合性もなくなる。ところが、有效論は、これを黙認してゐる。このこともまた、占領憲法には最高規範としての實效性がなかつたことを認め續けてきたことになるのである。しかし、眞正護憲論(新無效論)によれば、農業者と漁業者の權利状態を始源的に承認し、決して原状回復を求めることはなく、法的安定性は維持されることになるのである。

このやうに、占領憲法が最高規範であることを前提とすれば、農業、漁業その他の基軸産業全體に大きな變更をもたらしたGHQ政策は違憲無效であつて、直ちに原状回復を求めなければ、占領憲法の最高規範性は保たれないことになる。つまり、憲法としての實效性を喪失してゐるとといふことは、憲法の最高規範性が消滅してゐることを意味するのである。しかし、これを回避して法的安定性を維持し、前掲の最高裁判所の判斷と整合性を保ちうる見解は、やはり眞正護憲論(新無效論)しかない。むしろ、有效論や舊無效論は、論理的歸結として、このやうな法的安定性を害する主張を孕む見解なのである。

後にも述べるが、「無效論は法的安定性を害する」との風説は、眞正護憲論(新無效論)には全く當てはまらない謬説であり、眞正護憲論(新無效論)はこの風評被害を受けてゐるのであつて、「有效論」と「舊無效論」こそが法的安定性を害する見解であることを再認識されなければならないのである。

眞正護憲論の特徴その六

第六の特徴は、「眞正護憲論(新無效論)は、帝國憲法第七十五條を基軸として、占領憲法が憲法として無效であることを理由付け、同時に、明治典範廢止の無效、占領典範の制定の無效を明らかにしたこと。」である。

これは、すでに第四節及び第五節で述べたとほりであるが、附言すれば、舊無效論は、帝國憲法第七十五條違反を根據とせず、主としてヘーグ條約違反を主張してきた。ただし、井上孚麿は、帝國憲法第七十五條について言及したものの、それを無效論の獨立した理由の一つとして擧げなかつた。また、小山常実は近著において、これを主張するに至つた。

このやうに、舊無效論の中でも、帝國憲法第七十五條を主張する論者も居たが、これまで有效論が無效論を批判してきたのは、主としてヘーグ條約違反の點に集中してゐた。もし、舊無效論が帝國憲法第七十五條を基軸として論旨を展開してきたといふのであれば、有效論がヘーグ條約違反の點や帝國憲法第七十三條違反の點についてのみ無效論を批判するのは的外れである旨の再反論をすべきであつたのに、それがこれまで全くなされてゐなかつた。このことは、やはり、帝國憲法第七十五條違反を基軸とする意識に缺けてゐたと云はざるをえないのである。

そもそも、ヘーグ條約違反を犯したのはGHQであり、我が國ではない。それゆゑ、占領憲法が講和條約でないとすれば、國内的な立法行爲であり、對外的には「單獨行爲」といふことになる。そして、それがヘーグ條約違反を犯したGHQの強迫によるものであるから、舊無效論としては、國内的立法行爲(單獨行爲)における意思の欠缺で無效ないしは瑕疵ある意思表示として取消しうるとするのであらうが(民法第九十八條參照)、このヘーグ條約違反を理由とするだけでは、占領憲法の無效理由を根據付けることはできない。

ケルゼンの言ふとほり、法規の效力的序列において、憲法と條約とのいづれが優先する(上位にある)のかといふ點については、憲法優位説が通説であるから、下位のヘーグ條約に違反するとの事由によつて、どうして上位の帝國憲法が無效になるのかといふ點について説明しえない致命的な缺點が舊無效論にはある。この缺點を回避しようとすれば、條約優位説に依らざるを得ない。しかし、「世界國家連邦」が實現してゐない現在の國際社會にあつては、當然に主權國家の獨立と安全とが維持されなければならず、國際協調のために努力することは國家の責務でもあるが、國家の存立基盤は、その憲法の根本規範であるから、たとへ「確立された國際法規」であつても、根本規範の部分より優位となることはありえない。ましてや、帝國憲法第十三條の講和大權ではなく、同じ條文で竝列的に定められた一般條約大權に基づき、獨立時の平和状態に平穩に締結された一般條約たるヘーグ條約が憲法規範よりも優位するとするのは、帝國憲法の解釋からしてもあり得ないし、そのやうに解することは法の自殺行爲であつて法秩序の混亂を來すことになる。つまり、占領憲法の制定(帝國憲法の改正)が、變局時ではない通常時に帝國憲法第十三條の一般條約大權に基づいて締結したヘーグ條約に違反するとしても、それがどうして上位規範である帝國憲法の改正までを無效とすることになるのかといふ疑問である。憲法よりも條約の方が效力において優位するとの條約優位説を採るか、あるいは、ヘーグ條約が憲法と同等の地位にあるとしなければ、この結論は導き出せないのである。

また、舊無效論は、帝國憲法第七十五條を明確な根據としてこなかつたので、眞正護憲論(新無效論)のやうに、明治典範廢止の無效、占領典範制定の無效を導き出すことが、これまでできなかつたのである。

眞正護憲論の特徴その七

第七の特徴は、「眞正護憲論(新無效論)は、帝國憲法第七十六條第一項は、『無效規範の轉換』の法理を示す評價規範であることを明らかにし、これによつて、占領憲法は帝國憲法第十三條に基づく講和條約(東京條約、占領憲法條約)として評價され、一連の講和條約群の中間に位置するものであるとしたこと。」である。

帝國憲法第七十六條第一項は、「法律規則命令又ハ何等ノ名稱ヲ用ヰタルニ拘ラス此ノ憲法ニ矛盾セサル現行ノ法令ハ總テ遵由ノ效力ヲ有ス」と規定する。この規定の性質について、これを「有效解釋の原則」を規定したものとの見解がある。立法者の意思を尊重して、不備や輕微な違反があつたとしても、できるかぎり有效と解釋せよとの原則のことである。これも評價規範の作用に屬するものではあるが、評價規範は、必ずしも有效に解釋せよとの「方向性」が定まつたものではない。成立要件である行爲規範の基準とは別個に、有效か無效かを評價するといふものであつて、「初めに結論ありき」の方便のためのものではない。

あくまでも、「此ノ憲法(ノ趣旨)ニ矛盾セサル」ことを要件として、それが滿たされれば「遵由ノ效力」があるといふことである。成立手續に輕微な違法があつても、憲法に矛盾しないといふことは、成立要件に違反して無效となる「成立違法」ではなく、事後的な評價としての效力要件に違反して無效となる「評價違法」のことである。

 第二章でも述べたが、ポツダム宣言の受諾と降伏文書の調印については、政府の國内手續においてはこれを「條約」としては扱つてゐなかつたことがある。樞密院官制では、「國際條約ノ締結」は諮詢事項となつたゐたが、この諮詢手續がなされず、官報の登載にも、これを「條約」欄ではなく、「布告」欄に公示されたのである。また、關東大震災のとき、樞密院の諮詢を經ずに緊急敕令が發令されたことがあつた。しかし、これらは、成立違法を招くが、國家緊急時のことでもあり「此ノ憲法(ノ趣旨)ニ矛盾セサル」場合であるから、評價違法とはならないのである。

