意識改革
ふさがれし うみくがのりを はなつちは たみのいさみと こゝろのおきて
塞がれし(占領されし) 海陸(皇土)法(法體系)を 放つ(解放する)道は
民(臣民)の勇み(勇氣)と 心の掟(心構へ)
マッカーサーが厚木基地に舞ひ降りたとき、口に咥へたコーンバイプに右手を添へて、左手には「玉手箱」を持つてゐた。この玉手箱は、アメリカで作られた日本の「主權」が入つてゐるとされた。戦前、我が國でこれを見たと吹聴するいかさま師も居たが、實際は今まで誰も見た者が居ない。そして、これが、占領憲法を作るときに必要なものだとされ、後日になつて「天皇」の手から「國民」にこの玉手箱が渡されたかのやうな儀式が政府と帝國議會を中心に演出されて占領憲法が作られた。ところが、この玉手箱の中には何も入つてゐない。そのことを知つてゐる学者や政府の者も居たが、殆どがすべてがマッカーサーの僕として利益と保身を保障され、命ぜられるままに立ち振る舞つたことから、全ての臣民が騙された。しかし、これを開けば、虚僞の證である黒煙が立ち上り、これまで虚構の政府組織によつて営まれてきた長い時間の經過が全て無駄で有害であつたことを誰もが気付くはずである。
マッカーサーの玉手箱は、未だに開けられてゐない。これを斷行する志と勇氣があれば實現できる。そのための意識改革が必要となる。これによつて帝國憲法を復元して神州の正氣を甦らせるのである。
しかし、占領憲法は、憲法としては無效であるが、講和條約(東京條約、占領憲法條約)として成立したと評價できるものであつて、その意味で帝國憲法は未だ改正も廢止もされずに現存するものであるとの認識からすれば、帝國憲法を「復元」するといふのは、いささか誤解を生む表現と云へる。
我々は、戰前、戰中、被占領期、獨立回復後を通じて現在まで間斷なく、「帝國憲法の下で生きてゐる」のである。正確に云へば、帝國憲法を含む正統憲法の下で、そして、規範國體の下で生きてゐるのである。國璽は、戦前から現在に至るまで、我が國の國璽の刻字は、「大日本國璽」のままであり、我が國名は、「大日本帝國」であつて、その成文憲法は「大日本帝國憲法」なのである。
つまり、論理的には、帝國憲法を復元する必要はなく、それが現存することを正確に認識し、これまで占領憲法を最高規範であるとしてきた誤つた認識を改め、その誤つた認識に基づく運用などを是正する措置をとるといふことであり、いはば、占領憲法を憲法であるとする「錯覺からの解放」、「誤認からの解放」、「洗腦からの脱却」による「意識の復元」から始めなければならない。
帝國憲法が憲法であるとする意識の復元であつて、過去の帝國憲法時代をそのまま復元する時代錯誤を求めるてゐるのではない。
事實の「認識」(狹義の認識、知覺)とその「評價」(價値判斷)といふのは、簡單に區別できるやうで、實はさうではない。例へ話をしてみる。透明のガラスコップの中にその半分の飮み水が入つてゐたとしよう。事實の認識としては、水の量が半分あるといふことである。ところが、人は、先入觀といふものがあつて、直感的に、半分「しか」ないとか、半分「も」あるとかといふ價値判斷を瞬時にしてしまふ。それはどうしてかといふと、喉の渇きを感じてゐる人は、水の量が少ないと感じるだらうし、さうでない人は多いと感じるからである。
この程度のものなら認識と評價の區別はできるが、もう少し複雜になると樣相が變はつてくる。たとへば、誰でも一見して判別できる場合ではなく、ある程度の調査をしなければ判別しえない事例の場合である。たとへば、透明でない密封の容器に水が入つてゐるか否かが不明な場合、自らが手に取つてみたり搖すつて調べることができない環境にあるときは、それを實行してみたといふ經驗者の判斷に從つて推測することしかない。「堅白同異」(荀子)といふ言葉がある。これは、白い石に手を觸れずに目視すると、それが白いことは解るが堅いことは解らない。他方、目を閉じて手で觸れれば、それが堅いことは解るが白いことは解らないのである。しかし、手に觸れると同時に目視すれば、堅くて白いことはすぐに解るし、人は、視覺や觸覺など五感の作用によつて全ての事象を認識できてゐると信じてゐる。
ところが、占領憲法の效力論といふやうな「複雜系」の事象などについて、その過去の經緯にかかる歴史的事實や法律的事實の認識や個々の事實の評價、それに法的判斷を綿密かつ正確にすることを誰でもが簡單にできるものではない。そうすると、一部の事項については獨自にできても、その大半は他人の調査や認識と判斷に賴ることになる。そして、その他人の認識や判斷を無條件に信じてしまふことも多い。しかも、その他人は、自己に批判的な者ではなく、近親者であつたり思想や信條を共通する者である場合が多い。たとへば、殆どの人は自分の誕生日を記憶してゐるが、それは自己に關する體驗事實であつても、自己が體驗時から記憶してゐる認識事實ではない。後で、誕生に立ち會つた親兄弟などから教へてもらつて、あるいは戸籍の記載から、その年月日が誕生日として正しいとして信じてゐるだけである。それが反復されて、學習效果により確信に變はる。しかし、これは他人の認識を正しいものと評價して自己の認識としただけである。ここでは、認識と評價とが混然としてゐて、峻別することは困難である。ところが、このやうなことは、その經驗者である他人が嘘をついてゐたり、錯覺してゐたらどうなるのか。後でそれが間違ひであつたことが解つても、俄に信じがたいと違和感を抱く。むしろ、それまでの刷り込みのために、間違ひのまま押し通そうとすることも多い。このやうに、認識とその評價と言つても、人の知見と判斷は極めて危ふいものなのである。
