当初は我が国の正統典憲の事を書く積もりであつたが、進めるうちに少し大きく話をする事になつたので、少し読みづらいかも知れないが、、私の文章ではいつもの事かww
まづ前提として、日本國憲法が「日本の憲法(国内法)ではない」といふ事実は、既に多くの方が理解してゐる事でせう。
■国内法 ‐ 国家が独立性の範囲内で単独で制定する法
■国際法 ‐ 国家間の合意に基づいて、国家間の関係を規律する法。
更に詳しく学びたい場合は『國體護持總論』をどうぞ。


さて、国際法にしか過ぎない日本国憲法(占領憲法)の事は理解した。
では、これが憲法ではないのだから、我が国の憲法はどうなる?
無論、我が国の制定した、いはゆる近代憲法典とは即ち『大日本帝國憲法』です。
正確には典憲体制といふ通り憲法と並ぶ『皇室典範』も含むのですが、こちらは皇家の家法といふものであり、私達臣民が嘴を挟む事ではありません。
当然、法律でしかない『皇室典範』、つまり『占領典範』も典範として無效ですから、本来の『正統典範』の現存を明らかにする意味で奉還した上での事ですが。
さて、それでは『大日本帝國憲法』とはどういつたものなのでせうか?
読んだ事のない人が大半であるにも関はらず、天皇主権で軍国主義で男性優位で時代錯誤な過去の遺物であると、オールドメディアや戦後教育で教へられた妄想を未だに盲信してゐますか?
そんな時代錯誤な阿呆はゐませんね。
ただ、主権論といふ共産主義的な危険思想は、カルト宗教と同じで認知バイアスが強いのです。
主権論はそもそも西洋の野蛮さが生み出した病であるとすれば、これは同じ西洋から特効薬が出されてゐます。古典といふには230年程しか経つてゐませんがエドマンド・バーク「フランス革命の省察」でも良いですし、45年程前のフリードリヒ・ハイエク「法と立法と自由」とか「致命的な思い上がり」でも読んでみると良いでせう。
「主権がどこにあるのかと問はれるなら、どこにもないといふのがその答へである。・・無制限の究極的な権力が常に存在するに違ひないといふ信念は、あらゆる法がある立法機関の計画的な決定から生まれる、といふ誤つた信念に由来する迷信である。」
前置きが長くなりましたが、明治大帝の欽定憲法でもある帝國憲法の実態とは紹述憲法です。
紹述とは先人の業を受け継いで、それに従つて行ふこと、といふ意味です。
私達の祖先は主権論のいふ主権(うしはく)者として、個人の好き勝手に生きてきたのですか?
好き勝手に生きるといふのは本能ではありません。理性による損得を計算するからの働きです。
獣であつても、親は我が身を捨てて、子を守る事があります。ある種の魚の群れではオスが身を捨てて群れを守り、オスがゐなくなるとメスがオス化して群れを守ります。
これが種族保存の本能です。
そして人間には、特に日本民族には国家防衛の本能があります。
それは武士道ともいはれますし、大和魂と呼ばれる事もあります。
人は誰でも二親から生まれますが、その親もそれぞれに二親から生まれたわけです。
05世代前なら2の5乗で32柱。
10世代前なら2の10乗で1024柱。
20世代前なら2の20乗で1048576柱。
27世代前なら2の27乗で134217728柱の親がゐます。1億3421万7728柱です。
皇統は神武天皇から始めたとしても第126代です。
85,070,591,730,234,615,865,843,651,857,942,052,864柱。38桁。
正直、この数字読めません。億、兆、京、垓(がい)、𥝱(じょ)、穣(じょう)、溝(こう)、澗(かん)。
澗(1036)で桁数が37との事ですから、85澗と読むのでせうか。
神武天皇の父君は鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアヘズノミコト)、その前が山幸彦で知られる火遠理命、その前が天孫降臨の邇邇芸命、その前が合気道でもいはれる正勝吾勝勝速日天之忍穂耳命ですから、その前が天照大御神・須佐之男命で、その前が伊邪那岐命となります。
5,444,517,870,735,015,415,413,993,718,908,291,383,296柱。40桁です。
5444澗?合つてゐるのか。いや、この数字に意味があるのか?
