ポツダム宣言違反の占領統治
GHQの占領統治は、以下の點においてポツダム宣言に違反してゐた。
第一に、ポツダム宣言第六項は、「吾等は、無責任なる軍國主義が世界より驅逐せらるるに至る迄は、平和、安全及正義の新秩序が生じ得ざることを主張するものなるを以て、日本國國民を欺瞞し、之をして世界征服の擧に出づるの過誤を犯さしめたる者の權力及勢力は、永久に除去せられざるべからず。」とあるので、除去される對象は、特定思想の者の權力と勢力であり、個別的追放であつたにもかかはらず、これを特定の職務に就いてゐた者を全て一律に追放するといふ包括的な追放が行はれた。
第二に、同第七項は、「右の如き新秩序が建設せられ、且日本國の戰爭遂行能力が破碎せられたることの確證あるに至る迄は、聯合國の指定すべき日本國領域内の諸地點は、吾等の茲に指示する基本的目的の達成を確保する爲占領せらるべし。」とあるので、部分占領であつたにもかかはらず、全部占領を行つた。
第三に、同第八項は、「カイロ宣言の條項は、履行せらるべく、又日本國の主權は、本州、北海道、九州及四國竝に吾等の決定する諸小島に局限せらるべし。」として、これまでの講和條約によつて取得した我が國の領土的變更を強いたが、これは、カイロ宣言の「同盟國は、自國のためには利得も求めず、また、領土擴張の念も有しない。」との條項と、昭和十六年八月十四日に發表された英米共同宣言(大西洋憲章)の「兩國ハ領土的其ノ他ノ增大ヲ求メズ」、「兩國ハ關係國民ノ自由ニ表明セル希望ト一致セザル領土的變更ノ行ハルルコトヲ欲セズ」との條項に違反する。この點は、ポツダム宣言自體の矛盾である。
第四に、同第九項は、「日本國軍隊は、完全に武裝を解除せられたる後、各自の家庭に復歸し、平和的且生産的の生活を營むの機會を得しめられるべし。」とあるが、約六十萬人の皇軍將兵がソ連に抑留されたことは、明らかにこの條項に違反したものである。
第五に、同第十項の第一文前段は、「吾等は、日本人を民族として奴隷化せんとし、又は國民として滅亡せしめんとするの意圖を有するものに非ざるも」とあるが、占領統治は、占領憲法の強要などがなされても、政府の誰もが異議すら唱へられないやうに「蚤の曲藝」を受けて洗腦され、まさに日本民族を「奴隷化」するものであつた。 第六に、同第十項の第一文後段は、「吾等の俘虜を虐待せる者を含む一切の戰爭犯罪人に對しては、嚴重なる處罰を加へらるべし。」とあり、これを根據として極東國際軍事裁判(東京裁判)がなされたが、罪刑法定主義に違反するこの裁判の正當性は認められない。
第七に、同第十項の第二文は、「日本國政府は、日本國國民の間に於ける民主主義的傾向の復活強化に對する一切の障礙を除去すべし。」とあり、これが占領憲法制定の根據とする見解があるが、この文言のどこにも、根本規範を變更しうることを強制できる根據として理解できる部分はない。しかも、もし、これが明確な根據となるのであれば、プレスコードによつて、GHQがこれに關與したことを祕匿しなければならない事情はなかつた。つまり、これを祕匿して占領憲法を制定させたこと自體が、この規定に違反してゐることを示してゐる。
第八に、同第十項の第三文は、「言論、宗教及思想の自由竝に基本的人權の尊重は、確立せらるべし。」とあるが、プレスコード、言論統制、檢閲、選擧干渉、公職追放などにより、占領下でこれが保障されたことは全くなかつた。つまり、バーンズ回答には、「最終的ノ日本國政府ノ形態ハポツダム宣言ニ遵ヒ日本國國民ノ自由ニ表明スル意思ニ依リ決定セラルベキモノトス」とあつたものの、「自由ニ表明スル意思」なるものは全くあり得なかつたのである。
降伏文書調印前(獨立喪失前)の昭和二十年八月二十八日、東久邇内閣では、集會・結社の規制緩和を閣議決定し、結社については許可制を廢止し屆出制を復活させた。これは、同第三文の規定に基づき、自主的にその履行に着手したのであつて、我が國が不履行ゆゑにGHQが強制したといふ抗辯も成り立ちえないことになる。
第九に、同第十三項は、「吾等は、日本國政府が直に全日本國軍隊の無條件降伏を宣言し、且右行動に於ける同政府の誠意に付、適當且充分なる保障を提供せんことを同政府に對し要求す。」とあつたにもかかはらず、實質的には、「日本國の無條件降伏」として占領統治された。
GHQ占領統治と有效論者
