正統典憲の復元
認識の復元を果たした後になすべき復元措置には樣々な課題があり、その中でも正統典憲の復元措置は、その中心的な事項である。
それによつて初めて、占領憲法秩序から正統憲法秩序へと回歸し、政治的にも、GHQ占領期からこれまで續いた占領憲法政府が終焉し、正統憲法政府が樹立されることになる。これまでの戰後處理とは、占領憲法體制への固定化であつたが、これからは正統憲法體制に原状回復することよつて、獨立自尊の矜持を持つた眞の道義國家へと邁進できることになる。その國家目標は、次章で述べる自立再生論による祖國と世界の改造である。それゆゑ、正統憲法政府の樹立はその手段であつて、道義國家の目指すものはあくまでも自立再生社會の建設にある。
しかし、我が國において國家百年の大計である自立再生社會を建設して世界の龜鑑となり、それを世界に恢弘して世界平和を實現するためには、その一里塚となる正統憲法秩序への回歸が刻下の急務となる。
そのために、以下に述べるのは、眞正護憲論(新無效論)、すなはち講和條約説に基づいて、占領憲法が憲法であるとする錯覺(集團ヒステリー)を解くための手順であるが、その前に、これらの手順を採ることのできる論理性の根據について説明したい。
それは、第一章で述べたクルト・ゲーデルの「不完全性定理」である(文獻250、327、328)。つまり、「自然數論を含む歸納的に記述できる公理系が、無矛盾であれば、自身の無矛盾性を證明できない。」といふジレンマが占領憲法にあるといふことである。平易に云へば、占領憲法が法律學、憲法學、政治學において、論理學的に矛盾のないものであるとしても、「占領憲法自身が自らの有效性を證明することはできない。」といふ意味に還元できる。これは、第三章の「法定追認」のところで説明したとほり、「泥棒や詐欺師の側が、『これは俺のものだ』と宣言しても、それは追認とは云はない。」といふことと同じ性質の論理であり、これはその基礎理論である。
身近な譬へ話をすると、人が認識の窓としてゐる自分の目(視覺)についてである。可視光線の範圍内であれば、自分の目ですべて物體の表層と位置關係を直接に認識できることを前提として、これを「視覺」と定義づけたとすると、自分の目それ自體を自分の目で見ることはできないことが解る。つまり、自分の目では、すべての物體を見れない。自分の目だけは例外であることになる。しかし、自分の目(自分の公理系)では見えないが、他人の目(他人の公理系)ではその人の目は見える。ところが、このことに對しては、鏡(反射鏡)を用ゐれば、自分の目で自分の目を見ることができるのではないか、といふ反論があらう。しかし、鏡に映つた自分の姿は、「虚像」である。自分の目から發散した光線が鏡で反射したものを受け止めて見ることになるが、それは、反射した光線を逆方向に延長して収束させた位置にある虚像を認識してゐるだけである。目は、光線が真つ直ぐ進むものといふ錯覺をするために、反射光線でも目に入つてきた方向から眞つ直ぐ進んできたものと認識してしまふ(直進錯覺)。部屋の壁に掛けてある鏡の奥に自分の姿を見るが、鏡の後にある壁の奥は、隣の部屋であつたり、戸外であつたりするのであつて、そこに自分が居るはずがない。それは自分ではないし、自分の目と思はれる部分も自分の目ではない。その虚像を見てゐるだけで、自分の目の實物を直接に見てゐるのではない。そして、自分の目の位置の認識についても、自分の目(見られる目)と自分の目を見てゐる自分の目(見る目)との距離はないのに(同じ位置なのに)、鏡に映つた自分の目(見られる目)の位置は、自分の目(見る目)と鏡との距離の二倍の距離の彼方の位置にあることになる。しかも、右左が正反對となつてゐる自分の目であるから、それが自分の目でないことは明らかである。そして、いくらこれが虚像であり、目に入つて來るのが反射光線であることを理性的に判斷できても、目はその直進錯覺を修正できずに、常に虚像しか見えないのである。ここに視覺の限界があり、自分の目を自分の目で見ることはできないことは紛れもない眞實なのである。
このやうに、不完全性定理といふのは、比喩的に言へば、「自畫自贊」はできないといふことを數學基礎論、論理學において證明したもので、このことは、同じく論理學を基礎とする法律學、憲法學、政治學などにおいても同樣に適用があるといふことになる。
これにより、「占領憲法は、占領憲法自身の論理(自己の目)によつて自己の有效性(無矛盾性)を證明できない。」といふことが導かれるのであり、占領憲法は占領憲法が憲法として無效であることについては、占領憲法とは形式的には別の公理系(他人の目)である帝國憲法の側から占領憲法の矛盾性を證明したのである。その公理系(他人の目)の理論が講和條約説(眞正護憲論)といふことになる。
それゆゑ、占領憲法の效力論について、占領憲法の公理系に含まれる「裁判」によつて決着を付けることはできないことになる。そもそも、占領憲法によつて設置された「司法機關」には、占領憲法から占領憲法自體の效力を審査する権限を占領憲法上は與へられてゐない。さらには、司法機關が自らの存在根據である占領憲法を否定するとすれば、それによつて自己の存在根據も否定することになり、ひいては占領憲法を否定した司法機關の資格も喪失して、その判斷自體が無效となつて自己矛盾となるから、司法機關は占領憲法を否定する権限を有してゐないのである。つまり、占領憲法によつて肯定された裁判機關が占領憲法を否定することは、いはば「親殺し」である。いづれの憲法規範の体系下においてもこれを禁止してゐるのであるから、その行爲を裁く機關が、自らこれを犯すことは許されないからである。それゆゑ、これは、司法機關で決着しうる事項ではなく、專ら政治的に決着を付けることになる。そして、この政治的決着に反對して法的決着を主張する勢力が、法的決着をせずに政治決着を行ふことが「占領憲法違反」であるとする「法的主張」を行つても、「占領憲法は、占領憲法自身の論理(自己の目)によつて自己の有效性(無矛盾性)を證明できない。」ことを理由に、その主張を排斥し、さらに占領憲法が憲法としては無效であることを證明しうる「法的根據」がこの講和條約説(眞正護憲論)なのである。
このやうに論理的な前提に立つて、以下に、その復元措置について具體的に説明することにする。
まづ、正統典範の復元措置としては、占領典範の排除と同時に明治典範及びその他の皇室令ならびに皇室慣習法の回復である。勿論、これは、皇室の自治と自律の奉還のためになされるものであつて、その復元措置とその後の改正などについては、それこそ皇室の自治と自律に委ねられるものである。
しかし、占領典範はもとより無效であることから、明治典範を含む正統典範は現存してゐることになるが、これまでの政治的障碍を除去して修祓する必要があるといふことである。それゆゑ、これについての政治的な無效確認決議がなければ憲法的に無效とはならないといふものでもない。從つて、その具體的手順としては、①昭和二十二年五月一日に明治典範を廢止する旨の敕令である『皇室典範及皇室典範增補廢止ノ件』を祓除(無效確認)して明治典範を復活させ、②昭和二十二年十月十三日に占領典範のもとの初めての「皇室會議」でなされた、秩父宮、高松宮、三笠宮の三宮家を除く十一宮家五十一人の皇族の皇籍離脱の決定が無效であることを前提として、明治典範第三十條の皇族すべての皇族たる身分が回復された旨の新たな敕令を宣布され、③昭和二十二年四月三十日に「皇族會議」を廢止する旨の敕令を祓除(無效確認)して皇族會議を復活させ、さらに、④昭和二十二年四月三十日の敕令によつて『樞密院官制』(明治二十一年敕令第二十二號)とこれによつて廢止された樞密院を廢止する旨の敕令や『皇室令及附屬法令廢止ノ件』(昭和二十二年皇室令第十二號)などを祓除(無效確認)して樞密院官制及び樞密院を復活させる旨の新たな敕令を宣布されれば、これだけで明治典範を含む正統典範の復元措置としては充分である。
ただし、皇族身分の回復の件については、少し説明が必要となる。初めに、宮家とは、明治典範上の地位ではない。明治典範第三十條に定める「皇族」が皇室御一家とは別の宮家を構へられた場合に宮號の尊稱を贈られた皇族集團のことであり、これも正統典範に屬する典範慣習法によるものである。
また、皇族の範圍については、明治典範では無窮である。つまり、明治典範第三十條には「皇族ト稱フルハ太皇太后皇太后皇后皇太子皇太子妃皇太孫皇太孫妃親王親王妃内親王王王妃女王ヲ謂フ」とあり、同第三十一條には「皇子ヨリ皇玄孫ニ至ルマテハ男ヲ親王女ヲ内親王トシ五世以下ハ男ヲ王女ヲ女王トス」とあるので、「五世以下」無窮といふことである。