帝國憲法第七十六條第一項において、「何等ノ名稱ヲ用ヰタルニ拘ラス」とされてゐる點は、およそ規範定立行爲において、法形式に「違式の過誤」がありうることを豫測してゐるからである。ここで「違式」とは、本來あるべき法形式に違背するといふ意味であつて、「法律」で定める事項(法律事項)を「命令」の名稱を用ゐて命令として定めたり、「講和條約」として定める事項(講和條約事項)を「憲法」の名稱を用ゐて憲法として定めたりすることなどを想定してゐる。

そして、この規定の解釋としては、假に、形式的には「憲法ニ矛盾セサル」場合であつても、その實質が規範國體を害するなど「憲法(ノ趣旨)ニ矛盾」する場合は無效であり、「遵由ノ效力」はないとすることにある。また、この規定の論理解釋としては、「此ノ憲法(ノ趣旨)ニ矛盾」するものは「遵由ノ效力」がなく、遵守義務はないといふことになる。そして、それにとどまらず、規範國體の復元力として、規範國體と矛盾相克した規範を排除して本來の憲法秩序に復元させるべき名譽ある義務を我々は負ひ、その崇高な權利(祖國防衞權)を行使しうるのである。

ところで、「何等ノ名稱ヲ用ヰタルニ拘ラス」とあるのは、規範は形式名稱によつて階層構造上の序列が定まるのではなく、その内容等の實質に即して序列が決定されるといふことでもある。憲法として無效な占領憲法が東京條約(講和條約、占領憲法條約)に轉換することの實質的な理由については後述するが、この規定は、その法形式の序列においては無效とされた規範が、その名稱とは異なる序列の法形式の規範として成立したものと評價しうるときは、その異式の規範がその有效要件を滿たせば有效と評價してその效力を認めるとの「無效規範の轉換」の法理を示すものである。また、この規定は、前述した一般的な「規範の轉換」の法理を示すものであり、無效規範の轉換のみならず、有效規範の轉換がなされる根據となつてゐるのである。

眞正護憲論の特徴その八

第八の特徴は、「眞正護憲論(新無效論)は、承詔必謹論による無效論批判を回避し、『有效の推定』とか『不遡及無效』などといふ矛盾した論理を用ゐずに、法的安定性を維持できることを明らかにしたこと。」である。

まづ、承詔必謹についてであるが、承詔必謹は規範國體に屬するものであるから、先帝陛下が上諭を以て公布された占領憲法を否定する無效論は、承詔必謹に悖るとの主張である。この見解の矛盾と誤りについては後述するが、この批判は、主に舊無效論に向けられることはあつても、眞正護憲論(新無效論)に對しては筋違ひである。

前述の帝國憲法第七十六條第一項は、別の視點から見れば、教條的な承詔必謹論を排除した規定でもあり、次章で述べるとほり、これに基づいて構築した講和條約説(眞正護憲論、新無效論)は、まさに立憲主義憲法として欽定された帝國憲法による承詔必謹を誠實に遵守した見解である。占領憲法は憲法としては無效であるが、講和條約として成立したとするのは、まさにこの規定に基づくもので、これが欽定憲法であることからして承詔必謹に悖るものではない。むしろ、承詔必謹の具體的態樣は、この規定によつてゐるのである。

また、一部の舊無效論によると、占領憲法は、公布された規範であるから、公定力があるので、國會で無效確認決議をするまでは「有效の推定」を受け、その決議は將來に向かつてのみ占領憲法が無效となるだけで、制定時ないしは施行時にまで遡及しないといふ「公信力の原理」に基づいて「不遡及無效」を主張する見解がある(井上孚麿、小山常実)。しかも、公法關係においては、無效化することによつて影響を受ける第三者が多數によることから、無效確認の效力は不遡及であることが當然であるとする。これは、法的安定性を害するとの批判を意識したものと思はれるが、はたして不遡及は當然であると云へるのであらうか。

確かに、現行制度では、行政處分等の取消によつて生ずる混亂を回避して法的安定性を保護するために、行政事件訴訟法第三十一條には、いはゆる事情判決の法理を定めた規定があり、これ以外にも、裁量棄却判決の制度(會社法第八百三十一條第二項、中小企業等協同組合法第五十四條など)も同趣旨のものとして存在する。對世效(訴訟當事者以外の利害關係者にも判決效が及ぶこと)があるとされる場合、無效判決の效力は將來に向かつて生じ、遡及效がないとすることについての特別の規定が設けられてゐる。これらは、遡及效のない「失效」または「破棄」の變形であり、「違法であるが有效である」とか、「將來に向かつて無效である」とするもので、將來に向かつて違法であること(實質には失效すること)を宣言すること、つまり「違法宣言」をすることが義務付けられてゐる。しかし、これは、そのやうな明文規定があつて初めて「特例」として適用されるものであり、そのやうな特例を定めたものがないのに、無條件でこの「有效の推定」、「一應有效」、「公信力の原理」、「公定力の原理」なるものを安易に一人歩きさせることはできないのである。現に、公職選擧法第二百十九條第一項は、選擧關係訴訟について、行政事件訴訟法第三十一條を準用せず、選擧無效に遡及效を認めてゐるのであつて、法的安定性を維持すべき要請が絶對普遍なものでないことを示してゐるのである。

ましてや、公序良俗違反(民法第九十條)による無效は絶對的であり、當然に遡及效がある。私法の領域における公序良俗違反が絶對無效である理由は、まさにそれを容認することが公法の領域における憲法規範の秩序をも破壞するからである。不條理を認めないことも規範國體の當然の内容である。ましてや、その憲法秩序自體を破壞するのは、公序良俗違反以上に著しい違法性があり、遡及的無效が認められることは當然のことである。

もし、占領憲法無效論がこのやうな安易な不遡及無效といふ論理に依據するのであれば、これはそもそも無效論ではない。無效確認決議がなされるまでは「有效」であり、その決議がなされれば將來に向かつて無效となるといふのであれば、それは單なる失效論(廢止決議を求める立法論的見解)である。菅原裕もそのやうな主張をしてゐたが、それは、あくまで無效論のうちの「法律失效説」であつた。しかし、井上孚麿、小山常実の見解は、「憲法失效論」であり、およそ實際には存在しないと判斷してゐた「後發的無效論」に分類されることになる。ところが、これらの論者は、占領憲法は占領管理「法」であるとも主張し、それが菅原説と同樣なのかも不明で、しかも菅原説の場合と同樣に、どうして「法律」なのかの根據を示さないので正確な判斷と批判ができない。

また、そもそも、有效の推定を受けるとしても、無效確認決議がなされれば、それまでの有效の推定が覆つて、當初から無效となるのが本來であるのに、どうして無效確認決議がなされた以後も「有效の推定」が存續するのか。といふよりも、無效確認決議がなされれば、それまで「有效の推定」にすぎなかつた過去の行爲が、どうして「有效なものとして確定」してしまふのか。無效確認決議がなされると、どうして過去の行爲の效力が覆らないのかといふ疑問について全く説明がなされてゐないのである。

むしろ、占領憲法が憲法として無效であることを根據付ける、これほどまで多くの事實が存在するのであれば、「有效の推定」ではなく、「無效の推定」がなされるべきであり、刑事被告人における「無罪の推定」と同樣、有效であることを主張する側がその立證責任を負擔すべきものと解されるべきである。

舊無效論であれば、占領憲法が無效となつたことによつて、これまでの法令、行政處分、判決等の司法處分が遡及的に覆滅して大混亂を生ずるのではないかとの法的安定性への重大な疑問と不安に對し、明確な回答と安心を與へることはできない。このやうな不明確な説明しかできないことによつて、舊無效論への猜疑がより深まつてしまふ。その疑問と不安を払拭できるのは、眞正護憲論(新無效論)しかないのである。

