第四節:統治原理

統治原理の再構築

帝國憲法は、その憲法發布敕語で自らを「不磨ノ大典」とし、その金甌無缺を讃へたが、その憲法上の意義は、第七十三條から導かれる硬性憲法の性質を意味することの外に、規範國體が根本規範であることを表現したものである。

現在、占領憲法の改正論議が盛んである。自衞隊と周邊事態などを巡つて、占領憲法第九條を中心とした議論である。このやうな改正議論は、占領憲法が實質的意味の憲法として有效であることを前提としてゐるのであつて、私見の與するものではないが、有效を前提とするこれらの議論においての決定的な欺瞞は、既に占領憲法に違反する事實の存在を黙認したまま、これの「追認的な解釋改憲」を謀ろうとする點にある。そして、解釋改憲の到達目標は、集團的自衞權の行使を肯定し、武器の種類、性能及びその使用態樣の無制限擴大にある。

これまで、警察豫備隊、保安隊、自衞隊と推移し、『国際連合平和維持活動等に対する協力に関する法律(PKO法)』(平成四年法律第七十九號)、『周辺事態に際して我が国の平和及び安全を確保するための措置に関する法律(周邊事態法)』(平成十一年法律六十號)、『平成十三年九月十一日のアメリカ合衆国において発生したテロリストによる攻撃等に対応して行われる国際連合憲章の目的達成のための諸外国の活動に対して我が国が実施する措置及び関連する国際連合決議等に基づく人道的措置に関する特別措置法(舊テロ特措法)』(平成十三年法律第百十三號)、『武力攻撃事態等における我が国の平和と独立並びに国及び国民の安全の確保に関する法律(武力攻撃事態法)』(平成十五年法律第七十九號)、『イラクにおける人道復興支援活動及び安全確保支援活動の実施に関する特別措置法(イラク特措法)』(平成十五年法律第百三十七號)、『武力攻撃事態等における国民の保護のための措置に関する法律(武力攻撃事態國民保護法)』(平成十六年法律第百十二號)、『テロ対策海上阻止活動に対する補給支援活動の実施に関する特別措置法(新テロ特措法)』(平成二十年法律第一號)を制定して、あと一歩で、個別的自衞權及び集團的自衞權の全面的な行使を認める有事恆久法が制定できるところまできたが、どうしても占領憲法第九條の桎梏があつて、その一歩が踏み出せない。それは、誰一人、自衞隊の存在が第九條に違反しないと本心から信じ切つて、子供たちにも納得させ、墓場まで持つて行ける者はゐないからである。これまで、狡猾にも、違反行爲や事實を黙認し、解釋改憲といふ「改正」手法によつて過去の違反行爲や事實を隱蔽しようとするための議論をし續けてきた。それならば、遵法心を捨てて、今まで、正規の改正もせずに公然と破廉恥な違反をし續けてきたのであるから、これからも何も遠慮することはなく、このまま際限なく違反を續けていけば良いではないか。今更、良心が咎めるのならば、桑港條約締結時や自衞隊創設時の初めから改正議論をすべきであつた。このやうに、占領憲法を實質的意味の憲法として有效であることを前提とする改正議論は、遵法心がない者による改正策謀であつて、例へ改正に成功したとしても、その改正法を再びなし崩し的に「解釋」と稱して更に違反をすることになるので、わざわざ改正する必要性もない。改正しない方が、多少なりとも違反の齒止めになるはずである。

防衞廳が防衞省に昇格したとしても、自衞隊が自衞軍に昇格したのではない。ところが、かくの如く錯覺をして、「自衞隊は國軍たれ」と聲高らかに唱へる論調が增へたが、一體、このやうな論調は何を根據にその正當性を見出してゐるのか。占領憲法を憲法として有效としながら、これを改正せずに、しかも改正前に堂々と違反せよと主張するのか。それこそ彼らのいふ承詔必謹に悖るのではないか。「自衞隊は舊軍(皇軍)とは異なる」といふ言ひ草が、忠勇無雙の皇軍を侮辱する趣旨で用ゐられるとしたら、建軍のいかがはしい似非軍隊の自衞隊には未來はない。

そもそも、イラクへの自衞隊の派遣のみならず、カンボジアやインド洋など派遣した自衞隊組織による武裝部隊の駐留や軍事的な後方支援は、占領憲法第九條で放棄したはずの「武力による威嚇」に該當する。それが武力による威嚇に該當するか否かは、「平和を愛する諸國民の公正と信義」によつて判斷されるべきであり、我が國には、これに該當するか否かの「自己解釋權」はないのである。イラク國民の一部から「自衞隊は出て行け」といふ聲があつたのであるから、武裝部隊である自衞隊の駐留は、武力による威嚇に該當し、占領憲法第九條に違反してゐた。

しかし、我が國の國會では、「武力の行使」についてのみの議論をなし、「武力による威嚇」に該當するか否かの議論は、意圖的に殆どなされなかつた。

コミンテルン(第三インターナショナル、共産主義インターナショナル)から資金援助を受けてその傀儡となり、プロレタリアート獨裁による共産主義革命にとつて反革命勢力の中核となりうる自衞隊を解體させる目的から、その存在が違憲であるとの見解を黨是してきた日本共産黨ですら、この「威嚇」について議論すらしない體たらくであつた。便宜的に占領憲法を有效として護憲を唱へ、これを最大限に利用するが、權力を奪取すれば弊履の如くこれを破棄するといふ動機の不純な者たちの主張は、日本人の美意識に反する。つまり、大正十一年(1922+660)十一月のコミンテルン第四回大會において、コミンテルン日本支部として正式に承認された日本共産黨の活動方針を示す『一九二二年テーゼ』には、「民主主義的なスローガンは現存天皇政府に對する闘爭において、日本共産黨がもつ一時的武器にすぎないものであつて、黨の當面の直接的任務が完成されるや否や、直ちに放棄さるべきものである。」などの記載があつた事實とそれに基づいて行つた行動について、我々は決して忘れ去つてはならないのである。

いづれにせよ、似非護憲派(改正反對護憲論)や國連中心主義的方向への似非改憲派(改正贊成護憲論)の主張は、一見對立してゐるかのやうな錯覺を與へるものであるが、それは、從來通りの國連體制を維持するか、さらに國連體制を強化するかの國連主義内での議論であつて、「反日思想」間における「コップの中の論爭」に過ぎず、本質論ではないからである。

このやうな本質論が一切論議されずに今日に至つたのは、我が國を取り卷く國際環境も無視しえないが、それに加へて、このやうな違法と矛盾を容認する社會の風潮と、その反映としての政治腐敗に起因する。そして、さらに、これらの要因を解消しえない根本原因は、本來は正義の抽出のための普遍的な統治原理とされる「多數決原理」が逆に正義を否定するために機能してゐるといふ現實にある。

從つて、帝國憲法體系への復元のために、いくら精緻な分析とこれに基づく基本的制度の理念を設定し、憲法改正や政治制度の根本改革を實現したところで、政治腐敗の防止及び社會の淨化の實效性が保たれなければ、眞の意味で「不磨ノ大典」とはなりえないのである。

ましてや、單に、改革スローガンの羅列のやうな現實性のない美辭麗句を竝べ立て、形式的な政治腐敗防止法などの法律や選擧制度の改革をしてお茶を濁すやうなことであつてはならない。改正された選擧制度や新たな法律に馴致したときから再び腐敗が始まるからである。そのやうな繰り返しによる誤魔化しこそが政治腐敗の元凶である。「絶對權力は絶對的に腐敗する。」との至言の意味するところは、「政治腐敗は絶對的に起こる。」ことを斷言しているのであつて、そもそも、政治腐敗を完全に防止することは「絶對的」にありえないことを歴史の教訓から學び取らなければならない。