そして、明治典範第四十四條に「皇族女子ノ臣籍ニ嫁シタル者ハ皇族ノ列ニ在ラス但シ特旨ニ依リ仍内親王女王ノ稱ヲ有セシムルコトアルヘシ」とあるものの、それ以外の事由によつて皇族の身分を離れることはなく終身といふことになる。
ところが、占領典範は、皇族の範圍を制限しなかつたものの、皇族の身分を離れる條項を定めた。自らの「意思に基づく」場合(第十一條第一項)、「やむを得ない特別の事由がある」場合(同條第二項)、「皇族女子が天皇及び皇族と婚姻した」場合(第十二條)など多くの皇籍離脱事由を定め、實質的に皇族の範圍を縮小し、ひいては皇族の消滅を企圖したものである。
そして、明治典範では皇籍離脱させることができないので、速やかに占領典範を制定し、その占領典範第十一條第二項に基づき、GHQの傀儡機關である「皇室會議」の決定によつて、十一宮家五十一人の皇族の身分を「一齊剥奪」したのである。その離脱の理由は「やむを得ない特別の事由」であるとする。皇族側にはそんな理由は全くない。GHQの指令によつて身分を剥奪せざるを得ないことを「やむを得ない特別の事由」であつたといふことである。
從つて、占領典範を無效であるとする立場であれば、皇族の地位を一齊剥奪した皇室會議の決定も無效であり、明治典範に基づく皇族の地位は復元されてゐることになり、このことについては離脱された皇族の意思によつて左右されるものではない。自動的に無條件にて復歸されるのである。そして、もし、これまで通り離脱されたままの状態をご希望であれば、改めて明治典範を改正されて、離脱を認める條項を追加された上で、その御意思が尊重されるべきである。
ただし、男系男子の皇統護持のためには、男系男子の皇統を承繼されてゐる宮家の新たな離脱については愼重でなければならない。それこそ「やむを得ない特別の事由」でなければならないと考へる。
これが占領典範無效論の立場であり、有效論であれば、無條件復歸の論理を貫くことができず、すべて「意思に基づく復歸」となり、復歸の意思表明をされることによつて世間の物議を醸すことを懸念される舊宮家の御立場を配慮することができずに畫餠に終つてしまふのである。
その後は、復歸された皇族も含め、成年男子皇族で組織された「皇族會議」が復活し、これが陛下の諮問機關となつて典範の整備作業がなされることになるが、長期に亘り占領典範が事實上運用されてきた状況から、いきなり皇室の自治と自律を奉還すると云つても、有職故實の調査、資料の收集、典範條項の文案作成や典範體系の整備、專門職の確保と養成その他の事務についての補弼は不可缺で、從來の宮内廳か、あるいはこれに代へ、又はこれと併存させた調査諮問委員會を皇族會議の下部機關として設置し、その人事及び運用を皇室及び皇族に委ねる必要がある。
そして、その改革の方向を忖度するとすれば、皇室の自律、自治を廣範に認め、皇位繼承の決定と變更、宮家の創立、舊宮家の復歸、明治典範の改正、皇族關連施設及び皇室行事關連施設(京都御所、皇居、東宮御所、御用邸など)に對する施設管理、行幸の決定、宮内廳長官その他の宮内廳職員全員の人事と組織編成など廣範な權限が陛下と皇族に委ねられ、御叡慮に從ふといふ大改革がなされるであらう。
中でも、宮家の創立、舊宮家の復歸は最重要課題である。その昔、新井白石のなした皇統護持の功績は、正徳の治において閑院宮を創立(1718+660)したことである。それまで、伏見宮、有栖川宮、京極宮の三宮家のみであつたのを、新たに御皇室の藩屏となるべき宮家として閑院宮を創立したことである。それが光格天皇から今上陛下に至るまでが閑院宮系の皇統であることからすると、この意義は何ものにも代へ難ひものがある。この宮家創立を先例として、平成の御代において舊宮家の復歸がなされるべきである。
附言するに、前に述べたとほり、我が國體における王覇の辨へと同種のものとして、「齋」(王道)と「政」(覇道)との辨別があり、これは「聖」と「俗」の辨別と相似したものである。それゆゑ、皇室は、國家の中にあつて最も聖なる「齋庭(いつきのには、ゆには)」として保たれなければならない。王道が穢れれば覇道が亂れる。それゆゑ、王道を穢し、宮中祭祀を疎かにする「開かれた皇室」といふ俗化の方向は言語道斷である。皇室の自律と自治とは、俗化の方向から聖なる方向への回歸のために是非とも必要なことなのである。
このやうに、皇室の自律と自治の推進は、正統憲法の復元改正措置と連動したものであり、もとより天皇が元首であり、當然に象徴機能も併有されるものであることから、これまでの「傀儡天皇」の運用から、眞の意味での象徴天皇となられるためのものであつて、これにより、これまでの傀儡天皇制から完全に脱却できるのである。
次に、正統憲法の復元措置としては、占領憲法の排除と、帝國憲法、教育敕語その他の正統憲法の回復であることはいふまでもない。この具體的な方法については後に述べることとする。
廢憲論
復元態樣の一つとして、占領典憲を單に廢止し、根本規範である正統典憲は、いづれも不文法の體系とすればよいとする復元方法の提案がある。
これは、復元措置の方法論の一つであつて、その理論的根據となるのは無效論寄りの見解である。しかし、舊無效論と似非改憲論(有效論)であれば、破棄、廢止の根據において理論的な破綻をきたすことになるので、眞正護憲論(新無效論)しかこの見解を支へる理論はない。
ところが、占領典範の無效性の理由の一つなつてゐる成文廢止の無效性について第一章及び第三章で述べたとほり、この廢憲論といふ不文法化の提案は無理がある。
つまり、不文法制は、規範の適用と運用に柔軟性があるものの、その柔軟性の高さが規範の適用と運用における豫測性の低さと表裏の關係にあることから、その豫測性を高めるために徐々に成文法制化されてきた。そして、成文化が進んでその豫測性が高まれば高まるほど逆に柔軟性が低くなり、形式的な硬直した規範の適用と運用といふ弊害を生じる。ところが、人々の一般的な規範意識は、法の豫測性を基軸として維持されるものであることからすると、成文法制化は必然的な趨勢となつてゐる。このことからして、我が國も成文法制化に踏み切つたのであつて、これを完全否定することは成文法制化の意義を損なふことになり、却つて恣意的解釋や運用がなされ、法治主義を蔑ろにする危險があるので、できる限り避けるべきものである。
確かに、現實には改正ができない情況を見据ゑて、占領憲法の廢止を求める點においては政治的に優れたものがあるが、次の三つの點において難點がある。
一つ目は、そもそも、何を根據にして廢止ができるといふのか、といふ要件論、本質論に疑問がある點である。
二つ目は、今後は不文法主義として國家經綸が可能かといふ點である。明治以來、成文法主義で運用されてきたことや、複雜化する社會への對應に不安がつきまとふ。根本的には、我が國は不文法體系の國家ではあつたが、技術的には、成文法を補助として用ゐてきた。英國の場合も同じである。ましてや、これまで占領憲法の性質や解釋などに關して國論が分裂してきた状況においては、さらなる混亂が豫想されるからである。
三つ目は、占領憲法の無效を理由にこれを廢止するのは理解できても、それと同時に、その無效の根據となつた帝國憲法までも廢止するのは全く道理に合はないのである。
戰犯について
桑港條約は、我が國が東京裁判などの軍事裁判を講和の條件として受諾して獨立を得たことからして、これをも強迫によつて締結されたものとして全部無效とすることは我が國の獨立を否定する結果ともなりうる。それゆゑ、獨立の條件とされた「裁判の受諾」を定めた桑港條約第十一條も依然として有效であるとすること自體には、殆どの人は異論がないはずである。
つまり、東京裁判が罪刑法定主義などに違反して、「裁判」としては「無效」であるとしても、それを獨立の條件として受諾した桑港條約第十一條は紛れもなく「有效」である。そして、この第十一條の國内的效力において、前に述べたとほり、ここで裁かれた「戰犯」を復權させる措置がとられたので、これにより戰犯は復權したと評價されるとする見解(復權説)に立つたとしても、それは國内系にとどまり、國際系としての效力を有しない。しかも、世界に向かつて、これまで後藤田官房長官談話や村山談話などにより桑港條約第十一條を肯定した政府聲明がなされたことからすると、この表明は、國内系と國際系の雙方に對してのものであることから、國内系における復權の效力にも影響が出てくる。
昭和六十一年、中曽根康弘内閣の後藤田正晴官房長官は、「東京裁判についてはいろいろな意見があるが、日本政府はサンフランシスコ對日平和條約で、東京裁判の結果を受諾してゐる。」とし、我が國政府が東京裁判史觀に基づく歴史解釋をとらざるを得ないのは、條約によつて法律的に拘束されてゐるからだ、との見解を表明した。そして、これ以後、細川首相談話(平成五年八月十日)、衆議院戰爭謝罪決議(平成七年六月九日)、村山首相談話(同年八月十五日)などを經て現在までの内閣は同樣の見解を表明して今日に至つてゐることからして、未だに戰犯は復權してゐないとする見解(未復權説)は、この有權的解釋を根據として主張するのである。
