親子断絶といふテロル

離婚前後に片方の親による実子連れ去り、若しくは片方の親を追い出す事で、片方の親と子供とを断絶させる実子誘拐がいはゆる人権派弁護士や裁判官にとっての利権と化した悍ましい「実子誘拐ビジネス」といふものがある。

これは児童相談所が保護を必要としない児童までを拉致して年間1千億円にも膨れ上がった予算の維持拡大に励む「官製の児童誘拐ビジネス」から着想を得た「民間の児童誘拐ビジネス」なのかもしれないが、児相問題については南出喜久治、水岡不二雄の共著「児相利権: 「子ども虐待防止」の名でなされる児童相談所の人権蹂躙と国民統制」に詳しい。

今回、令和8年4月の共同親権の施行を前に、この問題を取り上げるのは「子連れ去り規制求め、国を提訴へ 父母ら約30人、1人5万円請求」のニュースを目にしたからであるが、同種の提訴は今回と同じく代理人を務める作花知志 弁護士が令和2年にも14人が東京地裁に起こしたが、棄却され最高裁で敗訴してゐる。だが、離婚後の共同親権を選択可能とする改正民法が成立するなど、「家族の多様化(?)」を認める国民的機運が高まってゐるとし「改めて司法に問ふべき時だ」としてゐる。

なるほど「国が連れ去りを規制する法整備を怠ったため親権や監護権など「憲法が保障する基本的人権」を侵害された」といふ論法なのだ。

確かに「日本国憲法(笑)」といふ文書には基本的人権を定めてゐるし、日本国憲法では憲法自身よりも条約など国際法を優位と定めてゐる事から平成6年に批准した「子供の権利条約」を遵守せねばならぬ筈で、本来であればこれらの児童誘拐ビジネスは成立し得ないのだ。
これを「日本国憲法(笑)に違反してゐる」と訴へる事もできるわけだが、本質的な問題とはいへない。

国内の都合より国際法を優位とする「日本国憲法(笑)」とは、まさに軍事占領下にあった日本が侵略者である連合国に対して隷従するための詫び証文、「昭和の不平等条約」であるとよく分かる。さらにその事実を覆ひ隠す積もりなのか、恥知らずな事に、連合国との多国間の取決めである不平等条約に対して、「これが我が国の憲法である」とでもいふやうな名称に偽装した「なりすまし詐欺」である。

しかし、繰り返しになるが「条約優位説を採る日本国憲法といふ文書」が憲法としての実効性があるのであれば、国連や諸外国からの「子供の権利条約違反」との批判を無視してまで、良くも悪くも独立性をもって国内の都合を維持拡大できる筈がないのだ。

このやうな事実から考へても、神代の時代から伝統と独立とを維持してきた我が国に於いて、7年軍事占領下に置かれようとも、単なる昭和の不平等条約でしかない日本国憲法が憲法になりすまして制定されようとも、我が国の独立性が即座に断絶してしまふといふ事はなく、現在に於いても継続してゐるといふ事だ。

といふのは「日本国憲法(笑)」といふ文書が不平等条約の範疇、国際法であるのならば、そもそもそれは憲法ではない。さうであるならば我が国の正統の憲法である「大日本帝國憲法」は改憲されて「日本国憲法(笑)」となったのでもなければ、廃止されたわけでもない。憲法として「大日本帝國憲法」が現存してゐる。

詰まり、我が国の国柄は一貫し、現存してゐるのであり、無論、眞正の伝統国家として独立性も失はれてゐない。

となれば、今回問題としてゐる児童誘拐による親子の断絶、この人でなしの所業といふものは、日本国憲法(笑)に定めた「基本的人権」如きに違反するといふだけの話ではないし、そこで定める基本的人権とは世界人権宣言と同じやうにフランス人権宣言といった人類史の汚点に由来するキリスト教的な危険思想でしかない。因みに親子断絶といふ子供の権利侵害が世界人権宣言のいふ基本的人権に由来すると考へるなら日本はその国際連合の敵国条項が適用されてゐる事も忘れてはならないだらう。

この基本的人権といふ「一般意志」はその最初に掲げた「人間は、生まれながらにして自由」からして誤りである。このやうな現実と乖離した危険な妄想を実現するのであれば、それこそ人間は生まれてすぐに二親ともそれぞれに持つ祖父母達、更には祖先との系譜から断絶され、個人として孤児として「自由勝手」に生きねばならず、さうであれば赤子は無事に生い立つ事はできず人類は早晩、絶滅する。子供を生かさうとするなら、ジャン=ジャック・ルソーが行った通り、生まれてすぐに孤児院に放り込むしかない。ルソーは孤児エミールの教育を妄想する事に励むよりは実子の養育にこそ励むべきであった。

また日本国憲法(笑)第十一条 には「基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」とあるが、やはりこれも問題である。現在及び将来といふ事は当時の人々と祖先との繋がりを断絶させてしまふ。眞正の日本人として子供の利益を考へるのであれば二親のみならずそれぞれの親から繋がる親族、そして祖先との繋がりを以て養育するべきではないだらうか。

正統の帝國憲法その正統の所以とは、まさに皇統がさうである通り、親から子への連続性である。その切れぬ事ない絆は人類の歴史を超えて生命誕生、更に地球誕生、宇宙誕生まで辿る事になる。神代から繋がる無窮の根幹である。
神代の祖先から今に生きる私達まで切れる事なく命脈が繋がるからこそ、私達が今ここに存在し得てゐる事実は動かない。

さうであるから近代憲法典としての制定自体に価値があるといふより、この天壌無窮を紹述する憲法であるといふ事実こそが、命脈と倶に親から子への伝はる我が国のあり方として、掟として重要であらう。

但し、日本国憲法(笑)下に於ける基本的人権といふ考へ方を採ったとしても、「「親子の絆」に関する権利・自由は、自然権であり、前国家的な権利。」だといふ考へを持つ弁護士の方達もゐる事を確認してゐるので、「子連れ去り規制求め、国を提訴へ 父母ら約30人、1人5万円請求」の訴訟も漸く認められるかも知れない。但しそれは「家族の多様化」ではなく「家族の深化」といふ本来の家族の姿を取り戻す流れであって欲しい。

児相問題にしろ、実子誘拐にしろ、親子の断絶とは祖先との断絶であり、日本国家を破壊するテロルなのだ。
これらは到底、容認する事はできない。
子を守り育てるのは大和男兒たる父の務めである。
皇國ノ興廃此ノ一戦ニ在リ、各員一層奮励努力セヨ!

かうした事は日本を紹述した教科書といへる『國體護持總論』を学ぶ事で、日本社会こそが『親と子の切れない絆』を体現した天壌無窮の家族国家であると魂から分かるやうになる。

親と子、詰まり祖先と末裔とは、神代から繋がる無窮の根幹である。
この大樹に嘗てのやうに枝葉を茂らせる事こそが日本人としての使命なのだ。

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