これと同じやうに、歴史的事實と法律的事實を科學的に詳細に檢證すれば、帝國憲法には未だに憲法としての妥當性と實效性があり、占領憲法にはそれがないと認識できるとしても、多くの人々は、そのやうな研究を綿密にして獨自に認識して判斷する機會がない。そして、これまでのマスメディアの虚僞報道や敗戰利得者の憲法學者や政治家などの保身による虚僞の説明を信じて、占領憲法が憲法として有效であると喧傳されて先入觀を植ゑ付けられると、占領憲法の制定經過などに關する具體的な事實は殆ど認識してゐないのに、それが「有效」であるとする評價だけは反復による學習效果によつて確信に至つてしまふ。人々はそのやうに誤つて認識と評價をしてしまふのである。それは、誕生日の間違ひなどといふ類のものではない。社會人になつてから誕生日を訂正したり、その訂正を自覺をして生きることは、社會生活においてある程度の不便さはあるが、占領憲法の場合は、さう簡単ではない。職業や人生觀とも関はつてくる。そのため、「わかっちゃいるけどやめられない」といふ惰性を續けることになる。そして、そのことによつて自己が敗戰利得者であつたことを密かに自覺することになる。
しかし、憲法學における科學的知見としては、それでも帝國憲法は存在してゐるのである。多數決で眞實が何であるかが決まるのではない。
戰後の大きな錯覺は、GHQへの「服從」と「迎合」がなされたことから、それまで繼續してきた戰闘や爆撃による死と飢餓の恐怖から解放された心理状態を「平和」と勘違ひしたことである。「服從」の始まりを「平和」の始まりと錯覺した。「あゝこれで今日から逃げ惑はなくてよいのだ。」といふ安堵感をあからさまに表現することに恥じらいつつも、これに馴致してくると、ついには劣等感や屈辱感をかなぐり捨て、これを維持することが「平和」であり、「正義」だとして聲高に喧傳することが快感へと轉嫁する倒錯が始まるのである。人は個別的な「戰闘體驗」はできても全體的な「戰爭體驗」をした者は誰も居ない。自己の味はつた敗殘と疎開などの悲惨な個別體驗があることを以て、その體驗がなかつた者に對する特權意識を抱き、それを肥大化させて、これこそが「戰爭體驗」であると普遍化し、そのトラウマから生ずる厭戰感情によつて「不戰の誓ひ」のみで「平和」が實現できると錯覺した者の喧しい聲が戰後空間を埋め盡くした。「部分の性急な全體化」によつて、「一斑を見て全豹を卜す」のであればまだしも、フェティシズムの倒錯に陥つてゐる。
このやうな錯覺は、天動説と地動説との論爭に似てゐる。コペルニクス的轉回を果たしたとしても、地球上の人の營みに何ら關係がない。敗戰利得者は、どうしても天動説(有效論)に固執して、ガリレイを宗教的に彈壓としたと同樣に、地動説(無效論)を唱へる者を彈壓したり排除し續ける。これは、まさに一種の宗教(占領憲法眞理教)である。「國民主權」を絶對神と仰ぐ一神教である。しかし、科學的に考察すれば必然的に認識が轉回するのであつて、その究極は兩動説(講和條約説)による認識が確立されるといふことである。「それでも地球は回つてゐる」のと同樣に、「それでも帝國憲法は現存してゐる」のである。
そして、このやうに自覺することによつて、「無效規範の轉換」といふ「認識の轉換」が実現できれば、將來の營みに文化的な豐かさをもたらすことになる。
奴隷病の克服
それには、まづ、我々はいまもなほ帝國憲法秩序の下での「臣民」であるといふ「意識の復元」といふ意識改革から始めなければならない。志と勇氣を持つことである。この「認識の復元」と「意識の復元」がなければ、國家としての矜恃を回復することはできず、國の内外に山積する諸問題に對して、これまで通りの閉塞情況から脱却することはできない。占領憲法を最高規範であるとする歪んだ認識は、占領統治の重度の後遺症であり、未だに「蚤の曲藝」を受け入れ、「ハーメルンの笛吹き男」が跋扈する情況を續けることになる。似非護憲論(改正反對護憲論)は論外であるが、似非改憲論(改正贊成護憲論)もまた病膏肓に入つて國家百年の大計を破壞する。占領憲法に對しては、その文言表現と内容、それに解釋などで批判したり揶揄するだけで、所詮は負け犬根性に支配されてゐるのが似非改憲論者である。彼らは、眞實を知らない愚者か、眞實を知つてゐてもそれを語る勇氣がなく、日和見、卑怯、卑劣な保身の亡者か、あるいは祖國再生の志を捨てた確信犯的な反日思想の亡者かのいづれかである。自覺症状に氣付かない似非改憲論者は、敵が己自身であるのに、己以外の者であると錯覺してゐる。似非護憲論が敵だといふ錯覺である。しかし、似非改憲論は似非護憲論と反日兄弟であることに氣付かない。己自身が反日思想に毒されてゐるのに、その「内なる敵」と闘ふことができない重篤なる奴隷病に冒されてゐる。