無效論と似非改憲論と似非護憲論

このやうに、無效論は辯證法的に進展してきたが、一般には、似非改憲論(改正贊成護憲論)の仲間といふか、その脇役ないしは助つ人ぐらいしか認識されて來なかつた。その理由は、これまで無效論自體の理論的な完成度が未熟であつたことを率直に認めたとしても、それでも無效論を取り卷く環境が、餘りにも嚴しいものであつたことによる。それは、政治的には、占領憲法の似非護憲論(改正反對護憲論)と似非改憲論(改正贊成護憲論)の對立構造の中に埋没し、學問的にも、無效論は現在の教育制度から完全に放逐された。といふか、初めから相手にされずに閉め出されてきた。

敗戰利得者になるためには、「戰前」といふ踏み繪を踏んでこれに唾棄し、有效論に鞍替へした者だけが政界、官界、教育界などに受け入れられた。そして、それが惰性的に踏襲されて今日に至つてゐる。占領憲法の「解釋業者」である憲法學者としては、學理の追求よりも保身が優先し、占領憲法が無效であると主張することは勿論のこと、その效力論に言及することさへタブーであり、失職する原因になる。

このやうにして、占領憲法有效説派(占領憲法眞理教)が我が國の國家教學(司法試驗制度、裁判制度)となり、德川幕府の官學であつた朱子學、または、李氏朝鮮で國家教學であつた朱子學に比肩される存在となり、有效性に異議を唱へ、あるいは疑問を持つことは、「寛政異學の禁」以上に陰濕な方法でパージーされる。

無效論と似非改憲論(改正贊成護憲論)と似非護憲論(改正反對護憲論)との三つ巴の關係は、まさに、皇軍と國民黨軍(蒋介石)と八路軍(毛澤東)との關係と相似してゐる。蒋介石の率ゐる國民黨軍(似非改憲論)は、皇軍(無效論)に對して侮日工作と抗日闘爭(無效論に對する執拗なデマ攻撃)を繼續し、歐米の援助を受けつつ(日米の政権與黨間の協調による秘密資金の供與を受けつつ)、支那事變を擴大(細川内閣、村山内閣などの容共的反日政權を樹立)させる。毛澤東の率ゐる八路軍(似非護憲論)は、皇軍(無效論)とも戰ひつつ、共産主義(國民主權論)を鞏固に抱いてゐる者を國民黨軍(似非改憲論)に送り込んで國民黨軍と皇軍(國體論)とを闘はせ、ついには國共合作(占領憲法の有效性に固執する似非改憲論と似非護憲論との大同團結)を實現させる。そして、ポツダム宣言受諾後になると、蒋介石(似非改憲論者)は、「恨みに報ゆるに德を以てす」(老子)などとお爲ごかしに叫び、戰爭による損害賠償の放棄をしたといふ虚名に隱れて、その實は、邦人が臺灣につぎ込んだ在外資産を全て没収して、桁違ひに莫大なる戰爭利得を我が物にしたのである。これは、似非改憲論者がこれまで虐げられてきた被害者であり敗戰利得者ではないとの虚名に隱れて、その實はこの戰後體制における最大の敗戰利得者であることを隱し續けてゐる姿と重なつてゐる。

ともあれ、このやうな情況の中で、これまで、占領憲法については、似非護憲論と似非改憲論との論爭しか目立たなかつた。しかし、これは「立法論」である。これに對し、有效論と無效論との論爭は、「立法論」ではなく「解釋論」(效力論)であつて、これらの論爭を混同してはならない。あくまでも、似非護憲論と似非改憲論とは、「有效論」を前提とする立法論なのである。別言すれば、似非護憲か似非改憲かは「政治論」であり、有效か無效かは「法律論」であつて、議論の性質を異にするのである。このことは、占領典範についても同樣である。

また、現在の論壇にあつて、無效論と呼ばれるものは、概ね「舊無效論」であつて、「眞正護憲論(新無效論)」ではない。正確に言へば、眞正護憲論(新無效論)は、帝國憲法の改正としての占領憲法について、憲法としては絶對無效であるが、帝國憲法の下位に位置する「東京條約」(占領憲法條約)として、國際系の「桑港條約」と同列の講和條約として轉換されたものの、時際法的處理が未だになされてゐないことから、正式に國内系への編入はなされてゐないが、事實上運用されてゐることから、それが憲法的慣習(事實たる慣習)ないしは憲法的慣習法(法たる慣習)として存在することになるといふものである。それゆゑ、現存する帝國憲法の護憲論であるといふ意味で「眞正護憲論」に分類されることになる。

そして、眞正護憲論(新無效論)以外の「有效論」が行ふ批判の矛先は、專ら舊無效論に向けられ、特に、舊無效論が法的安定性を著しく無視する見解であるとの點に批判は集中してゐる。そして、このことが、一般の人々をして無效論に懸念を抱いてしまふ元凶となつてゐたのである。確かに、舊無效論には、重大な歴史的意義と使命があつた。しかし、このやうな先驅的價値はあつたが、今では理論的價値はない。私もこれに觸發された一人であるが、今では舊無效論の弊害が目立ち、我が國の再生にとつて舊無效論はむしろ有害であり、歴史的な意義をもたらした名譽を維持しつつ速やかに退場すべきときが來てゐる。

今、憲法改正といふことが公然と叫ばれるやうになつたが、少し前と比較すれば、まさに今昔の感がある。昔は、政府首腦が憲法改正を唱へれば、教條的似非護憲論者が大勢を占める政治状況では確實に「政局」になつたはずである。ところが、小泉内閣において、小泉純一郎首相が、「自衞隊は軍隊である」と答辯しても、全く政局にもならないほど、開き直りと諦めが國會を覆つてゐる。

また、似非改憲論者からは、占領憲法は「賞味期限が切れた」とか、「古くなつた」といふやうな遵法心のない不謹愼な發言も平氣でなされる。憲法を生鮮食料品に擬へることの無分別さにも呆れるが、「古い」といふことを嫌惡する者には、歴史や傳統、それに國體のことを到底理解する資質があるとは思へない。

ここで、繰り返してでも明確にする必要があるのは、似非改憲論といふのは、「有效論」であり、占領憲法護憲論の仲間であるといふことである。この似非護憲論には、改憲反對と改憲贊成とがあるだけであつて、この兩者は、いづれもマッカーサーの掌で踊る「蚤」であり、「蚤の曲藝」における蚤の意識から脱却できないでゐる者たちである。そして、多くの人は、現在の閉塞的な政治情況の中で、これまでの似非改憲論と似非護憲論との對立情況では、改憲も不可能であり、解釋改憲にも限界があつて、國家有事のときに對應できないことを知つてゐるが、それでも「蚤の曲藝」をし續けてゐる。

とりわけ、この似非改憲論と似非護憲論の對立は、それが占領典範の問題に舞臺を移すと、次のやうな捻れ現象になる。つまり、女性天皇、女系天皇を認めるか否かといふ議論について、似非改憲論者は、概ね占領典範の改正に反對し、似非護憲論者は、概ねその改正に贊成する。つまり、概ね、似非改憲論は「似非護典論」、似非護憲論は「似非改典論」となるのである。そして、いづれも占領典範有效論であることに變はりはなく、占領典範といふ皇室彈壓(皇室の自治否定)を續ける反國體論者である。これらの主張は、單に「立法論」であり、いはば趣味の世界に埋没してゐるのであつて、何ら根本問題を理解してゐない。