このやうな見解が依據する歴史觀は、自國の歴史の負(陰)の部分をことさら強調し、正(光)の部分を過小評価するといふ意味で、一般に「自虐史觀」と呼ぶが、このやうな歴史觀を「自虐史觀」と命名することは用語例からしても適切とは思はれない。「自虐」といふのは、自らを責め苛む自戒の根底に自己の向上を目指す完璧主義や潔癖主義といふ精神の葛藤があるはずであるが、これらの一連の見解は、現状からの脱却を志向するやうな向上心といふものが全くなく、無批判に盲從することに快感すら抱くのである。連合國を絶對神と仰ぎ、そのお告げが占領憲法であり桑港條約であり、中韓などを絶對神の使者と信じる奴隷道德(ニーチェ)に支配されてゐるものであるから、「奴隷史觀」ないしは「自卑史觀」と呼ぶに相應しい。また、占領憲法に向き合ふ姿勢について言へば、似非護憲論(改正反對護憲論)こそが「奴隷史観」に基づくものである。そして、我が國の歴史の正(光)の部分をある程度は正當に評価しつつも、それでも占領憲法を有效である自虐的に捉へ、これを改正することしかないと諦めてゐる似非改憲論(改正贊成護憲論)こそが「自虐史観」の名に相應しいはずである。
ともあれ、この未復權説に對し、復權説は、桑港條約第十一條の「裁判を受諾」の「裁判」とは「judgments」の誤譯であり、「諸判決」の意味であるとする。つまり、「裁判」は「trial」であり、「judgment」の譯語は「判決」であつて、しかもその複數形であるから「諸判決」であるといふのである。GHQによる軍事法廷は、東京以外にも、横濱、上海、マニラなど世界四十九か所で開かれ、法廷數も複數で、判決數も被告人數に對應するので當然に複數である。それゆゑ、これを「諸判決」であるとするのは當然のことである。このことから、復權説は、「諸裁判」全體に拘束力があるのではなく、「諸判決」のみに拘束力があるだけで、これは我が政府による「刑の執行の停止」を阻止することを狙つたに過ぎないものであるとの從來通りの見解を繰り返すだけで、未復權説が主張する樣々な論據や政府聲明等の效力に對して全く反論できないでゐる。これは、奴隷史觀や自卑史觀とは異なり、これからの脱却を目指す志向はあるが、自己滿足だけで世界が見えゐない井の中の蛙の「狹窄史觀」といふべきものである。
しかも、復權説によると、桑港條約第十一條は、「裁判を受諾し、且つ、・・・刑を執行するものとする。」とあり、「刑を執行するために裁判を受諾する」ではなく、「裁判(諸判決)の受諾」と「刑の執行」とは竝列的に受容してゐるものであるから、この「裁判(諸判決)の受諾」の意味が「刑の執行の停止」を阻止することを狙つたに過ぎないものであると一義的に解釋できるとの主張にも疑問がある。
ましてや、この「裁判」の意味が「諸判決」だと理解したとしても、「判決」のどの點を受諾し、それにはどのやうな拘束力があるといふのか、といふことについて復權説は答へることができてゐない。判決には勿論「判決理由」があるので、判決の「主文」だけに拘束力があり、その「理由」には一切拘束力がないとは言へない。刑事事件の判決が確定すると、同じ事件について再度蒸し返されて実體審理されたり、二重に處罰されないといふ「一事不再理の原則」と「二重處罰の禁止の原則」の關係で、事件の同一性といふことが議論される。つまり、その裁判で認定された犯罪事実の有無についての判斷に拘束力があるといふことである。これが刑事判決の「既判力」である。犯罪事実の有無とその内容が確定するのであるから、「裁判」を受諾しても「諸判決」を受諾しても、「既判力」としては犯罪事実の存在が確定されるのであるから、この「誤譯論爭」だけで決着がつくものではない。しかも、少なくとも「有罪」であるとする判決は確定してゐるのである。また、東京裁判は、一審のみの裁判で、すでに死刑判決を含めて確定してをり、このままでは再審により判決を覆すこともできない。判決を覆すのであれば、何らかの手續や宣言が必要となるが、それが全くなされてゐないのである。從つて、我が政府の公的解釋である未復權説の表明がなされ續けてゐることからして、この「受諾」は、一回的な「受諾」ではなく、「受諾し續ける行爲」であると解釋する未復權説は、學理解釋においても説得力を持つてくる。このやうな状況では、學理解釋においてもまさに平行線であつて、復權説は、公的解釋の地位を得た未復權説の前に常に敗北し續けてきたことになる。その結果、A級戰犯のみならず、BC級戰犯もまた、未だ國際的には名譽回復がなされず、依然として「戰犯」のままとなつてゐるのである。
從つて、國内系だけの議論をして、井の中の蛙とはならず、「然諾を重んず」る我が國の道義を貫いて、次に述べる根據と方法により、少なくとも桑港第十一條の破棄通告をなし、あるいは再審請求を求める聲明を出すなどして、國内系においても國際系においても、戰犯と呼ばれたすべての人々の復權を確定させることしか道はないのである。
眞の意味で我が國が國際的に復權を果たすためには、桑港条約第十一條の破棄通告をなし、A級戰犯のみならず全ての戰犯の名譽回復がなされなければならないのである。
講和條約群の破棄
桑港條約は、その締結後に第十一條等の履行が完了したと同時にその全部が當然に失效したといふ見解があるが、この見解は、これまでの國際法の解釋や運用などからして説得力が全くない。これは、アムネスティの原則を擴大解釋したものであつて、もし、そのやうなことが肯定されるのであれば、入口條約も中間條約(占領憲法)も當然に失效したことになつてしまひ、その點だけを見れば我が國にとつて好ましい事態となる面もあるが、國際系においては無法状態を肯定することになつてしまふからである。それは、桑港條約が領域(領土、領海など)の確定もしてゐることから、これも當然に反故になつてしまふのであれば、日清、日露などの講和條約などは勿論のこと、世界のすべての講和條約も當然に反故になることを認めなければならなくなる。當然に失效するのであれば、戰勝國によつて構築された戰後體制が否定されて講和條約締結前の状態に原状回復せねばならず、國際秩序を構築するための講和條約の機能が完全に失はれてしまふ。また、そのやうなことを戰勝國が容認するはずもなく、このやうな見解は國際關係の混亂を引き起こすに至る暴論である。
また、この「失效」の意味について、既に履行濟みの事項については原状回復を求めることができないといふのであれば、その状態は桑港條約が存續してゐることと變はりはないことになる。つまり、その履行後は、それが履行されたことの確認條項として存續することとなり、失效したことにはならないのであるから、これは單なる言葉の遊びといふ外はない。
では、我が國はどうすればよいのか。それには、國際法に基づいて對處する必要があり、まづ、考へられる方法としては、これらの講和條約群を現時點において一括して一方的に破棄通告をするといふものである。すでに講和條件は全て履行されたのであるから、將來に向かつて破棄通告しても、關係當事國に對して現状の變更を新たに求めるものではないことからして、現在の國際關係には何らの影響もない。
また、日米間において、舊安保條約は『日本國とアメリカ合衆國との間の相互協力及び安全保障條約』(昭和三十五年六月二十三日條約第六號。新安保條約)に改定されたことにより失效し、米軍駐留目的は我が國の安全と極東の平和維持のためとされ、内亂條項は削除され、期限も十年間となりその後は自動延長といふことになつたものの、この新安保條約も米軍の駐留態樣は基本的には變化がないので講和條約群の一つとして評價できる。しかし、桑港條約を破棄する際に、必ずしも新安保條約をも同時に破棄する必要もなく、その時點での政治判斷に委ねる必要がある。
そもそも、敗戰國を永久的に拘束・支配する講和條約は認められず、我が國が國連に加盟したことによつて「戰後は終はつた」として講和條約群は全て「もはや無效」であると宣言しても、新安保條約以外の講和條約群の破棄を即時に宣言してもよい。講和條約群に屬する全ての講和條約は、前述の條約法條約の適用はないとしても、當事國からの一方的な破棄は可能である。
しかし、講和條約群の各條約を個別に全部破棄することには少し問題があるかも知れない。それは、「戰爭状態」を終了させた桑港條約、日華平和條約、日ソ共同宣言、日中共同聲明のすべてを破棄すれば、「戰爭状態」の復活が懸念され、しかも、桑港條約で認められた獨立をも否定することになると誤解されるのであれば、愼重を期して、それに該當する條項や、その他影響を懸念しうる條項だけを暫定的に除外して、國際情勢等の状況判斷を踏まへて、順次徐々に戰略的に破棄(部分破棄)して行けばよい。
