第三節:基本概念成立要件と效力要件

成立要件と效力要件

カール・レーウェンシュタインは、『現代國家の君主制』の中で、君主制の基礎は、これを支へる感情的要素と合理的要素とがあるとする。およそ、人の精神作用を「知」、「情」、「意」の三つに分けたとき、感情とは情的過程全般を指すものであるから、知と意の範疇にある合理とは、必ずしも感情と同一の方向を向いてゐるとは限らない。また、意についても合理性があるものとも限らない。合理的には肯定できても感情的には否定することがあるし、その逆もあるからである。また、確かに、君主制の基礎、とりわけ我が國の皇統を中核とした文化總體としての國體については、これを支持する臣民の感情的要素があることは否めないが、これは究極のところ理屈の世界の住人ではなく、いはば「好きか嫌いか」、「支持するかしないか」といふ問題なのである。そして、「愛情は理論よりも強力であり、永續的である。」と言つてしまへば、それだけで議論は終はつてしまふ。この感情的要素については、往々にして本能的要素の探求と理解が缺け、無知や誤解と先入觀からくる反發と盲信で語られることが多い。そこで、このことについては、ここの單元では省略し、まづは合理的要素といふ土俵に上がつて考察することにするが、感情的要素の概念自體が比較的明確であることと比較すれば、そもそもこの合理的要素といふ概念は必ずしも明確ではない。それゆゑ、このレーウェンシュタインの分類が適切かは疑問もあるが、ここでは一應この分類に從ふとして、この合理的要素の内容については、さらに具體的に詳細な構成要素に分解してみる必要がある。

一般に、合理性を考へる場合、政治的なもの、法律的なもの、道義的なもの、歴史的なもの、文化的なもの、經濟的なもの、社會的なものなどの觀點に分類できるが、このうち、法律的な觀點については、極めて論理的な思考に適し、他の觀點と比較して特に重要であり、それ以外の觀點については、相互に關連し合つてゐることから、ここでは、法の「成立要件」について、カール・シュミットのいふ「合法性」と「正統性」の二つの觀點に分解して考察する方法を用ゐることとする。なぜこの分類を用ゐるかと言へば、國體や憲法などの領域においては、およそ法律的側面の科學的考察は不可缺であり、その意味で「合法性」の探求は必要であつて、それ以外の側面については、法律的側面以外の歴史や文化、傳統など廣く社會科學的側面を總體としての「正統性」に收斂して考察することが重要だからである。これは、合法性が統治大權に由來し、この統治の正統性が祭祀大權に由來するものであることが前提となつてゐるからである。

他方、こんな分類もある。亡尾高朝雄博士は云ふ。「法の妥當的な規範意識内容が、事實の上に實效的に適用されうるといふ『可能性』chanceこそ、法の效力と名づけられるべきものの本質である。」と。つまり、一般に「效力」といふものには二つの要素があり、一つは法の「妥當性」、もう一つは「實效性」であり、この雙方を滿たすのが「有效」、そして、そのいづれかを滿たさず又はいづれも滿たさないものを「無效」と定義するのである。

このやうな概念の定義は、法學用語として定着してゐる。つまり、「法の效力」とは、「広義においては実効性を含めた概念として用いられるが、狭義においては法の規範としての拘束力を意味する。」「個々の法規の効力根拠はそれに効力を賦与する上位規範であるが、法秩序全体の効力根拠については神意説・自然法説・実力説・社会契約説・承認説などの見解が分かれる。法秩序の効力と実効性の関係についても見解が分かれ、効力は実効性そのものとする説、後者は前者の必要条件にすぎないとする説、両者は本来無関係であり、不正な秩序は実効性をもっても無効であるとする説などが対立する。」と説明されてゐる(文獻62)。また、「(法の效力とは)広義には、法が法としての妥当性を備え、かつ、それを実現し得る実効性を備えていることの意味に用いられることもあるが、通常は、法の実効性すなわち法がその効力を及ぼし得る範囲を意味することが多い。①時に関する効力(いわゆる施行期間)、②人に関する効力(属人主義か属地主義か)及び③場所に関する効力(公海上の船舶の取扱いなど)の三要素に分けて説明される。」とも解説される(文獻162)。

そして、「法の妥當性」については、「法とは社会生活を規律する準則としての社会規範の一種であるが、法が現実に法として機能しうるためには、法に定める内容が社会規範として遵守するに値する規範性を有することが必要である。これを法の妥当性という。なお、法は、法としての妥当性に加え、その実効性を備えることによって初めて現実に法たり得る。」(文獻162)と定義され、さらに、「法の実效性」については、「法が実現されるかどうかの確実性の度合すなわち蓋然性。法が遵守される蓋然性と違法行為に対し制裁が実現される蓋然性が区別される。個々の法規は、実効性を失うことが直ちに効力を失うことを意味しないが、このような状態が継続すると効力を失う。」(文獻62)とされ、あるいは、「(法の実效性とは)法が実現されるかどうかの確実性の度合いすなわち蓋然性のこと。法が守られる蓋然性と、法に違反した行為に対し制裁が実現される蓋然性とに区別される。一般国際法によれば、国家は、一定の地域、人民に実効的な支配を確立し、国際法を遵守する意思と能力をもつようになるとき成立し、実効的支配を失うときに消滅する。」(文獻162)と定義されてゐることから、本稿における概念の定義も、このやうな用語例と定義に從ふものである。

ところで、これらの一般的な概念の定義に從ふとしても、法の效力を一義的に決定することはできないのであるが、それでも「妥當性」と「實效性」が法の效力を決定する要因であることに異論はなからう。

私見によれば、法の目的は正義の實現であることを重視するものであつて、不正な秩序は実效性を持つても無效であるとする見解に立つものである。その上で、「合法性」と「正統性」とは、法の「成立要件」の要素であり、「妥當性」と「實效性」とは、法の「效力要件」の要素であると解して、それぞれの要素の概念を説明してみたい。

まづ、成立要件要素である「合法性」とは、およそ法の一般において、それが制定され存在することの規範的根據を有することを云ふ。規範(法)の理念、内容、手續の全ての事象において、適法な根據を有するか否かといふことである。それは、定立された法が他の法によつて授權されて成立したか否かといふことになる。たとへば、實定法秩序において、その最も上位に位置する規範(最高規範、根本規範)が存在する場合、その最高規範がそれ以外の規範の制定を根據付けるためには、最高規範からの授權がなければ「合法性」を滿たさないのである。

次に、もう一つの成立要件要素である「正統性」について考へる。これは規範定立の權力作用に歴史的かつ倫理的な正當性があるかといふことである。しかし、私見によれば、規範國體が最高規範であることからして、これに違反することは本能適合性を缺き倫理性を滿たさないのは當然であり、しかも合法性を滿たさないことになるので、この正統性の要素は取り立てて詳細に檢討する必要はない。つまり、合法性の要素の中に、歴史的概念に依據した規範國體、そしてその源泉となる文化國體を含んでゐるからである。それゆゑ、これはマックス・ウェーバーのいふ政治的概念としての正統性に近いものとして、合法性の實質的判斷を補強する要素として認識できる。

さらに、效力要件要素である「妥當性」についてであるが、これは、規範定立における「手續」と「内容」の雙方が妥當なものとして適正に形成された規範意識に支へられてゐるか否かといふことである。

そして、最後に、もう一つの效力要件要素である「實效性」といふのは、その規範が實際に公然と通用し、その規範に違反した行爲や状態の繼續に對して制裁(sanction)が働くか否かといふことである。

行爲規範と評價規範

法であるための前提要件となる形式や外觀すら備へず、對外的にもそれが周知されない場合は、法として認識しえない状態であると云へる。それは、事実として認識できないといふ意味で「不存在」といふことになる。しかし、これとは異なり、たとへば、ある規範が法律として公布された事實があつたとしよう。その場合は、一應は法律としてその存在が認識できるといふ意味では「存在」してゐることになる。ところが、これを以て直ちに「成立」したかといふと、一概にはさう云へない。極端な例としては、公布の事實はあつたが議會による議決の事實もなく、あるいは正規な手續を經てゐないこともありうる。存在を認識できても不成立と評價されるのである。つまり、「存在」か「不存在」かは主として「事実認識」の問題であるが、「成立」か「不成立」かは主として「法的評價」の領域だからである。さらに、この成立か不成立かといふ「法的評價」とは別に、さらに、それが法として效力を有するか否か(有效か無效か)といふ「法的評價」があり、これらの區別は、前に述べた、法の成立要件と効力要件の區別に対應するものである。つまり、成立要件を滿たさないとして「不成立」と評價される場合は當然に「無效」であるが、成立要件を滿たして「成立」したと評価される場合であつても、それが有效か無效かについて效力要件を充足の有無をさらに判斷しなければならないからである。さうすると、法の成立要件と效力要件といふ概念法學的な分析手法によつて法の生成と效力の過程を分類すれば、①不存在無効(不存在であるが故に無效)、②不成立無效(不成立であるが故に無效)、③成立無效(成立したが無效)、④成立有效(成立しかつ有效)といふ四つの效力態樣類型があることになる。