また、似非改憲論者の中には、「自主憲法」といふことを叫ぶ者がゐる。この意味の詳細は不明なことが多いが、これを「國家の自主憲法」とするか「國民の自主憲法」とするか、つまり、自主性の主體は誰かといふことによつて大きく別れる。前者は帝國憲法復元の意味につながるが、後者は國民主權主義に毒された言説に過ぎない。ましてや「自主憲法制定」といふ言葉に至つては、明らかに國民主權主義者であると斷言できる。帝國憲法は既に「制定」されてゐるし、國體規範は、そもそも初めから存在するものであるからである。ましてや、「改正」も覺束ない政治状況であるのに、改正の極地である「制定」など夢のまた夢である。そして、その論理すら提示しえない敗北主義に陷つてしまふのである。

以上に述べたことから、占領憲法の似非護憲論(改正反對護憲論)は云ふに及ばず、似非改憲論(改正贊成護憲論)もまたこれに勝るとも劣らない、祖國再生を阻む勢力であることが解る。双方とも、マッカーサーの掌の上で、占領憲法を有效であると忠誠を誓つて保護を受けながら、似非護憲論同志の茶番論爭をし續ける反日兄弟であり、特に、似非改憲論者からすると、これまでの欺瞞と虚僞が眞正護憲論(新無效論)によつて白日に曝されることを恐れてゐる。

憲法として容認できないものを有效であるとし、それを改正すれば足りるといふのは、占領憲法を制定させた巨大なGHQの暴力を容認し、祖國への原状回復を否定する賣國行爲である。過去の巨大な外國の暴力を肯定しながら、現在の微小な國内の暴力を聲高に否定する。そして、憲法問題では原状回復論を放棄しながら、拉致問題では原状回復論を堅持する。このやうな致命的な自家撞着に氣付かずに似非改憲論を唱へる者が未だに居ることこそ、占領政策の洗腦がいかに徹底した凄まじいものであつたかを證明する現象でもある。

また、似非改憲論者は、眞正護憲論(新無效論)に對し、その内容を知らずに先入觀だけで眞正護憲論(新無效論)は非現實的であると批判する。しかし、その言葉は、そのまゝ熨斗を付けてお返しせねばならない。占領憲法第九十六條といふのは、改正規定ではなく、ここで規定されてゐる要件の嚴重さを見れば、これは「改正禁止規定」なのである。そして、現在の政治状況からして、いつまで經つても改正は不可能である。逆に、眞正護憲論(新無效論)による復元手續の方がはるかに現實的である。

現在の似非改憲論は、改正してまでこの占領體制を永久に繼續させようとする強固な反日思想に成り果ててゐる。そして、その役回りとしては、集團的自衞權は存在するが行使できないとする内閣法制局の解釋を變更させて、解釋改憲を完成させるための應援團を演じてゐるだけである。改憲は政治日程的にも無理であると諦めてゐる。本氣で改憲ができると信じてゐる者は居ない。それは、占領憲法が憲法として有效であると認めた上で自衛隊が合憲であると本氣で信じてゐる者が居ないのと同じである。そして、鐘や太鼓を鳴らして應援團の役割を演じ續けてゐれば、改憲議論が高まつてゐるといふ雰圍氣を釀成させることができる。ただ、それだけである。傳統保守の本流である眞正護憲論(新無效論)に辿り着くこともできず、保守的なノスタルジアに浸りながら保守風味の言動で滿足するマスターベーション的保守である。その上で、その雰圍氣に乘じて、エイヤーの掛け声で一氣に政府が解釋改憲をしてくれることを願ふこと以外に生き殘る道はないのである。エイヤーで解釋改憲をしてくれたら試合終了となり、應援團はその役目を終へて解散する運命にある。

この似非改憲論者の意識状態は、あたかも、不當違法に逮捕勾留されてゐる収容者が、原状回復を求めて早期の釋放を求めることはせずに、專ら留置場における待遇改善を求めてゐる姿と重なり合ふのである。そして、似非護憲論者は、「飯を喰へる保障があるからここにずつと居たい。なにも待遇改善を求めることもない。ここが天国だ。」とする意識と同じと云へる。どうして、無效論者のやうに、「不當逮捕勾留であるから直ちに釋放せよ。待遇改善といふ次元の問題ではない。」とどうして云へないのであらうか。

このやうに考察してくると、現在の政治における閉塞情況を打開できるのは、やはり眞正護憲論(新無效論)しかない。戰後空間においては、志ある政治家も、無效論を唱へることは、占領憲法で得た地位を自己否定することになることの逡巡もあつたはずである。しかし、眞正護憲論(新無效論)に立てば、この逡巡は完全に解消されるのである。

我々は、これらの謀略的言動に惑はされることなく、志と勇氣を持つて、無效論により祖國の原状回復を果たして再生させる「祓庭復憲」の王道を歩み、自立再生論によつて國體護持と世界平和を實現せねばならないのである。

押し付け憲法論

似非改憲論は、これまで「押し付け憲法」といふ言葉を使つてきた。「押し付け」が直ちに「無效」とはならず、あくまでも「有效」であるとしながら、引かれ者の小唄として、押し付けられたことの愚癡と怨み節である。

ポツダム宣言の受諾に始まる占領統治は、ローマ時代における對カルタゴ戰爭や對コリント戰爭におけるデヴェラティオ(デベラチオ)、つまり「敵の完全な破壞及び打倒」ないしは「完全なる征服的併合」ではなく、押し付ける側と押し付けられる側の雙方が存在したことから、占領憲法制定の現象について、押し付けといふ言葉を用ゐるのは決して不自然なことではない。しかも、押し付け憲法といふ言葉は、押し付けを歡迎する立場とこれを拒否する立場の雙方にとつて便利な言葉でもある。押し付けを歡迎する立場からは、よくぞ押し付けてくださつたといふ利得意識が濳在的にある言葉でもある。たとへば、帝國憲法と占領憲法とを比較して「よい憲法」の方を支持するといふ「強い者には卷かれろ」式の迎合的な御都合主義の見解(愛敬浩二)などは、「よい生活」が保障されるのなら拉致被害者も文句を言ふな、といふやうな非人道的な惡臭が漂ふ。これは、アメリカに「よい憲法」を押し付けていただいたと感謝感激して絶贊する見解である。アメリカとは、人を人とも思はない奴隷制度について、獨立宣言では否定し、連邦憲法では肯定するといふ二枚舌の差別國家であり、原爆投下といふ無差別殺戮を恥じない國であるにもかかはらず、このやうな見解は、アメリカが「自由のたいまつ」であるとか「自由の砦」とかいふやうな政治的プロパガンダを眞に受けてゐるのである。

この「よい憲法論」の感覺は、概ね、似非改正論(改正贊成護憲論)と似非護憲論(改正反對護憲論)といふ二つの似非護憲論に共通したものとして蔓延してゐる。それは、主として、占領憲法が帝國憲法よりも人權保障規定が充實し、國民主權を謳つてゐることにあると思はれる。しかし、これは大いなる錯覺である。國民主權の誤謬についてはすでに述べた。また、人權保障規定關関しては、第五章の「法律の留保」のところで詳述するが、結論を言へば、「法律の留保」による帝國憲法の規定の方が臣民の權利保護がより十全となるのであつて、帝國憲法の方が「よい憲法」なのである。