その病膏肓の最たるものは、現在の我が國の繁榮と平和は占領憲法がもたらしたものであるとの迷信である。戰後の日本人の多くは、厭戰氣分が昂じて、占領憲法は「平和憲法」であるといふ曲學阿世の憲法學者らの戲言を信じ込んできた。それゆゑ、多くの人は、無效論なるものは時代錯誤の「天皇主權」を認める驚天動地の危險思想であるとの誤解を刷り込まれてきたのである。
敗戰利得者である憲法學者は、占領憲法制定當時に、八月革命説が麻疹的に流行したことから、集團ヒステリー状態となつて、これまでの學説をかなぐり捨てて占領憲法を憲法として有效であると主張してしまつたのであるが、その八月革命説が破綻したと認められた今日においては、もし學者としての良心があるならば、占領期の稚拙な論理によつて思考停止してゐたことを眞摯に反省し、これを乘り越えて、占領憲法が憲法としての妥當性と實效性があつたのか、正統性があるのか、といふことなどの再檢討を行ふ學問的な責務がある。ところが、これをすることが自己の社會的地位を喪失することになるとの恐怖感から、無效論を無視し續けて學者の良心を放棄するのである。これは、「飛べない」と錯覺した蚤ではなく、「飛ばない」と自己決定した蚤であり、我が國が再生するについての最大の抵抗勢力である。
いづれにせよ、これまでの平和といふのは、東西冷戰構造の中でアメリカの核の傘といふ庇護の下で、均衡的平和が實現したまでであつて、決して占領憲法があつたから平和であつたのではない。占領憲法は、「平和憲法」などでは決してない。「平和創出憲法」ではなく、いはば「平和時限定憲法」、つまり、平和時でなければ通用しないものといふ意味しかない。占領憲法には紛爭解決能力がないのである。そもそも、經濟復興と繁榮がもたらされたのは、東西冷戰構造における西側の軍産分業體制の所産であり、特に、朝鮮戰爭特需がその起爆劑となつたにすぎない。そして、この經濟復興に醉ひしれ、祖先が築き擧げてきた精神文化を蔑ろにし、國體護持といふ悠久の大義に生きることを侮つてひたすら功利を求めてきた。GHQの暴力と詐術によつて制定された占領憲法を「平和憲法」などとは笑止である。占領憲法を平和憲法と云ひ、國民主權を真理だと信じて何も疑はない。これらの言葉は「記號化」された思考停止の「呪文」である。武装放棄を理想とするのは、囚人の憲法、奴隷憲法、サハァリパーク憲法であり、ニーチェのいふ奴隷道德(ルサンチマン)の終着驛である。
清貧を嘲り、消費の擴大を美德であると錯覺し、奢侈を豐かさの指標とする經濟學がもてはやされてゐる。やうやく「國益」といふことが叫ばれるやうになつたが、その殆どの意味は經濟的利益の追求であり、祖國と祖先の名譽ではない。
「玩人失德、玩物喪志」といふ言葉がある。「人ヲ玩ベバ德ヲ失ヒ、物ヲ玩ベバ志ヲ喪フ」(書經)といふことで、經濟復興だけを追ひ求め、精神復興を怠つた「愚か者」を戒める言葉である。また、「怠け者」といふ意味の「レーニン」といふペンネームを持つウラジミール・イリイッリ・ウリヤーノフは、「その國の青少年に祖國呪詛の精神を植ゑつけ、國家への忠誠心と希望の燈を消すことが革命への近道である」と豫言したとほり、その近道を我が國は歩んでゐる。この「怠け者」によつて「愚か者」が導かれ、自らも怠け者となつて、その德と志が吸ひ取られてきた。それゆゑ、無效論によれば法的安定性が否定されるか否か、といふ眞摯な課題を、愚か者と怠け者たちは心配してゐるのではない。單に愚か者と怠け者が安逸を貪るための御託を竝べ立ててゐるに過ぎないのである。
それゆゑ、眞正護憲論(新無效論)によつて、この精神の復興を果たし神洲正氣の自覺に立つことによつてのみ祖國は再生できることを自覺し、その志と勇氣を持つて、帝國憲法秩序を我々と將來の子孫のために、改めてどのやうな法體系秩序として改善する必要があるのかを檢討して建白しなければならない。その道筋が「復元」の意味するところである。そして、この章では、さらに、復元の際に是正すべき事項を檢討するに際して、これまでの統治原理自體もその對象とし、具體的な提案を行ふことになる。
道義の回復