そして、このやうな段階的な判斷手順を經へ判斷する理由は、つまるところ、法としての效力を認めるか否かといふ最終的な判斷を慎重に行ふために必要だからである。嚴密に云へば、有效か無效かといふことは、「成立」したものに對する評價であり、存在しないもの、成立してゐないものに對する評價ではない。これらのものが法的な效力を持つことはそもそもあり得ない。生命が宿つてゐないものに、その生死を論ずることはないのである。しかし、存在しないもの、成立してゐないものには法的效力がないことを表現する言葉として、「無效」と表現しても誤りではない。つまり、「有效」であるといふことは、法として認められるといふこと、つまり、法として保護され遵守すべき義務が課せられるだけの價値が認められること(遵由ノ效力があること)であり、「無效」といふのは、さうでない場合のことをいふことになるが、このやうな現象は、さながら入學試驗の場合と似たものである。

つまり、入學試驗に合格して入學を果たすためには(有效となるためには)、まづは、願書を提出して試驗日に試驗会場で考試を受けなければならない。願書を出さずに、あるいは所定の日にその考試を受けなければ、そもそも合格することはありえない(不存在無效)。また、手續を經て考試に臨んだものの不正をしたことが考試中に發覺したために受驗自體ができなくなることもある(不成立無效)。さらに、所定の受驗手續を經たものの、考試の成績が惡くて不合格となつたり、事後に受驗手續等の不正が發覺して不合格となつたり、あるいは合格を取り消されたりすることもある(成立無效)。そして、そのやうなことも全くなく合格基準を滿たしてゐれば合格と判定され入學が認められるに至るのである(成立有效)。

このやうにして、法の效力の有無を判斷するについては、分析的で精緻な認識と評價をすることになるが、どうしてこのやうな手法がとられるのかと云へば、この入学試驗の喩へでも、成立要件と效力要件との相違について示唆されてゐるとほり、これらの要件はそれぞれ適用される時期と基準を異にするためである。

このやうな要件論的な議論は、後で詳述するとほり、占領憲法の效力論について缺かせないものであるが、まづ、一般論として、そもそも、法として認められるための「成立要件」と「效力要件」とを區別する實益はどこにあるのか、と云ふことについて考へてみたい。

思ふに、前に述べたとほり、この二つの要件で審査した上で、法として認めうるかを判斷することは、法が人々と國家全體に遍く適用される性質からして、その愼重さは必要でありかつ有益であると考へられるからであるが、それ以外にもさらに積極的な理由があるためである。  それはかうである。

まづ、「成立要件」は、規範定立時(成立時)における「行爲規範」である。ここでいふ「行爲規範」とは、行爲時(成立時)にその要件を滿たさなければ法としては認めないといふ基準であり、規範定立の「行爲」そのものが許容できるか否かを判斷する規範なのである。「行爲」自體を許すか否かに向けられた規範であり、いはば、「行爲時」に適用される規範である。

これに對し、「效力要件」は、規範定立後(成立後)における「評價規範」である。ここでいふ「評價規範」とは、一旦成立した後になつて、その要件を滿たさないと判斷されれば成立時に遡つて法として認めないといふ基準であり、規範成立の「結果」が許容できるか否かを判斷する規範なのである。行爲の「結果」を容認するか否かといふ評價のための規範であり、いはば、效力の有無が問題とされる「評價時」に適用される規範である。

しかし、通常は、この「行爲規範」と「評價規範」といふ對比ではなく、「行爲規範」と「裁判規範」といふ對比によつて、規範の重層的な機能構造を説明する場合が多い。この「評價規範」と「裁判規範」とは、類似した概念ではあるが、評價規範は裁判規範をも包攝した上位概念である。裁判規範とは、裁判の際の準則としての規範機能を有するもので、それは評價規範の一態樣であり、裁判での評價規範のことを裁判規範と云ふのである。つまり、評價規範とは、裁判だけに限定して機能するものではなく、行爲規範の場合と同樣、廣く立法作用や行政作用などの國家作用全域において機能するものである。裁判は、すべての紛爭や解釋論爭などを解決することはできない。私人間の和解、學術協議、行政處分、有權解釋、政治判斷などの裁判以外の行爲で決着がつくことの方が壓倒的に多い。裁判で決着がつくのは極少數である。そして、さらに、裁判自體にも限界があり、憲法裁判所の不設置、憲法判斷の消極性(處分權主義、弁論主義、爭訟性の要件、統治行為論、司法消極主義など)によつて、憲法判斷を含む司法判斷がなされない領域が餘りにも多いのである。

そもそも、法の妥當性や實效性といふ效力要件の要素は、社會全體の樣相から離れて語ることはできないし、裁判といふ國家作用に限定することは、規範の機能を矮小化するものである。また、行爲規範といふのも、議會だけに向けられたものではないし、行政や裁判などの國家作用のみならず、國民に對しても機能するものである。それゆゑ、成立要件と效力要件との對應性からして、行爲規範と裁判規範といふ對向概念で捉へることはできず、あくまでも行爲規範と評價規範といふ對向概念を用ゐなければならないのである。

ところで、この行爲規範と評價規範といふ二つの規範による結論は、本來は一致するはずであるが、時には一致しないことがある。たとへば、不動産の物件變動を公定させるための登記簿は、不動産の履歴書であるべきであつて、事實と異なる記載を許さないとするのが「行爲規範」の求めるものである。ところが、不動産の所有權が、甲から乙、乙から丙へと移轉した場合、この二つの登記の經緯を反映させるべきことが行爲規範として求められるべきところ、これを甲から丙に直接の移轉登記をした、いはゆる中間省略登記が行はれた場合、これを行爲規範に違反するとして無效とするか否かといふ問題がある。權利變動を正確に公示してゐないことは行爲規範に違反し、これを無效とする見解もあるが、假に、中間者の乙がこれに同意してをり、現在の權利者が丙であることに爭ひがないといふ場合、その點に着目すれば、これを無效とすることなく有效とする見解もある。これはまさに評價規範によつて有效とするのである。行爲時においては許されない行爲であつても、その結果が中間者を害さず、しかも、現在の權利者の權利を公示してゐるのであれば、あへてこれを無效とすることなく有效と評價するといふことである。このことを不動産實務も最高裁判所の判例も肯定するのである。しかし、これはあくまでも結果論であつて、初めから中間者の同意書を添付して中間省略登記を申請しても、それは行爲規範に違反するので申請は却下される。中間省略登記の有效性は、行爲規範からではなく、評價規範のみから導かれるものである。

また、別の例を示す。民法は、未成年子の保護の見地からして婚外子を分娩することを積極的には奬勵してゐない。これは行爲規範である。しかし、出生してきた婚外子については、それを保護するために認知請求や扶養請求などを認めてゐる。これは評價規範である。それゆゑ、婚外子保護の制度があることを以て國が婚外子の分娩を積極的に奬勵してゐるものと判斷してはならないのである。婚外子が評價規範によつて厚く保護されてゐるからと云つて、それが行爲規範において奬勵されてゐることではないのである。

このやうに、行爲規範と評價規範とは、行爲時と結果時(評價時)といふ判斷時の相違と判斷基準の相違によつて結論が一致しないことがある。そして、行爲規範と評價規範の關係についてさらに重要なことは、それは、成立の序列(授權の序列)と效力の序列とが必ずしも一致しない點である。

たとへば、殺人、放火、強盜などを處罰する各國に共通した基本的な刑法規範(處罰規定)は、通常は、法律で規定されてゐる。それは、法の成立要件について考察するとき、憲法の下位規範としての法律(刑法典)であり、憲法からの授權を得て規範が定立されたものであるから、當然に合法性は滿たす。勿論、これまでの歴史的事實からしても、これらの行爲を處罰してきた經緯があることからして、この規範定立の權力作用に歴史的かつ倫理的な正當性があることも肯定できる(正統性の充足)。また、法の效力要件について考察しても、この規範定立における「手續」と「内容」の雙方が妥當なものとして適正に形成された規範意識に支へられてゐるし(妥當性の充足)、その規範が實際に公然と通用してゐる(實效性の充足)ことからして、全く問題はない。