GHQの占領政策の目的は、一言で言ふと、我が國の弱體化である。我が國が再び報復のため立ち上がれないやうにすることであり、そのためには、日本人の精神を弱體化させ、さらに再武裝させないことである。戰ふ氣力も戰ふ武器もなくなり、しかも、食料や物資・エネルギーの自給率が極限にまで低下すれば報復の可能性は全くなくなる。そこで、占領統治下においては、占領政策に迎合する「御用民主勢力」の意見を大いに喧傳し、それ以外の意見は全く黙殺された。即ち、占領政策の妨げとなる一切の言論、例へば、連合國最高司令官及び連合國軍總指令部に對する一切の批判、極東國際軍事裁判に對する一切の批判、連合國軍總指令部が占領憲法を起草したこと自體に對する一切の批判、檢閲が行はれてゐること自體に對する一切の批判、アメリカなど戰勝國等に對する一切の批判を全て禁止し、これに違反する新聞等については、その批判記事の削除又は發行禁止處分の制裁を科すなど、およそ國民の政治的意思形成に必要な情報を一切提供させないとする『日本プレスコード指令』による檢閲や神道指令による強力な言論・報道・出版の統制が斷行された。
さらに、戰爭犯罪人であるとか、軍國主義者であるとの一方的理由で多くの日本人を公職から追放し、さらには、各部門のレッド・パージを敢行した。このやうなことは、以後に制定されたとする占領憲法の第十四條の「法の下の平等」、同第十九條「思想及び良心の自由」及び同第二十一條の「表現の自由」や「檢閲の禁止」などに牴觸するものであると同時に、帝國憲法第二十九條(言論・著作・印行・集會・結社の自由)に違反する違憲措置であることは當然である。
また、極東國際軍事裁判(東京裁判)を斷行し、思想洗腦のために、ウォー・ギルト・インフォメーション・プログラム (War Guilt Information Program) による情報操作と檢閲の方針に基づき、東京裁判が正しいものであると喧傳し、昭和二十年十二月からは、NHKラジオで『眞相はかうだ』といふ獨自番組を裝つた番組で、滿洲事變以後の歴史的事實の内容を著しく捏造した報道を行ふなど、ありとあらゆる手段によつて國民に罪惡意識を植ゑ付ける洗腦政策を實施した。
そして、その仕上げとして、帝國憲法を改正させ、「日本國は、其の經濟を支持し、且公正なる實物賠償の取立を可能ならしむるが如き産業を維持することを許さるべし。但し、日本國をして戰爭の爲再軍備を爲すことを得しむるが如き産業は、此の限りに在らず。右目的の爲、原料の入手(其の支配とは之を區別す)を許可さるべし。日本國は、將來世界貿易關係への參加を許さるべし。」(ポツダム宣言第十一項)として、武器製造の軍事工場はおろか、それを支へ、あるいは軍事轉換しうる一切の工業化をも否定するために、第九條を含む占領憲法を制定させた。
これに、保身と賣國のマスメディアと憲法學者らがGHQの占領政策に協力して、いまもなほその惰性が繼續してゐる。桑港條約によつて獨立するまでは「戰爭状態」(第一條)であつたので、このマスメディアと憲法學者らの行爲及び政府要人らの行爲は、その當時においても「日本國ニ對シ外國ヨリ武力ノ行使アリタルトキ之ニ與シテ其軍務ニ服シ其他之ニ軍事上ノ利益ヲ與ヘタル者ハ死刑又ハ無期若クハ二年以上ノ懲役ニ處ス」との外患援助罪(刑法第八十二條)に該當するのであるから、このやうな「犯罪者」による占領憲法及び占領典範の制定は、後に述べるクリーンハンズの原則からしても當然に無效である。
特に、マスメディアはGHQの走狗となり、現在もその路線を突き進んでゐる。その中心となつてゐるのが、NHKや各民放、大手の新聞社など殆どのメディアが加入してゐる『社團法人日本新聞協會』の存在である。この協會は、昭和二十年九月に發令された、いはゆる一連の日本プレスコードによるGHQの檢閲實施下において、GHQの指導により誕生したGHQの傀儡團體であり、この協會が定めた新聞倫理綱領の美辭麗句の建て前とは裏腹に、今日までの經緯は、これらの檢閲と思想的偏向を許容する運用がなされてきた欺瞞と食言の歴史であつた。その原因は、建て前では民主主義的新聞社を標榜しながらも、實質はGHQの反民主的な檢閲を無批判に受容し、これについての自己批判すら行はずに、そのまま現在まで報道姿勢を踏襲してゐるといふ、致命的な根本矛盾に起因するものである。現在では、一部マスメディアのみの排他的特權を享有する「記者クラブ」といふ名のギルド社會の利權を維持せんがための反民主的な存在にすぎない。表向きは「民主主義的新聞社」の團體としてゐながら、その實質は、GHQの檢閲とプレスコードを受忍して命を長らへてきた集團である。これが、見せかけの「新聞倫理綱領」なるものを定めて、恰かも「民主主義」の旗手のやうに振る舞つてゐるが、GHQなき後も、忠實に東京裁判史觀を堅持して偏向報道を垂れ流しするメディアの團體として存在してゐる。