ところで、押し付けられた占領憲法の根幹部分は何かと云へば、それは、第一條と第九條である。この第一條と第九条とは、不可分一體の抱き合はせの關係にあり、その占領憲法の制定は、早期獨立の實現(Go Home Quickly)のためであり、占領憲法の制定と桑港條約の早期締結とも不可分一體の抱き合はせの關係であり、未だに、この二重の抱き合はせ構造を固定強化するために「日米同盟」といふやうな條約上も根據のないプロパガンダによつて、占領體制を固定化する政治的陰謀を受け入れようとするのが、この「よい憲法論」なのである。  そして、このやうな複雜な押し付け感覺が嵩ずると、「帝國憲法も押し付け憲法である」とか、「所詮はどんな憲法でも押し付けである」といふやうなシニシズムやニヒリズムの如き妄言で揶揄されてしまふ。そして、ヘンリー・ソローの『市民の反抗』(岩波文庫)にあるやうに、「市民的不服從」、「正當暴力」などの概念を打ち立て、それが實際には「特定暴力の正當化」といふ意味であつて、それ自體が特定の概念の押し付けであることの自覺すらない見解も出てくる始末である。

また、この押し付け憲法論に對して、さらに逆手にとるが如く、「國民には押し付けられてゐない。」として反對する有效論の見解もある。たとへば、「司令部案が日本政府に文字通り押しつけられました。『押しつけられた憲法』という言葉は、その意味ではまさに正確であります。日本の當時の政治指導者たちにとっては、まさに押しつけられた憲法でした。」(樋口陽一)などの「政府限定の押し付け憲法論」がその典型である。占領憲法第九十九條は、占領憲法の尊重擁護義務を定めてゐるが、その義務主體に「國民」は含まれてゐないので、その意味では、占領憲法は「國民」には押し付けられてゐないと言ふこともできるからである。

しかし、押し付けられてゐないと感じるのは、その押し付けに迎合する一部の者だけであつて、大部分の臣民に對して押し付けられた事實を直視しなければならない。多くの者に對して公職追放、選擧干渉、人事干渉、言論彈壓、全面檢閲、勞働運動彈壓などがなされたが、これに異議を唱へられなかつた。しかも、帝國議會の憲法改正の審議は一切公開せず臣民に知らせなかつたのに、この手續と同時竝行的に行はれた東京裁判の審理は公開され、しかもその内容は都合の惡い部分は除いて、臣民に萎縮效果を與へるやうに報道されて、全臣民に對してこの占領憲法を押し付けたのである。

押し付けに迎合する自由はあるが、異議を唱へたり反對する自由はない。暴力的權力はこれに迎合する者には寛容である。迎合した一部の者に寛容であることを以て押し付けられてゐないといふのは、北朝鮮において獨裁者に迎合してこれを支持する極一部の者にだけには「自由」があるから、北朝鮮は自由な國であると云つて、いかがはしい腦天氣な議論をしてゐるに等しい。學者としてだけではなく人として恥を知るべきである。

この「政府限定押し付け憲法論」は、似非護憲論から唱へられることが多いが、通常は戰勝國が敗戰國の政府に押し付けるのは講和條約(押し付け講和條約)であつて、この議論は對日講和を押し付けたことと矛盾するものではなく、押し付けられた占領憲法が講和條約であるとする講和條約説を補強することにもなるのである。つまり、「押し付け」といふ言葉には、講和條約の「押し付け」を暗示するものがあり、勇氣と知性を持つて、もう一歩踏み出せば講和條約説になるのであるが、怯懦と保身がそれを妨げてゐるのである。

そして、この「政府限定押し付け憲法論」がさらに進めば、「押し付け幻想論」(小西豐治)に至る。コミンテルンの工作員であつた鈴木安蔵らによつて組織された「憲法研究會」の草案を含め數多くの民間の憲法草案の中にGHQ草案に近似したものがあるとか、GHQが參考にした民間草案があるなどと根據の少ない事柄を竝べ立てて、押し付けがなかつたといふのである。しかし、假に、これを推認しうる事實があつたとしても、その民間草案が政府に押し付けられたのではなく、あくまでもGHQ草案が押し付けられたのであるから、押し付けが幻想であるとすることこそが幻想に過ぎないし、憲法學的にはそのやうな事實は無意味である。

また、「占領憲法の押し付け」といふ前に、「帝國憲法の強奪」といふ觀點が缺けてゐることも問題である。つまり、假に、百歩讓つて、帝國憲法も押し付けであつたとしても、それ以前の我が國の法制が外國の暴力によつて奪はれたといふことは全くなかつた。しかし、占領憲法の場合は、歴然とそれがあつたといふことであり、それが帝國憲法の場合とは決定的に異なる點である。つまり、占領憲法の場合は、それが押し付けられる前提として、帝國憲法が力盡くで奪はれたといふ點こそが問題である。また、帝國憲法と占領憲法の場合とでは、獨立時と非獨立時といふ決定的な違ひがあることも認識しなければならない。

ともあれ、この「押し付け」憲法論の主張は、制定過程の好ましくない事情があつたといふ程度で使ふだけで、これを無效性の根據とはしない。また、押し付けに迎合する見解ではなく、押し付けを批判する見解によると、占領憲法の規定にある樣々な缺陷や不備、解釋上の矛盾などをやたらに揶揄した擧げ句、こんな押し付けられた缺陷憲法なんかは守らなくてもよい、といふような情緒的な反感を煽るだけである。無效とは云はないのであるから、自衞隊の存在が占領憲法第九條違反であることは明らかなのに、黑い烏を白いとする稀代の詭辯をもつて合憲と主張するなど特異な解釋論を展開する。これは遵法心を減殺する結果を招く不道德な思想であり、規範國體を蔑ろにするものである。この主張は、喩へて言ふならば、仲が極めて惡いが、さりとて離婚する氣持ちもない夫婦が、喧嘩するときは二人の出會ひの時に交はした甘言の約束を守つたかどうかといふやうな、いつも昔の同じ愚癡を言つて罵り合ふにも似た醜い姿を曝してゐる。占領憲法を無效として否定する知惠も勇氣もないのに、未練たらしくいつまでもいつまでも負け犬の遠吠えのやうに同じ愚癡をこぼし續けた擧げ句の果てに、遵法心を投げ捨てて法を輕んじる態度は、誠にもつて見苦しい限りである。法の支配と法治主義の理念からして許されるものではない。

そもそも、憲法を守らない嘘つきの大人に、子供に躾をしたり教育する資格はない。たとへ成立過程に問題があつても、結果的にそれを有效と判斷するのであれば、占領憲法を輕んじてはならない。規範國體の表現形式の一つである教育敕語にも、「常ニ國憲ヲ重シ國法ニ遵ヒ」とあることからしても、そのやうなことは、我が國の傳統的な美風と相容れないものであり、このやうな風潮こそが、我が國の道義の退廢と教育の荒廢の元凶でもある。