しかし、このやうに、刑法典を制定するといふ積極的な權力作用を認めることには問題はないとしても、逆に、刑法典を制定しないとする消極的な權力作用を認めることができるのかどうか。帝國憲法にも占領憲法にも、殺人、放火、強盜などの重大犯罪は勿論、その他の行爲を犯罪として處罰の對象とせよとは規定してゐない。むしろ、それを前提として、刑事被告人の手續保障などが規定されてゐるに過ぎない。では、制定しないといふことが可能だらうか。否、もし、刑法典を定めなかつたら、殺人も放火も強盜も放任され、社會秩序は確實に亂れ國家は崩壞する。それゆゑ、刑法典を定めることは國家防衞の見地から必要不可缺なものであり、まさに本能適合性がある。

さうすると、これは規範國體(根本規範)に屬する事項といふことになる。しかし、刑法典は、法形式としては、規範國體の下位規範である憲法典の、さらに下位規範である法律である。それゆゑ、成立要件の序列、つまり授權の序列としては法律といふ形式ではあるが、制定された刑法典の效力の序列からすると、實質的には規範國體の效力を持つ規範となるといふことである。

このやうな例は、外にも多くあり、世襲の態樣である相續を定めた民法典なども「世襲と相續」の制度保障をしてゐる點において規範國體に含まれるものであり、最近の法律の例としては、平成十一年八月に成立した「國旗・國歌法」も法律形式ではあるが規範國體に含まれるものである。

國旗が日の丸であり、國歌が君が代であることは、もとより規範國體に屬する事項である。しかし、成立要件としての授權の序列として法律となつてはゐるが、效力要件としての效力の序列としては、やはり規範國體に屬するものといふことになる。從つて、これ以外の圖案や歌詞、旋律を國旗、國歌とする法律は無效であり、現行の國旗・國歌法を變更したり廢止したりすることは、規範國體に違反して無效といふことになる。

また、これとの關連で、我が國には、「大和言葉(やまとことのは)を國語とする。」との明文規定のある成文法はない。帝國憲法にも占領憲法にもそのやうな明文規定はない。さうであれば、成文法主義に徹した法實證主義(純粹法學)によれば、「國語を英語とする」との法律や、「公用語を英語とする」との法律を作つても、憲法典が明文を以てこれを禁止してゐないので許されることになる。しかし、國語もまた規範國體(根本規範)であり、その改變は到底できないのである。

ところが、このやうな論理は、主權論や法實證主義(純粹法學)では導き出せない。むしろ、これを阻止できない致命的な矛盾と弱點を抱へてゐることが、主權論と法實證主義(純粹法學)に論理破綻があることを示してゐるのである。

最高規範と根本規範

ここで、これまで登場してきた最高規範と根本規範といふ概念について説明しておきたい。

これらの概念は、メルクルによつて提唱され、ケルゼンが完成したとする「法段階説」によるところが大きい。これは、法秩序の體系をどのやうに理解するのかについて最も大きな示唆を與へてくれるものである。

これ以外にも、法哲學的見地から法秩序の體系を理解する試みがあつた。それは、『法の概念』といふ著作のあるハーバート・L・A・ハートである。その見解を私見として理解すれば、ハートは、法とは「第一次ルール」と「第二次ルール」の結合であると認識するやうである。そして、第一次ルールとは、特定の行為を爲すことについて制裁(sanction)を伴ふ禁止規範であり、その性質は不確實であり、かつ硬直的、靜態的、非效率といふ特徴と限界があるものとする。これに對し、第二次ルールとは、そのやうな制裁を背景に持たずに、第一ルールを支へそれに權能や正統性を付與して、「承認のルール」、「変更のルール」及び「裁判のルール」の各類型に區分されるとするのである。些か難解ではあるが、つまるところ、比喩的に言へば、法秩序の体體に關して、ケルゼンの法段階説が模式的には「ピラミッド構造」の法體系であると認識するのに對し、ハートは、第一次ルールと第二次ルールが模式的には、あたかも縱糸と橫糸とで織り成す「ネットワーク構造」のやうな法體系の構造と認識してゐることになる。

しかし、ハートの見解は、同一領域を守備範囲とする規範の種別の説明には妥当しても、ある違反行爲に対して制裁を與へるとする第一次ルールについて、制裁を正当化し根據づける理由が何に由來するのかの疑問に對して沈黙せざるを得なくなる。それゆゑ、少なくとも國法學や憲法學の領域における授權關係の立體的構造として模式的に認識できる法段階説が基本的に正しいと考へる。

つまり、法段階説とは、およそ法秩序の構造は上位に位置する規範が下位に位置する規範を創造するための委任を與へるといふ段階的、階層的な授權關係の構造で成り立つてゐとの認識である。そして、その階層構造の頂點に位置するものが最高規範であるとするのが法段階説の説明である。

そして、この授權關係の根源には、上位規範に規範としての妥當性があるとして、その妥當性の究極的な根據を有する最上位の規範を最高規範としたのである。つまり、授權關係は妥當性の根據でもあり、最高規範とは全ての規範の根源であることから根本規範でもあるといふことになる。このやうに、最高規範ないしは根本規範は、規範の妥當性の究極的な根據であるため、その規範を廢止したり改正したりすることを許さず、改正に限界があることの根據を示したことに意義があつた。

ここでいふ根本規範の「妥當性」とは、前に述べた法の效力要件の要素としての「妥當性」と同じものであると理解してよいし、最高規範の授權關係は、同じく前に述べた法の成立要件の要素としての「合法性」のことであると理解してよいのである。

それゆゑ、この考へは、法實證主義だけに限らず、自然法學でも矛盾するものではない。しかし、規範としての究極的な妥當性の根據がどの規範にあるのかといふことは、法段階説だけでは結論に到達できない。

その上で、この最高規範かつ根本規範なるものが、憲法典(成文憲法)なのか、規範國體なのかといふことはさて置き、ケルゼンの法段階説のやうに、實定法秩序の階層的構造を認識するとすれば、合法性とは、その定立される規範が、その上位規範から授權がなされたものか否かといふことになる。

法律の場合であれば、その上位の法である憲法上の根據を有するか、その法律が合憲なものであるか、といふ問題である。また、憲法の場合であれば、それが從來の憲法を改正するときには憲法改正に關する條項や理念などに違反してゐないかといふことであり、新たな憲法の制定であるときにはそれを根據付ける權力(憲法制定權力)が存在したかといふことである。

しかし、フランス革命後の共和國憲法の場合は「革命權」を、また、アメリカ合衆國憲法の場合は、革命權の一種である英國からの「獨立權」なるものをその根據に掲げたが、これまでの傳統と規範を破壞し、これまでとは異なる全く新たな規範を創造することの「合法性」を根據付けることは困難である。これを「革命權」とか「獨立權」と命名することは簡單であるが、命名したこととそれを根據付けることは別である。醫療の世界で、未だ解明できてゐない病態を「○○症候群」と命名したからと云つて、それだけで原因や治療方法が解明されたことにならないことと同じである。解明の對象を特定したまでのことに過ぎないからである。「知るを知るとなし、知らざるを知らざるとなす。これ知るなり。」(論語)とする程度の解明であつて、「○○症候群」といふのは「原因や治療方法の解らない病氣」といふ意味であるのと同じことである。これと同樣に、「革命權」とか「獨立權」といふのも、革命や獨立の合法性の根據が定かではなく、これが假にあるとしても、その根據を暫定的に革命權とか獨立權を呼ぶとするとした「革命症候群」、「獨立症候群」と云つた程度のことである。

ましてや、「妥當性」に至つては、これまでの傳統とは異質かつ相反する「革命權」や「獨立權」といふ俄仕立ての概念に「妥當性」の根據があるとは到底考へられない。これは、傳統を破壞する「暴力」に妥當性があるとする「暴力禮贊論」に他ならないのである。

社會契約説と天賦人權論

前にも述べたが、國體を維持回復し復古する「維新」の場合であれば、國體防衞權(祖國防衞權)には明確な合法性と妥當性の根據が存在する。これは、本能適合性を滿たすからである。しかし、暴力によつて國體を破壞して新たな革命や獨立を實現し、あるいは暴力による他國の占領征服を認めることの合法性はなく、これは違法かつ犯罪である。それゆゑ、犯罪者の側からすれば、犯罪ではないことを根據付けるものがなければならない。「盜人にも三分の理」があるといふ程度ではダメであつて「十分の理」を見出さなければならないことになる。