まづ、復元において眞つ先に必要なことは、道義の回復である。孔子は、「必也正名乎」(必ずや名を正さんか)として、名(言葉)と實(内容)とを一致させることが必要と説いた。『論語』の「子路編」に、「子路曰、衞君待子而爲政、子將奚先、子曰、必也正名乎」(子路曰く、衞の君、子を待ちて政を爲さしむれば、子將に奚(なに)をか先にせん。子曰はく、必ずや名を正さんか)とあり、孔子は、これに續けて「名不正則言不順、言不順則事不成」(名正しからざれば則ち言したがはず、言したがはざれば則ち事成らず)と説いた。
つまり、五常の一つである「信」は「人」と「言」の合成であり、その字義は、人は言明したことを貫かねばならないことを意味する。この「正名」によつてのみ政治や教育や裁判などの道義は守られるのである。それゆゑ、占領憲法や東京裁判のやうに、憲法でないものを憲法とし、裁判でないものを裁判とすることを正さなければ、政治も教育も裁判も歪んだままである。これを指摘したのが相原良一教授であつた。
この見解に從へば、現行の「五月三日」の「憲法記念日」は、「國辱の日」と改め、帝國憲法が明治二十三年十一月二十九日に施行されたことを記念して、「十一月二十九日」を憲法記念日と定めることになる。そもそも、占領憲法が憲法として有效であり、帝國憲法の改正であるとするのであれば、占領憲法は、新たな憲法ではなく、單に帝國憲法の昭和二十一年改正法であるから、その改正法施行の昭和二十二年五月三日は改正法施行日であつて、五月三日は憲法記念日ではない。有效論者からすれば「帝國憲法改正法施行記念日」(憲法改正記念日)にすぎない。從つて、占領憲法有效論であつても、革命有效説などの見解以外の見解であれば、やはり「憲法記念日」は「十一月二十九日」となるはずである。
また、我が國は、「大東亞戰爭」といふ正規の戰爭名稱をこれまで一度も正式に變更したことがないが、これをGHQのプレスコードによる占領下の檢閲によつて「太平洋戰爭」などと呼稱させられることになつたものであつて、「太平洋戰爭」といふ名稱は明らかにGHQによる「檢閲名稱」である。これを政府が現在もなほ踏襲することは、未だにGHQの檢閲を受け續けてゐることと同じである。殊に、「人權」に敏感なはずの左翼勢力などがこの檢閲名稱を使ひ續けることは、彼らの人權思想なるもの甚だいかがはしいもので、僞りであることを自白してゐるに等しい。我が政府による檢閲は斷固として反對するが、GHQによる檢閲は素直に受け入れ、今もなほ無條件降伏してゐるのである。内辨慶といふか、長いものには卷かれろとして恭順を示してゐるのか、いづれにせよ御都合主義のダブル・スタンダードであり、その程度の人權感覺しかないといふことである。同樣のことは他に幾らでもある。「敗戰」を「終戰」とし、侵略軍を占領軍とか進駐軍としたことなども正さねばならない。勿論、自衞隊の名稱も、その階級名稱についても、皇軍の正規名稱に戻さなければならない。さうでなければ、皇軍としての建軍(創軍)の精神を歪める。
このやうなことは、政治や法律の領域だけに限られるものではない。むしろ、文化復興運動、教育再生運動などとしての學際的廣がりが必要である。
もし、現状のままであれば、占領憲法第九條違反の自衞隊を合憲であると強辯して開き直るなど、今まで大人たちが數々の言動を行つてきた大部分に「嘘」があるのに、それを自ら正さずして、次の時代を擔はうとする子供たちに臆面もなく人の道を説くことができるのか。
この占領憲法第九條と自衞隊との關係は、パチンコなどの遊技場營業者の禁止行爲を定めた『風俗営業等の規制及び業務の適性化等に関する法律』(風營法)第二十三條と景品買ひの關係に類似してゐる。パチンコの「特殊景品」(金券)を景品交換所で現金に換へることは、同條第一項第一號の「現金又は有価証券を賞品として提供すること。」に違反するにもかかはらず、それを警察の傀儡組織である公安委員會が當然のこととして容認し、プリペイド制の導入による警察利權の温床となつてゐるのである。いはゆる「三店方式」であつても、換金行爲が組織的に制度化して換金循環してゐる現状からして、これは明らかに賭博罪であり、それが全國的に蔓延してゐるのである。
このやうな違法行爲の反復による道義の退廢は、教育の荒廢を招いてゐる。大人の道義が頽廢すれば子供は歪む。國内の亂れは、國際社會にも陰を落とす。未だに敗戰を引き摺り、大東亞戰爭後の世界の枠組みから逃れられずに、未來の夢と理想を語ることもできないままでゐる。そのためにも、國體護持の大義を貫き、一日も早くこの内憂外患の状況から脱却して國家再興を果たさなければならず、その第一歩として、この復元が必要なのである。