ところが、それを認識しながらも、又は、全く認識できずして、現今の政治腐敗の状況を解消する手段について、「發生」を「絶對的に防止」する有效な方法があるかのやうに、不祥事が起こる度に、「再発防止と信頼回復に全力で取り組みたい」といふやうな常套句を繰り返されるが、實現性の担保のない空しい言葉の羅列によつて世人を惑はす風潮は誠に嘆かわしいものである。

むしろ、今、直ちに必要なことは、選擧制度など個別的な制度毎に改革案を檢討して政治制度全體の改革案を立案するといふ「積み上げ方式」による制度設計によるのではなく、政治制度全體の總合的な機能分析を行ひ、いはば自然發生的に起こりうる政治腐敗の發生を直視し、その發生した政治腐敗の状況が速やかに確實に淨化できるシステムを開發することである。換言すれば、政治腐敗について、動脈思考的な「發生のメカニズム」を究明することは最早これ以上不要であり、それよりも、靜脈思考的な「淨化再生のメカニズム」の究明こそが必要である。つまり、政治腐敗が絶對に發生しないといふやうな「不發生裝置」を考案することができないので、そのやうな腐敗が發生したときは速やかにそれを除去しうる「淨化再生裝置」と一體となつた制度設計を考案する必要があるといふことである。

權力分立制

ところで、抜本的な制度設計としての淨化再生裝置を考案するための前提として、既存の制度がどのやうな淨化再生機能を持つてゐたのかについて檢討する。

先づ、從來まで、ロックやモンテスキューなどの權力分立制は、權力の分離と相互抑制・均衡の機能を果たし、權力の濫用を阻止しうる「淨化再生裝置」の機能がある制度であるとされてきた。しかし、これはその後の歴史的事實に照らし、全く淨化再生機能を期待しえない缺陷システムであつた。この制度は、單に、「權力分掌制」にすぎず、細分化し多樣化する社會の統治效果を高める機能(機能的合理性)しか果たしてゐなかつた。いはば統治の分業體制である。そのため、少數支配の法則のとほり、少數者による支配が必然的に發生する。マックス・ヴェーバー(Max Weber)は、いづれの政體であるを問はず、全ての支配の實態は、極めて少數の支配者が多數の被支配者を支配してゐるのであり、その現實は偶然に起こるのではなく、不可避的に起こるものであることを論證したのである。ルソーもミヘルスも同樣の分析をしてゐる。それが不可避なものであることから「少數支配の法則(原理)」と表現されるのである。

少數支配に至る原因は、大衆國家性と機能的合理性とされる。現代國家は大衆國家であり、漫然とテレビを毎日見續けて時を過ごす生活に象徴されるやうに、膨大な大衆の特質は、無知、消極性、受動性などの政治的無關心であることから、政治的關心及び支配意志のある一部の支配階級が形成され、これらが權力を掌握して支配に至る。また、膨大な大衆社會を支配するについては、その支配の統一性を維持し統治能率を高めるためには、上下階層的(ヒエラルヒィッシュ)かつ官僚的(ビュロクラティッシュ)な近代組織體の機能的合理化を進める必要がある。その機能的合理化が進めば、その組織の頂點には計畫を立案して執行する指導的地位が形成され、少數支配が確立する。その意味では、『アメリカ民主政論』を著したトクヴィルの指摘は基本的には正しかつた。

そして、注目すべきは、この少數支配の法則の妥當する領域は、國家だけに限らず、現代國家に存在する、政黨、政治クラブ、労働組合、學校、會社、團體その他國家以外の一切の團體を含むとした點である。

即ち、權力分立制といへども、支配の統一性が必要であり、分立した權力のうち、必ず實質的に總ての權力を統括支配する「樞軸權力」が必然的に生まれるからである。憲法上の制度では分立した權力が相互に抑制・均衡の機能があるとされてゐるが、その中から樞軸權力が發生して他の權力を支配するに至るのは、まさに、「權力機關」相互間における少數支配の法則の適用でもある。

帝國憲法下の樞軸權力は、法律學的には統治權の總覽者である「天皇」とされてゐたが、政治學的には「軍部及び内務省(行政府の一部)」であつた。占領憲法では、法律學的には、「立法府」(占領憲法第四十一條)であるが、政治學的には、行政機構(官僚)の肥大化が進むうちに、次第に「行政府」へと移行した。言はば、「立法國家」から「行政國家」への變容である。本來、議院内閣制は、内閣(行政府)を國會(立法府)の執行委員會としての性格として位置づけ、行政府の抑制を實現しようとした統治組織であつた。しかし、國會の最高機關性と國政調査權を全うなさしめる實效性の擔保が缺落してゐたため、議會權限の空洞化が進み、國會(立法府)は内閣(行政府)の構成員(國務大臣及び各省政務次官など)の人材登録銀行と化して、現在では完全に國會の本來的機能を喪失するに至り、内閣(行政府)が「樞軸權力」の地位を確立した。さらに、樞軸權力を支配する政權政黨内部にも少數支配は確立し、多重的な少數支配が出現するに至つた。

昭和三十年十月十三日の日本社會黨再發足(左右兩派合同)及び同年十一月十五日の自由民主黨結成(自由黨と民主黨の合同)によつて、いはゆる五十五年體制が始まつた。これは、複數政黨の連立よりも統一政黨の連合の方が、人事の密行性と迅速性が保障され、少數支配に至る能率性が高まるからであり、必然的な傾向である。そして、その後も離合集散を繰り返し、基本的な變化がないまま今日に至つた。そのために、與黨(政權擔當政黨、組閣政黨)及び野黨(與黨以外の政黨)内部にも當然のやうに少數支配の現實が發生する。そして、樞軸權力を掌握する内閣(行政府)は、專ら與黨によって支配されるため、その與黨の少數支配者によつて支配される「二重支配構造」となる。ところが、與黨の内實は、合從連衡する各派閥や政黨の連合體であり、その内にある樞軸勢力は、連合體の過半數を掌握する必要があるため、實際には樞軸勢力は單獨の派閥や政黨ではなく複數の派閥や政黨の連合體となる。さらに、その連合體の内でも、最大派閥・政黨又は有力派閥・政黨(樞軸派閥・政黨)の少數支配となり、さらに、樞軸派閥・政黨においては、その領袖及び側近集團の少數支配が實現する。これだけでも五重、六重の支配構造であつて、このやうな「多重的少數支配」の構造形成は、單に我が國だけに限らず、およそ大衆國家の不可避的な宿命であつた。これは、五十五年體制固有の支配構造ではなく、五十五年體制の崩壞後においても、多重的な支配構造に本質的な變容はない。

この宿命的傾向に抵抗して、行政府の機能を監視し、その公正な運用の實現のため、各種の行政委員會などの行政機關が設置されたが、いづれも樞軸權力から選任される派生機關であるために、人事權の行使等の干渉や壓力により、次第にその獨自性は消滅していつた。上位權力である樞軸權力から派生する下位權力が、自己の存在根據である樞軸權力に反抗することは、その存在基盤自體を否定することになり、獨自性の維持について本質的な自己矛盾を包含してゐたからである。