そこで、直近まで續いてきた傳統とは異なる、もつと古い「傳統」なるものを「空想」し、その「假裝傳統」への回歸であるとして、合法性の根據を見つけ出す。それは、「社會契約説」の「自然状態」とか、天が人に對して生まれながらにして平等に「人權」を賦與したとする「天賦人權論」と云つた「假説」である。つまり、社會契約説によれば、人類は、それぞれ原始においては自然状態の中で、法律も政府もなしに平和に生活してゐたが、自己の生命、身體、自由、財産の安全を保持する利益のため、自己と同樣に他人もまた同樣の利益があることから、他人と共同してお互ひの利益を相互に認め合ふことが社會全體の利益となるとの認識により、當初から天賦として附與されてゐた自己の生命、身體、自由、財産に對する權利(自然状態での自然權)を抑制して社會全體の利益を守るために主權者を立てることに自發的に合意して國家を成立させるといふ「契約」を結んだといふ。

しかし、この社會契約説と天賦人權論は、いづれも虚構(フィクション)である。なぜこれが虚構であるかといふと、人には、初めに兩親を含む家族があり、家族がなければ生長しない。誕生の段階で他人との「契約」はありえなし、家族との「契約」も存在しない。そもそも人は誕生の最初は自立した個人の「自然状態」にはなく、自意識が未發達で人格の完成もしてゐないので、それを前提とした權利や自由も持ち合はせてゐない。親は、子を育兒し、扶養し、教育する。その中で意志が確立し人格が完成して、そこで初めて自由と權利を得る。しかし、子を育兒、扶養、教育することについて親子間で契約したことはない。ましてや、子は生まれたばかりのときには契約の意味も理解できない。任意で自由な意思に基づかなければ契約は無效であるとする意思主義からして無效である。また、契約説であれば、親は子を育兒し扶養し教育する義務(養育義務)はないことになる。子を生んだことや血のつながりといふ非契約の事實をこの養育義務の根據とすることは、この契約説では説明できない。もし、契約もなく初めから人が親になればその子を育兒、扶養、教育すべき養育義務を人に課するのであれば、天から初めにして義務が賦課されるのであつて人權が賦與されるのではなくなる。それは天賦「義務」説とでも云ふべきことになつてしまふ。

そもそも、親が子を守り育て、家長が家族を守るのは人の本能に基づくものであつて、そこから人は搖るぎない傳統と文化、數々の德目などの道德を築いてきたのであり、決してこれらは合意に基づいてできたものではない。内省的な「禮」に基づくものである。人は、家族の一員として生まれ、自己の生命、身體、精神の向上などは主として兩親と家族に守られ育まれてきた。そして、成人すれば、今度は逆に兩親を助けて孝養を盡くし、家族を扶養し、それがまた次代へと永遠に引き繼がれていく。個人の一生は短いが、家族は世代を繋いで永續する。社會契約説から生まれる「個人主義」の前提となる「個人」には普遍性、永續性、完結性はないが、「家族主義」の前提となる世襲される「家族」にこそ普遍性、永續性、完結性があり、それが本能なのである。強いて云ふならば、「天賦本能論」なのである。本能は命の維持のために必要な先天的なものであり、人權は後天的なものである。

このやうに、人は、當初において自然状態にあり人權が賦與されてゐたとするのは虚構であり、社會契約説や天賦人權論は論理的にも崩壞してゐる。個人主義は、個人に全人としての普遍性、永續性、完結性が備はつてゐるとするのであるが、そのやうなことは空想の世界であつて現實にはあり得ない。もし、個人主義を謳歌できる人が居るとすれば、それは幼いときから全人となりうる養育と教育を充分に受けられた、目を見張るやうな富裕層に屬する人だけに限られる。貧困層や身障者は、そのやうな機會や境遇がない。といふことは、個人主義とは、富裕層のみが謳歌できる思想であり、究極の「差別思想」である。つまり、社會契約説と天賦人權論、そしてその系譜に屬する現代人權論は、その根底に拭ひきれない差別思想があり、富裕層にしかできないことを貧困層も平等にできるとする傲慢さがある。貧者や身障者に對し法律的な機會さへ與へれば、現實的にはその機會や境遇が全く保障されてゐなくても、すべての人々の人權は保障されたとし、これを平等に規制すれば、自由と人權が平等に保障されたと言ひ張るのである。「富者も貧者も橋の下で物乞ひをしてはならない。」といふ法律は、極めて平等であり、自由と人權の制約が極力少ない法律であると自畫自贊するのである。富者が橋の下で物乞ひする必要が全くなくても、富者にも橋の下で物乞ひをする「權利」があり、それを貧者と平等に制約する法律であるから平等であるとするのである。

このやうないかがはしい差別思想が社會契約説と天賦人權論であり、そしてその系譜に屬する現代人權論なのであるが、このやうな自由と人權の平等に關する批判に對して、これらの見解は、「形式的平等」から「實質的平等」(公平)への修正主義を試みる。しかし、平等概念が形式的なものから実質的なものに變化すれば、これと連動として自由と人權の概念も形式的なものから實質的なものに變化することを餘儀なくされる。天賦の自由も人權も、萬人に等しく形式的平等に附與されたものでなくなり、實質的平等(公平)の自由と人權が附與されたといふことになる。つまり、附與された自由と人權には個人差があつて、それ自體において既に平等ではないといふことである。しかも、出生時から生育時、さらに死亡時に至るまで、その自由と人權の實質的な内容や態樣は、生活環境等によつて刻々と變化することになる。そのやうな不確定、不明確な自由と人權が出生時に「平等」に天賦されたとするのは詭辯にも程がある。

そして、さらに、このやうな詭辯で構築された差別思想の社會契約説と天賦人權論は、過去における社會契約と天賦の人權の存在が、革命と獨立についての合法性と正統性の根據であるとし、破壞しようとする國體よりも以前にこれらが存在したとするのである。あたかもそれは、盜人がその盜んだ物を「初めからこれは俺の物だつたから(正統性)、取り返したまでだ(合法性)」と強辯する屁理屈そのものであるが、それでも今日まで曲がりながらも世界を席卷してきたのである。その理由は、これらの理論構造が、後に述べるとほり、「世界革命思想」の原型的な構造に便乘し、その擬態としてこれらの理論が作られたことから、それなりの影響力を維持してきたためである。

世界革命思想の構造

「大東亞戰爭」は、世界の政治的經濟的支配の構造的枠組みに重大な變革を及ぼさうとした「思想戰爭」であつた。

大東亞戰爭とは、歐米の植民地支配からアジア地域を解放し、そこに共存共榮の自給自足共同體(共榮圈)を樹立しようとして、昭和十六年(1941+660)十二月八日、我が軍がハワイ眞珠灣攻撃と同時に、アメリカ、イギリス、フランス、オランダなどの東亞の植民地を解放するため、それらの植民地であつたフィリピン、マレー半島、香港島、ビルマ、シンガポール、アンダマン諸島(インド洋)、セイロン島などに進駐した對英米戰爭と、支那大陸において先行してゐた支那事變をも含むものである。しかし、戰後、連合軍の占領下において『日本プレスコード指令』による言論統制がなされ、「大東亞戰爭」の名稱使用を禁止され、「太平洋戰爭」の名稱を義務付けられ、獨立後においても屬國意識の強い者たちや無自覺な者たちは、連合國の檢閲に服したまま今日に至つてもこの名稱を使用してゐる。

ところで、この思想戰爭といふのは、特定の思想によつて描く理想の世界を實現するためになされるものであつて、どのやうな思想戰爭であつても、すべての思想戰爭に共通した理念構造があることを説いたのはカール・シュミット(Carl Schmitt)である。

前にも述べたが、カール・シュミットの『獨裁論』(1923+660)等を要約すれば、まづ、「獨裁」の態樣は、獨裁權の由來に關する國法學的分類として、「委任的獨裁」と「主權的獨裁」とに區分される。「委任的獨裁」とは、ドイツ・ワイマール憲法第四十八條のやうに、國家緊急時等において國家の本質的な現存憲法體制を擁護するため、一時的にその憲法條項を停止する獨裁形態であり、現存憲法自體の委任による、いはば「現存憲法に基づく獨裁」であるのに對し、「主權的獨裁」とは、將來の理想的憲法を實現するために、現在の憲法秩序を制定した權力とは異なる新たな憲法制定權力を前提とする、いはば先取り的な「將來憲法に基づく獨裁」であるとする。このことは、政治學的分類としての、「秩序獨裁(反革命獨裁)」と「革命獨裁」との區分に概ね對應する。即ち、「秩序獨裁(反革命獨裁)」とは、現存國家體制秩序を擁護するために、主として革命運動の彈壓を目的とする獨裁であるのに對し、「革命獨裁」とは、その逆として、革命運動推進のための獨裁であるからである。