そして、この押し付け憲法論は、概ね似非改憲論との結びつくことが多く、押し付けられたから改憲すべきであるとするのである。これは、先ほどの夫婦の癡話喧嘩と同樣の醜い言説である。我が國と國交斷絶をするほどの覺悟も襟度もない中韓が過去の歴史問題を持ち出して我が國に謝罪を求め續ける醜さと同じである。しかも、この押し付け憲法論による似非改憲論が國連中心主義、國際貢獻論、日米同盟論、對米從屬肯定論との結びつきを深めるに至ることによつて、その矛盾は增幅される。制定の押し付けを非難しながら、その押し付け勢力の力を借りて改正しようとするからである。

押し付けには、「制定時」の押し付けと「改正時」の押し付けがある。平成十六年九月、小泉首相(當時)の國連總會での演説において、我が國が國連安保理の常任理事國入りの決意表明をした。我が國を敵國であるとして成立した國際連合に我が國が加入すること自體が異常なことである。これは、あたかも、過去において、ソ連がNATO(北大西洋條約機構)に加入するが如きである。そして、さらに、我が國が國連安保理常任理事國入りといふのは、驚天動地の自家撞着である。これは、強盜團に犯された被害者が、その強盜團に加入して行動を共にするに等しいものであるが、案の定、この決意表明に對して、パウエル國務長官(當時)ら米國ブッシュ政權擔當者が「占領憲法第九條の改正がその前提となる」として、占領憲法の「追認」と「改正」の押し付けをしてゐるのである。

占領憲法第九條について

占領憲法第九條は、その第一項に「日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠實に希求し、國權の發動たる戰爭と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛爭を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」とあり、第二項には「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戰力は、これを保持しない。國の交戰權は、これを認めない。」とある。

この戰爭放棄條項の第九條が天皇條項の第一條と不可分の關係にあることは第二章でも述べたが、第九條の解釋だけに關して云へば、とりわけ、自衞權が存在するか否か、自衞軍を保持しうるか否かについて熾烈な議論の對立があつたことは周知のことであるが、結論を言へば、これらを總て否定する解釋になることは當然のことである。

占領憲法が憲法であるか否かを問はず、およそ法令・條約の解釋において、全く正反對の見解が兩立し、いづれの見解が正當であることの決着すらつかない状態が繼續してゐるといふようなことは極めて異常な事態である。そのやうな場合が起りうる原因は、およそ當該法文が文理上も一義性のないやうな不明確な表現であつて、その立法趣旨も不明確であるために、いづれの趣旨であるかを判斷しえない場合、いはば法令の不備や規定の不備、さらには、表現の難解さや稚拙さがある場合しか考へられないのである。

しかし、第九條には、このやうな原因は全く存在しない。即ち、第一項では、自衞戰爭や自衞權までをも放棄してゐないとも解釋しうるが、第二項の文理解釋、立法事實及び立法趣旨からして、同項は、自衞權の存在と自衞軍の保持をいづれも否定してゐることは明らかである。

即ち、「戰力は、これを保持しない。」とか「國の交戰權は、これを認めない。」との表現は「無條件」であり、限定する表現は全く付加されてゐない。「前項の目的を達するために」との表現(芦田修正案)は、その後に續く規定を設けたことの單なる「動機」を意味するものであつて、「限定」や「除外」を意味するものではないことは日本語解釋の常識である。「限定」や「除外」を意味するのであれば、「前項の目的を達するために」ではなく、「前項の目的を達する限度(範圍)において」などの表現によることになる。そもそも、法文の表現は一義性であることを使命とするが、その意味ではこの條項の表現は明確であつて、決して兩義性のある曖昧なものではない。

そもそも、この芦田修正なるものは、このやうな意圖と經緯でなされたものではない。その經緯はかうである。吉田首相が、昭和二十一年六月二十八日の衆議院での答辯において、自衞權及び自衞戰爭を完全に否定する見解を示した上で、同日に設置された帝國憲法改正案委員會(特別委員會)が設置され憲法改正案の審議が付託され、その委員長に芦田均が互選にて就任した。そして、同年七月二十三日に、衆議院は憲法改正小委員會といふ祕密懇談會を設置し、同月二十五日から審議を始めた。その委員長にも芦田均が就任した。そして、そこで第九條の小委員會案がまとまつた。政府案とは、第一項(戰爭抛棄)と第二項(戰力不保持と交戰權否認)の順序は同じであるが、細部は別として、小委員會案では、第二項の冒頭に「前項の目的を達するため」が挿入されたものに過ぎなかつた。これを同月二十七日(第三回懇談會)の終盤になつて審議されたが、審議未了で散會となり、同月二十九日(第四回懇談會)の冒頭に、前回の意見をとりまとめて芦田が提案したのは、第一項と第二項とを逆にし、その第二項(戰得爭抛棄)の冒頭に「前項の目的を達するため」を挿入するものであつた。そして、このやうな紆余曲折の審議經過により、再度元に戻つて政府案と基本的構成を同じくする占領憲法第九條の成案に至つただけで、結果的には第二項の冒頭に「前項の目的を達するため」が挿入されただけで、大きな意味内容の變更ではない。これを芦田均が、自衞のための戰力を保持しうるとの「限定解釋」の意圖で修正したなど後付けの講釋をするが、昭和六十一年に刊行された本人の『芦田均日記』にもその記載はないのである。

從つて、「戰力は、これを保持しない。」とは「日本軍の完全武裝解除」を意味し、「國の交戰權は、これを認めない。」とは「無條件降伏」と「自衞權の否定」の意味であることは明らかである。つまり、第九條第二項は、ポツダム宣言の再確認條項であり、「非武裝・非獨立」を宣言したものにすぎないのである。

このやうな規定は、マッカーサー草案の燒き寫しであり、特に第一項の原形は、マッカーサーが支配してゐたフィリピンの憲法(昭和十年)であり、また、昭和四年に日本も批准した『不戰條約(戰爭抛棄ニ關スル條約)』第一條にも同趣旨の表現がある。

そして、第二項の前段(戰力不保持)は、ポツダム宣言の日本軍の完全武裝解除條項(第九項)のとほりであり、後段(交戰權否認)は同じくポツダム宣言の日本軍の無條件降伏條項(第十三項)のとほりである。つまり、武裝解除とは、軍隊を解體することであり、將來においてそれを維持するためには戰力不保持の條項となる。また、無條件降伏とは、無抵抗と不戰の誓ひをすることであり、將來においても戰爭する權利(交戰權)を否認することである。つまり、ポツダム宣言が第九條に移し替へられただけのことなのである。

そもそも、アメリカは、非獨立國であつた我が國に軍隊を許さなかつた。許せば、占領軍に對する脅威となり、將來における世界の枠組みにも重大な影響を及ぼすことを懸念したからである。しかし、アメリカは、朝鮮戰爭を契機として、さらに桑港條約締結と同時に締結された舊安保條約によつて對日方針を轉換させ、第九條をそのままにして武裝化を容認した。そして、我が國政府も第九條の解釋を百八十度轉換させて、自衞隊を合憲と解釋を變遷させたのである。

ところで、過去には、占領憲法第九條第一項の「武力による威嚇又は武力の行使」の「武力」と、同第二項の「戰力」とは同じなのか異なるのかといふ議論があつた。つまり、武力と戰力は異なるとし、廣義の武力の中には、狹義の武力(戰力)とその他の武力(警察や海上保安廳の権限)が含まれるとする見解もあつたのである。それによると、不審船を追尾し拿捕する海上保安廳の行爲は、武力による威嚇及び武力の行使となつてしまふのである。このやうに、占領憲法第九條は、我が國に埋め込まれた地雷であるといふことが解る。