後醍醐天皇が吉野の地で崩御されて建武の中興が花と散つたとき、「たゞ生々の妄念とも成るべきは、朝敵をことごとく亡ぼして四海を泰平ならしめんと思ふばかりなり。」「玉骨はたとへ南山の苔に埋るとも、魂魄は常に北闕の天を望まんと思ふ。もし命を背き義を軽んぜば、君も繼體の君に非ず、臣も忠烈の臣に非ず」といふ帝の最後の綸言を『太平記』は傳へてゐる。そして、帝は「あだにちる花を思ひの種としてこの世にとめぬ心なりけり」(『新葉集』)といふ御製を遺された(文獻293)。後醍醐天皇は、攝關政治を排除して天皇親政がなされた醍醐天皇の延喜と村上天皇の天暦の御代を理想とされ、御親ら「後の醍醐」と名乘られて、自ら公家政權と武家政權による政治の歪みを糺し、關白や太政大臣を設けず、院政までも排除した天皇親政による理想政治を目指されたが、その道半ばにして崩御された。このことを體すれば、現今において、果たせなかつた建武の中興の志の「種」と「心」を育み、繼體の君を奉じて忠烈の臣となる道は、一念通巖、一味神水の決意なし、眞正護憲論(新無效論)による國體護持運動(祓庭復憲運動)によつて「平成の中興」を実現する以外にないのである。
規範國體の復元力と祖國防衞權
では、復元の妥當性を根據付ける原動力となるのは何か。それは、規範國體の持つ復元力である。
規範國體が一時的に停止されてゐたとしても、その復元力によつて再び規範國體が復元する。このやうな事例は、神話に煙る悠遠の昔から今日までの我が國の歴史において決して希有なことではなかつた。たとへば、占領憲法は、律令時代における公地公民制(班田收受制)に相似し、また、占領典範は、いはば江戸時代における『禁中竝公家諸法度』と『禁裏御所御定八箇條』に比肩されるからである。つまり、班田收受制については三世一身法(723+660)と墾田永代私財の法(751+660)で完全に崩壞するまでに百五年間、『禁中竝公家諸法度』と『禁裏御所御定八箇條』については寛永六年(1794+660)に光格天皇によつて尊皇討幕の綸旨の民に下されるまで約百八十年間の歳月を要したものの、我が國體の持つ復元力によつて淘汰されてきたからである。
このやうに、我が國體からして「異體」又は「奇胎」の法制度は國體護持の妨げとなる危機ではあるが、國體の復元力によつて早晩破棄されて再生しうる。しかし、最大の危機は、むしろ、畏き邊りからの崩壞であり、その空洞化、虚無化である。外患に對する防衞措置も當然必要であるが、それ以上の危機的な内憂に立ち向かはなければならない。
そして、この規範國體の復元力に基づく臣民の名譽ある義務と崇高な權利が、前に述べた祖國防衞權(國體防衞權)である。民族の保存維持本能に忠實な方向へ向かひ、繼體の君を奉じて犬馬の勞を惜しまない忠烈の臣となる道が開かれてゐることを意味する。この祖國防衞權の呼稱は、三島由紀夫の「祖國防衞隊」に由來する。これは國體防衞を意味するが、これには勿論、文化や規範の全體的な防衞のみならず、祖國を構成する個々の臣民の生命、財産なども防衞の對象とし、なによりも「祖國」の言葉の中に「復元」の想ひが含まれてゐるからである。
祖國防衞權の根據は、規範國體にあり、帝國憲法第二十條の「兵役の義務」(國防の義務)は、これを注意的に規定するものであつて、明治二十三年十月三十日の『教育ニ關スル敕語』(教育敕語)にも「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ以テ天壤無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」とある。さらに、明治二十七年八月七日の『義勇兵ヲ停メ給フ敕諭』には、「非常徴發ノ場合ヲ除クノ外」は義勇兵(祖國防衞軍)の必要がないとするのであり、その反對解釋として、非常事態時(國家緊急時)においては義勇軍を創設し、國家に仇なす者を實力で排除することは認められるのである。ここに祖國防衞權の存在理由があり、いまは正にその行使の時期である。
臣民について
ここで、「臣民」の意味を明らかにしておく。臣民の言葉は、近世までは用語例が少なく、特に、帝國憲法で法律用語として使はれたことによつて注目された。そもそも、「臣」と「民」とは全く異なつた概念である。臣とは、治者である君主に仕へる「人臣」(臣下)であり、民とは、被治者である。臣の文字は、象形文字で、下に伏せて俯いた目を意味し、民の文字も象形文字で、目を針で突いて目を見えなくした姿を意味するとされる。同じく目(知見)に關する文字で、これらが寓意するやうに、治者側と被治者とは峻別されるものである。
ところが、それを帝國憲法において一體混合したした概念として創造したのは、「臣たる民」として民を臣に昇格させ、天皇の下に一視同仁の平等社會を實現する理想に基づくものである。帝國憲法や教育敕語などにおいて、「民」を「盲(めしひ)たる民」(盲民)とせずに「臣たる民」、すなはち「臣民」としたが、この「臣民」とは、神國日本の民の自覺により「神民」となり「公民」、そして「皇民」となるための名稱である。
そして、この「臣民」概念は、占領統治下で占領憲法が制定される經緯において、國民主權の概念とは相容れないものとして排除され、「國民」に置き換へられた。戰前においても、臣民とともに國民と呼稱することも多かつたが、占領憲法における「國民」とは、戰前の「臣民」を意味する「國民」ではなく、「國民主權」の帰屬者である「國民」といふ意味となつた。