この主權的獨裁又は革命獨裁に該當する思想(革命思想)の例として擧げられるのは、①共産主義革命思想(マルクス・レーニン主義)、②ナチズムの思想、③キリスト教國の思想(例へば、カトリシズム、十字軍思想といふ宗教的政治思想)、④白人優越思想(選民思想、有色人種の奴隷化肯定思想)などであるが、これらに共通するものは、次のやうな「五つの假説」による理念構造を持つてゐることにある(V字型思想構造。章末の別紙一『V字型世界思想構造圖』參照)。

先ほども述べたが、社會契約説と天賦人權論によるフランス革命などは、これらと全く同じ構造であつたことが容易に理解できるはずである。

これらの思想は、先づ初めに、遙か彼方の遠い過去に理想郷(ユートピア)が存在したとの第一假説を設定する。①では、差別のない「原始共産制社會」であり、②では、爭訟のない「純潔ゲルマン民族社會(神聖ローマ帝國とホーエンツォレルン家のドイツ帝國)」であり、③では、一切の不安のない樂園としての「エデンの園」、④では、「白人支配による世界秩序」なのである。いづれも歴史的かつ科學的な根據のない想像(空想)の世界である。

そしてさらに、その理想郷(ユートピア)の秩序を亂す存在が現れ、社會が混亂、堕落したとの第二假説を設定する。①では、私的所有と貨幣制度による「貧富の差の發生(富の蓄積)」と「階級對立(階級闘爭)」の現象であり、②では、ユダヤ人やジプシー等の社會進出及び混住・混血による「ゲルマン社會の混亂現象」と、それを加速させゲルマン民族の弱體化を目的としたベルサイユ條約體制の確立であり、③では、禁斷の木の實、バベルの塔及びソドムとゴモラの町に象徴されるやうな人間の原罪(欲心・無明)による「民族の分裂・對立」、「言語の混亂」及び「異教の亂立」、④では、黄禍論(Yellow Peril イエロー・ペリル)に基づき「日本の世界進出」による世界支配秩序の混亂現象である。

ちなみに、この黄禍論とは、黄色人種の活動及び混住(移民)が白色人種の社會・文化に脅威と弊害を與へるといふ、ドイツ皇帝ヴィルヘルム二世(在位1888+660~1918+660)の唱へた主張である。その根底には、言語區分による人種差別意識として、膠着語(アルタイ語、蒙古語、ハングル語、日本語など)を話す黄色人種は、獨立語(支那語など)を話す語族よりも進化してゐるが、屈折語(歐米語、インド・アーリヤ語など)を話す白色人種には遥かに及ばない、との妄想に基づくもので、今日にも強固に受け繼がれてゐる差別思想のことである。

さらに、第三假説は、救世主の出現である。①では、共産主義革命思想で武裝した前衞黨である「共産黨」の出現、②では、「ナチスト」の出現、③では、「キリスト」の出現(復活)、④では、盟主アメリカの實現である。

第四假説は、その救世主によつて第二假説の障害を除去して淨化し過去の理想郷に近い社會へと進展し到達するために、特定の政治的過程を必要とする假説である。①では、プロレタリアート獨裁(その前衞黨としての共産黨獨裁)といふ過程、②では、ヒトラー率ゐるナチストの獨裁政權といふ過程、③では、法王國家のキリスト教宣教師らが遍く全世界に布教して異教徒を驅逐するといふ過程、④では、日本を衰退滅亡させる過程である。

最後の第五假説は、第一假説と同等の、將來における理想郷が實現するとの假説である。①では、「共産主義社會」の實現(國家の消滅)、②では、ヴェルサイユ條約體制を打破してユダヤ人等のゐない理想的なゲルマン民族の純潔社會である「第三帝國」(エスタンジア)の實現、③では、キリスト教が全世界統一教(宗教獨裁)となることによる「キリスト教世界」の實現、④では、日本の滅亡による白人の世界支配世界(西高東低社會)の實現である。

これらは、いづれも豫定説的な信仰思想である。豫定説(predestination)とは、ユダヤ教とキリスト教に共通するメシア思想の教義であつて、誰が救濟されるのかは神のみの意志によつて豫め定められてをり、熱心に祈ることの見返りとして實現するものではないとの教理であつて、これらの革命思想構造の原形は、このメシア思想に見出すことができる。

このやうに考察すると、第二次世界大戰は、歐洲戰爭においては①②④が複合した覇權爭奪の戰爭であり、大東亞戰爭は、ABCD包圍陣による④の戰爭に對抗する自衞戰爭(④の反革命戰爭)及び①の共産革命に對抗する自衞戰爭(①の反革命戰爭)といふ消極的側面に加へて、大東亞共榮圈建設のための革命戰爭としての積極的側面を有する複合的な思想戰爭であつたことが解る。つまり、大東亞戰爭は我が國と連合國の雙方にとつて龍攘虎搏の思想戰爭であつたのである。ちなみに、イラク戦争は、次章で述べるとほり、③の戰爭といふことになる。

大東亞戰爭の戰爭目的とした大東亞共榮圈思想といふのは、④の世界革命思想に對抗する理論(反革命理論)として、その思想構造は反射的に世界革命思想に類似したものとなる運命にあつた。すなはち、第一假説は、「自給自足による東洋の高度文明社會」、第二假説は「歐米列強の大航海時代に始まる東亞植民地支配(西高東低支配)」による混亂現象、第三假説は「強國日本」の出現、そして第四假説は日本主導(八紘爲宇)による「大東亞共榮圈社會秩序」の實現である。この八紘爲宇(日本書紀)又は八紘一宇(田中智學の造語)の意味は、全ての民族は平等であり、世界を一つの家とすることの理想を示すものである。ただし、大東亞共榮圈思想が、これまでの世界革命思想と根本的に異なるのは、少なくとも第一假説、第二假説及び第三假説は、歴史的事實であつた點である。そして、ここで留意せねばならないのは、④の思想戰爭について云へば、我が國が大東亞戰爭で敗北したことと、④の世界革命戰爭が完結したこととは決して同じではないといふことである。未だ我が國は滅亡してゐないことから、④の第四假説(日本の滅亡)は實現せず、第五假説も實現してゐないので、兵器を用ゐない情報戰爭が未だ繼續してゐるといふことなのである。

ところで、大東亞共榮圈思想の源流は、吉田松蔭などにも見られるが、この思想性を完成させたのが北一輝の前掲の『國家改造案原理大綱』及び『日本改造法案大綱』である。これによると、我が國の有する「開戰ノ積極的權利」として、第一文に、「國家ハ自己防衞ノ外ニ不義ノ強力ニ抑壓サルル他ノ國家又ハ民族ノ爲メニ戰爭ヲ開始スルノ權利ヲ有ス(即チ當面ノ現實問題トシテ印度ノ獨立及ビ支那ノ保全ノ爲メニ開戰スル如キハ國家ノ權利ナリ)」とし、第二文に、「國家ハ又國家自身ノ發達ノ結果他ニ不法ノ大領土ヲ獨占シテ人類共存ノ天道ヲ無視スル者ニ對シテ戰爭ヲ開始スルノ權利ヲ有ス(即チ當面ノ現實問題トシテ豪洲又ハ極東西比利亞ヲ取得センガタメニ其ノ領有者ニ向テ開戰スル如キハ國家ノ權利ナリ)」(文獻33)として、東亞解放戰爭の正當性の根據を示したのである。

いづれにせよ、大東亞戰爭が世界思想戰爭であつたことは明らかである。それゆゑ、その歴史的評價は、戰爭遂行過程における個別的な戰闘行爲に非違があつたか否かといふこととは無關係に、その思想自體の内容、目的、手段及び結果等を總合して全體的な視座から判斷されることになる。その意味において大東亞戰爭は、紛れもなく自存自衞のための「聖戰」であつたことになる。