條約の全部破棄といふのは可能であり、それは、『日ソ中立條約(不可侵條約)』を破棄してソ連が參戰した例に倣へばよい。また、日華平和條約(昭和二十七年八月五日發效)は、田中角榮内閣による日中共同聲明による「日中復交」(昭和四十七年九月二十九日)によつて破棄されたが、その破棄のための交渉や破棄の手續は一切なく、大平正芳外相の「日華平和條約はもはや存在しません」との言明だけで全部破棄したのであり、講和條約群の破棄もまた同樣の方法で行へるのである。このとき、全部破棄したものの、戰爭状態の復活を懸念した議論はなく、戰爭状態の終結には何らの影響もなかつた。嚴密に言へば、破棄によつて直ちに戰爭状態が復活するのではなく、「戰爭状態終了效の消滅」といふ複雑な状態である。
さらに、歴史的にもう少し遡れば、第一次世界大戰後に、ドイツの軍備制限やラインラントの非武裝化(武裝解除)などを義務付けたベルサイユ講和條約やロカルノ條約などによるベルサイユ體制下にあつたドイツが昭和十年(1935+660)五月に「再軍備宣言」をなし、翌十一年(1936+660)三月にラインラントへ進駐することによつてベルサイユ講和條約を含む講和體制全體を破棄し、相手國がこれを黙認した事例もあつた。
このやうに、全部破棄ができるのであれば、それよりも相手國への影響が少ない一部破棄ができることは當然のことである。
では、その全部破棄あるいは一部破棄をしうる根據についてであるが、それは、「事情變更の原則」の法理によるものである。日ソ中立條約(不可侵條約)をソ連が一方的に破棄したのも、我が國が日華平和條約を一方的に破棄したのも、そして、ベルサイユ講和體制が破棄されたのも、いづれもこの法理に基づくものである。事情變更の原則は、講和條約群の締結以前から確立してゐた國際慣習法であるから、講和條約群が條約法條約の適用を受けない條約であつても、この原則を根據とすることに何ら問題はないのである。
勿論、これらの破棄通告をした後、政治的には、新たな國際關係を構築するために、安政の假條約の改正に向けた先人の努力を範として、その破棄後に向けた新たな國際關係の構築のための努力を惜しんではならないことになるが、破棄通告をする場合、これには直接の適用はないとしても條約法條約の趣旨に則つて以下の手法によることにならう。
まづ、就中、占領憲法(東京條約、占領憲法條約)については、その實質的當事者はアメリカである。尤も、第四章で觸れたが、占領憲法(東京條約、占領憲法條約)については、時際法的處理が一切なされてゐないので、國際系の講和條約が國内系秩序への編入がなされてゐない状態であるが、少なくとも國際系の講和條約(東京條約、占領憲法條約)としては轉換により成立してゐるのであるから、その成立と效力を否定するためには、破棄通告が必要となる。
もし、アメリカがこれを講和條約ではなく、我が國の憲法であると主張するのであれば(當然そのやうに主張してくると思はれるが)、條約法條約第六十二條(事情の根本的な變化)の趣旨に基づき、條約の終了を一方的に宣言して通告すれば足りる。それに對してアメリカが反發することは、アメリカからすれば痛し痒しである。東京條約(占領憲法條約)と見なして破棄通告をする我が國の見解を認めず、あくまでも占領憲法は我が國の憲法であつて講和條約ではないとの法的見解をアメリカが主張して批判したとしても、その破棄通告自體を争つてはゐないのであるから、我が國は占領憲法(東京條約、占領憲法條約)の破棄に成功したことになる。また、我が國の見解の前提に立つて、その破棄通告の效力を爭ふといふのであれば、占領憲法が濳りの講和條約であり、國際法に違反したアメリカの過去の行爲を自白することになり、堂々と破棄通告の正當性を主張すれば足りる。そして、破棄されたことを前提として、その後の國内手續を進めればよい。少なくとも、國際關係においても、その後の條約關係を我が國に有利に整備する外交交渉へと移行できる。そして、それ以外の連合國(國連常任理事國)についても、同樣の通告をすれば足りる。ただし、韓國、北朝鮮、中共は、戰爭當事國ではないので、通告する必要はない。
このやうに、もし、連合國の一部が、これを條約であるとし、占領憲法第九條についても未だ效力があると主張するのであれば、條約法條約第五十九條(後の條約の締結による條約の終了又は運用停止)の趣旨(後法優位の原則)に基づき、さらに、桑港條約、國連憲章(條約)によつて占領憲法第九條が廢止されたことを理由に、その他の條項についても、我が國が國連に加盟したことを以て條約法條約第六十二條(事情の根本的な變化)の趣旨に基づき、國際慣習法の事情變更の原則を根據として破棄通告(終了通告)することになる。
また、ポツダム宣言や降伏文書と占領憲法に至る過程が當時の國際法に違反するといふ事實、舊ソ連の日ソ中立條約違反の事實、アメリカによる原爆投下の犯罪事實、ソ連による皇軍將兵のシベリア違法抑留、東京裁判の不當性、アムネスティ條項の國際慣習法に違反した桑港條約第十一條の不當性その他樣々な角度から大東亞戰爭の正當性とその後における我が國に世界的貢獻の事實をも事情變更の理由として縷々説明し、外交交渉に臨むことができる。
つまり、これらの事情が條約法條約第五十六條(終了、廃棄又は脱退に関する規定を含まない条約の廃棄又はこのような条約からの脱退)第一項(a)の「当事国が廃棄又は脱退の可能性を許容する意図を有していたと認められる場合」あるいは同(b)の「条約の性質上廃棄又は脱退の権利があると考えられる場合」に該當するとして破棄又は脱退の通告理由とし、さらには、現時點においては、報復防止のために永久に敗戰國を支配從屬させる講和條約群を無效とする一般國際法の新たな強行規範が成立してゐると主張して、同第六十四條により失效終了を宣告することができる。
しかし、それでも相手國が承認しないときは、國際司法裁判所に提訴し、あるいは國連加盟諸國や國際世論に訴へて説得し、講和條約群全てを合意により將來に向かつて終了させ、あるいは我が國にとつて支障のある個別條項の削除ないしは運用停止を實現するための外交努力を行ふべきである。ただし、國際司法裁判所に拘ることは全くない。第一章でも述べたとほり、そもそも、「國家は國家を裁けない」といふのが國際慣習法の鐵則なのである。戰勝國が敗戰國を「裁く」と云つても、それはそのやうな「儀式」を「講和條件」として受け入れさせたといふだけである。國際連合における國際司法裁判所といふのも、「裁判所」ではない。國際連合は連合國家でも連邦でもなく、國際司法裁判所といふのも、本來の意味での裁判所ではない。國際司法裁判所の「裁判」に委ねるといふのは、国際連合憲章といふ一般條約に加盟する條約(國連加盟條約)によつて、國際紛爭を解決する方法として、当事國の同意があれば「仲裁人」が「仲裁判斷」により解決することができるといふ「仲裁合意」に基づく制度なのである(『仲裁法』參照)。條約といふのは、國家間の合意であり、その法律的性質は「契約」であり、仲裁合意もまた契約である。つまり、國際司法裁判所といふのは「仲裁人の合議體組織」に過ぎないからである。すべては國際政治の中で解決すべき事項なのである。
つまり、國際世論を主導的に喚起し、世界平和に貢獻することこそ、これからの我が國の外交の基本姿勢でなければならない。破棄通告を行ふこと自體が目的といふよりも、我が國がこれにより將來に向けての搖るぎない外交姿勢を示すことこそが肝要なのである。
そして、國連憲章には、連合國のみに限定した非民主的な常任理事國制度と拒否權制度、さらに敵國條項(第五十三條、第百七條など)があるが、我が國の外交基本方針としては、國際法上においても民主主義が普遍の原理であるのなら、國連の常任理事國制といふ寡頭政治は當然に否定されなければならないものとして、これらを全て廢止させ、國連總會を最高決議機關とする國連の拔本的な民主化を圖ることを目的とすべきであつて、我が國が常任理事國入りを目指すことなどは外道の企みに他ならない。國連憲章から敵國條項を廢止するなどの國連改革すら實現できない國連であれば、我が國としては、占領憲法(東京條約、占領憲法條約)の破棄とともに、國連加入條約の破棄(國連脱退)をも覺悟した上で、國家としての矜恃を保たなければならないのである。
國内系の復元方法
對外的には、以上のやうな方策を講じた上で、國内的には、いよいよ正統憲法への復元とその改正準備のための手順を進めなければならない。しかし、それは性急なものであつてはならない。あくまでも法的安定性を考慮しなくてはならないのである。前にも述べた、無效規範の轉換などの法理も、實はこの法的安定性の維持から生まれたものである。