占領政策の要諦は、東京裁判の斷行と占領憲法の制定を二大政策として推進された。このうち、占領憲法は、『マッカーサー憲法草案』(GHQ草案)に基づいて制定されたものである。これは、昭和二十一年二月三日作成のマッカーサー・ノート(三原則)に基づく憲法草案であつて、このうち、占領憲法第九條第一項に相當する戰爭放棄條項は、アメリカの植民地であり、マッカーサーが公私共に莫大な利權を支配してゐたフィリピンの憲法(1935+660)第二條第三節に同樣の規定が存在してをり、その以前の昭和四年(1929+660)に我が國も批准した不戰條約(戰爭抛棄ニ關スル條約)第一條にも同趣旨の規定があつた。マッカーサー憲法草案の戰爭放棄條項は、このフィリピン憲法や不戰條約を原案としたものである。そして、占領憲法とこのフィリピン憲法とは、いづれも非獨立國家の憲法であるといふ點において共通してをり、その指標が「戰爭放棄條項」であつたことは否定できない。特に、占領憲法が完全に非獨立國家の憲法である所以は、後述するとほり、同第九條第二項(戰力の不保持と交戰權の否定)の規定の存在にある。
ともあれ、昭和二十一年六月二十三日の、憲法改正は「帝國憲法との完全な法的連續性を保障すること」を前提とするとの『マッカーサー聲明』に依據するものとされ、形式的な手續については、完璧なまでに正當なものであるやうに粉飾し假裝された。
しかし、この憲法が單なる「押し付け憲法」の程度を越えて、連合軍の強烈な指示・指導と稱する強要行爲によつて成立したものであることは、前章で述べた經緯によつても明らかであり、これに異論を唱へる者は少ない。これを押し付けでないとすることは、銃口の前で説得されて自己の墓穴を掘らさせられた上で「処刑」されたことを「自殺」したものと評價するに等しいことになる。それゆゑ、占領憲法の内容がどのやうなものであつたとしても、後に詳述するとほり、形式的正義(手續的正義)を滿たさないものとして無效であると判斷せねばならない。ところが、いまだに占領政策の後遺症を引き摺る我が國では、占領憲法を合憲有效と判斷し、その成立を法的に受容して信奉する見解(有效論)が根強い。この有效論には、似非護憲論(改正反對護憲論)と似非改憲論(改正贊成護憲論)とがあり、いづれも占領憲法を憲法として有效であるとする亡國的見解であり、我が國の獨立と尊嚴を否定し、侵略者の走狗となつて、その暴力的強制を肯定する「暴力信奉者」の主張である。
つまり、暴力による皇權簒奪や皇權否定の革命を肯定するのが占領憲法有效論であり、これを否定するのが占領憲法無效論である。そして、護憲論のうち、占領憲法護憲論(似非護憲論)は暴力肯定論、帝國憲法護憲論(眞正護憲論)は暴力否定論といふことになる。
また、我が國の國體、根本規範及び最高規範である規範國體に關する評價・判斷については、外國勢力からの獨立不可侵を前提とすべきであつて、我が國の憲法學説においては、「日本國籍」を自覺すべきものであり、それが獨立國における憲法學者のあるべき姿勢である。この姿勢が貫かれない憲法學者は、自己の經歴を特權化して占領憲法の解釋で利權を得る「敗戰利得者」といふべき惡德業者であり、これを飯の種にして自他ともに欺いて飯を食らふことしかできない法匪であつて、いまだに獨立國の學者であるとの自覺が缺落してゐる輩であると云つて過言ではない。
蚤の曲藝とハーメルンの笛吹き男
このやうな敗戰利得者の有效論者は、占領統治の歴史的事實を捏造してまで占領憲法を有效であるとする「確信犯」であり、憲法學者(憲法業者)や法曹界、政界、官界、經濟界などは、ほぼこれらの輩で占められてゐる。しかし、それ以外の有效論者の多くは、洗腦されて曲藝を仕込まれた「蚤」と、御爲ごかしの「ハーメルンの笛吹き男」に譬へられる。
まづ、「蚤」についてであるが、これは、第二章で述べたとほり、尾崎一雄が昭和二十三年一月の『新潮』で發表した『蟲のいろいろ』の中で、「蚤の曲藝」のことである。
これを再述すると、次の一節のことである。
「蚤の曲藝という見世物、あの大夫の仕込み方を、昔何かで讀んだことがある。蚤をつかまえて、小さな丸い硝子玉に入れる。彼は得意の脚で跳ね回る。だが、周圍は鐵壁だ。散々跳ねた末、若しかしたら跳ねるということは間違っていたのじゃないかと思いつく。試しにまた一つ跳ねて見る。やっぱり駄目だ、彼は諦めておとなしくなる。すると、仕込手である人間が、外から彼を脅かす。本能的に彼は跳ねる。駄目だ、逃げられない。人間がまた脅かす、跳ねる、無駄だという蚤の自覺。この繰り返しで、蚤は、どんなことがあっても跳躍をせぬようになるという。そこで初めて藝を習い、舞臺に立たされる。このことを、私は随分無慘な話と思ったので覺えている。持って生まれたものを、手輕に變えてしまう。蚤にしてみれば、意識以前の、したがって疑問以前の行動を、一朝にして、われ誤てり、と痛感しなくてはならぬ、これほど無慘な理不盡さは少なかろう、と思った。」(文獻240)。