しかし、この「臣民」の概念は、むしろ、現代においてこそ、まさにその效用が求められてゐる。元來「國民」とは、言語的には「國の盲民」を意味するものであり、官(臣)と民とは待遇においても隔絶されたままである。中央官僚が税金の無駄遣ひをしたり、國家財政や地方財政を破綻をさせたりして、公金の不正使用、流用、橫領をしたとしても、民間人のやうに損害賠償を求められることは殆どない。刑事事件の追及も手加減がなされる。官民差別は歴然とある。それを是正するには、臣(官)と民が同じ責任を果たすために「臣民」の概念を新たな意味で復元しなければならないのである。
占領憲法第十四條第一項は、法の下の平等を定めるが、帝國憲法ではさらにこれを具體的に定めてゐた。それは、第十九條に、「日本臣民ハ法律命令ノ定ムル所ノ資格ニ應シ均ク文武官ニ任セラレ及其ノ他ノ公務ニ就クコトヲ得」とあり、これは、江戸時代の門閥制度を否定し、一視同仁の畫期的な規定であつて、占領憲法第十四條の規定は、その二番煎じであつて新規性はない。むしろ、この官吏登用の平等性こそは、官吏に高潔無私であることを義務付ける基礎となつてゐる。占領憲法第十五條第二項の「全體の奉仕者」と規定するだけでは、高潔無私であるといふ積極性が導かれない。そのために、民間における株式會社などの法人の場合、その役員や從業員が第三者に損害を與へたときは、刑事責任はおろか、不法行為責任といふ民事責任を負擔するにもかかはらず、公務員だけは、何をやつても刑事責任しか負擔しないことが蔓延してゐる。
この全體の奉仕者といふのは、臣民よりも重い責任を負擔してゐることまでは意味してゐないとしても、決して公務員の責任を輕減させるやうな特別待遇を認めてゐる規定ではない。公務員については、刑事責任を負擔することにはなつてゐるが、裏金を使つて流用することは背任、橫領に該當するにもかかはらず、捜査機關もまた公務員であるから、刑事免責に關する一種の「公務員共濟組合制度」なるものがあるかのやうに、實際には殆ど立件されない。このやうな闇の制度とその運用は勿論のこと、民間人とは異なり公務員が民事上の個人責任を一切負担しないことは占領憲法第十三條の法の下の平等に違反するのであるが、最高裁判所は、このやうな結論は占領憲法第十七條に照らして合憲であるとする。
しかし、同條は、「何人も、公務員の不法行爲により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、國又は公共團體に、その賠償を求めることができる。」とするもので、この規定は、決して公務員の保護規定ではなく、臣民の保護規定(人權規定)であるから、どう眺めたところで、「公務員の個人的な民事責任は免責される」とは讀めない。この規定は、臣民保護の見地から、公務員の個人責任以外に、國や公共團體も共に直接的に責任を負ふための規定としか認識しえないのである。ところが、最高裁判所も學者も、戰前からの「代位責任論」、つまり、公務員に代はつて國が責任を負ふのであつて、公務員は直接に責任を負はないとの解釋を堅持してゐる。占領憲法は戰前を全否定する建前でありながら、自分たちに都合の良いところでは戰前を持ち出すのである。
このやうな公務員共濟制度のやうな「公務員バリア」を直ちに廢止し、公務員に公僕としての責任を負擔させる論理として、治者と被治者の自同性を意味する「臣民」の理論は、現代においても重要であり、さらなる有用性が認められるのである。本書では、このことを自覺的に用ゐる場合や引用の場合には「臣民」を用ゐることとし、一般的には「國民」と表記してゐる。
内憂の根源
祖國の再生に向けて、以上のやうな復元措置は必要なことであるが、それ以上に渇望しなければならない復元措置がある。それは、皇室とその藩屏たる宮家の再興である。
「悠遠の昔から國民に其の首長を供給する特權を保有してきた一定の王朝の統治以外には、如何なるものの統治にも進んでは之に服從することを潔よしとしない國民がある。」と英國のジョン・スチュアート・ミルは、その『代議政體論』で我が國のことを述べた。また、アイルランド生まれの英國政治家ジェイムス・ブライスは、晩年になつてロシア革命を目の當たりに經驗し、その後に日英同盟が解消されるに至る前年の大正十一年に、八十二歳の老躯に鞭打つた渾身作『近代民主政治』の中で、「日本に於ては、その發祥、神話の霧の中に茫漠たる皇室に對する宗教的忠義は、その領主に對する武士の個人的な忠義と結合し、日本軍人に一死報國を特權と心得る國家的及び國民に對する無私の騎士的な忠義を發生せしめた。かくの如く忠義が一樣に國民の全階級に旁魄としているように見受けられる國家は他にその例を見ない。」と述べてゐる。