一般に、ある法が無效とされた場合、その法の下で既に形成された秩序もまた否定されることになる。この秩序は、法とその下位法令の施行に基づく處分や裁判による執行などによつて形成されたものである。しかし、一旦形成された秩序を如何なる理由と雖も否定することは竝大抵のことではない。多くの犧牲や混亂を生ぜしめるからである。その程度が大きければ大きいほど、覆滅する秩序の領域と範囲が廣ければ廣いほど、覆滅する法律状態が繼續してきた期間が長ければ長いほど、その犧牲と混亂は甚だしいものとなり、その原状回復措置が急激であればあるほど、あたかも「革命」にも似た現象を來すことになるのである。
ところで、占領憲法が正統憲法としては無效であり、帝國憲法が正統憲法の一つとしての地位を未だに維持してゐるといふ「憲法の状態」は、具體的にはどのやうな意味であるのか。そして、これまで占領憲法下での秩序は、どのやうな經過で原状回復がなされていくのかといふことが示されない限り、眞の意味で眞正護憲論(新無效論)を述べたことにはならないだらう。
罪を犯した者を論理的に批判する程度のことは素人でもできる。しかし、法律や實務に携はる者であれば、その者に對して、自首させた上で刑事訴訟手續を經て服役させ、可能であれば社會復歸のために盡力しなければならないのである。これと同樣に、これまでの舊無效論は、占領憲法が正統憲法としては無效であるとするだけで、はたしてこれがどの法形式の限度で有效なのか(相對無效)、あるいは、どのやうな法形式であつても無效なのか(絶對無效)について詳しく考察したものがなかつた。しかし、この考察こそが法的論理性の核心なのであつて、これを缺いたまま原状回復措置の方法に言及したとしても、その根據が不明確であつて説得力と論理性を缺く。このやうに、法的論理性と法的安定性とは、占領憲法無效論による原状回復措置を考察するについての最も重要な要素であつて、私見はこれを重視するものである。
ところが、舊無效論しか知らない人々は、假に、占領憲法を無效とする見解が正しいことを理論的には理解し得ても、前に述べたやうな、その後の回復措置に對する素朴で漠然とした疑問と不安を抱く。そして、眞正護憲論(新無效論)の内容が理解できず、先入觀により早とちりして誤解したまま、到底それを政治的に實現することはできないものと、まるで曲藝を受けた蚤のやうになつて諦めてしまふ。ましてや、占領憲法が有效であるとか、有效を前提として改正を唱へる人々は、特にこの法的安定性を盾にして、ここぞとばかりに眞正護憲論(新無效論)に反對してくる。それは、彼らもまた、敗戰利得者であり國體破壞者であるから、それを暴く眞正護憲論(新無效論)が恐ろしくてたまらないからである。そして、眞正護憲論(新無效論)と舊無效論を同一に論じて、眞正護憲論(新無效論)があたかも急進矯激なる思想による革命論であるの如く、あるいは現實から遊離した空論であるかのやうに喧傳して卑しめ、殊更に不安を煽る反對論者も現れるが、これは、少なくとも眞正護憲論(新無效論)に對する批判にはなり得ず、明らかに「爲にする言説」に他ならない。
では、以上のことを踏まへて國内系の復元方法を考察することになるが、次項以下では、獨立を保ち、しかも平時における復元措置の方法を中心に述べることになるが、その前に、他國からの侵略を受けたときなど國家有事の緊急時についてはどうするかについて考へることとする。
結論を先述すれば、國家有事において、帝國憲法第七十六條第一項及び占領憲法第七十三條に基づき、自衛隊の防衞出動(自衛隊法第七十六條)などをするについては、復元措置が事前に爲されてなくても全く問題がないのである。なぜならば、帝國憲法は今もなほ效力を有して現存してゐるのであるから、帝國憲法に照らして自衞隊は合憲の軍隊(皇軍)であり、自衞權の行使について何らの制約はない。もし、現行の自衞隊法の防衞出動の要件を滿たさない場合であつても、その制約は受けずに、我が國の安全と防衞のために必要な一切の行爲をすることができるのであつて、自衞隊法等の制約を一切無視して出動させることができる。これは、超法規的措置であるが、超憲法的措置ではない。帝國憲法が許容する範圍内であれば自衞隊の軍事行動は認められるのである。それゆゑ、國家緊急時までに、政治宣言としての以下の復元措置がなされてゐない場合であつても、何ら問題はないのである。
占領典憲の無效確認決議
では、眞正護憲論(新無效論)に基づいて、どのやうに手順を行ふのかについてその概要のみを解説する。
まづ、議會における占領憲法の無效確認決議である。これには先例がある。それは、昭和四十四年八月一日に、岡山縣の奈義町において、占領憲法の無效を宣言し、『大日本帝國憲法復原決議』(資料四十二)を可決した奈義町議會の壮擧がある。これは、帝國憲法下で締結された占領憲法(東京條約、占領憲法條約)が時際法的處理がなされてゐないことから、國内系秩序への編入がなされてはゐないものの、事實上において通用してゐることからして、その憲法的慣習法により設置された地方自治の立法機關(地方議會)の決議である。
それが「認識の復元」を行つたといふことなのである。この決議の法的性質は、實質的には「確認的決議」である。占領憲法が憲法として無效であり、帝國憲法が現存してゐるといふ「認識」を、「復元」といふ表現で行つたものであつて、新たにその時點で「復元させる」といふ「創設的決議」ではないのである。
この事實を先例として理解すると、まづ、國會、内閣又は最高裁判所などの國家機關による占領典範と占領憲法などの無效確認決議(無效宣言決議)や無效確認聲明を行ふことも復元の方法の一つである。どの機關が行つてもよい。多ければ多いほどよい。
その中でも、國會での無效確認決議が最も政治的宣言として相應しいものであるので、これについて説明する。
占領憲法は、國會を國權の最高機關(第四十一條)とするのであり、議院内閣制を採用してゐることから、占領典範と占領憲法が正統性などを缺く無效のものであることをこれらの國家機關が宣言(自白)すれば足りる。他の國家機關が行ふよりも、「國權の最高機關」であると自畫自贊してゐる國會がこれを行ふことの方が、政治的には望ましい。
この宣言は、無效であるものを無效であると認識する意志の表明であつて、新たに無效化すること(改めて廢止、失效させること)ではない。つまり、この決議の法的性質は、新たに法律關係又は法律状態を變化(形成)させ、規範を創設、廢止、改正したりする「法律行爲(立法行爲)」としての「創設的決議」ではなく、帝國憲法が現存し、占領憲法が憲法としては無效であつて、これまでの規範國體以下の憲法體系(法令の效力の劣後關係)に何ら變化がなかつたといふ法律状態(事實)を確認するだけの憲法解釋的な「確認的決議」であつて、單なる「事實行爲」にすぎない。
舊無效論のやうに、「有效の推定」とか「不遡及無效」とかの不可解な議論をして、決議があつてから初めて無效となるといふやうな性質のものではない。もし、舊無效論のやうなものであれば、それは「無效確認決議」とは云はないし、無效論の看板に僞りがあるものになつてしまふ。このやうな議論を回避できないこと自體が、舊無效論の法的安定性に對する不安を拭ひきれないことになつてゐるのである。
また、眞正護憲論(新無效論)によれば、これは、犯罪者の「自白」と同じ理屈である。犯罪者は、自白することによつて初めて犯罪を行つたことになるのではない。過去になした自己の犯罪行爲を自らが行つたことを認めることであつて、自白の時點で犯罪を行つたといふことではない。合法性も正統性もなく、妥當性も實效性もない者(占領憲法)が「そのとほり間違ひありませんでした。」と自白することである。勿論、それだけではなく、無效であつたことを證明する、これまでの法律的事實と歴史的事實が補強證據となり、その自白(無效宣言)に證據能力が認められ有罪(無效)の事實が確定するのである。勿論、これは占領憲法の「改正」ではないから、國會が行ふとしても、占領憲法第九十六條の改正手續によるものではない。占領憲法第五十六條に準じて、衆參兩議院の各々總議員の三分の一以上の出席によつて議事を開き、その出席議員の過半數で可決して、國會においてその意志を表明すれば足りる。しかも、衆參兩議院の雙方がしなければならないものでもない。いづれか一方だけでもよい。これは臣民に對して周知させるための「政治的決議」であつて、「法律的決議」ではないからである。