ここで、藝を習つた蚤とは、屬國意識、敗北意識に毒されて似非改憲論(改正贊成護憲論)とか似非護憲論(改正反對護憲論)とかを騷いでゐる日本人、硝子玉とは、マスメディアなどで喧傳される戰後體制、仕込手とは、連合國主導の國連體制の喩へであることはお解りいただけるであらう。
また、「ハーメルンの笛吹き男」といふのは、實際に起こつた子供たちの失踪事件に由來すると云はれてゐるが、ドイツの有名な傳説に登場する人物である。ハーメルンの町に餘りにも鼠が增えて住民が頭を抱へてゐたところ、笛吹きの得意なこの男が町を訪れる。鼠捕りを得意とするこの男に住民は、もし、鼠を一掃してくれたら報酬を拂ふと男に約束し、男はそれを實行した。男は笛を鳴らし、その音に誘はれた多くの鼠を町の外れにある川に誘ひ込んで溺死させて一掃した。しかし、住民は男に報酬を拂はない。すると、男は、その復讐として、町の百三十人の子供たちを同じ方法で町の外に連れ去つて誘拐してしまつたといふトリックスターの話である。
これは、本來は歴史と傳統を守り國體護持を望む傳統保守層を無效論に導くべき氣持ちはあつたものの、敗戰利得者の乘るバスに乘り遲れたことで、敗戰後の利益を得られなかつたことの無念さを抱へながら流れ歩いた末、屈辱的ではあるが敗戰利得者からのお零れを求めて有效論に與したが、それでも滿足できる地位と利益が得られなかつた不滿から、御爲ごかしにも傳統保守層に聞こえの良いよい話をしながら、この傳統保守層と將來を託すべき子供たちを、傳統保守の根幹を打ち碎く有效論(似非改憲論)に導き、傳統保守層と子供たちを我が國から一掃することに努力してゐる「似非保守」(戰後保守、占領保守)の勢力ことを寓意してゐる。
しかし、我々は、藝を習ふ蚤にならないし、たとへ仕込手に捻り潰されやうとも、それでも飛び跳ねる蚤にならうとして正氣を回復し、そして、ハーメルンの笛吹き男の謀略を暴き、連れ去られた傳統保守層とそれを承繼する子供たちを取り戻すことに盡力しなければならないのである。
憲法調査會
我が國は、獨立後の昭和三十一年に『憲法調査會法』を制定し、これに基づいて、憲法調査會が設置された。これは、内閣に設置された審議機關であり、國會議員三十名、學識經驗者二十名の計五十名以内の委員で構成され、「日本國憲法に檢討を加え、關係諸問題を調査審議し、その結果を内閣及び内閣を通じて國會に報告する。」(同法第二條)といふものであつた。
日本社會黨は、これが憲法改正の布石となるとの懸念を表明して參加を拒否したこともあつて、委員の大半は似非改憲論者で占められた。
そして、昭和三十九年七月三日、なんと八年餘の歳月をかけて、本文約二百頁、付屬書約四千三百頁、總字數約百萬字にのぼる『憲法調査報告書』が完成した後、翌四十年に同法が廢止されて憲法調査會はその任務を終へた。ところが、この報告書には、致命的な缺陷と誤魔化しがあつた。それは、當時、占領憲法の制定經過の事實と評價において、根強い「無效論」があつたにもかかはらず、無效論の學者を委員から一切排除し、すべて有效論の學者のみをもつて憲法調査會が構成され、しかも、有效論と無效論の兩論を公正に併記し、それぞれ反論の機會を與へるといふ公平さを全く缺いた内容となつてゐたからである。
この報告書では、當時の無效論をどのやうに扱つたかと言へば、僅か半頁、しかも實質には約百字で紹介されたに過ぎない。たつた百字で無效論が語れるとでも言ふのか。百萬字の報告書のうちのたつた百字。一萬分の一である。そして、報告書曰わく「調査會においては憲法無效論はとるべきでないとするのが委員全員の一致した見解であった」としてゐる。無效論を唱へる者を誰一人委員に入れずして、「委員全員の一致した見解」とは誠に恐れ入つた話である。
そして、再び、平成十一年の國會法改正によつて、占領憲法の多角的調査を行ふことを名目として、翌十二年に衆參兩議院に「憲法調査會」が設置されたが、ここにも無效論者の委員は存在しない。占領憲法が有效であることを大前提として議論がなされ、平成十七年四月に、衆議院では第九條と前文などについて改憲の必要性があるとし、參議院では改正の方向を示さない内容の最終報告書が議決されて終はつた。
このやうに、出生の祕密を隱し續けたまま占領憲法を作つたマッカーサーの掌の上で、護憲か改憲かといふ踊りを繰り廣げて茶番の報告書を作成し、かくして「占領憲法眞理教」といふ「國教」が誕生したのである。
最高裁判所の判斷
ともあれ、これから無效論と有效論の樣相を説明をする前に、最高裁判所が帝國憲法と占領憲法をどのやうに評價してきたかについて初めに檢討して措かう。