皇太子殿下から見ると澗を超えて正(1040)の桁に突入します。
10,889,035,741,470,030,830,827,987,437,816,582,766,592柱。41桁です。
ある意味で歴史的な転換点なのかも知れません。
何にせよ、これが神代から今の貴方に繋がる祖の有り難さといふ事です。
貴方がこの世に生を受け、今この瞬間に生きてゐるといふ事実は、神代と呼ばれる時代、詰り人類誕生、いや、まださかのぼり生命誕生の時、地球誕生の時、宇宙誕生の時、そしてそれ以前?にまで辿り着くのです。
大げさと思ふかも知れませんが、この間に、何か一つでも、僅かに一代でも、間が繋がらなければ、途切れてゐたら、今の貴方は存在しません。これが動かぬ事実なのです。真実はいつも1つ!
そんな命脈を背景とするあなたはどこまで祖先を辿る事ができますか?
系図は遺つてゐませんか?何といふ姓を名乗つてゐますか?
親に「親の都合で勝手に産みやがつた!」「産まれて来たくなかつた。」とか言つてゐませんか?
実の親と仲良く出来ない場合もあります。毒親ですか?私の世代なんて親は占領下やその直後の戦後生まれですよ?団塊世代は文化的断裂の世代ですから、この世代を親とした私達氷河期世代といふのは産まれた時からその苦難?が宿命であつたのかも知れません。
しかし、宇宙誕生まで考へたなら、そんな親や家族や周囲との不和がなんだといふのでせうか?
その始まりから私達まで、その途中が全て理想的な環境であつた筈がないのです。
苦難と理不尽の連続であつたでせう。
しかし、今を生きる私達に命脈は途切れる事なく繋がつてゐる!この事実があります。
漠然としてゐると思ふなら、考古学や歴史の範囲で考へても良いでせう。
古代の日本に私達の祖先が暮らし始めた頃はいつ頃でせうか。
様々な説があり、新たな遺跡の発見などがあり、正確な事はわかりません。
出雲の砂原遺跡は約12万年前といはれます。
人類がアフリカで誕生し、そこから各地へと散らばつたといふ「アフリカ単一起源説」があります。
その場合の出アフリカは7万年~18万年と幅がありますが、それは単一起源の場合であり、各地の人類が交流し交配してゐたでせうから、それは天津神と国津神のやうな出来事だつたのかも知れません。
また歴史といふ一繋がりの物語に触れた時、自分と似た人を見た事はありませんか?
歴史上に名を遺した偉人でなくとも、その時代時代に生きた人達の物語に触れて、そこに自分や家族の姿を見つけられたならば、それは本当に自身の祖先である可能性があります。
皇統は男系で継承してゐます。途中、女性天皇もゐますが、天津日嗣の高御座は父系でしか繋がつてゐないのですから、その男系といふ血統で繋がなくては、断裂します。
なぜ、皇統は尊いのでせうか。なぜ天皇は偉いのでせうか。
無論、日本の国を統治する大任であるからでもありますが、私は皇統が続く事で、皇統と倶に生きた代々の祖先の姿を偲ぶ事が出来るからだと思ひます。
先程、祖霊が幾万、幾億柱になるのかと数を挙げましたが、どう考へても、祖先を辿ると皇統と繋がるのですから、皇統とは私達自身の祖先でもあるわけです。無論、君臣の辨へがありますから、畏れ多い事ではありますが、同時に有り難い事です。ですから私達臣民は「天皇の、詰り皇統の赤子」といふわけなのです。なので「今上は俺よりも年下ではないか!」などといふのは自分の祖先を年下呼ばはりするといふ蛮行でしかないのです。恥を知ると良い。
そのやうに考へますと、皇統とは単に血統といふ尊さのみでは語れなくなります。
今上陛下のご年齢や個人としてではなく、皇統といふ総体に対しての畏れがあります。
これを権威といふのでせうか。大御稜威と呼べば良いのでせうか。