ところが、戰後の我が國には、これまで樞軸權力から派生する下位權力の内で、唯一政治腐敗を摘出してきた行政機關があつた。それは、特捜部を設置した「檢察」であつた。

檢察官は、法律的には「獨任官」である。檢察官の複合官廳である檢察廳は、明文規定はないものの、檢察權の統一行使を實現するための「檢察官同一體の原則」といふ不文律により運營され、司法權の一翼を擔ふ「法曹」としての自負心に支えられて「檢察の獨立」を維持してきたのであつた。歴史的にみれば、戰前に、内務省を支配する警察に對して、司法警察作用に關してのみではあるが、各檢察官が捜査を擔當する各警察官に對して直接かつ個別的な捜査指揮權を行使して、警察權力に對して限定的ではあるが唯一獨自性を維持できた官廳であつた。ところが、戰後の『(新)刑事訴訟法』により、從來の強大な捜査指揮權は剥奪され、警察と檢察とは、基本的に協力關係といふことになつた(第百九十二條)。そこで、檢察内部には、捜査指揮權を奪はれた悔しさから、警察とは異なる獨自捜査を行はうとする積極意見と、公判に專從しようとする消極意見が對立したが、その失地回復を悲願とする前者の見解によつて、特別捜査部(特捜部)が設置された。そして、現在まで數々の疑獄事件を手がけて舊内務省官僚と張り合つたが、檢察には從來の捜査指揮權を復活させるだけの政治力がなかつたために、現在では、檢察の主人である法務大臣も舊内務省(警察官僚)が就任する事態も生じて、檢察も警察官僚の傘下に入つて支配される時代が到來し、失地回復を求め續けてきた檢察の政治介入による抵抗の時代は終はりを告げようとしてゐる。

この警察と檢察との國内二大權力の拮抗關係は、過去の統制派と皇道派との軍閥對立と似てゐる。戰後の造船疑獄事件において、法務大臣が檢事總長に指揮權發動して自民黨幹事長(佐藤榮作)を逮捕できなかつた夜、『青年日本の歌』(俗稱「昭和維新の歌」、五・一五事件の首謀者であつた三上卓海軍中尉の作詞)が東京地方檢察廳の廳舍から聞こえてきたとの新聞報道の逸話はこれを象徴してゐる。

しかし、司法制度の一翼を擔ひ、本質的に「司法作用」しか擔當しえない檢察に、政治腐敗を防止するための「政治作用」を果たさせることに本質的な限界がある。「公益の代表者」を自負するものの、これには明確な法的根據はなく、情緒的な過度の期待は「檢察ファッショ」の温床となるものであり、既にその弊害が明らかになつてゐる。

「法律(刑事)責任」と「政治責任」とは嚴然と異なる。前者は、「嚴格な證明」(適式な證據調べを經た證據能力のある證據による證明といふ法律概念)に基づく司法手續による證明責任に基づくものであるのに對し、後者は、「自由な證明」(嚴格な證明による證據以外又は手續以外による證明といふ法律概念)による證明責任に基づくものである。ところが、本來、司法作用は、このやうな嚴格かつ精密な手續による運用(精密司法)がなされてゐたが、これでは刑事責任が追求できないとの焦りから、檢察は、いはゆるロッキード事件において、從來までの刑事司法の定説では絶對に證據能力を肯定しえないものであるにもかかはらず、訴追免除を與へて取得したアメリカでのコーチャン、クラッターの各「囑託尋問調書」を嚴格な證明の證據として採用させるべく、法務省とアメリカ司法省間の取り決めを行ひ、最終的には、最高裁判所に、裁判所法第十二條の司法行政處分として「不起訴宣明書」を提出させ、司法作用と行政作用を意圖的に混同した異例の事態を招來させ、その證據能力を肯定させる暴擧に出た。これこそが、公益の代表者の美名に隱れて「檢察ファッショ」を企圖しようとする檢察の謀略である。この事件で右囑託尋問調書の證據能力を肯定して採用されたことは、最高裁判所も共謀して、占領憲法第三十七條第二項(證人審問權の保障)を否定したこととなつたが、それを證據として採用しなくても有罪であるとの心證を得たとしてこれを最終的に排除したが、我が國の刑事司法における正義は完璧に死滅したことだけは嚴肅な歴史的事實である。そして、このやうな檢察ファッショは、このロッキード事件以後に特捜部の變質を來した。大衆に迎合し、世間を騷がす事件だけを摘み食ひにして大衆の喝采を得ようとするポピュリズム(populism)に陷り、巨惡の順位序列を以て社會正義實現の優先順位としてゐた特捜部創設時の理想を放棄し、樞軸權力の走狗と成り果てた。

ともあれ、このやうに行政が肥大化して少數支配の確立を早めたのは、立法府(國會)と行政府(内閣)との權限分配態樣にも問題があつた。それは、内閣に法律と豫算の各提案權を認めたことに始まる。

一般に、國家の統治作用は、次の標準的な經緯に基づき實施されていく。先づ、その國の憲法に基づき、(1)「基本政策」の方針を①立案、②審議、③確定する手續、(2)「法律」の①立案、②審議、③議決の手續、(3)「豫算」の①立案、②審議、③議決の手續を經て、(4)「實施細目」の①立案、②審議、③決定(政令その他の命令)の手續がなされ、最後に、これらに基づいて(5)「執行」されるのである。

しかし、豫算は本質的に行政作用であるとか、二重法律概念(法律を實質的意義の法律と形式的意義の法律とに區分して、前者を「法規を制定する作用」とし、後者を「議會の同意を要するやうな國家の意志行爲」とする二重の立法概念)を用ゐて、實質的意味の法律について立法府の權限を縮小しようとする議論や、行政の概念について、立法でも司法でもない一切の國家作用を「行政」とする控除説の見解により、一般には、立法府の權限は右(2)の①ないし③と(3)の②及び③に限定され、その他の總ては行政府の權限となつて、立法府の審議は形骸化して行つたのである。特に、議會の場合は、政党制が導入されてゐることから、どのやうな法律や豫算であれば議會の多數派による承認が得られるか否かといふ豫測性は高くなり、そこでの審議が形骸化することは必至である。

そして、さらに議會審議の形骸化が進むと、立法府の權限は、(2)の③及び(3)の③のみとなり、立法府は、國權の實質的上の最高機關(樞軸權力)となった行政府に、その權限の正統性を付與する機關と化したのである。議員が法案策定能力を喪失することにより、立法府は行政府の諮問機關に變質したのである。

本來、意志決定及びこれに至るまでの作用は總て「立法」であり、意志決定後の作用が「行政」といふべきである。しかし、意志決定の前後で區別するとしても、國家作用は連續かつ統一されたものでなければならないので、權力分立制そのものに絶對的な價値評價を與へることはできない。「民主集中制」と呼ばれる實質的獨裁化を防止できうるのであれば、議會主義と權力分立制を否定して人民議會を設置した人民民主主義の理念も一應の評價ができる。總ての課題は、獨裁化と政治腐敗の防止にあるからである。

このやうにして、行政府が肥大化してくると、さらに、それを支配する樞軸權力が登場する。それが「官僚制」である。選擧での當落と短期の任期制によつてその地位に持續性のない議員が行政府の各部署の長となつても、行政の統一性と繼續性は期待できない。ましてや、行政の專門性を熟知しない議員においては尚更のことである。行政の專門性と継続性を維持するのは、そのことを身につけた官僚であり、選擧で選ばれた行政府の長は、選擧で選ばれない官僚の爲す政策決定に實質的に追随する結果となるのである。

多數決原理と少數支配の法則

少數支配の不可避的な現實に法則性を與へた最大の原因は、大衆國家の特質とその支配統治の機能的合理性の追求にあるとされてゐる。しかし、もつと根源的な原因は、多數決原理にあると考へられる。