まづ、占領統治の要諦となつたポツダム緊急敕令(昭和二十年緊急敕令第五百四十二號)に關して、占領憲法によつて設置された最高裁判所は、占領下で占領憲法施行後の昭和二十三年六月二十三日に、裁判官全員一致で次のとほりの大法廷判決をなした。
「昭和二十年敕令第五四二號『ポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ發スル命令ニ關スル件』は、舊憲法第八條に基いて發せられた所謂緊急敕令であって、この敕令は、周知のごとく、我が國がポツダム宣言を受諾して、同宣言の定むる諸條項を誠實に履行すべき義務を負い、且つ降伏文書に調印して、同文書の定むる降伏條項を實施するため適當と認むる措置をとる連合國最高司令官の發する命令を履行するに必要な緊急處置として制定されたものである。降伏條項の實施は廣汎の範圍に亘っている。その實施に關する連合國最高司令官の要求はその時期と内容を豫測することができない。しかも、その要求があれば迅速且つ誠實にこれを履行することを要する。そのためには急速に所要の法規を設けることが要請され、到底いちいち議會の協贊を經る手續をとることは不可能である。ここにおいて、政府はこの緊急の必要に應ずるため、緊急敕令を制定し、これに基く敕令、政令、閣令、省令によって、從前の法律、命令の改廢、新法令の制定を行うこととしたのである。緊急敕令が命令に委任した立法の範圍は廣汎である。しかしながら、降伏條項の誠實な實施はポツダム宣言の受諾及び降伏文書の調印に伴う必然の義務であり、その實施が廣汎で且つ迅速を要することを考慮するときは、緊急敕令が立法委任の範圍を『ポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ連合國最高司令官ノ爲ス要求ニ係ル事項ヲ實施スル爲必要アル場合』と定めたことは、まことに已むことを得ないところであって、これを目して舊憲法第八條所定の要件を逸脱したものと言うことはできない。」
「所論の緊急敕令は議會に提出されて、昭和二十年十二月八日貴族院において、同月十八日衆院においてそれぞれ承諾された。従つて、その後は舊憲法上法律と同一の效力を有することとなつたのである。そして、舊憲法上の法律は、その内容が新憲法の條規に反しない限り、新憲法の施行と同時にその效力を失うものではなく、なお法律としての效力を有するものである。このことは新憲法第九十八條の規定によつて窺われるところである。されば、緊急敕令が新憲法の施行と共に失效し、これに基く銃砲等所持禁止令も亦その效力を失つたことを前提とする論旨は理由がない。」
「所論の緊急勅令による立法の委任は、ポツタム宣言の受諾に伴い聯合國最高司令官の要求する事項を實施するための必要な処置であつて、舊憲法下において有效であつたことは、第一點について説明したとおりであるが、このことは新憲法の下においても、同一であると言わなければならない。けだし、降伏條項の誠實な實施は、降伏文書に基く法律上の義務の履行であるから新憲法上の條規に反するところはないからである。」
として、ポツダム緊急敕令及びポツダム命令は、「舊憲法下において有效」であり「このことは新憲法の下においても、同一である」として、新舊いづれの憲法においても有效であると判示したのである。
ここで「新舊いづれの憲法」といふのは、帝國憲法を「舊」とし、その改正法である占領憲法を「新」として、「新舊」とはその雙方を指すことは明確である。そして、ポツダム緊急敕令及びこれに基づくポツダム命令(以下「緊急敕令等」といふ。)が占領憲法下で有效であるといふのであるから、その判斷をなしうる始期は占領憲法の施行時(效力發生時)といふことになる。この判例には、その時點まで帝國憲法が現存してゐたか否かの明確な判斷はないとしても、占領憲法が帝國憲法の改正法であることを前提としてゐることからして、それまでは帝國憲法が施行されてをり、その帝國憲法第八條を根據として緊急敕令等が有效であつたことになる。つまり、この判例の意味するところは、少なくとも占領憲法施行時の昭和二十二年五月三日までは帝國憲法は現存(效力維持)してゐたと明言したことなのである。なぜならば、もし、占領憲法施行前に帝國憲法が效力を失つてゐるとすれば、その「憲法」の空白期間について説明ができず、緊急敕令等はその存在根據を失ふことになり、判例の結論と矛盾するからである。
次に、最高裁判所は、獨立回復後の昭和二十八年四月八日に、次のやうな大法廷判決を出した。