いづれも戰前の我が國柄を描寫したものであるが、今の我が國に、これほどまで外國が羨むほど眩しくて高貴な精神的民度は殘つてはゐない。どうしてこれほどまで民度を落として低俗に陷つたか。その原因は、立憲君主制の我が政府が招いた未曾有の敗戰處理をなすについて、國體を護持するとか皇室を守るなどといふ美名の下に、逆に、御皇室を生け贄として、その犧牲によつて國體を踏みにじつて利得を得た臣民全體のいかがはしさにある。
大東亞戰爭敗戰後に、我が國がGHQの占領統治下におかれたとき、美德を重んじて恥辱と共に生きることを峻拒して自決する人々や隱棲する人々が相次いだことから、狡臣と愚民のみが生き殘つてGHQの占領政策に迎合した。そして、己の責任を隠蔽して保身をはかり、皇恩を仇で返して明治典範を廢止し、皇室彈壓法(占領典範)を制定して、御皇室の藩屏となるべき宮家の皇籍を剥奪し、御皇室の自治と自律、そして財産を奪つた。
そして、獨立回復後もそのことを全く是正回復させることなく、文化國體の中核である皇室の弱體化と空洞化を促進させた。象徴天皇制とは名ばかりで、國民主權の下での傀儡天皇制といふ究極の政治利用を今もなほ續けてゐる。
昭和二十年八月二十八日、東久邇總理大臣は、記者會見において、「この際私は軍官民、國民全體が徹底的に反省し、懺悔しなければならぬと思ふ、全國民總懺悔することがわが國再建の第一歩であり、わが國内團結の第一歩と信ずる。」と述べたが、この、いはゆる「一億總懺悔」は、未だに果たされてはゐないのである。
そして、この忘恩背德による傀儡天皇制は、着々と皇室を蝕んで行く。煩瑣な公務をこなされ、ご靜養もままならず、皇室に最も重要な宮中祭祀までも疎かにならざるをえないやうな多忙なる環境の下におはしますことは、皇室にとつて重大な危機である。いま、兩陛下の宸襟を惱まし、あるいは皇室を取り卷く樣々な好ましからざる諸相が生まれるのは、敗戰の總懺悔をなさず占領典憲の制定を恬として恥じない敗戰利得者である臣民の樣々の所業の累積した弊害が根源にあるからである。
外患の實相
ヤルタ・ポツダム體制の構造は、主として政治、經濟、軍事の側面によつて構成されて今日に至つてゐる。總體的な枠組みは國際連合憲章で組織された國際連合であり、部分的には、經濟面がWTO(舊GATT)・IMF體制、軍事面がNPT體制によつて構成されてゐる。
WTO(舊GATT)・IMF體制とは、舊GATT(關税及び貿易に關する一般協定、ガット)とブレトン・ウッズ協定で定められたIMF(國際通貨基金)による世界貿易と通貨金融の國際機構をいふ。これは、自由貿易の推進、世界貿易の擴大及び世界金融の統合を理念とする「世界主義」(グローバリズム、Globalism)に基づく世界支配構造である。連合國は、世界の中央集權化を實現し世界支配を強化するために、先づ、經濟(貿易、通貨、金融)の世界化を推進することによつて、政治的、經濟的、軍事的に、世界各國の連合國への依存體質が強化されることを推進した。世界の全ての國が、自國に必要な食料、資源、エネルギーなどの基幹物資の自給率が低下するにつれて、連合國主導の世界機構に對する依存率が高くなる。連合國は、基幹物資の自給率を年々高めている傾向があるのに對し、我が國はその自給率を年々低下させてゐる。これは連合國の世界支配戰略が豫定通り遂行されてゐる例證である。大東亞共榮圈構想は、戰前からの連合國の世界戰略に對抗して、國家安全保障の見地から、危險を分散して基幹物資の安定供給を確保し、自給率を高めるための「地域主義」(リージョナリズム、Regionalism)であつたが、これによる國力增強を恐れた連合國は、地域經濟ブロックを阻止するために「太平洋戰爭」を誘發させたのである。この路線は、戰後さらに顯著となり、GATT・IMF體制へと、そして、GATTはWTOへと改組されて今日に至つてゐる。
また、NPT體制とは、『核不擴散條約』(核增殖防止條約)による原子力管理の國際機構をいふ。核保有國である連合國は、その保有する核兵器の廢絶と核軍縮を義務づけられることなく、非核保有國の核兵器保有を禁止するといふ完全不平等條約であり、これにより連合國は、他國に對する軍事的な絶對優越的地位を確保してゐる。
このやうに、ヤルタ・ポツダム體制は、その象徴であつた東西冷戰構造の崩壞と、米ソの二大超大國による寡占支配が終焉することにより、從來の支配状況が變質したが、依然として、その具體的制度である國連體制、GATT(WTO)・IMF體制及びNPT體制は健在である。それどころか、一段とそれらの制度活用が頻繁に行はれてをり、むしろ、ヤルタ・ポツダム體制は、冷戰構造崩壞後に更に強化されてゐる。
その状況下で我が國は、獨立と同時に桑港條約と舊安保條約といふ國連支配體制の豫備組織に組み入れられ、その後、我が國を支配する連合國を常任理事國とする國連體制に組み入れられ、國連分擔金や政府開發援助(ODA)などの多額の資金を實質的には戰後賠償として供出させられ續けてゐる。
この國連體制が我が國を未だに支配し續ける國際系のシステムであり、その國内系に向けられた桎梏が占領憲法なのである。