國家(大衆國家)及び國家以外の團體の全てに共通し、およそ團體の意志形成及び運營に不可缺な制度とされる多數決原理とは、團體の意志(統一意志、一般意志)を認識決定するにあたつて、構成員の多數者の意志をもつて全體の意志と擬制する方法である。これは、審議を盡くした後に形成される多數の意見の存在は、單に數量の問題ではなく、その量的なものの中に質的に高度な眞實性が存在するとの理念に基づくものである。從つて、多數決原理とは、審議を盡くした結果としてなされる數による「議決」もさることながら、それ以上に「審議過程」が重要視されるはずであつた。しかし、大衆國家を例にして考へれば、理念上はさうであつても、情報が氾濫することと反比例して政治的意志決定の選擇肢が極度に少なくなつてゐる。現代社會において、議會の機能は「議決」のみとなつて審議は全く形骸化する。つまり、議會の議員構成は確定してゐるので議決の方向は當然に豫測され、審議の有無を問はず、初めから結論が出てゐるので、審議は不必要となるのである。そのため、審議なき議決が恆常化し、多數決原理とは單に數の論理に歸する。そして、多數派の中の多數派、そのまた多數派といふやうに、多數派の主流を抽出する過程が少數支配の形成過程と一致するため、結果として「少數支配の法則は、多數決原理から生まれる。」と言ひうるのである。

このやうな多數決原理は、その理念の中にも、いはゆる靜脈思考がない。これは、意志決定のためだけの方法であつて、投票や選擧によつて自己の意志が實現した多數者にとつては、自己の意志と團體の意志とが一致するので、その意志實現による滿足としての「效用」を得られるが、意志實現しなかつた少數者にとつては、自己の意志と團體の意志とが對立又は矛盾し、その意志決定が存續して自己の意志と相反する状態が繼續する限り、政治參加の滿足(效用)は全く得られない。

なほ、ここで用ゐた「效用」といふ用語は、經濟學で用ゐる用語を借用したものである。經濟學では、消費者が財(財貨及びサービスなどの經濟的價値を有する經濟財)を購入し、消費したりすることによつて得られる滿足のことを「效用」といふが、本稿で言ふ「效用」とは、政治學的な意味で用ゐるものであり、それは、政治參加(團體運營參加)における自己の意志實現による意識的な滿足と、少數支配の主流などの權力に接近することによつて生ずる付随的利益を享受することによつて得られる滿足の總體を意味するものとして用ゐることとする。

ともあれ、多數決原理とは、制度的には、このやうに、常に少數者の意志を切り捨てて無視することによつて運用されてゐる。ある構成員が、總ての議決において、いづれも多數者の集團に所屬してゐればゐるほど、また、少數支配の地位に登りつめる多數者中の主流勢力に留まれれば留まれるほど、その受けるべき「總效用」は增加する。その逆に、ある構成員が、總ての議決において、いづれの多數者の集團にも所屬してゐなければゐないほど、また、少數支配の地位に登りつめる多數者中の主流勢力から遠ざかれば遠ざかるほど、その受けるべき「總效用」は減少することになる。

ある者の所屬する自治體及び國において、それぞれ數回づつ投票や選擧があつた場合を想定する。そして、すべての投票・選擧において自己の意志を實現した者(死票がなかつた者)と、すべての投票・選擧において自己の意志を實現しえなかつた者(すべて死票であつた者)との兩極の間には無數の連續的態樣が存在する。前者に近ければ近いほど政治參加の效用の總量(總效用)は最大效用に近くなり、逆に、後者に近ければ近いほど政治參加の效用の總量(總效用)は最小效用(ゼロ)に近くなる。以後は、政治參加による總效用が多い集團を「多數者」とし、これが少ない集團を「少數者」といふこととする。

さうすると、多數決原理には、それぞれの構成員が得る效用の格差を縮小し效用を均一化しうる作用が全くなく、逆に多數決を繰り返すことによつてさらに格差が擴大されていくため、各人の總效用の保有量に著しい不均衡が生ずることになるのである。

しかし、少數者は、多數決により團體の意志決定の結果において敗れたが、その審議過程においては多數者の意見の通用性又は妥當性について審査し、その疑問點や矛盾點を指摘してゐるのである。それゆゑ、少なくとも、意志決定において自己の意志が實現しなかつた場合は、多數意志の決定による執行について、その業務の監視・監督・監査(業務監査、國政監察)を自己又は第三者によつて行うことを求める濳在的意志があつたものであり、多數者も自己の意志を實現する場合において、少數者のこのやうな濳在的意志を受忍・許容して議決したものと解釋しうるのであつて、これを何とか制度的に反映させるべきなのである。

個人の場合の意志決定ですら、顯在意志と濳在意志とが兩立し、主位的意志と豫備的意志とが併存してゐる場合が多い。例へば、原則として第一案を實施するが、その實施において不都合があれば、これを中止するか第二案を實施するといふやうに、何らかの意志決定とそれに基づく行動を行ふ場合、その意志は單一かつ單純な一面的なものではなく、複數かつ多面的である。ましてや、團體であれば、通常、複合的かつ多面的な意志決定であることが一般意志の正確な反映なのである。これは、一般意志の内容が一面的か多面的かという認識論の問題である。それを敢へて一面的な結論抽出(意志決定)のみの制度として運用され、また、そのやうにしか運用しえないために、必然的に少數支配の現實に至つてしまふところに多數決原理の根本的な問題があると云へる。

參政權の閉塞的情況

たとへば、食事をする店が限定されてをり、いつも決まつた種類の定食のメニューしかなく、どのメニューにも食べ飽きてしまつたといふ限定された條件下の情況を假定してみよう。それでも、これらの定食を食べ續けるのは、定時に食事をきちんと攝る習慣がしつかりと身についた人々であらうが、通常の場合、お腹がすいても時々は缺食する者が出てくるのは當然である。しかし、食事の場合、長い間缺食し續けることは健康を害するであろうから、嫌ひでも食事を攝り續けた方がよいだらう。

しかし、この例へ話のうち、「食事」を「選擧」と、「定食」を「既成政黨」と、「缺食」を「投票の棄權」と置き換へて、政治の場合と比較してみるとどうであらうか。

飽き飽きした定食にも等しい既成政黨しか存在しない現在の政治情況の場合、選擧民は、選擧の際、投票を棄權し續けても、缺食の場合と異なつて、健康や日常生活に直接何らの影響もない。投票習慣がしつかりと身についた人々と、棄權をし續ける人々とを比較しても、政治的にも日常生活の上においても全く何らの違ひはない。そのため、選擧民は安易さに流され、着實に棄權者が增大し、投票率が低下し續けるのである。しかし、この現象の擴大は、確實に政治自體を蝕んでいく。投票率の低下は、參政權の行使による政治意志決定そのものを形骸化し、議會制民主主義が壞死して政治が空洞化する。そして、その空洞化の間隙を縫つて、宗教的獨裁、政治的獨裁を志向する全體主義勢力が着實に伸長してくることだけは確かである。

平成七年七月二十三日に施行された參議院通常選擧が史上最低の四十四パーセント臺の投票率を記録し、無黨派層や無關心層の增大など、政治の空洞化と呼ばれる現象が一層深刻化した年であつた。いはゆる五十五年體制の崩壞に伴つて、國民からすれば、安保、自衞隊、エネルギーなど國家基本政策上の爭點がなくなつたこと、政界再編成が流動的であり特定の政黨を選擇するのが困難であること、政治家や政黨政治それ自體に對する不信があり政治に絶望してゐること、などが原因であるとする指摘はあつたが、選擧制度を含む政治制度自體の缺陷に原因があるとする指摘は少なかつた。