「昭和二十年敕令第五四二號は、わが國の無條件降伏に伴う連合國の占領管理に基いて制定されたものである。世人周知のごとく、わが國はポツダム宣言を受諾し、降伏文書に調印して、連合國に對して無條件降伏をした。その結果連合國最高司令官は、降伏條項を實施するため適當と認める措置をとる權限を有し、この限りにおいてわが國の統治の權限は連合國最高司令官の制限の下に置かれることとなつた(降伏文書八項)。また、日本國民は、連合國最高司令官により又はその指示に基き日本國政府の諸機關により課せられるすべての要求に應ずべきことが命令されており(同三項)、すべての官廳職員は、連合國最高司令官が降伏實施のため適當であると認めて、自ら發し又はその委任に基き發せしめる一切の布告、命令及び指令を遵守し且つこれを實施することが命令されておる(同五項)。そして、わが國は、ポツダム宣言の條項を誠實に履行することを約すると共に、右宣言を實施するため連合國最高司令官又はその他特定の連合國代表者が要求することあるべき一切の指令を發し且つ一切の措置をとることを約したのである(同六項)。さらに、日本の官廳職員及び日本國民は、連合國最高司令官又は他の連合國官憲の發する一切の指示を誠實且つ迅速に遵守すべきことが命ぜられており、若しこれらの指示を遵守するに遲滯があり、又はこれを遵守しないときは、連合國軍官憲及び日本國政府は、嚴重且つ迅速な制裁を加えるものとされている(指令第一號附屬一般命令第一號十二項)。それ故連合國の管理下にあつた當時にあつては、日本國の統治の權限は、一般には憲法によつて行われているが、連合國最高司令官が降伏條項を實施するため適當と認める措置をとる關係においては、その權力によつて制限を受ける法律状態におかれているものと言わねばならぬ。すなわち、連合國最高司令官は、降伏條項を實施するためには、日本國憲法にかかわりなく法律上全く自由に自ら適當と認める措置をとり、日本官廳の職員に對し指令を發してこれを遵守實施せしめることを得るのである。かかる基本關係に基き前記敕令第五四二號、すなわち『政府ハポツダム宣言ノ受諾ニ伴ヒ聯合國最高司令官ノ爲ス要求ニ係ル事項ヲ實施スル爲、特ニ必要アル場合ニ於テハ命令ヲ以テ所要ノ定ヲ爲シ及必要ナル罰則ヲ設クルコトヲ得』という緊急敕令が、降伏文書調印後間もなき昭和二十年九月二十日に制定された。この敕令は前記基本關係に基き、連合國最高司令官の爲す要求に係る事項を實施する必要上制定されたものであるから、日本國憲法にかかわりなく憲法外において法的效力を有するものと認めなければならない。」(昭和二十八年七月二十二日最高裁判所大法廷判決も同じ)
とし、さらに、
「昭和二十年敕令第五四二號に基いて命令を制定するためには、連合國最高司令官の要求がなければならぬこと所論のとおりであるが、連合國最高司令官の意思表示が要求であるか又は單なる勸告又は示唆に止まるものであるかは、その意思表示が文書を以てなされたか口頭によつてなされたか、或は指令、覺書、書簡等如何なる名義を以てなされたかというような形式によつて判定さるべきではなく、意思表示の全體の趣旨を解釋して實質的に判斷されなければならない。」
と判示した。
ここで注目すべきは、「日本國憲法にかかわりなく憲法外において(緊急敕令等は)法的效力を有する」とする點である。
これは、最高裁判所が「自然法」を肯定して解釋したといふことである。現に、その後においても最高裁判所は自然法を明確に肯定したこともある。それは、一票の格差、即ち、投票價値の不平等が問題となつた選擧爭訟において、公職選擧法第二百十九條は、わざわざ『行政事件訴訟法』第三十一條(事情判決制度規定)を準用しないと規定してゐるにもかかはらず、
「行政事件訴訟法三十一條一項の基礎に含まれてゐる一般的な法の基本原則に從ひ、選擧を無效とする旨の判決を求める請求を棄却するとともに當該選擧が違法である旨を主文で宣言すべきである。」
と判示し(昭和五十一年四月十四日大法廷判決)、成文法とは異なる不文法である自然法を發見したかのやうに勝手に法律を變更して判斷したことがあるからである。
ともあれ、この昭和二十八年判決は、前掲の昭和二十三年判決の「新舊いづれの憲法においても(緊急敕令等は)有效である。」との判斷とは異なり、一見すると、少なくとも占領憲法に基づかないとしても有效であるとした點において矛盾があるやうに見える。しかし、ここで「憲法外」とする部分の「憲法」の意味するものは何かといふ點について考へる必要がある。