全體主義

前に述べたカールシュミットの獨裁概念のうち、主權的獨裁又は革命獨裁に該當する全ての革命思想は、例外なく全體主義思想である。この「全體主義」といふ用語は、ナチスがその思想を自ら全體主義と名乘つたことから、歐米において、「民主主義」に對立するドイツ・ナチズム、イタリア・ファシズムを總稱した概念として用ゐられた。その後、ソ連や中共などの共産主義もこれに加へられた。明治十七年(1884+660)一月四日に成立したイギリスのフェビアン協會(The Fabian Society)の指導的理論により、明治三十三年(1900+660)に組織されたイギリス勞働黨の民主社會主義(democratic socialism)の理念には、「左右」の全體主義との表現により、共産主義と國家社會主義(ナチズム)を同列に評價してゐた。ハイエク(Friedrich Hayek)が、その著『隷從への道(The Road to Serfdom)』(1944+660)の中で、共産主義と國家社會主義(ナチズム)とは共通した政治的基盤を持つものであると説いたのは、これの延長線上にある分析である。また、戰後の我が國においても、これらの評價が導入され、日本社會黨右派は、その『基本七原則』の中に、左翼全體主義である共産主義と明確に對決する旨を明記して、左派と對立し、それが民主社會黨(民社黨)結黨の原因であつた。

このことを現代において檢討すれば、全體主義の源泉は、「思想性」に由來するものではなく「權力性」に由來するものなのである。即ち、軍事統制國家、警察國家その他の「官僚統制國家」の權力的統治の現實こそが「全體主義」であると結論付けられる。

もつとも、「全體主義」の對立概念は、通常、「民主主義」とされてゐるが、これは正確ではない。全體主義は、通常、「民主主義」といふフィルターを通して釀成されるものであつて、「大衆の喝采」による支持を得たことを權力の「合法性」として主張する。デモクラシー(democracy)といふ用語を「民衆制」と直譯しようが、「民主制」と意譯しようが、いづれにせよ、民衆の意志形成を多數決原理によつて決するといふ政治の意志決定「手段」の理念である。これに對して、「全體主義」とは、個と全體との關係において、全體の利益を優先させるといふ價値論に由來する政治「目的」の理念である。從つて、兩者は比較の前提を缺いてをり、全體主義に對立する理念は、個の自由と利益を優先する政治「目的」の理念である「自由主義」といふべきであらう。

また、「全體主義」のもつ政治思想的な最大の特徴は、合理主義的に構築した絶對的價値の肯定にある。國家の全體目的において單一の理念と價値を設定し、それ以外の一切の價値觀を否定する「絶對主義」なのである。これは、價値の相對性を肯定する「相對主義」と對應する。前述の「デモクラシー」は手段面における相對主義であり、「自由主義」は目的面における相對主義である。

このことは、宗教思想的には、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教などのヘブライズム(Hebraism)のやうに宗教的價値の絶對性を肯定する「一神教」と、ヘレニズム(Hellenism)や佛教、道教、神道などのような宗教的價値の相對性(多樣性)を肯定する「多神教」(總神教、汎神論)との對比と共通するものである。現に、トマス・アクィナス(Thomas Aquinas)の神學理論を承繼したカトリシズム(Catholicism)の思想は、カトリック教會の教權を國家權力の上位に置いて統制するとの「人類的全體主義」を標榜してゐたのである。また、十字軍の遠征(1096+660~1270+660)や三十年戰爭(1618+660~1648+660)などの宗教戰爭は、いづれも一神教同士の不倶戴天の戰爭であつて、全體思想(絶對思想)の對立の典型例である。しかし、宗教戰爭に限らず、民族紛爭や思想戰爭など、世界史上における全ての戰爭は、少なくともいづれか一方の國家又は地域の全體主義的傾向が高まつたときに發生してゐる。一連の中東戰爭、イラン・イラク戰爭、灣岸戰爭、九・一一事件、アフガニスタン戰爭、イラク戰爭なども同樣である。その意味では、その國又は地域の全體主義的傾向の程度は、「戰爭」發生の危險性を測定する指標なのである。

憲法制定權力と法實證主義

このやうに、世界革命思想の構造を見てくると、この構造は、社會契約説と天賦人權論の思想構造がその原型であることが理解できたと思ふ。つまり、社會契約説と天賦人權論は、世界革命思想のV字構造を伴つて生まれてきたのである。社會契約説は、當初は「自然状態」といふ、一切の自由と權利が保障された理想郷(ユートピア)があつたとし、相互保證のために契約によつて國家が作られたが、その國家が機能不全をきたせば、契約を破棄する權利があり、新たな契約を締結してより改善された國家を成立させれば足りることになる。その契約を破棄することに對して、舊契約上の當事者である政府の抵抗があれば、これを實力で粉碎して革命や分離獨立の戰ひを行ひ、新國家を建設することは、正統性も合法性も滿たしてゐるとすることにあるからである。

そして、これらの思想に、さらに共通するのは、いづれも憲法制定權力(制憲權)なる概念をことさらに肯定する點である。

しかし、後述するとほり、國體を具體化する憲法といふものは、新たに作られた法ではなく、いにしへより受け繼いだ法である。創設された法ではなく、確認された法である。いにしへからの道を歩み、その轍(わだち)が法である。急に發見されたり、作られたものではない。古來から傳承されてきた法である。それゆゑ、社會契約説と天賦人權論によつて、これまでとは異なる國家を建設するには、これまでの法は邪魔となるので、自ら法を創造することの合法性の根據を見出さねばならない。それが憲法制定權力(制憲權)といふ概念であり、制憲權は、その革命を成功させた世代に賦與された特權であるといふのである。しかし、制憲權を肯定する見解は、何ゆゑに、革命世代だけの特權なのか、祖先から受け繼いてきた法よりも新たな法がどうして優先するのか、どうして子孫がこれによつて拘束されるのか、といふ質問に全く答へられない。

憲法制定といふ作業は、その世代ごとに制憲權があるから行ふのではなく、傳統で培はれた祖法の不文法の體系を理解して「書寫」する作業にすぎない。たとへば、『古事記』の内容は、稗田阿禮の誦習した舊辭を太安萬侶が撰録したものであつて、決して稗田阿禮や太安萬侶が創作したものでないのと同じである。

また、制憲權を肯定する見解は、この制憲權と憲法改正權とを峻別することを主張する。そもそも、憲法制定權力(制憲權)といふ概念用語は、フランス革命當時、エマニュエル・ジョゼフ・シェイエスが『第三勢力とは何か』といふ著作の中で論述されたもので、現在では、この憲法制定權力によつて定立された憲法を改正する權利(改正權)とを峻別するのである。しかし、この區別には致命的な矛盾がある。それは、憲法制定世代が制定した憲法に、どうして子孫が拘束されるのか、といふ先ほどの素朴な疑問に誰も答へた者が居ないらである。革命世代だけは特權としての制憲權が賦與され、次代以降は憲法改正權しか與へられず、しかも、その改正には限界があるといふことからして、革命世代だけがどうしてそこまで特別扱ひされるのか、この區別を肯定することは始源的に平等な人權を賦與されるとする天賦人權論とも矛盾することになるのではないか、といふ疑問に全く答へられないのである。

そして、この制憲權の特殊性に關して、これが國民主權主義と結びつくと、さらにその矛盾は增幅する。つまり、國民主權主義によれば、少なくとも選擧民の世代が入れ替はると、改めて憲法制定會議を招集して新憲法を制定する必要があるはずである。世代が交代する毎に憲法制定會議を開催して憲法を制定するか、あるいは、既存の憲法を承認するか否かの國民投票を世代交代の都度實施する必要がある。改正權の権限内容において、改正に限界があるとすることは、國民主權主義に反することは云ふまでもないが、改正を無限界としたところで、それでも國民主權主義に反する。革命後世代が革命世代の作つた憲法の手續に従つて改正しなければならないことを拘束すること自體が國民主權主義に反するからである。また、その手續要件を緩和して「硬性憲法」から「軟性憲法」としたとしても、そもそもその憲法が有效であるとしてこれに從はなければならないこと自體が革命後世代を拘束することになるからである。