そして、そのやうな状況の中で、對米從屬(アメリカ追随主義)か、對國連從屬(國連中心主義)かの路線對立が國内で生まれてくる。それは、占領統治の投影であり、マッカーサーに從ふか、極東委員會に接近するか、といふ選擇肢がそのまま引き繼がれただけで、コップの中の論爭ではあるが、それしか今の我が國には選擇肢がないといふことである。日米間は、新安保條約になつても、米國に支配從屬する關係であり、對等の同盟關係でないにもかかはらず、あたかも對等の同盟關係であつた「日英同盟」を連想させるやうな、むしろ、その幻想へと移行できるかのやうに、いつの間にか「日米同盟」といふ言葉が喧傳されるやうになつたことは、我が國を安易に極めて危險な方向へと導くおそれがある。また、國連中心主義といふのも單なる幻想である。いまだに占領憲法の前文を正しいと信じてゐる愚か者の戲言にすぎない。
そもそも、「アメリカと離れては何もできない。」といふ觀念は、對米從屬意識の所産であるといふよりも、その根底にはニーチェのルサンチマン(奴隷道德)がある。まさに「蚤の曲藝」である。これでは、白人支配の脱却のための大東亞戰爭の眞價も理解できないし、キング牧師などのアメリカの黑人奴隷解放運動理論や我が國の部落解放理論などを嘲ることに等しく、ひいては占領體制からの解放のための原状回復理論を理解することはできない。
日露戰爭では、國内で自前の戰費調達が果たせず、外國からの借款に賴らざるを得なかつた教訓を踏まへ、政府の信用が不充分な時代において、その資金調達を地方の名士や素封家などに賴つたのが「特定郵便局制度」であり、この擴大により、郵便部門によつて通信網の整備充實が實現し、さらに、郵貯簡保部門などによつて戰費や災害復興資金の調達が容易となつた。そして、これが大東亞戰爭を自前の戰費で支へた源泉であつた。つまり、その意味で大東亞戰爭は眞の獨立國の戰爭であり國民の總力戰であつた。ところが、その自存自衞のための制度を解體したのが、「郵政民營化」と稱する暴政である。これは、平成六年からアメリカが毎年我が國を主導權(initiative)によつて要求(指導)し續けてきた『年次改革要望書(指導書)』に盲從した結果である。これだけではない。外貨準備は、繼續的に米國債に吸ひ取られて經濟的獨立(經濟主權)を制約され、橋本龍太郎元首相が平成九年六月二十三日にニューヨークで「米國債を賣りたい誘惑に驅られたことがある。」と發言しただけで、米國債賣却を阻止する巨大な壓力が加へられ、その後のスキャンダル攻勢を仕掛けられるなど、我が國の首相と雖も自國の金融政策を思ふとほりにできない状況となつた。この經濟的敗戰は、昭和五十八年十一月に日米圓ドル委員會(日米共同圓・ドルレート、金融・資本市場問題特別會合)が設置されたときから始まる。このやうな機關を隠れ蓑として、それ以後の我が國は、實質的にアメリカの全面的な金融支配を受け、金融自由化の名の下に經濟的獨立(經濟主權)を奪はれ今日に至つてゐる。さらに、農協(JA)の解體、商法改正、医療、介護の改革など、これまでの全て「改革」なるものの正體は、我が國を弱體化するためのものであり、我が政府は、國民に對し、この對米「盲從」を「改革」と僞り續けてきた。これは、黑船來寇、大東亞戰爭に續く對米戰爭における「第三の敗戰」である。我が國には、「親米派」なるものは居ない。「屬米賣國派」の蚤御仁だけである。
これらの蚤御仁は、平成十四年二月にブッシュ米大統領が來日し、そのローラ夫人が『ひとまねこざるときいろいぼうし』といふアメリカの童話を數多くの學校を精力的に訪問して兒童に朗讀して聽かせたことをどう評價してゐるのであらうか。おそらく大歡迎なのであらう。
この話の概要はかうである。ある日、アフリカで、ひとまねをするのが大好きな好奇心旺盛の「おさるのジョージ」のところに、黄色い帽子をかぶつたおじさんがやつて來た。ジョージは、おじさんが地面に置いたその黄色い帽子を手にして、そのおじさんのまねがしたくて、その帽子をかぶつてみる。すると、前が何にも見えなくなつてしまひ、そのうち、ジョージはおじさんに捕まつてしまつた。おじさんはジョージを可愛がり、アフリカから船に乘せてニューヨークに連れてきて動物園に入れるが、それまでに、ジョージは、好奇心を滿たしながら次々と騷動を起こすといふ物語である。
これは、ひと(白人)まねをする黄色帽子を被つた小猿のジョージ(イエロー・スモールモンキー。日本人)が、おじさんの國(アメリカ)の動物園に入れられても(植民地になつても)、その文明に魅せられて喜んでゐるといふことを露骨に表現したものである。これをわざわざローラ夫人は意圖的に我が國の兒童に讀み聞かせて回つたのである。蚤御仁たちは、この事實を諸手を擧げて嬉々として受け入れるのであらう。これは既視感(デジャビュ)ではない。「マッカーサー萬歳」の再現なのである。