思ふに、まづ、この「憲法」の意味が帝國憲法又は正統憲法、ないしは規範國體、あるいは法實證主義に基づいて認識しうる「根本規範」ないしは「實質的意味の憲法」を意味することはあり得ない。なぜならば、すべての法理論においては、いかなる法規範も、最高規範及び根本規範から離れて、あるいはそれを超えて存在するものがあるとするのは論理矛盾となるからである。最高規範及び根本規範を凌駕し、あるいはこれとは無關係に妥當性を根據付けられる法規範があるとすれば、それこそがやはり最高規範及び根本規範としての妥當性を備へた規範といふことになり、まさに循環論法に陷るからである。それゆゑ、この「憲法」とは、やはり「占領憲法」を意味することになる。
從つて、つまり、この表現は、「日本國憲法にどのやうな效力があるかといふこととは無關係に、この日本國憲法以外のものを根據として(緊急敕令等は)法的效力を有する」といふ意味となり、占領憲法を超える「自然法」があることを肯定した。この自然法は、規範國體しかありえないのである。
そもそも、最高裁判所は、占領憲法を存在根據とする機關であるから、占領憲法を否定する判斷をすることは自己否定となる。その證左として、昭和五十五年五月六日第三小法廷判決(判例タイムズ四一九號七二頁)によれば、占領憲法はマッカーサーが命令して帝國憲法を變更させたものであるからヘーグ條約に違反すること、帝國憲法は占領憲法のやうな民約憲法を認めてゐないこと、それゆゑ帝國憲法の改正手續によつて占領憲法を制定しえないこと、などを理由に提起された占領憲法無效確認請求訴訟について、
「原告提出の訴状によると、本訴は日本國憲法の無效確認を請求するものと解されるところ、裁判所の有する司法權は、憲法七十六條の規定によるものであるから、裁判所は、右規定を含む憲法全體の效力について裁判する權限を有しない。從つて、本件訴訟は不適法であってその欠缺を補正することができないものであり、またこれを下級裁判所に移送すべきでもないから、却下を免れない。」
と判示したことがあつたのである。
しかし、前掲昭和二十八年の最高裁判所の判例は、占領憲法を基礎付けたのは、その上位に位置するGHQの指令であり、これこそが緊急敕令等の存在根據であることを認識してゐたのであつた。つまり、帝國憲法第十三條の講和大權によつて締結された獨立喪失條約(ポツダム宣言の受諾と降伏文書の調印)から獨立回復條約(桑港條約)までの講和條約群の履行として、GHQ指令の命ずる「講和行爲」として緊急敕令等は發動されたとする私見と同じ認識であるといふことなのである。
效力論學説の論理構造
ところで、これまで、占領憲法の效力論爭の樣相について、その基礎的な前提となる事柄のいくつかを述べてきたが、無效論と云つても、私見の無效論(眞正護憲論)以外にも、占領憲法が無效であるとする見解がいくつかあるし、有效論にも樣々な見解がある。そのため、無效論と有效論との論爭と云つても、その組み合はせを逐一示せば膨大になるので、とても紹介しきれない。それに、それぞれの見解の意味するところは必ずしも明確でなく、さながら「多岐亡羊」(列子)の看がある。
そこで、まづは、無效論と有效論の基本的構造を分類的に考察することにする。
まづ、雙方の效力論に共通する分類として、無效とし、あるいは有效とする時點について、それが制定ないしは施行の當初から(始源的)であるのか、事後から(後發的)であるのか、といふ區分がある。
有效論については、その雙方がある。それは、始源的有效論と後發的有效論である。そして、それぞれはさらに根據とする法理によつて諸説に分かれ、また、後發的有效論では、後發事實の評價、有效化する時期の判定などによつて諸説に分かれる。
では、無效論についてはどうかといふと、始源的無效論しかない。占領憲法制定當時に無效論を主張してゐた代表的な論者としては、井上孚麿、菅原裕、谷口雅春、森三十郎、相原良一、飯塚滋雄、飯田忠雄であるが、外にも、太田耕造(元・亞細亞大學學長)、澤田竹治郎(元・最高裁判所判事、元・日本辯護士連合會憲法審議委員長)などがゐた。現在でも小山常実その他の論者がゐる。
なほ、これらの學者以外にも、政治家の主張として、昭和二十八年十二月十一日の衆議院外務委員會における並木芳雄委員の發言(第九條無效論。同樣の主張として文獻334)、昭和二十九年三月二十二日の衆議院外務委員會公聽會における大橋忠一議員の發言、そして、前述したとほり、昭和三十一年に内閣に憲法調査會を設置する法案の發議者として同年七月四日に參議院本會議において提案趣旨説明をなした清瀬一郎衆議院議員の發言、さらに、「文藝春秋」平成十一年九月特別号所収の自由黨黨首小澤一郎論文(「日本国憲法改正試案」)などあり、これらも舊無效論の範疇として認識しうるものである。