しかし、紛れもなくこのやうな政治空洞化の原因は、選擧制度を含む政治制度自體にある。この根本原因を一言で云へば、それは、政治的選擇肢の缺如、あるいは、政黨の新規參入を阻害する政治機構が平成七年までに法制度として完成し、參政權の閉塞的情況が不動のものとなつたことにある。選擧權者の側(投票する人)から見れば、政治的選擇肢が不足してゐる(投票したい人がゐない)といふことであり、被選擧權者の側(立候補しようとする人)から言へば、政治的選擇肢を提供しえない(立候補できない)ことに原因がある。まさしく政治的な需給バランスが崩壞し、國民の自由な政治參加が阻害されてゐるのである。

「經濟」の場合でも、自由競爭が保障され、經濟活動の自由が確保されなければ、經濟の閉塞的情況が生まれる。しかし、自由競爭とは、究極的には、弱者切り捨てを當然視する冷徹な弱肉強食の世界を實現することにあるから、自由競爭が完全に保障されていれば、多くの弱者事業者が自然淘汰される結果、強者による寡占や獨占の状態になることは必至である。しかし、現實は、法律的な規制などの外在的要因の外に、事業者世界の内在的要因によつて、直ちにそのやうな状態まで至ることは少ない。それは、その過渡的段階において、強者となつた少數の事業者同志が共倒れを回避するために、事業者團體を形成させ、その事業者團體の總體による市場の獨占と、市場における總供給量を内部的に再配分することによつて共存しようとするカルテル(企業連合形態)が生まれるからである。ある程度の經濟規模を維持し發展させるためには、事業者團體の果たす役割も無視できないが、事業者團體は、その團體に所屬する事業者の經營保護のため、その業界に新規參入しようとする他の業者を排斥し、競爭の實質的制限がなされるための温床となりうる。そこで、事業者團體のこのやうな行爲を禁止して經濟の民主化を實現しようとしたのが、『私的独占の禁止及び公正取引の確保に関する法律』(獨禁法)である。これによつて、異業種から、又は同業種からの自由な新規參入を保障して自由競爭を確保し、その結果、經濟の活性化がはかられるといふのである。

しかし、「經濟」の領域において、自由競爭原理に歴史的普遍性があるのかについては異論があり、自由競爭は幻想に過ぎないのではないか、自由競爭が社會全體に眞の福利をもたらすか、などについては必ずしも結論が出てゐない。

ところが、「政治」の領域においては、政治的意志決定を行ふについて、討論を活發に行ひ審議を深めて、説得と納得による結論に至るといふ意味での「民主主義」が原則として正しいことは今更言ふまでもない。

現代政治において、政黨政治を前提とすれば、經濟の領域における事業者團體に代置しうるのは、既成政黨によつて組成されてゐる國會そのものである。そして、現在の制度では、建て前の上では、參政權の保障を高らかに唱へながら、その内實は、他の政治勢力が新黨を結成して國會といふ事業者團體に新規參入しようとしても、政黨資格要件、小選擧區制の導入、選擧運動の制限、立候補供託金制度など選擧關連法を既成政黨に有利に改正して、樣々な參入障壁を築いて阻止しようとする。その結果、やがて、既成政黨間の離合集散を經たうへで、寡占化や獨占化が進み、遂には統制經濟にも似た政治の硬直化に至る。しかし、經濟の世界には獨禁法があつても、政治の世界には獨禁法がなく、公正取引委員會に對比しうる機關もない。それゆゑ、このやうな參政權の閉塞的情況が選擧民に周知されないまま、參政權保障の危險水域に不可逆的に突入してしまふ虞がある。

そこで、この參政權の閉塞的情況を打破するため、その元凶である次の二つの制度の持つ問題點の指摘から始めたい。

第一は、「立候補供託金制度の問題點」である。

先づ、參政權を閉塞的情況に追ひこんだ政治制度として第一に擧げられるのは、立候補に際して一定額の供託を義務づけられ、選擧の結果、一定の得票數に達しなかつた場合にはその供託金を没收するとする立候補供託金制度である。そして、その供託金を一律に五割增額した公職選擧法改正法(平成六年)を平成七年から施行したことがさらにその情況を深刻なものとしてゐる。たとへば、參議院通常選擧において比例代表區に十人の候補者を立てて確認團體になろうとするならば、六千萬圓の資金が必要となつたのである。

ところで、公職選擧の立候補に際して、一定額の供託金を提供しなければ立候補者となりえないといふ立候補供託金制度は、大正十四年の衆議院議員選擧法で初めて導入され今日に至つてゐる。大正十四年までの選擧制度は、直接國税三圓以上納入する納税者のみに選擧權を認めてゐたのであるが、明治・大正期の普通選擧運動の高まりに抗しきれずに、同年の衆議院議員選擧法により、二十五歳以上の生活困窮者を除くすべての男子に選擧權を與へたのである。しかし、あくまでもこれは、婦人と生活困窮者の選擧權を一律に否定した意味において、制限選擧制度であることに變はりはない。いはば、「緩和された制限選擧」に過ぎなかつたが、有權者が急增する結果となる選擧制度の大改正であつたことに變はりはなかつた。現に、大正十四年の衆議院議員選擧法による初めての選擧は、昭和三年に行はれたが、有權者數は前回の選擧の三倍に增加したのである。

そして、この選擧制度の大改正による急激な變化による影響の齒止めに不可缺な制度として導入されたのが、大正十四年の『治安維持法』と「立候補供託金制度」なのである。

すなはち、當時の政府は、この衆議院議員選擧法施行による有權者數の急增により、國體の變革と私有財産制の否認を目的とする結社や運動が急增することを恐れ、これらの結社と運動を嚴禁するために、治安維持法を同時に成立させてゐるのである。もつとも、治安維持法でいふ國體の概念とは、日本肇國の傳統に根ざした「文化國體」でもなければ、「規範國體」でもない概念であつて、これらとは全く異質の全體主義國家思想に基づく權力的な國體概念であつたことは前述したとほりである。

その後、治安維持法は、昭和十六年の改正で、豫防拘禁制を採用し、特高警察と直結して内務省警保局の主導による思想彈壓が強化されていつたのは周知の事實である。

從つて、當時の立法事實としては、普通選擧運動に抗しきれずに、やむを得ず衆議院議員選擧法を制定することになつたが、その導入による有權者の急增に伴ふ惡影響と弊害を除去するために、治安維持法による政治運動一般に對する監視と、立候補供託金制度による選擧運動の制限(立候補制限)を同時に導入すべき情況とその必要性があつたのである。いはば、立候補供託金制度は、治安維持法を選擧面から支へる補強制度として發足したことになる。

換言すれば、治安維持法で彈壓の對象としてゐる運動へと發展する虞のある無産者救濟運動の中心となるのは、やはり痛みを共有する無産者の中から生まれることを政府が想定し、無産者からは立候補しにくくなる制度として、立候補供託金制度を出現させたのである。いはば、治安維持法を兄とし、立候補供託金制度を弟とする、制限選擧強化の兄弟制度である。

都道府縣議會議員選擧においても、大正十五年の府縣制改正による立候補供託制度が導入されたが、その導入の前提となる立法事實と立法目的等に關する實情は全く前記と同樣である。