「世」といふ漢字の異體字は「丗」であり、これは、「十」を三つ橫に連ねた姿であつて、親が子に引き繼ぐまでの三十年間を一世代としたことに由來する。疫病、飢饉、戰爭などの災害や個別的な事故や疾病などの事情があることを考慮すれば、現代においても世代の入れ替はり周期を三十年とすることに説得力はあるが、戰亂や疫病などがない場合における世代交代周期として、假に、最長で六十年間隔(二十歳で選擧權が付與されるとするとそれから平均壽命に至るまでの期間)とすれば、その周期毎に改めて憲法制定會議を招集して新憲法を制定する必要があるといふことになる。これは、あくまでも憲法改正といふのではなく、革命世代と同樣、同等の立場として、一から新しいものを作るのである。革命後の世代にも革命世代と同じ權利があるはずである。六十年前の國民と今の國民とは同等であるはずである。それならば、六十年前と同等に今の時點でも新たに作ることができなくてはならない。前の憲法を手直しするといふ改正ではない。改正といふことは、これが有效であつて、今の國民を拘束する。それは先世代も後世代も世代間格差のない同等の國民であれば、先世代の憲法が後世代を拘束することは理不盡なことである。國民主權なら、これに拘束されることは矛盾することになる。しかし、どの國もそんな制度は採用してゐない。なぜか。それは、やはり六十年前の國民(選擧民團)の方が今の國民(選擧民團)よりも高い價値を創造したといふこと、つまり、六十年前の祖先の方が今の子孫よりも偉いといふことを肯定してゐるからに他ならない。さうであれば、百二十年前の祖先の方がもつと偉いし、百八十年前の祖先の方がさらに偉いといふことになつて、結局は遙か遠い祖先が偉いといふことになる。しかし、それこそが「傳統」といふものの價値であつて、「傳統」こそが價値の源泉といふことになつてくる。さうすると、今生きてゐる國民だけが偉いとする國民主權とは矛盾する。つまり、革命世代の國民だけに革命權(制憲權)があり、革命以後の全世代の國民には、憲法改正の限界といふ制約をして、その限度でのみの憲法改正權しか與へないとして、國民を革命世代とそれ以後の世代とで峻別することは、結局のところ革命後の世代の國民主權を制限することになるので、國民主權論と矛盾し、世代間の平等原則にも違反することとなつて、論理としては矛盾破綻してゐることが明らかなのである。

このやうな國民主權論のジレンマは、アメリカ革命のときからあつた。それは、トマス・ジェファーソンの抱いた疑問である。彼がジェームズ・マディソン宛に出した手紙(1789+660年九月六日付)の中に、「一つの世代が他の世代を拘束できるのか」との疑問を投げかけてゐたのである。今もなほ、これに類する見解(英正道、大沼保昭など)もある。つまり、「憲法制定の父たちはその子孫たちよりも大きな權威と權限を持つ」ことを肯定するのか否定するのか、といふことである。後に述べるが、これを否定するのが國民主權論であり、これを肯定するのが立憲主義であるといふことになる。立憲主義は國民主權論を否定ないしは制約しなければ成り立たない。自己拘束することが立憲主義であつて、國民主權論とは矛盾することになる。國民主權の意志決定方法としての民主主義を單なる多數決とするのではなく、熟慮と討議の過程(deliberative democracy)であると理解したところで、それは單なる情緒論にすぎず、最終的には「數の論理」で決せられることを受け入れざるを得ない。國民主權論と立憲主義とが兩立するといふのは、占領憲法第九條と自衞隊とが矛盾しないとする當代の詭辯に勝るとも劣らない矛盾である。

憲法制定權力(制憲權)と、それを超えることができない改正權とを峻別し、前者は革命國家の第一世代に歸屬し、後者はその後の世代に歸屬するといふことは、革命第一世代は後世よりも偉大であり、後世は革命第一世代の意志に從ふことが革命國家の國是であるとすることになる。この國是は、革命國家を將來に亘つて支配する「傳統」といふことであり、「傳統を否定して生まれた革命國家の傳統」といふ矛盾に苛まれることになる。「一匹狼の會」とか、「無所屬クラブ」と云つたやうなもので、これは形容矛盾をはるかに超えた二律背反の矛盾に他ならない。

そして、この制憲權の理論と一體となつた社會契約説と天賦人權論とが、國民主權主義と結びついて矛盾が增幅した上に、さらに法實證主義(純粹法學)と結びつくことによつて、さらにさらに矛盾は增幅される。法實證主義の理解において、慣習法を含むか否かの爭ひがあるにせよ、凡そ法典として紙に書かれた實定法のみを法とするのが法實證主義(純粹法學)であり、形式的法治主義と呼ばれるものであるが、これによると、憲法典が作られるまでは憲法はなかつた無法状態(非國家)といふことになる。こんな馬鹿げたことはあり得ない。

また、傳統を破壞して新たに紙に書いた憲法のみが憲法であるとし、改正する場合の制約を設けることは、ある意味では制憲權者の自信の無さの現れでもある。いつ何時、同じ方法で覆るかも知れないとの恐怖からである。前の喩へで云ふと、盜人がその盜んだ物を「初めからこれは俺の物だつたから(正統性)、取り返したまでだ(合法性)」と強辯し、その物に自分(泥棒)の名前を書いた名札(憲法典)を貼り付け、「ここに所有者として俺の名前が書いてあるから、やつぱりこれは俺の物だ。」と宣言し、傍にゐる同じ泥棒の仲間(國民)から喝采されて承認してもらつた氣持ちになつて、やつと安心するといふことである。

この盜人は、自分とそれを承認する仲間にだけに盜む權利や盜んだ物の分け前に與かる權利(制憲權、革命權、主權)があり、他の者や子孫にはその權利はないとする。まさに二重基準であつて、何らその論理に普遍性はない。

イギリス人作家のギルバート・ケイス・チェスタートン(Gilbert Keith Chesterton)は、『オーソドクシイ』の中で、「死者にも墓石で投票してもらうべきである」と述べて、「死者を含めたデモクラシー」といふ考へを示した。これは、イギリス傳統のユーモア精神に基づく諧謔ではあるが、示唆に富んだ見解である。また、エドマンド・バークは、後述する『フランス革命の省察』(文獻86)の中で、國家は過去、現在、未來の三世代からなる共同事業であると説き、さらに、我が國においても、上杉鷹山は、「國家は先祖より子孫へ傳へ候國家にして我私すべき物にはこれ無く候」(『傳國の詞』)と述べてゐる。

これらの卓見から學ぶべきことは、我々はもつと謙虚になり、祖先から子孫へと引き繼がれて行く悠久の歴史によつて育まれた國體の護持を担ふ中間者であることを自覺する必要があるといふことである。

自然法學と實證法學

法實證主義(實證法學)は、實定法主義とも呼ばれ、當初は、成文法のみならず、慣習法や判例法なども經驗的事實に基づいて成立した法源(法の存在形式)とする立場であつた。そして、これに對し、自然法主義(自然法學)とは、これらの經驗的事實を超越した自然法があるとして實證法學と對立してきた。この對立軸が歐洲において二分してきた法思想の一つであつた。

法實證主義は、實定法の上位に自然法といふ神學的、形而上學的な法の存在を認めない立場であり、經驗的事實の認識のみを根據とする科學主義としての實證主義を法學に導入したものである。法實證主義が自然法學への對抗として生まれたのは、自然法學の提唱する神學的な自然法なる形而上學的な産物では、法の概念が一義的ではなく、法の科學性が否定されて何者をも生み出さないとしたことにあつた。經驗的な事實のみが法の存在認識の対象だとし、政治的・道德的・倫理的・宗教的要素を排除するのである。この分析方法は一面の眞理を含んでゐる。しかし、その科學性が稚拙であつたことが最大の問題である。事實(存在)と規範(當爲)とを區分することはできても、それを機械的に嚴格に分離することなどは不可能である。また、事實として反復繼續してゐる慣習的事實や類似事案についての同樣の判例が集積してゐる事實は、經驗的に檢證可能な社會的事實であり、それから導かれる慣習法や判例法は法として認識されるはずである。ところが、これを、實定法ほど明確ではないとして法の認識(法概念論)から除外する純粹法學は、單なる形式的な實定法主義にすぎず、法の認識における科學性を自ら否定してゐることになる。また、法實證主義は、自然法のみならず道德もまた法から除外するのであるが、道德といふ規範についても、その道德の實踐として人々の間で反復繼續する事実もまた經驗的に檢證可能な社會的事実であつて、道德規範もまた法として認識しうるはずである。

これに對して自然法學は、實定法の上位に「自然法」を置くのであるが、その概念は樣々である。神學や理性論などによつて永久法としての自然法を編み出すのである。社會契約説、主權論、人權論、自由主義、民主主義、平等主義など、合理主義(理性論)で構築された規範に絶對的正義があると主張する。しかし、それが何ゆゑに絶對的價値を有するのかについて、絶對的價値を有するはずのその自然法そのものによつて證明できないといふ致命的な矛盾があるために、自然法學は科學性に程遠いものがあつた。

しかし、後述するやうに、「惡法問題」の論爭において、法實證主義は退潮を餘儀なくされるに至つたのである。

英國では、いはゆるイギリス經驗論が主流であり、これは、やはり經驗的事實を重視する立場であるから法實證主義と同じ認識であつた。その意味では、超經驗的事實を認める自然法主義ではなかつたのである。しかし、純粹法學とは異なり、慣習法も判例法も法として認識してをり、それが神學的な自然法とは異なる「國體法」、つまりコモン・ローを確立する契機となつたのである。