國會が自己否定的な決議をすることができるのかといふ疑問が起こりうるが、犯罪者本人であるから自白ができるのであつて、他人が代理して自白することはできないし、自白しても意味がない。占領憲法で設置された權力機關は、被害者である國家中樞に寄生した犯罪者の中心的な一部分(暴力の切れ端)であるから犯罪者本人そのものである。その本人が自白するのであるから、自白としての意味があるのであつて何ら問題はない。
また、眞正護憲論(新無效論)では、占領憲法は講和條約(東京條約、占領憲法條約)として成立したと評價されるのであり、その國内系における反射的效力としての憲法的慣習法に基づいて現在の國家機關が存在してゐるので、その機關によつて爲された立法、行政、司法及び地方公共團體における一切の規範定立行爲や處分などは有效であり、公務員の地位も保障されてゐる。それゆゑ、國會議員の地位も保障されてゐるので、このやうな決議も有效に行ふことができるのである。
なほ、無效確認決議は、このやうに通常の多數決で行ふことはできるが、それでは、これとは逆に、「有效確認決議」を多數決決議ですることができるかと云へば、それはできない。これは、前に述べたとほり、「追認」に該當する「立法行爲」であるから、追認適格性がないので不可能なのである。泥棒が「俺は無罪だ」と叫びながら、盜んだ物を「これは俺の物だ」とすることは「追認」ではなく、單なる開き直りといふものである。
次に、占領典範の無效確認決議について述べる。占領典範についても占領憲法の場合と同樣に無效確認決議をすることになる。占領典範は法律の形式であるが、これについても法律の廢止手續(改正手續)をすることは必ずしも必要ではない。占領典範は、國民の權利義務を規定した法律ではなく、皇族だけに適用があるものであるから、無効確認決議をすれば當然に排除される。ただし、明確性を重視するとすれば、占領典範を廢止する法律を議決するといふ形式的な立法手續を以て無效確認決議に代用することが許されないといふことではない。違憲の法律を排除するためには、それと同じ手續によつてなされるべきであるとする卷戻しの論理に基づけば、占領典範の廢止法として成立させ、違憲無效であることを廢止法の法文中に明記する方法でもよいことになる。むしろ、そのことよりも、これと同時に、明治典範の廢止が無效であることの確認決議がなされるべきである。
ただし、この明治典範の廢止は、帝國議會で議決されたものではないので、この點について若干言及する必要がある。帝國憲法第七十四條には、「皇室典範ノ改正ハ帝國議會ノ議ヲ經ルヲ要セス 皇室典範ヲ以テ此ノ憲法ノ條規ヲ變更スルコトヲ得ス」とあり、明治典範の廢止は、帝國議會が關與せず、昭和二十二年五月一日の『皇室典範及皇室典範增補廢止ノ件』によつて廢止されたことになつてゐる。しかし、明治典範廢止の無效理由について解説したとほり、「廢止」は「改正」には該當しないことも無效理由であるから、規範國體を顯現する明治典範がGHQの強制によつて形式上は廢止された事實とそれが無效であることを明らかにし、GHQの暴力を承繼して設置された「暴力の切れ端」である國會がそれを自白して、皇室及び皇族、さらに臣民に對する「謝罪決議」をなすことに大きな政治的意義がある。
その他の無效確認措置
占領典憲以外にも無效確認決議をする必要があるものとしては、昭和二十三年六月十九日に衆參兩議院でなされた教育敕語、軍人敕諭、戊申詔書の排除・失效を決議した「教育敕語などの排除・失效決議」(以下「昭和二十三年決議」といふ。)がある(資料三十四、三十五)。
この昭和二十三年決議は、本質的に無效なのである。なぜならば、教育敕語などは廣義の詔敕であるから、これを廢止することができるのは、詔敕によつてなされることが資格要件である。これは、追認とか取消の場合と同樣、敕語といふ形式のものを失效させるには、同じ敕語といふ形式によらなければ、失效させる「適格」がないといふことである。
ところで、昭和二十三年決議自體の效力の如何を問はず、明確に排除・失效の對象となつたのは、教育敕語などの極少數のものである。勿論、記紀に顯された全ての御神敕、御詔敕と、その後に連綿と渙發されてきた詔は排除の對象となつてゐない。つまり、これら大部分の詔が今もなほ效力を有してゐることになる。ただし、占領憲法の前文には「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔敕を排除する。」とあり、占領憲法第九十八條第一項には、「この憲法は、國の最高法規であつて、その條規に反する法律、命令、詔敕及び國務に關するその他の行爲の全部又は一部は、その效力を有しない。」と規定してゐるので、個別に詔敕等を特定して排除・失效の決議をしなくても、一律に排除されると解釋することも可能であつたが、當時の國會は、この規定を政治的宣言と理解して、當然には無效とはならず、個別に排除・失效の決議をすることによつて初めて無效化しうるとの解釋に立つた。前章でも述べたが、實際にも、法律、命令については、『日本國憲法施行の際現に效力を有する命令の規定の效力等に關する法律』(昭和二十二年四月十八日法律第七十二號)及び『日本國憲法施行の際現に效力を有する敕令の規定の效力等に關する政令』(昭和二十二年五月三日政令第十四號)を制定して時際法的に處理したことから、詔敕についても、個別の形成的な排除決議(創設的決議)をして初めて排除・失效できるとして、昭和二十三年決議を行つたのであるから、この決議で對象とされてゐない大部分の詔敕は排除・失效の對象とはなつてゐないといふことである。
それにしても、先帝陛下の御叡慮は凡人の計り知れない深奥さがある。巷間、人間宣言と揶揄された昭和二十一年元旦の詔書(これは人間宣言ではない)は、GHQの強い壓力によるものであるが、先帝陛下は、これ自體には直接に抗せられず、その冒頭に明治天皇の『五箇條ノ御誓文』を引用明記することに強く拘られた。昭和五十二年八月二十三日、昭和天皇の那須の御用邸における記者會見において、そのやうに仰せられたのである。この理由について、樣々な推測がなされてゐるが、畏れながら御叡意をご忖度いたせば、これがGHQの指令による詔書であることから、GHQはこれ自體を後に排除されることはないとご判斷され、神武肇國に比肩される維新回天の創業における『五箇條ノ御誓文』をこの詔書の冒頭に引用することを以て『五箇條ノ御誓文』が排除されることを回避し、その後に引き繼がれる帝國憲法の正統性と我が國の矜恃を示されたものであらう。それが、この年の歌會始に「ふりつもるみ雪にたへていろかへぬ松ぞををしき人もかくあれ」との御製の御宸意であると確信する。その結果、『五箇條ノ御誓文』は、これまでどの國家機關からも一切排除されてをらず、占領期から現在、そして將來に向けて、搖るぎのない光芒を放ち續けてゐる。このことは有效論といへども認めざるを得ない。而して、『五箇條ノ御誓文』の「智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ」によつて、國體は護持され續けてゐるのである。
閑話休題。明治典範は、明治典範に定めた改正規定を利用してGHQが廢止させたのであつて、國會が排除・失效決議をしたものではない。昭和二十三年決議の対象ではなかつた。この排除・失效決議をなすに至つた法的根據としては、前に引用したとほり、占領憲法の前文にある「われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔敕を排除する。」との部分と、同第九十八條第一項の「この憲法は、國の最高法規であつて、その條規に反する法律、命令、詔敕及び國務に關するその他の行爲の全部又は一部は、その效力を有しない。」との規定によつたとされるが、さうであれば、この規定を根據として、占領典範を制定すると同時に、明治典範の失效・排除決議をすることができたはずである。ところが、それはせずに、教育敕語などについてのみこれを行つたことに一貫性がない。
このやうに、昭和二十三年決議は、典範を含めた詔敕等の全部を対象とすることなく、しかも、規範形式を違へて資格要件も滿たさないものであるから、もとより原初的に當然に無效である。法的にはこれらの無效宣言(無效確認決議)は不要なのであるが、昭和二十三年決議が政治的決議である側面を考慮すると、衆參兩院が行つたこの異式の決議について、改めて政治的な無效確認決議をすることに意義はある。つまり、衆參兩院は、それぞれの昭和二十三年決議自體が無效であつたことの決議(昭和二十三年決議の無效確認決議)をすることになるのである。