このやうな立法事實と立法目的によつて導入された立候補供託制度が現在においても何らの制度的改變なく承繼されてゐるのであつて、占領憲法下でも許容されないことは明らかである。すなはち、これは、法の下の平等を保障した占領憲法第十四條第一項及び普通選擧を保障した同第十五條三項に違反する。成年者による普通選擧とは、第十四條第一項の規定と相俟つて、選擧權のみならず被選擧權を含めて、廣く參政權の行使において、年令による制限以外の全ての制限を否定し、參政權行使における無制限、平等かつ公平の原則を意味するものである。ところが、被選擧權の行使に際して、一定の財貨を國家に寄託させることを定めた公職選擧法九十二條の規定は、公職選擧立候補者に一定以上の財産の保有を條件とする「制限選擧」に他ならない。地盤、看板、鞄の三バンが選擧に當選するための要素だとされ、世襲型議員が大部分を占めてゐる現在の國會議員の構成を見れば、選擧情況自體が、實質的な制限選擧の實態を意味してゐることは一目瞭然である。選擧運動には、少なからず資金を必要とし、實質的に、無産者は立候補しえないのが實情である。そのため、このやうな實質上の制限選擧の現状を立法事實として認識した場合、無産者の被選擧權を保障するためには、國又は地方公共團體が、無産者の立候補者のために、せめて選擧資金の無償貸與などを含む選擧公營制度を充實させる必要があるにもかかはらず、これに逆行して、無産者から一定の財貨の調達を強要する同法九十二條の規定は、明らかに公平な參政權の實現を阻害する。

立候補供託金制度の立法目的が、假に、立候補者の選擧における眞摯な意志を擔保するためのものであつたとしても、公平な參政權の實現を阻害することに相違はない。立候補者が、いはば、眞面目に選擧運動を行ふか否かの内心の意志は、通常は立候補時に判明しえず、眞面目な選擧といふ概念も不明確である。假に、これを特定の者に判定させる場合は、その者の極めて恣意的な判斷に陷ることとなつて、これを科學的に判定しうることは不可能である。また、たとへ、さうであつたとしても、そのやうな立候補者を事前に排除することは絶對にできない。全ては、選擧による選擧人團の審判に委ねるべきものであるからである。

立候補供託金制度を廢止すれば、立候補者の濫立による選擧の混亂を招來するとの杞憂があり、これが制度趣旨とされてゐるが、これも見當違ひである。濫立を「惡」とする價値判斷こそが「反民主主義的思想」といふことではないのか。濫立か否かは主觀に屬するものであつて、全ては選擧による選擧人團の審判に委ねられるのである。候補者が多數であることは、それだけ國民の選擇択が增えることであつて歡迎すべきことである。「濫立」といふ言葉自體に否定的な價値判斷が含まれてゐるのであるが、選擇肢が多すぎることによる弊害があるとしても、それによる選擧の混亂を防止する政策的配慮は、選擧運動の改善その他選擧制度の改革で充分可能であつて、拙速な政策論により選擧の自由を妨げてはならない。立候補の自由を含む選擧の自由の保障を最優先させるべきなのである。

ところで、選擧供託を求めること自體が、假に合憲であつたとしても、供託は、寄託契約であるから、選擧が終了すれば、供託者に返還されるべきである。ところが、同法第九十三條第一項は、一定の得票數に達しない立候補者の供託物を没收すると規定してゐるのであつて、これもまた、以下の理由により占領憲法にも違反する。

選擧人團の意志は、複數の立候補者に對して、投票によつて審判を行ひ、これにより立候補者に當選か落選かの二種いづれかの結果を生み出すことになる。立候補者の各得票數は、信任數であつて、投票總數から當該立候補者の得票數を控除した投票數は、決して當該立候補者の不信任數ではないのである。從つて、落選は、信任數の不足による結果であり、不信任者の多數による結果ではない。落選は、いはば審判の結果にすぎず、決して「制裁」ではありえない。また、さうであつてはならないのである。「不信任」を「制裁」と評價することはできず、假に、さうであつても、選擧による制裁は「落選」といふ結果のみで充分であつて、一定の得票數に達しない落選者といふ「社會的身分」によつて、「没收」といふ經濟的制裁を加へられ、經濟的關係において差別されることは許されるものではない。

また、占領憲法第十五條第四項後段によれば、「選擧人は、その選擇に關し公的にも私的にも責任を問われない。」としてゐるのであるから、このことは、占領憲法第十四條第一項により、被選擧人についても差別なく準用されるべきであらう。

「没收」の實質は、國民の意志に基づかず公權力によつて強制的に無償で徴收する廣義の「租税」である。ところが、これが立候補者全員から徴收されるのではなく、一定の得票數に達しない者だけに限つて徴收するといふ立候補供託金制度は、租税法定主義(占領憲法第八十四條)によるものとはいへども、得票數の多寡で差別して適用することとなり、同第十三條及び同第十四條第一項に違反することになる。

このことは、没收が落選者に對する無償徴收の制裁ではなく、選擧管理事務諸經費の受益者負擔の性質を有する權力的課徴金と解しても同樣である。選擧管理事務諸經費の出捐は、選擧の執行において、全立候補者のために必要なものであり、單に、選擧結果としての一定の得票數に達しなかつた者だけのために必要なものではないからである。

第二は、「政黨助成法の問題點」である。

參政權を閉塞的情況に追ひこんだ政治制度として第二に擧げられるのは、平成六年の『政党助成法』の制定である。

この政黨助成法とは、ご承知のとほり、その年の一月一日現在の各政黨の所屬國會議員數と直近の衆參兩院の選擧の結果による得票數に基づいて、國民一人當たり二百五十圓、總額三百九億圓の交付金を各政黨に分配交付する制度であつた。そして、平成七年七月に實施された參議院通常選擧に照準を合はせて、同年分の交付金の半額である總額百四十九億五千萬圓を各政黨への公費助成の支給が開始したことから、この參議院通常選擧は、參政權の閉塞的情況下における初めての國政選擧としての性格が鮮明になつたといへるのである。

一般に、國政及び地方自治の參政權に關する公費助成は、一般的に立法政策の問題であつて憲法問題ではないが、それは、參政權の「行使(選擧)」の助成である「被選擧人の助成」に限られるべきであつて、參政權の「行使(選擧)の結果」による助成である「當選人の助成(報奬)」であつてはならない。ところが、政黨助成法は、當選人の所屬する特定政黨に對する公費助成(報奬)を意味してをり、一般的な「被選擧人の助成」ではない。また、政黨の目的及び活動の範圍が、國政のみか、地方自治のみか、その雙方を含むかによつて公費助成の態樣を異にするにもかかはらず、このやうな觀點が全く缺落してゐるのである。それは、國政選擧及び地方選擧を問はず、當選しなかつた被選擧人、政黨に屬しない當選人(無所屬議員)、一定の當選人數に達しない政黨等に對しては、その選擧の活動費すら助成されないのに對し、國政選擧において、一定の當選人及び特定政黨には、事後的に、その選擧の活動費の他にその後の活動費も含めて公費による助成を行はうとするものである。實質的には、この公費助成は、選擧の當選人及び特定政黨に交付される「當選報奬金」であつて、特定政黨とその當選人を他の政黨や被選擧人よりも特別に優遇しようとするものである。國政政黨と地方政黨とを差別し、特定政黨とその他の政黨・政治團體とを差別する。そして、當選報奬金であることから、當選者と落選者とを差別する。明らかに法の下の平等に違反してゐるのである。