そして、占領憲法を有效とする限り、自衞隊の存在が違憲であることは明らかである。その理由は説明するまでもないが、第二章でも觸れたとほり、文部省の著作にかかる昭和二十二年八月二日發行の社會科教科書『あたらしい憲法のはなし』(六 戰爭の放棄)の一節を再度紹介したい。

そこには、

「こんどの憲法では、日本の國が、けっして二度と戰爭をしないように、二つのことをきめました。その一つは、兵隊も軍艦も飛行機も、およそ戰爭をするためのものは、いっさいもたないということです。これからさき日本には、陸軍も海軍も空軍もないのです。これを戰力の放棄といいます。『放棄』とは、『すててしまう』ということです。しかしみなさんは、けっして心ぼそく思うことはありません。日本は正しいことを、ほかの國よりさきに行ったのです。世の中に、正しいことぐらい強いものはありません。もう一つは、よその國と爭いごとがおこったとき、けっして戦争によって、相手をまかして、じぶんのいいぶんをとそうとしないということをきめたのです。おだやかにそうだんをして、きまりをつけようというのです。なぜならば、いくさをしかけることは、けっきょく、じぶんの國をほろぼすようなはめになるからです。また、戰爭とまでゆかずとも、國の力で、相手をおどすようなことは、いっさいしないことにきめたのです。これを戰爭の放棄というのです。そうしてよその國となかよくして、世界中の國が、よい友だちになってくれるようにすれば、日本の國は、さかえてゆけるのです。みなさん、あのおそろしい戰爭が、二度と起こらないように、また戰爭を二度とおこさないようにいたしましょう。」

と記述されてゐた。

ところが、自衞隊は占領憲法第九條に違反しないとして平然と詭辯の解釋がなされることになると、法律學そのものに對する國民の信賴は失はれる。このやうな解釋をしてゐる御用學者たちを見ると、宮澤俊義が變節した姿と重なつてくる。

しかし、眞正護憲論(新無效論)によれば、帝國憲法において自衞隊は合憲と解釋されるのである。ただし、帝國憲法の統帥大權を侵害してゐるのではないかとの疑ひは殘る。ともあれ、占領憲法(東京條約、占領憲法條約)、桑港條約、舊安保條約、國連憲章、そして、舊安保條約を昭和三十五年に改定した『日本國とアメリカ合衆國との間の相互協力及び安全保障條約』(以下「新安保條約」といふ。資料四十)はいづれも我が國が批准した條約であるから、前の條約はこれと牴觸する後の條約によつて變更されるといふ後法優位の原則から、占領憲法第九條第二項は、その後の條約によつて改廢され、個別的自衞權と集團的自衞權が認められ、占領憲法第九條第二項は、もはや廢止されて存在しないことになつたのである。

これは、憲法改正の小田原評定をしなくても、これまで曇つてゐた規範意識を糺すだけで容易かつ迅速に安全保障の基本が確立できることになるといふ實用性(即效性と即應性)があるといふことである。

自衞權

政府は、集團的自衞權について、「國際法上、國家は集團的自衞權すなわち自國と密接な關係にある外國に對する武力攻撃を、自國が直接攻撃をされていないのにもかかわらず、實力をもって阻止する權利を有しているものとされている。わが國が、國際法上このような集團的自衞權を有していることは、主權國家である以上當然であるが、憲法第九條の下において、許容される自衞權の行使はわが國を防衞するための必要最低限度の範圍にとどめるべきものであると解しており、集團的自衞權を行使することは、その範圍を超えるものであって、憲法上許されないと考えている。」(昭和五十六年五月二十九日政府答辯書)とする。

要約すれば、集團的自衞權は、國連憲章第五十一條によつて認められる固有の權利であるが、占領憲法の制約により、それを行使することができないとするのである。つまり、占領憲法の解釋として、集團的自衞權は享有するが行使できないとするのである。

「權利はあるが使へない。」そんな權利は、はたして權利と云へるのか。やんぬるかな。物あれど使へずのインポテンツである。そもそも、占領憲法は、非獨立の占領状態で制定されたものであり、ポツダム宣言における「皇軍の完全武裝解除」(第九項)が占領憲法第九條第二項前段の「戰力の不所持」として規定され、同じくポツダム宣言における「皇軍の無條件降伏」(第十三項)が占領憲法第九條第二項後段の「交戰權の否定」として規定されたことは自明のことであつて、この政府の見解は、占領憲法が生まれた經緯を無視してゐる。占領軍が敵國である被占領地の國にその自衞權を認めることは、武裝蜂起による獨立運動を認めることになるから、占領憲法は「自衞權」をも完全に否定したものとして制定されたはずである。

占領憲法の前文にある「日本國民は、恆久の平和を念願し、人間相互の關係を支配する崇高な理想を深く自覺するのであつて、平和を愛する諸國民の公正と信義に信賴して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」といふのは、紛れもなく「非武裝宣言」であり、「自衞權放棄宣言」なのである。

そして、占領憲法第九條第一項は、「日本國民は、正義と秩序を基調とする國際平和を誠實に希求し、國權の發動たる戰爭と、武力による威嚇又は武力の行使は、國際紛爭を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。」と規定するが、自衞戰爭は、ここにいふ「國權の發動たる戰爭」に含まれるのであつて、自衞戰爭の放棄は、取りも直さず自衞權の放棄である。

ましてや、ポツダム宣言第十一項は、「日本國は、其の經濟を支持し、且公正なる實物賠償の取立を可能ならしむるが如き産業を維持することを許さるべし。但し、日本國をして戰爭の爲再軍備を爲すことを得しむるが如き産業は、此の限りに在らず。・・・」として、自衞のための軍隊どころか、再軍備に必要な産業まで禁止したのであつて、國際法上認められる自衞權ですら認めないといふ特別の講和條約を締結したのに、あたかも我が國が占領憲法制定時に普通の國であるかのごとく錯覺(曲解)してゐるのである。しかも、朝鮮戰爭の前後において、第九條の政府見解は大きく變遷したことも周知のとほりであり、いまでは、「自衞隊は軍隊である」と首相が答辯しても、それでは自衞隊の存在は憲法違反であるから解體せよとする聲すら出てこない。まことにもつて規範意識が完全に喪失してゐる。

集團的自衞權は各國が生まれながらにして備へてゐる權利(自然權)であるとするのが慣習國際法であり、これを根據付ける國際司法裁判所の判決もあると主張する見解もあるが、假に、國家の自然權なるものが認められるとしても、占領憲法は、その自然權をも明確に放棄したものである。

現に、事情の如何を問はず、「獨立國」のうち軍隊を持たない國は十三か國(コスタリカ共和國、モナコ公國、サンマリノ公國、リヒテンシュタイン公國など)あることからしても、自然權とは言ひ切れないものである。

そもそも、集團的自衞權なるものは、國家が生まれながらにして備へる自然權ではない。もし、集團的自衞權が自然權であれば、自國が建國される以前から、集團的自衞權を行使して防衞すべき他國が成立してゐることが前提となる。それゆゑ、我が國のやうに、他國が成立する以前に生まれた國家には集團的自衞權がないことになる。