そして、この無效確認決議をして教育敕語などの復元(嚴密に言へば、教育敕語などの現存確認決議)を行ふことの外に、條文だけを通讀すると我が國の法律か否かが判明しえないやうな『教育基本法』といふGHQの強制で制定された法律や、性差を無視して家庭崩壞を實現するための『男女共同参画社会基本法』など、戰後體制を固定化する法令の全ては當然に排除されることになる。男女は、人格において「差別」されることはないが、「區別」はある。性差に伴ふ體質と機能などに相違があることはこれまで知られてゐたが、現在では、「腦」にも性差があることが學問的にも證明されてゐる。それゆゑ、男女の思考と行動の態樣などに本質的な相違があり、男女の本能にも微妙な相違があることから、男女を單純に平等とすることは、むしろ公平ではなく、互ひの不幸である。また、このやうな法律は、男性の女性化、女性の男性化による性差の解消を目的とすることで、性の喪失、少子化の基礎にある劣子化、人類の老化と退化を促進させ滅亡に至ることになるから、これを絶對に防止しなければならない。
これ以外にも、平成七年六月九日、衆議院で行つた『歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議』(謝罪決議)の「撤回決議」も必要であり、これと同樣の趣旨にて、前掲の昭和六十一年の後藤田正晴官房長官談話、平成五年八月四日の河野洋平官房長官談話(慰安婦關係調査結果發表に關する内閣官房長官談話)、さらに、同月十日の細川護熙首相談話、平成七年八月十五日の村山富市首相談話とこれらを踏襲するその後の歴代内閣の聲明や談話などや、我が國の謝罪外交を方向付けた政府首腦の談話などの一切について、それぞれの後任者が撤回表明などをなすべきである。
そして、三權の長である内閣總理大臣、衆參兩議院の議長、最高裁判所長官などが占領典憲の無效確認聲明を行ひ、さらには、これまで占領憲法によつて違憲とされてきた自衞隊が、帝國憲法を根據とする自己の合法性、正統性を主張して、占領憲法の無效を表明し、自衞隊は皇軍であるとの「皇軍宣言」を行ひ、これらに連動して地方議會や民間團體などが個々に無效宣言を行ひ、そのことを官報や廣報などに掲載して配布し、さらに「日本國の全新聞にその詳細説明を全頁廣告」(谷口雅春)させたり、テレビその他のメディア媒體で啓蒙するなどの方法で國の内外に周知させ、國家と臣民の總力をあげて神州正氣の回復措置をなすことになる。
ところで、無效確認宣言に關して、どうしても避けて通れない課題としては、天皇による占領典憲の「無效宣言」といふ詔が必要か否かといふ點である。これが必要であるとして肯定する舊無效論者の見解(井上孚麿)もあるが、私見は以下の理由により不必要と考へる。なぜならば、聖上におかれては「綸言汗の如し」であつて、ひとたび公布されたものについては、それを取消すことが必要不可缺な場合でなければ、できる限り尊重されるべきである。占領憲法の公布行爲(敕令)は帝國憲法第七十六條第一項により、講和條約(東京條約、占領憲法條約)の公布行爲(敕令)として當然に轉換されてゐるので、占領憲法を「帝國憲法の改正法」として公布した行爲を取消して改めて講和條約(東京條約、占領憲法條約)として公布する必要はないからである。また、占領典範については、これを廢止する法律が制定されたときは、その公布をなされるだけで充分である。昭和二十三年決議などの法的に無效な決議について、敢へて無效宣言を行ふことの意味は、それが政治的表明となるので、天皇がこれをなされることによつて聖なる地位を損ねることになりうる。よつて、天皇による無效宣言は政治的無答責の原則(帝國憲法第三條)からして、なされるべきではないと考へるのである。
復元措置の手順
では、法體系の補正整備などの具體的な復元措置としては、どのやうな手順によるべきかについて檢討したい。
正統典範の復元措置としては、前述したとほりであるから、ここでは、正統憲法の復元措置について述べる。
帝國憲法第八條に基づき、占領憲法で設置された國會を帝國憲法第三十三條の帝國議會の代行機關とし、同第五十六條に基づく樞密院官制(明治二十一年敕令第二十二號)による樞密院の設置及びその組織運用等の細目については國務大臣(内閣)に委任する旨の「緊急敕令」の渙發を賜はることとなる。これは、いはば、天皇による實質的な「無效宣言の詔敕」であり、占領憲法を「帝國憲法の改正法」であるとしてなされた「公布」が「講和條約(東京條約、占領憲法條約)」の「公布」に「轉換」されてゐたことの詔敕を兼ねるものである。
帝國憲法第八條は、「天皇ハ公共ノ安全ヲ保持シ又ハ其ノ災厄ヲ避クル爲緊急ノ必要ニ由リ帝國議會閉會ノ場合ニ於テ法律ニ代ルヘキ敕令ヲ發ス 此ノ敕令ハ次ノ會期ニ於テ帝國議會ニ提出スヘシ若議會ニ於テ承諾セサルトキハ政府ハ將來ニ向テ其ノ效力ヲ失フコトヲ公布スヘシ」とあることからして、我が國の獨立後においても、連合國による法制度上の支配體制が繼續し、その國際環境とそれを如實に反映した國内事情によつて、これまで帝國憲法下の法制への復元措置をなしえなかつた事態は、「公共ノ安全」を冒し續けた「災厄」であるから、この復元措置のための緊急敕令(以下「復元緊急敕令」といふ。)が渙發される要件を當然に滿たしてゐる。それゆゑ、帝國憲法體制への復元のために渙發された復元緊急敕令により、國會が帝國議會の代行機關となれば、これまで缺損してゐた帝國憲法下の立法機關を補填することができる。そして、次の國會の會期において帝國議會の代行機關となつた「國會」に提出されることになり、復元緊急敕令の承諾が得られると、我が國は、獨立回復後初めて、復元措置のための基本法と同格の復元緊急敕令が有效に確定することになる。
占領憲法(講和條約)によつて帝國憲法が設置してゐた機關は悉く事実上廢止され缺損状態にあつたために、この機關缺損を補填することが必要となるが、缺損してゐたのは帝國議會だけに限らない。帝國憲法第五十五條の國務大臣(内閣總理大臣及び内閣)、同第五十六條の樞密顧問(樞密院)、同第五十七條の裁判所、同第七十二條の會計檢査院などもある。
しかし、占領憲法では、議院内閣制が採られてゐること、帝國憲法では裁判所と會計檢査院の設置と權限はいづれも法律事項であることからして、樞密顧問(樞密院)以外については、國會が帝國議會の代行機關であることが認められれば、これらの機關缺損は國會(立法機關である帝國議會代行機關)の權限により既に存在する現行法によつて概ね治癒されることになる。
つまり、裁判所については、これまで占領憲法(東京條約、占領憲法條約)が國内的に憲法的慣習法によつて設置された最高裁判所を廢止し、原則としてそのまま帝國憲法下の大審院として再編成すれば足りる。具體的には、『裁判所構成法』(明治二十三年法律第六號)を復活させて改正し、組織的にも人事的にも、大審院、控訴院、地方裁判所、區裁判所を階層構造を現行の最高裁判所、高等裁判所、地方裁判所、簡易裁判所のとほり維持すれば足りる。
また、帝國憲法第五十六條の樞密顧問(樞密院)及び樞密院官制は、前述したとほり、敕令で復活することになるが、機關缺損状態が長期に亘つたためその組織及び運用等については整備に時間がかかるので、樞密院官制の具體的運用等を内閣に授權し、樞密院の代行機關として新たに「樞密代行院」を設置することが望ましい。
そもそも、帝國憲法で設置された機關(憲法上の機關)が、事後の措置によつても復活治癒できないときは、その機關は廢止されたものと看做すことができる。なぜならば、それは、「法は不能を強いるものではない。」といふ大原則があるからであつて、それは憲法と雖も例外ではない。憲法上の機關の缺損が復活治癒できないときは、その機關は廢止されたものと看做され、当該規定は失效ないしは停止状態となつて、その點についての憲法改正(憲法條項の削除改正)手續を殊更に必要とするものではない。
憲法復元措置基本法と憲法臨時代用法
そして、これを踏まへて、帝國議會の代行機關である國會において、正統憲法の復元措置に關する『憲法復元措置基本法』(以下「復元基本法」といふ。)を制定することになる。これは、復元緊急敕令と同格であり相互に補完し合ふ關係となる。占領憲法については、既に述べたとほり、占領憲法制定のための特別の國民議會も開催されず、占領憲法の政府原案が示された後に、その是非を問ふための衆議院解散と總選擧も行はれず、勿論、特別の國民投票もなされずに、帝國議會の形式的審議(翻譯審議)で成立させた經緯からすると、復元基本法を制定するについては、帝國議會の代行機關である國會の構成は新たなものであることが必要となり、衆議院の解散總選擧と參議院の通常選擧の實施後に行はれることになる。