また、政黨交付金は、當選者に對してその所屬政黨を經由した當選報奬金であるから、少なくとも特別の歳費である。さうであれば、政黨助成金の交付を受けない無所屬議員等の歳費を受ける權利との關係において、これを不當に差別してその權利を侵害してゐることになる(占領憲法第四十九條、同第十四條)。その反面、當選報奬金が受給されうる議員には直接受給されず、その所屬政黨が受領することになるから、議員の歳費受給權を政黨が侵害してゐることになり、益々議員の政黨への從屬性を高めることになる。

そもそも、政黨助成法案が登場する背景にあつた公費助成論は、企業・團體獻金を否定し、これに代はるべき政黨活動の財源を確保する方法論であつたが、何故に企業・團體獻金が根本的に否定されなければならないかについての理由を明らかにしないうへ、これに代はるべきものとして、どうして公費助成なのか。しかも、どうして議員への助成ではなく、その所屬政黨への助成なのか、といふ根據を全く示さなかつた。

昭和二十八年より現在まで、議員には、立法事務費(會派手當)といふ一種の政黨助成金が交付されてゐた。その上でさらに別途多額のお手盛りを狙つたのが政黨助成法なのである。また、各政黨は、なれ合ひ野合の結果、政黨助成法九條の「三分の二」條項のために、滿額の受給を受けられない政黨のために、この條項を削除するといふお手盛りまでやつてのけたのである。

アメリカですら、連邦選擧運動法(Federal Election Campaign Act)といふ選擧資金の助成法はあつても、我が國のやうな政黨助成法なるものはない。過去にあつた我が國における公費助成論は、あくまでも「選擧」の公費助成、すなはち、選擧公營制度についての議論であつたのに、いつの間にか「選擧結果による報奬金支給」の檢討となり、それが「政黨への公費助成」へと擦り替はつてしまつたのである。

最近までの政治の混亂は、振り返つてみれば、空虚な「政治改革」といふスローガンが席捲しただけであり、眞の政治改革は全く行はれず、既成政黨のカルテルを確立させるだけの陰謀が實現した結果に終はつた。衆議院選擧の確認團體制度が廢止(平成六年三月、公選法改正)され、選擧運動期間がさらに短縮されたうへ、小選擧區制度への改正、選擧供託金の增額及び政黨助成法の制定に至るまで、一連の選擧制度改正の方向は、參政權の閉塞的情況を一層加速させた。新政黨の新規參入を制限し、既成政黨のみが抽出される小選擧區選擧制度と、既成政黨に活動資金を交付する政黨助成制度といふ車の兩輪の上に、立候補供託金制度や選擧運動の制限などで組み立てた車體を乘せて、全體主義方向へまつしぐらに走り出した、「政治カルテル」といふ名の新車を完成させたと比喩することもできる。かくして、既成政黨の談合による參政權の閉塞的情況を法制度として確立したのである。

新黨を結成し、國政選擧に登場しようとすれば、多額の供託金の用意が必要となり、しかも、選擧制度上數々の重大な制約がなされる。衆議院選擧の確認團體制度を廢止したことは、既成政黨に絶對的に有利に機能することは明らかである。ホームレスの人々に對しても、大金持ちの人々に對しても、等しく平等に、驛の構内で寄宿し生活してはならないといふ法律が公平であるはずがないのと同樣である。

選擧や參政權の領域は、新規參入を最も保障すべき領域でなければならない。供給できる多種多樣の政策や理念が豐富であればあるほど、民意を正確に反映した政治意志が形成される。政治意志決定の「自由市場」が保障され、その選擇の需給バランスを確保できなければ、效用均衡の前提を缺くことになり、新たな制限選擧制度へと逆行することになる。

ところが、現實は、いはゆる泡沫候補の供託金を没收し、それだけでは足りないから、國民の税金まで使つて、既成政黨に政黨助成金を與へてゐる。弱者から金を卷き上げて、それを強者が山分けする不條理な制度が確立した。平成六年の公職選擧法の改正は、選擧公營を擴大強化を圖つたものとされるが、その選擧公營による選擧費用の公的負擔の增加分を、供託金の增額に伴ふ没收額の增額に求めるため、供託金額の五割增額を同時に實現したのである。これは、選擧公營の公的費用を、泡沫候補のみから徴收する制度として確立させたことになるのである。その結果、既成政黨は、益々財政的基盤を確立し、その他の政黨や政治團體は、供託金が没收されたことによつて財政的基盤を失つて没落していく。そして、さらに、既成政黨によるカルテルが強固なものとなり、政黨の新規參入が困難となつていくのである。現在は、さういつた參政權の黄昏の時代であることをはつきりと自覺しなければならない。

代表制と直接制

このやうな状況であるにもかかはらず、依然として、多數決原理は、現在のところ、民主主義による意志形成には必須の制度として採用されてをり、國民の意志の抽出が直接的か間接的かの區別によつて、「代表制」と「直接制」とに分類されてゐる。

兩者は共に「民主制」の種類であつて、統治者と被統治者との間に自同性(同質性、identity)が認められるとされてゐる。しかし、後者では統治者と被統治者との間に、この自同の關係が當然に肯定されるのに對し、前者の場合は當然には肯定しえない。なぜなら、「代表」とは、本來、自同性(同質性)の存在を擬制するために設けられた抽象的かつ理念的な概念に過ぎず、これを自同性(同質性)が存在することの根據に用ゐることは、明らかな循環論法に陷つてしまふからである。

一般に、代表制では、まさに「代表」(representation)の關係であり、「代理」とは理念的に異なるとされ、前者は、議員が國民の意志と指圖による拘束を受けずに自らの意志で行動しうるのに對し、後者は、その拘束を受けると説明されてゐる。換言すれば、代表とは、選擧民からの「命令的委任」を受ける代理ではなく、「自由委任」の關係にあるとされ、國民全體から議會全體への委任と擬制される。これを「自由委任の原則」(命令的委任の禁止)と呼んでゐる。しかし、たとへば、占領憲法を例にとつてその規定を檢討すれば、代表(自由委任)形態になじむ規定と代理(命令的委任)形態になじむ規定とが混在してゐる。つまり、代表形態になじむ規定としては、前文第一段、第十五條第二項、第四十一條、第四十三條第一項、第五十一條などであり、また、代理形態になじむ規定としては、第一條後段、第十五條第一項、第七十九條第二項及び第三項、第九十六條などがあるのである。そのため、いづれか一方の理念的な純粹形態ではない「代表制」といふことになる。

ところで、この代表と代理を巡つて、主權論の説くところに從つて説明するとすると、先づ、主權の所在を抽象的な選擧民團を意味する「國民」とし、その國民の總有である主權を代表者が行使するといふ「代表」關係を肯定することによつて、國民全體から議會全體への委任と構成する「國民主權」論が唱へられたことになる。その後、これに對抗するものとして、主權は具體的な個々の人民に分有され、かつ、一般意志(總意)は全人民の參加によつて決せられ、人民は執行權についての監督權を保有し直接民主制や命令的委任が當然の歸結であるとする「人民主權」論が主張され、以後は、「國民主權=代表制=自由委任=代表形態」と、「人民主權=直接制=命令的委任=代理形態」といふ理念對立の圖式が生まれたのである。