そして、さらにもつと決定的な問題がある。それは、集團的自衞權は、條約の效果として發生するものだからである。集團的安全保障に關する條約を締結してゐない國家との關係では、集團的自衞權を行使し、あるいは行使される關係にはない。それゆゑ、集團的自衞權は、國家が生まれながらにして備へる自然權ではなく、條約締結の効果として生ずる權利であり義務に過ぎない。このことは、生命保險の保險金の場合と比較すれば明らかである。生命保險の保險金は、保險契約に定める保險事故(被保險者の死亡)が發生することを條件として支払はれるものであつて、保險契約を締結してゐなければ支払はれない。保險金請求權は、保險契約の效果であつて、死亡によつて生ずる相續といふ自然權の效果ではないからである。

このやうな集團的自衞權が注目されたのは、國際連盟規約(大正八年)の前文の冒頭に、「締約國ハ戰爭ニ訴ヘサルノ義務ヲ受諾」するとあり、この義務に違反する國家については、他の全ての連盟加盟國に対して戰爭に訴へたとみなし、連盟及び連盟加盟國が戰爭を含めた対抗手段をとると規定され(第十六條)、集團安全保障體制の原型を示唆したことに始まる。そして、時代は下つて、アメリカが全米を覇權下に置くことになつたチャプルテベック決議(昭和二十年三月)を契機として再び注目されることになつた。それは、國際連合憲章の原案では、集團的自衞權の行使は安全保障理事會の許可が必要となつてゐたことから、ソ連の拒否權発動を懸念して、國際連合憲章(資料二十二)の本文に集團的自衞權の条項を入れることになつたからである(第五十一條)。つまり、個別的及び集團的自衞權の行使については安保理に対する事後の報告事項とし、事前の承認事項ないしは許可事項としなかつたのである。このやうにして、集團的自衞權は、國際連合憲章(條約)の效果として誕生した條約上の權利であつて、決して自然權でないことが解るはずである。

このやうに、集團的自衞權は自然權ではないのであるが、さうではなく、假に、「集團的自衞權は、國家が生まれながらにして備へる自然權」であるとすれば、次のやうな自家撞着に陷るはずである。それは、集團的自衞權のみならず、個別的自衞權を含め、自衞權の全てについても同樣である。そもそも、自衞權には、武力を用ゐる場合と武力を用ゐない場合とがある。武力を用ゐない自衞權といふのは、敵國の侵略行爲を中止させる目的で行ふ平和的外交交渉、敵國による領土占領統治に對する非協力的抵抗運動など、およそ政治的には殆ど無力の行爲態樣ではあるが、概念としては一應存在することになる。そして、武力を用ゐる自衞權とは、「交戰權」の行使による行爲態樣であるから、占領憲法が「交戰權」を否定してゐることは、交戰權を行使して「自衞權」を發動することはできないのである。ところが、自然法に基づく國家の自然權としての自衛権が認められるとするのであれば、それは占領憲法よりも上位の規範に基づくことになる。その上位の規範が自然法といふことになり、その自然法によつて自衞權が認められるといふことになる。ここで、自然權としての自衞權というのは、勿論、武力を用ゐる自衞權を含むのである。占領憲法は國民主權によつて制定され、國民主權とは一切制約されない至高のものであり、一切の規範の源泉であるのに、それに優越する規範は存在しないはずである。ところが、その國民主權によつて制定されたとする占領憲法よりも優越する自然法といふ規範が存在するといふことは、國民主權の最高性と明らかに矛盾することになる。よつて、この自然法とは規範國體であり、占領憲法はこれに劣後する規範であることに歸結する。

尤も、前述のとほり、占領憲法は憲法ではなく講和條約であるとすれば、このやうな詭辯を弄することなく、個別的自衞權及び集團的自衞權の享有とその行使は認められ、自衞隊は違憲の存在ではなくなり、このやうなおぞましい詭辯と遵法性の缺如といふ恥ずべき事態から解放されるのである。

似非改憲論による第九條第二項削除案

有效論による似非改憲論の中には、第九條第二項を削除するなどの改正をして正式に軍隊を持てるやうにすれば、國防體制の不備について解消できるとする見解もある。しかし、これは全くの見當違ひである。第九條第二項を削除改正するだけでは何の解決にもならない單なる彌縫策である。

そもそも第九條の解釋からすれば、軍隊を持てない非獨立の隷屬國には自衞權(國防の權利)など認められるはずはない。前文にも、「平和を愛する諸國民の公正と信義に信賴して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。」として、自衞權を積極的に放棄してゐる。

そして、第九條に關する有效論の詭辯の解釋によつて、我が國に自衞權、つまり「國防の權利」がからうじて認められても、それだけではどうしても國民の「國防の義務」は認められない。帝國憲法第二十條は、兵役の義務としてこの國防の義務が認められてゐるが、占領憲法には、GHQの占領統治の妨げになるので、この義務は勿論認められなかつたからである。その一方で、GHQは、占領憲法を通じて占領政策を繼續しようとしてゐたから、天皇と公務員に憲法尊重擁護義務(第九十九條)を課してゐる。しかし、第十二條前段で、「この憲法が國民に保障する自由及び權利は、國民の不斷の努力によつて、これを保持しなければならない。」としながら、國民には憲法尊重擁護義務を課してゐないのである。つまり、天皇と公務員だけに對して「祖國は守らなくてもよいし、滅びてもかまはないが、占領憲法だけは守れ。」と命じてゐるのである。國家の存續が目的で、憲法はそのための手段であるのに、手段と目的が轉倒した致命的な缺陷がある占領憲法を守ろうとする「護憲思想」が、亡國の思想と呼ばれる所以はまさにここにある。

ところで、國防軍に祖國を防衞する憲法上の義務を認めるためには、その前提要件として國民の國防義務を憲法上の義務としなければならない。現に、國防軍を擁する諸外國は、全てこの國防義務を憲法上の義務としてゐるのである。したがつて、第九條第二項を削除改正をしたところで、國防の義務を憲法上の義務としなければ、國防軍はその祖國防衞を使命とする國軍としての存在根據を缺くことになる。單に、自衞官(國家公務員)の法律上の服務義務だけに國防の根幹を委ねる性質のものではない。法律上の義務ならば、外國人の傭兵でも賄へる。外國人傭兵が我が國との契約關係に基づく法律上の義務を誠實に履行するとの「公正と信義に信賴して、われらの安全と生存を保持しようと決意」すればよいことになるのである。

いづれにせよ、占領憲法において國防の義務(兵役の義務)を認めようとすれば、第十八條も改正しなければならなくなる。つまり、第十八條は「何人も、いかなる奴隷的拘束も受けない。又、犯罪に因る處罰の場合を除いては、その意に反する苦役に服させられない。」と規定し、兵役は「苦役」に該當すると解する説が存在するからである。そして、これらを改正しようとしても、改正手續の要件が極めて嚴格であるため、現實にはこの改正は殆ど絶望的である。しかし、國防上の緊急性はそのような流暢な話に付き合つてはくれないのである。この緊急性に對應できるのは、やはり眞正護憲論(新無效論)以外にありえない。

そして、さらに云へることは、第九條二項を削除改正すれば、確實に對米從屬(隷屬)をより強化することになるといふことである。占領憲法自體が對米從屬憲法であり、謝罪憲法であるのに、そのままの状態で軍隊を持つことは、從屬から隷屬へと深化する。アメリカは、防衞戰略上の理由から、我が國の軍事的獨立を認めない。日米安保は、雙務的軍事同盟とは到底なりえないのである。これを、獨立日本が締結した過去の「日英同盟」と同じ語呂合はせで、「日米同盟」と稱するのは、惡趣味な幻想に過ぎない。

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