ところが、英國では、もう一つの對立軸があつた。それは、英國では、憲法については文章形式を備へない「不文法主義」の法體系であり、慣習法や判例法などを重視したことに對して、憲法典といふ文章形式を備へた大陸法系の「成文法主義」と對峙してきた。

つまり、法實證主義においては、憲法に關して、不文法制による不文法主義と成文法制による成文法主義の對立が生じたのである。具體的には、憲法に關して、慣習法や判例法などを法源として認めるか否かといふことである。

よく誤解されるものとして、不文法制は非文明的な原初形態であり、成文法制は文明的な成熟形態であるとする見解があるが、これは大いなる錯覺である。廣く社會規範一般について云へば、規範は、文字で表現できるものばかりではない。原初的に長い傳統と文化に培はれた規範は、深奧な祖法である不文法の體系であつて、それを形式的な言語で「書寫」して成文化しても、不文の規範と同価値にて代置することは技術的にも次元的にも不可能な場合があるからである。また、前にも述べたが、規範には、聖なるものと俗なるものとがある。聖なるものは本質的に不文の姿であり、その影繪を描寫して成文化することは、その稚拙な表現の細部に亘つて解釋論爭が生じて必然的に俗化する。文字で書かれたものは、その内容の解釋が施されることによつて俗化するので、本質的なもの、聖なるものは文字で表現してはならないし、表現したときから俗化が始まるために、成文化しないもの、成文化できないものがあるのである。

その一方で、不文法は、規範の適用と運用に「柔軟性」があるものの、その柔軟性の高さが規範の適用と運用における「豫測性」の低さと表裏の關係にあることから、その豫測性を高めるために徐々に成文法制化されてきた。そして、成文化が進んでその豫測性が高まれば高まるほど逆に柔軟性が低くなり、形式的で硬直した規範の適用と運用といふ弊害を生じる。ところが、人々の一般的な規範意識は、法の豫測性を基軸として維持されるものであることからすると、成文法制化は必然的な趨勢となつてゐる。

しかし、全ての規範を成文化することは、規範の實相を完全に書寫することが技術的にも次元的にも限界があつて不可能であることは既に述べたが、それだけが理由ではない。法令の規定表現の構造上の理由もある。それは、成文法の多くは、短文によつて細分化した抽象表現の条文形式であり、長文によつて單元毎に具體的に記述した解説形式ではないからである。たとへば、条文形式による立憲主義的な憲法の多くは、權力分立制による均衡と抑制といふ原則を採用してゐるが、それは、条文形式の規定からそれが推認されるのであつて、權力分立制の基本概念を説明する解説形式の規定もなく、「立法」、「行政」及び「司法」といふ基本概念を説明する規定すらも備へてゐないのである。

短文の条文形式では、形式美は滿たされるとしても、規範内容が抽象的なものにならざるをえないが、長文の解説形式の場合は、規範内容が事例毎の説明にも及んだりして、より具體的なものになるとしても、長文ゆゑに煩瑣で美意識を害する。法令の形式的な外觀は、人々の規範に對する濳在意識に影響を與へるのである。そこで、この兩者の形式を組み合はせて、条文形式の本文の冒頭に、法令の趣旨や目的、解釋基準などの規定を設けたり、説明形式の總論的な前文や概念規定の條項を設けたりすることもあるが、それでも、やはり法令の内容は抽象的にならざるをえない宿命を背負つてゐるのである。

このやうに、不文法制と成文法制とは、二者擇一や二律背反の關係にあるのではない。不文法は、規範の適用と運用において、過去の判斷事例の蓄積などから具體的な事例比較をすることによつて一定の條理を導いて当該事案の認識と判斷に至る「歸納的手法」が採られるのに對して、成文法は、規範の適用と運用において、法文を前提とした三段論法によつて当該事案を判斷する「演繹的手法」が用ゐられることになる。それゆゑ、兩者は併存兩立しうるのである。事実たる慣習や判例などが先行的に存在し、それが慣習法(判例法を含む)を形成し、そのあるものは成文化して行くといふ消息を辿ることになる。

そもそも、慣習といふ事實や慣習法といふ規範は、文章形式に留められない性質のものである。本質的に不文法である。特に、それが憲法的(constituional)な憲法慣習や憲法慣習法に至つては尚更である。それゆゑ、この本質的に「不文」の憲法慣習や憲法慣習法を「成文」の憲法典の上位と認識するか、同位と認識するか、あるいは下位と認識するか、それとも慣習や慣習法自體を否定するのか、さらには、經驗的事實としての慣習や慣習法以外に超經驗的性格の規範を認めることができるのか、などといふ樣々な見解に分かれてくる。そのことが、法實證主義と自然法主義が樣々な見解に細分されて、その對立構造をより複雜にしてきた原因となつた。

英國では、憲法に關しても、法實證主義(イギリス經驗論)と不文法主義とが融合してコモン・ロー(國體の支配、法の支配)を確立させたが、主に大陸では、法實證主義と成文法主義とが合流することにより、憲法典(成文憲法)のみが憲法であるとする極端な法實證主義(純粹法學)が生まれた。

この法實證主義に對しては、それが正義や善といふ價値論から法を切り離し、「惡法も法である」といふことを受け入れざるを得ないことになり、自然法學からの批判にさらされた。これに對し、法實證主義の側からは、法實證主義は法概念論(法の認識)と法價値論(法の評價)を峻別するだけで、法實證主義と法價値論とは矛盾しないと反論し、「惡法問題」の批判を避けようとする。しかし、法概念論(存在論)において「惡法」として認識しうるものを法としての規範性を否定するのであれば、それは法實證主義の自殺行爲である。法の認識(法概念論)と法の價値(法價値論)とを峻別して、存在論(認識論)だけを守備範圍としながら、法價値論をも取り込むことになれば、正義・道德といつた形而上的な要素と法の必然的連關を否定して自然法論と對立した存在意義を喪失する。もし、惡法といふ法の價値評價によつて法の求める義務や規範性を否定するのであれば、自然法論と同じになつてしまふ。これは論理破綻となるので、法實證主義では「惡法もまた法なり」の例外を認めることはできないのである。これを認める見解は、そもそも論理破綻を犯してゐるからである。

これに對して、自然法學といふのは、自然や傳統、歴史、慣習などの普遍性のある根源的と考へられるものを經驗的事實の中から抽出したものを基礎とする法(自然法)の存在を認め、それによつて實定法を根據づけ、實定法の解釋や價値判斷を行ふ立場のことである。沿革的には、法實證主義は、自然法主義との單純な對立圖式から、自然法主義の自然法とは神學的な法として批判されてきたが、現在では、神学的概念だけではなく、樣々な自然法の概念が立てられてゐる。

これまでの法學は、この實證法學と自然法學といふ兩極にある考へ方の對立の歴史といつても過言ではないが、現實の學説は、極端な實證法學に基づくものはなく、多かれ少なかれ自然法學の影響を受けてをり、どちらかと言ふと實證法學的傾向と自然法學的傾向の雙方を折衷した考へ方であり、そのいづれをより強調するかによつて學説の特徴が決まつてくるのである。

自然法と云つても樣々な視點があり、なにを自然法として捉へるかによつて學説も樣々になる。特に、前に述べた社會契約説のやうに、「自然状態」に自然法の原點を求める考へもその一種と云へるが、それが歴史的事實でなかつたり、歴史檢證に耐えられるものでなければ意味をなさない。それゆゑ、これに耐えられる自然法といふものは、やはり歴史や傳統に根ざしたものであるはずである。

後述するとほり、これまでの自然法思想といふのは、自然法が實定法(慣習法、判例法を含む。)の上位に存在する超經驗的性格の普遍法としたことから、科學性を失つてしまつた。それが法實證主義による批判の要諦であつた。他方、實定法思想(法實證主義)も、文字で書かれてゐない慣習法を最も下位の法として、歴史や傳統といふ、これまで累積した最も膨大な經驗的事實を無視したことによつて、同樣に科學性を喪失してしまつたことは前述したとほりである。

それゆゑ、今一度、原點に戻つて、自然法と實定法を二極對立として捉へるのではなく、共に科學性を追求すれば、これらは融合するはずである。

ともあれ、これまでの自然法學と實證法學の對立は、多くの示唆を産みだし、後に述べる國體論と主權論の對立に相似してくるのである。

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