そこで思ひ出されるのは、皇祖神と呼ばれる天照皇大御神は女神である事です。男系継承なのに皇祖は女性であるといふのは面白いと思ひませんか。
これは古事記に書いてある事ですが宇気比(誓約)なのです。それぞれの物実から生まれた男神と女神を物実の持ち主の子としたのですから、皇統は血統としては須佐之男命の男系の血統であり、天照皇大御神の霊統を受け継いでゐるといふわけです。
この霊統こそが、いはゆる権威であり、大御稜威ではないでせうか。
私の感覚ですが、権威といふよりも、祖の恩、祖と子の切れない繋りだと思ひます。
それも直接の血縁、実の子に限らず、親と子の繋りがあるのだとも思へます。
國體護持總論を学ぶとこのやうな事が分かります。とても楽しいのです。
何が楽しいかといへば、直接に会つた事のない祖先達、即ち時代を超えたその時々の父や母と倶に過ごしてゐるかのやうに感じるからです。
そしてこれは、そのまま逆に、自分が生きて会ふ事のない100年後、1000年後の子や孫がこのやうに私に会ひに来てくれるといふ事にもなります。
食事の際に「戴きます。」頂戴しますといふのは、「お命頂戴!」といふ命を奪ふ意味ではありません。まづ祖霊に捧げた食事であり、それを下げて私達が戴きますといふ意味なのです。
「人神共食」とは祖霊と倶に生きるといふ事ですから、私自身も身を捨てて本懐を遂げたならば、何代も後の子供達と倶に食事をする事ができるわけです。「しあはせ」とはこれの事です。
父はいつまでも貴方とその子等を見守つてゐます。子供達、産まれてきてくれてありがたう。
劇画・時代劇として人気を博した『子連れ狼』といふ作品があります。
我らの生命は絶える事なく 永遠(とは)に不滅なのだ。例へ皮破るるとも 血噴くとも狼狽へるな。父の五體倒るるとも怯むな。父の眼閉ぢらるるとも、その口開かずとも恐るるな。生まれ変りたる次の世でも父は父。次の次の世でも我が子はお前ぞ。儂らは永遠に、永遠に、不滅の、不滅の父と子 なのだぞ。
不滅といふのはキリシタン的な絵空事ではありません。
『万物流転』、『循環無端』『万葉一統』といふ事です。
さて、再びここで、祖霊が幾澗(1036)柱、幾正(1040)柱であつたかを思い出して下さい。
『天文学でもあるまいし、そんな数は当時の人口を遥かに超えてゐる!』と思ふ方は筋が良い方だと思ひます。
といふのも地球質量は5.972 × 10の24乗kgしかないのです。
5,972,000,000,000,000,000,000,000kg。25桁しかない。
5𥝱972,0垓00,00京0,000,兆000,0億00,00万0,000kg。
人類の平均体重を60kgだとして、地球の質量は
99,533,333,333,333,333,333,333人分。23桁しかないのです。
およそ995垓柱分です。
また誤差といへる範囲かも知れませんが水素やヘリウムが非常に軽い為に地球の重力では引き止めきれずに毎年5万トンづつ軽くなつてゐるのです。
しかも人体に使はれる原子は、地球質量の何%でせうか。
地球とは古事記にいふ「自転島(おのころしま)」であり、それは閉じた世界です。
繰り返しますがヘリウムや水素が重力に引き止められず毎年5万トンづつ軽くなつてゐます。たまに隕石などで加算されるかも知れませんが、基本的には閉じた世界です。
太陽の光といふ恵みを得ながら、閉じた世界の中の限られた原子達は繰り返し、やりくりして、私達の世界は作られてゐるのです。
文字通りに『万物は流転』し『万葉は一統』なのです。
これが詰り、親から子へと繋がるもの なのです。
その中で紡がれた一筋の縦糸こそが、皇統でもあり、日本國體といふものなのです。
だからこそ、その命脈の営みの中から生み出された文化や掟は、私達日本民族と不可分一体の祖法であり、その正統の典憲が正しく引き継がれねばならないのです。