ただし、このうち、大橋忠一議員の發言内容に、「GHQの重圧のもとにできた憲法、あるいは法律というものは、ある意味においてポツダム宣言のもとにできた政令に似た性格を持つたもの」といふ表現があることからすると、この見解は次章で述べる講和條約説に近いものと考へることができる。
このやうな無效論については、その概念の形式的分類からすれば、後發的無效論がありうるが、實際は存在しない。しかし、これに關しては、菅原裕の『日本國憲法失效論』に言及する必要がある。これは、桑港條約の發效によつて占領憲法は失效するとの見解であり、桑港條約の發效を解除條件(すでに生じてゐる法律行爲の效力が成否不確實な將來の事實が成就することによつて喪失することとなる約款)とする見解である。ただし、菅原裕は、「日本國憲法」とは「憲法」ではなく、占領管理のための「法律」であるとし、憲法としては始源的に無效であるとの主張と思はれるので、後發的無效論ではない。
ところで、占領憲法の制定ないしは施行の時點(成立時)に限定して、效力の有無を論ずると、成立時に有效とする見解は、始源的有效論であり、成立時に無效とする見解は、始源的無效論と後發的有效論といふことになる。つまり、後發的有效論は、始源的無效論から出發し、後發的に有效となつたとする見解なのである。
では、これらの概觀を試みた上で、效力論の詳細を檢討することになるが、無效論の課題は、無效であるとしたら、これまで制定された法律、それによる取引や行政處分、裁判などが覆滅するのではないかといふ素朴で率直な疑問と不安にさらされることから、有效論とは異なつて、そのことを含めた綿密で多岐に亘つた立論が必要となる。
そのため、まづは、無效論の立論構造について、分類的に檢討を試みたい。
その分類方法はいくつか考へられるが、ここでは化學の構造式的な手法を採用することとする。
その分類の要素は次の四つである。
1 無效といふ意味が憲法のみならずその他の法令としてもすべてにおいて無效(無限定無效、絶對無效)であるか(要素A)、憲法としては無效であつてもその他の何らかの法令として成立を認め、あるいは有效である(限定無效、相對無效)と認めるのか(要素a)。
2 無效の程度と態樣において、それが確定的であり、その後の事情の變化や理由によつて有效になることはありえない(確定的無效)とするのか(要素B)、それとも無效は暫定的なものであり、 その後の事情の變化や理由によつて有效になることがありうる(不確定的無效)とするのか(要素b)。
3 無效であるといふことは、無效宣言などの何らかの國家行爲も必要とせずに無效(無條件無效)であるとするのか(要素C)、無效宣言などの何らかの國家行爲がなされて初めて無效(條件付無效)となるのか(要素c)。
4 無效宣言などの國家行爲がなされると否とを問はず、無效の效力とは成立時に遡及して初めから無效(遡及無效)であるとするのか(要素D)、あるいはその國家行爲がなされたときに、その時以降から無效になり、成立時まで遡及して無效とはならない(不遡及無效)とするのか(要素d)。
このうち、大文字と小文字の區別は、その樣相が、より端的かつ過激な方向を大文字とし、さうでない方向を小文字として相對的に決定した。
そこで、この分類により、代表的な無效論者について見てみると、
井上孚麿の構造式は[Abcd]、菅原裕の構造式は[aBCd]、相原良一の構造式は[ABCD]、小山常実の構造式は[aBcd]であると考へられるが、それぞれの論述に不明確な點があることと、管見の理解不足からか、この結論には餘り自信はないのでご容赦いただきたい。
井上孚麿[Abcd]は、絶對無效(要素A)を主張するものの、二次的には占領憲法は「占領基本法」にすぎない(要素a)とし、その立場が定かではない。しかし、これをあくまでも[要素A]と判斷したのは、占領憲法が憲法ではなく、法律もどきであると揶揄しただけで、嚴密な意味で法律であると主張したとは思はれないからである。現に、どのやうな理由で、憲法でないものが法律となつたのかの説明がないからである。このやうな事情は、菅原裕[aBCd]と小山常実[aBcd]についても同樣であり、なにゆゑに法律なのかの説明がなされてゐない。説明のないものは法的な立論として認めがたいので、これを「要素A」とすることも可能であるが、井上孚麿と比較して、菅原裕と小山常実は、法律であるとする點がより強調されてゐることから[要素a]と判斷したものの、この隘路にことさら深入りするつもりはないので、これ以上誤解を增幅させても有害無益であることから、ここでは私見の立場だけを明らかにしておきたい。
私見の構造式は[aBCD]であり、その立場に立つて、以下に先ほどの眞正護憲論(新無效論)の特徴に即して、その相違點について順次述べてみたい。