しかし、實際には、世界の政治形態の殆どは代表制であり、それも純粹の「代表」でも純粹の「代理」でもない兩者の混合形態であるから、國民主權論と人民主權論との對立も、二者擇一的にいづれかの理念形態を採用するといふものではなく、いづれの理念形態を主として主張するかの比較衡量の對立となつてゐるやうである。また、「國民」と「人民」との區別も、いはば、主權の「總有」か「合有」かの區別に盡きることになる。ここで、總有と合有とを比較して區別すると、これらはいづれも共同所有の形態の種類であるが、前者の場合は、入會權(いりあひけん)のやうに、團體の構成員が個々には使用・収益する權能があるだけで、分割請求權や管理權がない形態であるのに對し、後者の場合は、遺産分割前の遺産共有状態のやうに、團體の構成員が個々には使用・収益する權能があることは勿論、分割請求權や管理權が制限的ではあるが認められる形態を云ふものであり、その区別が、國民主權と人民主權との關係に相似してゐるといふことである。

ところで、主權概念や主權の歸屬については、前に述べたとほり、その矛盾が明らかなので、この主權概念から離れて、ここでは、國家又は地方自治の政治における終極的な意志決定に參畫する權利(參政權)の歸屬主體である「選擧民團」について檢討する。

この選擧民團とは、選擧權を有する國民の總體を意味するが、個々の國民に歸屬する「選擧權」と、選擧民團に歸屬する「參政權」との關係において、前者が後者の直接的な持分權として認めうるか否かが問題となる。換言すれば、參政權と選擧權とは同質であり、參政權は個々の選擧權に細分され、個々の選擧權の全體集合が參政權であつて、個々の選擧權は參政權の持分權として認識されるとの「合有論」と、そうではなくて、あくまでも參政權は選擧民團といふ機關に單一的に歸屬し、選擧權とは選擧民團の意志決定をするについての内部的な權利であつて參政權とは異質のものであり、その持分權といふ概念は認められないとする「總有論」とに區分しうる。さういふ意味において、合有論は人民主權論に、總有論は國民主權論に、それぞれ對應してゐるといふことなのである。

そこで先づ、總有論について考察するに、これは代表形態であり、國民全體の意志を議會全體の意志と擬制するのであるが、國民全體(選擧民團)の意志が多數決原理によつて一つの意志に決せられれば、國民全體の意志(全體意志)はその内の特定の意志(一般意志)と擬制されることとなり、議會全體は、その特定の意志で統一された集團で獨占されなければならない。これは、選擧區で多數の支持を得た黨派に全議席を獨占させるといふ「多數代表制」に歸結し、議會は國民の一般意志自體であるとすることにある。皇紀二十六世紀初頭(西紀十九世紀中頃)まではイギリスなどでこのやうな制度が採られてをり、小選擧區制や大選擧區連記投票制もこの制度の變形である。この多數代表制は、「代表」形態に最も忠實な制度なのである。ところが、この制度は、國民の少數者の意志が全く考慮されない結果となる。そこで、議會を國民の一般意志自體とするのではなく、議會を國民全體の「縮圖」、即ち、個々の國民の算術的全體の意志(全體意志)の同價値的縮圖とする考へが登場する。この典型が比例代表制である。しかし、この制度は、國民の一般意志形成といふ代表制における參政權の行使(選擧)の意義を全く無意味なものとしてしまふのである。即ち、選擧は、直接投票(例へば、占領憲法の第七十九條第二項、第九十五條、第九十六條第一項など)のやうな一般意志形成とは異なり、國民全體の正確な縮圖を作成するための「國家的世論調査」と化すこととなり、大衆政治の典型的な弊害を一段と助長させることになる。

大衆國家においては、世論操作について國家權力を凌駕する權力としてマスメディアが出現し、政治的世論操作まで行ふことによつてさらに強大な政治權力として成長する。そして、マスメディアは、國家の行ふ「國家的世論調査」である「選擧」の投票前に、必ず選擧結果豫測と當落豫想を行ひ、その豫測結果が選擧結果と一致するものであることを選擧民團に繰り返し報道することによつて、選擧民團の投票行動による意外性を失はれ、選擧自體を無意味化させる。選擧民團は、マスメディアの提供した選擧結果豫測と當落豫想を指針として投票行動を決定し、その結果、選擧はマスメディアの選擧結果豫測と當落豫想のとほりとなつて、豫測の精度を高め、選擧民團の信賴を得て更に世論操作が容易な環境を形成する。これが循環的に繰り返され、選擧民團は、その政治的意志形成と投票行動をマスメディアの豫測に依存することとなり、完璧な世論操作、即ち、典型的な世論不存在の衆愚社會が出現する。その過程において、マスメディアの政治情報が大量に取得しうる都市部を中心に投票率が漸減し、投票を自己の義務と認識してゐる國民以外は投票しないといふやうな、いはば、自肅的制限選擧制度ともいふべき事態に至るのである。マスメディアの選擧投票前の選擧結果豫測と當落豫想の報道は、結果的に、投票拒否層(棄權層)に屬する國民を多數形成することになるため、國民の參政權に對する重大な侵害行爲となるのである。

これらの惡循環を打破するためには、選擧投票前における選擧結果豫測及び當落豫想の報道の禁止の外に、直接・間接に「投票義務」を賦課するか、あるいは、最低投票率を定め、それを下回つた場合には、選擧を無效として再選擧する制度などを檢討する必要があらう。

また、これらの折衷的な制度として、少數代表制(大選擧區單記投票制)や職能別代表制など樣々な選擧制度が存在するが、いづれにせよ、多數代表制と比例代表制との混合形態に過ぎない。

これらの代表制の特徴としては、立法・行政・司法の各機關の「執行權」は參政權の行使によつてその正當性(Legitimacy)を付與されることにあり、また、それに盡きるのである。そして、合有論が總有論を批判して登場してきた最大の理由は、總有論によれば、選擧民團が參政權を行使して國家機關に「執行權」を付與するにすぎず、これを實效性あらしむるための恆常的な「監督權(監察權)」がないために、次の參政權の行使時でなければ監督(監察)の實が上がらないことになつて、參政權とは、單に「執行權を付與するだけの權利」、即ち、「代表を選ぶだけの權利」に過ぎなくなつたためである。從つて、合有論の目的は、選擧民團が恆常的な「監督權(監察權)」を取得することに最大の意義があつたはずである。

では、合有論によれば、これらが解決しうるのであろうか。合有論は、少なくとも、參政權の態樣として、執行權に加へて監督權(監察權)を認めてをり、確かにその意味では總有論よりも格段に政治淨化が期待しうるからである。

ところが、合有論の實際的機能は、前述の代理(命令的委任)形態になじむ規定を充實させ活用させることに集約され、しかも、それらの規定は罷免制度などのやうに、いづれも監察を必要とする事態が起こつた後の事後的かつ臨時的な監督權(監察權)の行使が主流となるに過ぎず、事前的(豫防的)かつ恆常的な監督權(監察權)の制度や規定が備はつてゐないのが現状である。

このやうに考察してくれば、國家の淨化再生裝置に關する性能について、總有論か合有論かの二者擇一的判斷を迫られたとしても、この選擇自體には、實のところあまり實益がない。合有論といへども、總有論の依據する何らかの代表制(具體的には選擧制度)を基礎としてをり、その意味では總有論の修正に過ぎないとも言へるからである。むしろ必要なことは、どのやうな事前的(豫防的)かつ恆常的な監督權(監察權)の制度を充實させるか、それは如何なる理論的根據に基づくものかを檢討することにある。

このやうに見てくると、代表か代理か、國民主權か人民主權か、權力の合有か總有か、といつた類の「概念法學」の議論をいくら續けて行つても、一體それで何が解決するのか、そして、何が變へられるのかといふ問ひに對して、何も回答できないのである。究極のところ、これらの議論は壮大なる「無駄」であり、そのことが解ることが必要なのである。このこと明らかにしたいために、迂遠ではあつたが、この議論の樣相を明らかにしたのである。

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