また、占領憲法の無效確認決議といふ政治決議は、國會が帝國議會の代行機關になる以前になすこともできるし、その後に行つてもよい。代行機關として行ふ無效確認決議は、正統憲法の復元措置に關する復元基本法の議決と同時にすることもできるし、復元基本法の制定がそれを兼ねることにもなる。その復元基本法の骨子としては、占領憲法の無效確認と、無效確認に至つた經過を記載し、五年程度の有效期間を定めた暫定的な「限時法」として占領憲法を位置付け、占領憲法の名稱を『憲法臨時代用法』として、ほぼそのままの條文とする。ただし、占領憲法の公布文及び前文をすべて削除し、法文中に「(この)憲法」とあるを「(この)法律(憲法臨時代用法)」と呼稱を變更する。ただし、第七十六條第三項、第八十一條の「憲法」は、そのままとし、これは「帝國憲法」を意味することになる。
これは、講和條約である占領憲法(東京條約、占領憲法條約)が正式には國内法秩序には編入されてをらず、それとほぼ同樣の内容の憲法的慣習法として運用されてきたことを踏まへ、これを正式に國内法秩序に「法律」として、しかも「限時法」として編入するための立法措置である。 ただし、憲法臨時代用法では、次の條項の部分を削除して表記を補正することになる。すなはち、それは帝國憲法と明確に矛盾牴觸する部分と有害無益な部分であつて、以下の條項である。
占領憲法第一條中の「この地位は、主權の存する日本國民の總意に基く。」の部分、第二條中の「國會の議決した皇室典範の定めるところにより」の部分、第四條第一項の全部、第五條の全部、第八條の全部、第九條第二項の全部、第十一條後段の全部、第十二條前段の全部、第十三條前段の全部、第十四條第二項の全部、第十五條第一項及び第三項、第十八條の全部、第二十四條第一項中の「兩性の合意のみに基いて成立し」の部分、同條第二項中の「個人の尊嚴と兩性の本質的平等に立脚して」の部分、第四十一條中の「國權の最高機關であつて、國の唯一の」の部分、第六十六條第二項、第七十六條第二項前段の全部、同條第三項中の「のみ」の部分、第八十八條前段の全部、第九十二條中の「地方自治の本旨に基いて」の部分、第九十六條の全部、第九十七條の全部、第九十八條第一項の全部、第九十九條の全部などであり、これらをすべて削除することになる。
正統憲法調査會
そして、復元措置を專門的に檢討するために、「樞密代行院」の下部機關である諮問機關として、「正統憲法調査會」を内閣の主管下に設置する。これには、國會、内閣、司法などの各機關及び一般から委員を選任して組織し、具體的な復元措置の内容と手順を策定することになる。
この「正統憲法調査會」を國會の所管としないのは、國會には帝國憲法改正案をまとめ上げるだけの實質的な能力がなく、また、後述するとほり、その改正案を最終的には陛下に上奏することになるため、立法機關である帝國議會代行機關が天皇大權である發議權に關與することになり、帝國憲法解釋上の疑義が生ずるためである。
正統憲法調査會は、帝國憲法の第一章から第七章に對應した小委員會と、占領憲法に加へられた地方自治小委員會の小委員會に細分化されて檢討が始まる。
そして、地方自治小委員會などの各小委員會においては、さらに、各項目毎に小部會を設け、部分會議と全體會議で檢討することになる。勿論、一般からの請願を廣く受け入れることになる。
そこでは、たとへば、①現行法令全體を正統憲法體系に適合するやうに整序し、正統憲法下では存續しえない法令の檢討とその改廢及び改廢の經過措置の檢討、②樞密院、貴族院、大審院などの既に缺損してゐる機關の復元ないしは代行機關設置の檢討、③皇軍の組織その他統治機構全體の檢討、④占領憲法下の法令、行政處分、確定判決などのうち正統憲法體系との整合性を缺くものについて、改廢、補正又は再審などの手續措置の檢討、⑤臣民の權利及び義務についての檢討、⑥家族制度、相續制度の檢討、⑦教育制度の檢討、⑧地方自治制度の檢討、⑨行財政、税制の檢討、⑩帝國憲法の改正すべき條項の檢討などが行はれる。
そして、正統憲法調査會のとりまとめた報告書を踏まへて樞密代行院がさらに檢討を加へたものを原案として、國會に報告し、さらに臣民に周知させ、さらなる提言等を求めて調整して成案とする。これを以て帝國憲法改正發議のための上奏を行ふ。
このやうな手續を經ての上奏は、決して發議權の侵害とはならないものと解される。この請願上奏は『五箇條ノ御誓文』にいふ「萬機公論」に適ふ行爲である。そして、その後は、帝國憲法第七十三條に基づいて正規の改正手續がなされることになる。
地方自治小委員會
ところで、このうち、地方自治については、特に充分な審議が必要となる。それは、占領憲法第九十二條には「地方自治の本旨」といふ表現があり、これを中央からの分離した團體であるといふ意味の「團體自治」と、それが住民の意思に基づいて運營されるといふ意味の「住民自治」を意味すると一般に云はれてゐるが、必ずしもこのことは明らかではないからである。現在では、中央政府の統治態樣が「議院内閣制」であり、地方公共團體の統治態樣が「大統領制」(首長直接選擧制)であるが、中央と地方とはフラクタル構造であることが望ましいことを考へれば、このやうな構造的相違を肯定することが「地方自治の本旨」の當然の歸結であるとすることもできないからである。
また、「地方の時代」などと空虚なスローガンによつて中央政府と地方政府との分離(地方分權)を求め、連邦制や道州制の趣旨で政府權限を地方に委讓するといふ方向は、現在の國際情勢からして、我が國の國力を低下させることになるので採用できない。生體の細胞と組織、組織と臓器、臓器と個體、個體と家族、家族と社會、社會と國家といふフラクタル構造において、それぞれが獨立することは構造全體の破壞につながる。むしろ、構造全體を支へる循環系に相當する國防、外交、司法、警察、教育、物資流通、水系整備事業などは、これまで以上に中央集權化による強化統一が必要となる。そもそも、占領憲法のいふ「地方自治の本旨」とは、連邦制を意識して規定されたものであつて、我が國の「分國化」による弱體化政策の思想に他ならないのである。占領下において、「警察の民主化」と稱して、警察組織とその運營が地方分權化したことによつて、警察活動が都道府縣單位といふ地域主義的なものとなり、廣域捜査活動に迅速な對應ができないといふ支障を生じせしめた。交通手段の發達などによつて犯罪は國内全域へと廣域化しうるものであつて、このやうな支障を生む構造的な缺陷について、現在のままでは根本的な改善を達成できないのである。
つまり、「地方分權」の「權」とは、主權論でいふ「主權」のことであり、その分割といふことは、究極的には「分國」すなはち「國家分割」を意味することになる。これは、次章でいふ「自立再生論」における「單位共同社會」の極小化とは何の關係もないことであり、むしろ、これを破壞することになるものである。
このやうに、地方自治制度は、極めて危險な要素を孕んでゐる。むしろ、規定全體を削除して、改めて檢討する必要がある。なぜならば、これらの規定は、地方分權に至る占領政策の要諦でもあり、我が國の解體のために地雷を埋め込む規定と言つても過言ではないからである。なぜならば、アメリカが我が國と同じやうに國家の解體を目論んだイラクに對して、主權移讓と稱して押し付けた『イラク憲法』には、露骨にもまさにその地雷が剥き出しで放置されてゐるからである。『イラク憲法』では、イラク國家は共和制であり連邦制としてをり、その連邦制に關して、連邦政府と地方政府との權限が對立するときは、地方政府の權限が優先することになつてゐるからである(第百十五條など)。これでは、地方分權どころか、地方獨立(連邦離脱)の權限が與へられてゐるのに等しい。我が國の地方分權論や道州制の狙ひは、まさにこの分國化の方向を向いてゐるのである。そして、これが外國人の地方參政權とが連動し、早晩これが國政參政權へと發展するのである。
現在では、中央官廳の不正が恆常的に蔓延し、地方分權への方向へと心情的に拍車が掛かつてゐるが、このやうな官僚腐敗は中央集權制自體の問題ではなく、中央官僚の資質の問題である。中央官僚の腐敗部分は徹底して摘出すべきではあるが、この現象に目を奪はれて短絡的に地方分權を唱へて國家の方向性を誤つてはならないのである。この問題は、後に述べるとほり效用均衡理論で解決しうるのである。むしろ、現代では中央集權制による統治態樣の均一化と單純化によるスケールメリットが期待されてゐるのであり、それが來るべき效用均衡理論による統治機構等の再編成にとつて有用だからである。政府と地方、都道府縣と市區町村といふ複合的な權力構造の重壓は解消されなければならないのである。アメリカ、ロシア、支那の地方制度と比較しても、その單位領域は、我が國の場合、餘りにも細分化した僅少地域の地方自治であつて、世界的傾向に背馳してゐる。領土の狹い我が國が、これからも世界に伍するためには、防衞、外交、治安、醫療、教育などだけではなく、均等かつ公平な統一行政を實現しなければならないのである。
